第58話 今やるべきこと
うう……
この世界に腱鞘炎という病気って存在するのだろうか?
ないならどうやって治療すべきか。
はい、思い付いたレシピを片っ端から紙に書き写してたら、手が痛いです。
「少し休まれてはどうですか?」
気遣うようなフィリップ。
冷えたタオルを持ってきてくれた。
それを痛めた手首に当てる。
読書を終えて本を棚に返すと、現れた図書館の管理者。
監視されているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
管理者は自分が登録した賢者に関しては、なんとなくだが、どう行動すべきなのか感覚でわかると言う。
家畜の長に感じるような、ああいう感覚がフィリップにもあるのかな?
私は何も感じないので、一方通行みたいだが。
「ここにコピー機があれば楽なのに」
前世は本当に便利だった。
「…………?!」
そうだよ、コピー機があればいいんだよ。
チラリとフィリップを見る。
視線を感じたフィリップは、知らぬふりを決め込む。
「フィリップの好きな発明だよ」
なんで視線を逸らせるのさ。
「いくら賢者様の頼みでも、聞けないことだってあります」
そう言ってフィリップが分厚い本を見せてくれる。
図書館の管理者用規約。
そこには、本の持ち出し禁止とある。
続いて、書き写したものは許可するとなっている。
「コピー機は複写だから写しでしょ。許可するってある」
解釈の違いだ。
「書いてないでしょう。書いて写した物を指しています」
コピー機での印刷は当てはまらないというのが、フィリップの主張。
……私はどうしてもコピー機が欲しい。
しかしフィリップは結構頑固なところがある。
さて、どうしたものか。
「では、こうしよう。ロボットの開発をお願いします」
疑問符を浮かべるフィリップ。
ふふ、聞いて驚け、私のアイデア。
「目にカメラを搭載して、本の内容を記憶。ペンを持たせた手で記憶した内容を紙に書く。これで問題ないでしょう」
書いてる。
ちゃんと書いて写したことになる。
規約書には、賢者本人がとは書かれていない。
「それを屁理屈と言うのです」
苦笑されてしまった。
うん、自分でも理解してる。
寝不足のせいか、思考回路がおかしいこと。
「ユスト様は何を焦っているのですか?」
賢者の力の使い過ぎによる寿命は克服している。
まだ若いし、焦る必要などないと言うフィリップ。
「? 焦ってる……かな」
自分では、よくわからない。
でも、確かに焦っているのかもしれない。
「前世で私が死んだのは、十代後半。今生ではあと何年生きられるか……わからないから」
ハッと気づいて、口を閉じる。
ついうっかり、心の奥底にしまっていたものが出てしまった。
慌ててフィリップを見る。
そこには驚いた顔。
「……ごめん、忘れて」
どうやら予定外の言葉が出てしまい、私の気持ちも結構動揺しているようだ。
大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「焦ってもしょうがないよね。うん、今日はもう帰る」
書き上げたレシピもそこそこあるので、試作と改良を繰り返せば、これだけでも完成させるのに何日もかかる。
書けばいい物でもなかった。
「そうだ、ケレム、イーマンダ、プセチツアのサンプルってある?」
どういうものか私は知らないけど、育てたい作物。
50年程前に絶滅してしまった、この世界のソウルフードらしい。
ナッツ類のようで、乾燥させて、そのまま食べるという。
私が米を熱望するように、コケコが小麦を欲したように、この世界のお年寄りも、これを欲しているのではないかと思った。
「賢者とは、そういう存在でもあるのでしょう?」
新しい技術などを広める役割を担っている。
それと同時に、失われた物を復活させる役割もある。
少なくとも私は賢者という存在にそういう役割があるのだろうと感じだ。
「ま、ナッツ類は商売始めるときの客引き用にも使えるしね」
なんか壮大なテーマについて語ったり、いいこと言って締めくくるのが恥ずかしくなったので、サクッと濁す。
そんな私の内情などお見通しのようで、フィリップが笑いを堪えている様に見えた。
「もちろんありますよ。昔はどこにでもある一般的な食材だったんですが、70年前の災害で数が激減してしまったんです。わずかに残った物も、争うように取りつくされ、姿を消した食材。きっと喜ばれますね」
懐かしそうに語るフィリップの言葉に引っかかるものを感じた。
「70年前の災害って何?」
北部の人達の被災状況を調べたときに、耳にはしていた。
しかし具体的にはどういう災害なのかよくわからなかった。
よくわからないのに、被害だけが大きい。
調べようがなかったのだ。
「今はまだ、その時ではないです。でも近いうちに必ず起きる。ユスト様が賢者として、何を成すか。それによって規模が変わる災害」
なぞかけのようなフィリップの言葉に眉根が寄る。
「まだ気にしなくていいと言うことです。ユスト様が今までの様に思うまま行動されること。それが今は何より大切な事だと申し上げておきます」
さっぱり意味がわからない。
しかし、フィリップはこれ以上のことを今は語らないだろう。
なら、ここで私が調べられることも無い。
「わかった。ならサンプルをちょうだい。それと昔の服を再現したいから染料用の植物もお願い」
聞いても仕方ないのなら、優先順位の高いやるべきことから着手することにした。
現在修羅場中




