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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第一章 魔術師とバキールの怪物
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第11話 夕暮れの語らい

 我慢の限界だった。

 セトは真っ赤な鳥に向かって叫んだ。


「おまえは所詮、無機物なんだ。人の気持ちなんてわかるもんか!」

「人だって? 魔王に呪われた人間様のお気持ちを理解しろと?

 てめーのおセンチなチキンハートなんぞ、世界最強の杖の俺様にはわっかんなくて当然かもなぁ!」


 緋色のインコにそう罵られ、セトは機嫌を損ねてインコを消した。

 インコはまだなにか言いたそうに口を動かしていたが、マスターのセトには逆らえず、魔力の粒子となって消えてしまった。


 野営地から少し外れた場所、誰も来ないであろう荒れ地の岩の上。

 セトはため息をついたあと、独りで膝を抱えて座り込んだ。

 ここは野営地の喧噪から逃れてきて見つけた場所だ。

 話し相手が欲しかったので杖を出してみたものの、悩み相談をするには相手の口が悪すぎた。

 とにかく心を落ち着けようと、セトは遠く西のほうを眺めた。


 赤い大地は、沈みかけた夕日に照らされていっそう燃え立つようだった。

 バキールの荒れ地は、セトの知っているレムナードの荒れ地とは全く異なる。

 白く乾いた砂丘がどこまでも続くレムナードの荒れ地とうってかわって、バキールは赤茶けたひび割れた大地に巨石がごろごろと転がっている。

 レムナードを凪の海とするならば、こちらは嵐の大洋と言っていい。

 『龍の牙』の連中はこんな場所に魔術師の王国を建てようというのだ。

 正直、理解に苦しむ。


 ラインツは今、騎士団や魔術師連盟の幹部たちを集めて会議をしているはずだった。

 セトの出した案が通るかどうかはわからない。

 しかし、アリー自身が使者となり父親を説得できるならば、全面戦争は避けられるかもしれないのだ。

 ラインツに心酔しきっている騎士団は納得するだろうが、頭の固い魔術師連盟の幹部たちが首を縦に振るかはわからなかった。


「そんなところでなにをしているんだい?」


 後ろから声をかけられ、セトははっとして振り向いた。

 キースが微笑みをたたえながら手を振っていた。

 セトは少し気まずく思いながら答えた。


「……ちょっとした口げんかを」


 怪訝な顔でキースは周りを見渡す。


「誰もいないじゃないか」

「杖とだよ」


 すごいなあと言いながら、キースが岩に飛び乗って、隣りに腰掛けた。


「本当に『意志を持つ杖』なんだね。僕もそんな杖を持っていたらなあ」

「うるさいことこの上ないぞ。そして相談してもなんの役に立ちやしない」


 無駄にきらきらした瞳で初代魔王の杖を称賛するキースに、セトは苦々しく感想を述べた。

 正直、あの杖ならセトの悩みがわかると思っていた。

 紆余曲折あれ、十年共に戦った友人のような存在だ。

 身体まで作ってやり、意見はなるべく聞いてやることにしている。

 しかし、あの杖はどこまでいっても杖であり、人ではないらしい。

 興味深げな顔で、彼が尋ねてきた。


「杖に何の相談を?」


 セトは黙ってポケットから紙を取り出し、キースに手渡した。


「戦況速報じゃないか」

「さっき刷られたものらしい。ご丁寧に兵士が持ってきてくれたんだ」


 折りたたまれた紙を広げ、ざっと目を通したキースが感想を述べる。


「よく書かれているじゃないか」

「これで? 『バキールの怪物、敵先鋒隊を壊滅さる』だぞ?

 まるで私が化け物みたいじゃないか」


 セトの抗議を、キースは朗らかに笑って受け流した。


「気にするほどのことじゃない。そのくらい強いって意味だよ」


 本当に、それだけならありがたいのだが。

 後ろからなにかに追われているような恐怖が、この誌面からもぞわぞわとにじみ出してくるようだ。

 セトはぽつりと言った。


「この戦いが、だんだん怖くなってきたんだ」

「戦争だもの、僕だって死ぬのは怖いよ」

「死ぬことじゃなく、慣れるのが怖いんだ。

 ……魔物は絶望した魂のなれの果てだということは知っている?」

「文献で読んだよ。『多産の魔王』が倒されるまでは極秘扱いだったけれどね」

「ときに、人間が魔物になることも?」


 キースは眉をひそめて、西日の方角を向いた。


「悲しいことだよね。

 でも、最近は魔物の数が激減しているらしい。

 もうすぐ、魔物の時代は終わる。

 それも、君やラインツ総指揮官が魔王を倒したからじゃないか。素晴らしいことだよ」


 キースが明るい調子で話をしめたが、セトの心は晴れなかった。


「魔王を倒したとき、これで世界は平和になると思ったんだ。

 皆が魔物に怯えず、安心して暮らせる日がくると。

 でも違った。魔物が減ったら、今度は人間同士で争いだした」


 ところどころつかえながら、彼はずっと胸に重くのしかかっていたことを語り出した。


「怖いのは私自身なんだ。

 最初は魔物を殺したとき、後ろめたさや苛立ちがあった。

 魔物になってしまった人々が哀れだと思ったし、その原因の魔王が憎かった。


 ……知ってるか?

 違法な賞金がもらえる酒場では、自分が倒した魔物の数を申告しなきゃならないんだ。

 それに、証拠品として魔物の一部を持っていかなくちゃ金を出してくれない。

 私は無意識に魔物の頭数を数える。今から絞めるニワトリを数えるみたいに。

 殺した後は、この鞄に首を入れるんだ。指や角だと、とどめをさしていないんだろうと難癖を付けられるから。

 血で汚れないよう、断面にガラス化の魔術をかけて酒場に持っていく。

 それを当たり前のように、毎日毎日繰り返して……慣れたんだ。慣れてしまったんだ。

 ずっと心の中で言い訳をしていた。

 これは、人間じゃない。魔物になってしまえば、人間には絶対に戻らない。

 私は正しいことをしているんだと。


 でも今日、戦争とはいえ、私は人間に向かってバベルを撃った。

 今度は人殺しに慣れていくのかもしれない。

 それに慣れてしまったとき……私は魔王になるのかもしれない」


 キースは黙ったままだった。

 セトは自嘲的に続けた。


「それをあの杖に言ったら、なんて返ってきたと思う?

 『正気に戻れ。戦場じゃ弱音を吐く奴から死ぬ』ってさ」


 曖昧な微笑みと共に、キースが背中を叩いてきた。


「……きっと、それは激励だよ。初代魔王の杖なりの」

「あいつは既に慣れているんだ。

 私が持つずっと前から、初代魔王の杖として戦場にいたんだ。

 いずれ私も、そんな考え方に染まってしまうのかもしれない」


 そんなことはないよ、とすかさずキースが言う。


「ラインツ様だって、戦いはするけれど高潔じゃないか」

「ラインツは違う。カサン王国の騎士で、バキール内戦の総指揮官様だからな。

 でも私は流されてここにいるだけだ。

 私が今からやろうとしていることは、魔物と何の違いがあるんだろう?

 暗黒時代を繰り返さないためにこの戦いに参加したはずなのに、私自身がどんどんどす黒くなっていく気がするんだ。

 ……私は戦うべきなんだろうか。

 戦う理由が見つからないんだ」

「セトさん」


 ふいに真面目な顔をして、キースが立ち上がった。


「戦ってくれ。理由が見つからないのなら、僕らのために戦ってくれ。

 この戦いのせいで、王都の飛竜レースも軒並み中止になった。

 街の公会堂も、魔術師には貸せないと言われる。

 このままじゃ、本当に僕らは迫害の世を生きることになってしまう。

 君に強制することはできないけれど、お願いするよ。

 魔術師が幸せに生きる世の中に、僕らが変えなきゃならないんだ」


 そこまで言うと、キースは岩の上からぴょんと飛び降りた。


「そうそう、僕らの飛竜に餌をやらなくちゃ。

 僕ら二人を直属にしたとき、ラインツ様は連盟から飛竜も二匹もらってきたんだ。

 飛竜乗りをもらうんだ、飛竜もいなくちゃ話にならないといって」


 ラインツめ、やはりちゃっかりしているな、とセトが言うと、キースが短く笑った後、声をひそめて尋ねた。


「本当に、アリーを使者にする気なの?」

「まあ、今ラインツが会議で頑張ってくれているところだろうが……連盟から許可が下りるかどうかだな」


 セトは気になっていたことを尋ねた。


「そういえば、アリーとは知り合いだったのか?」


 同じ飛竜レーサーだからね、とキースはなぜか照れながら答えた。


「あの子は東部出身で、魔術師連盟の幹部、六賢の娘だろ?

 小さいころから飛竜に乗って暮らしていたらしい。

 十五歳でレーサーになって、いきなり王都賞レースで一位だよ。

 僕らは二年前からずっと競い合ってきたんだ。

 もっとも、僕が勝手に追っているだけだったかもしれないけれど。

 ……ただ、王都賞レース三連覇に挑戦する途中でこの内乱が起こってさ。

 アリーは父親のせいで出場できなくなってしまったんだ」


 最後の言葉は、少し寂しそうだった。

 アリーの自暴自棄な態度はそのためだったのか、とセトはやっと納得した。

 キースが真面目な表情に戻って言った。


「僕はアリーを『竜の牙』へ行かせるのは反対だよ。

 ……もしかしたら、殺されてしまうかもしれない」

「いや、いくら反体制側の使者だとしても、自分の娘だぞ? さすがにそれはないだろう」


 『竜の牙』にとっては、人質が帰ってくることになる。

 殺されるというより、むしろ歓迎されるだろう。


 セトがそう説明すると、彼は「確かに」と言った後、無理矢理口角をあげたような笑い方をした。

 そして振り返りざまに、小さい声で呟いた。


「そうそう、セトさんは魔王になんてならないよ」

「どうしてそう言える?」


 訳知り顔で、キースが言った。


「魔王にしては優しすぎる」

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