遠田彩音
それから程なくして、遠田がやって来た。
「遠田、呼び付けて悪かったな」
「ああ、大丈夫だ……それより、今しがた、やけに陽気な紗耶に会ったんだが、何かあったのか?」
「ああ。藤堂に衝撃的な事実を告げられたところだよ」
「衝撃を受けてるようには見えないんだが」
「こっちとしても参考になる話だったからな」
「紗耶が参考になる話?」
「ああ……悪いけど、それに関しては事情が込み入っていて、詳しく話している時間は無いんだよ」
「そうか。じゃあ、それはいい。でも、その代わりに、一つ聞いて良いか?」
「ああ。何だ?」
「七原さんのお父さんって、ご病気をされているのか?」
「ん? そんな話、聞いた事ないけどな」
「昨日、私の家に七原さんを連れて帰った後に、七原さんのお父さんから七原さんに電話が掛かってきたんだよ。それで、私も話をしたんだけど、声に力がないというか、憔悴してるって感じだったんだよ」
「そうなのか……」
昨日、家に帰った後か……娘を心配して電話を掛けたにしては、遅すぎる時間だったと思う。
ということは……。
「そのお父さんの声って、若い感じがしなかったか?」
「ああ。そうだな。言われてみれば」
――もしかして、それは小深山兄なのかもしれない。
小深山兄が、遠田も洗脳して仲間に加えようしたというのなら、頷ける話である。
「その人は、何かおかしな事を言ってなかったか?」
「そうだな……変だったよ。『僕が数を三つ数えたら、あなたは眠くなります。一、二、三』とか何とか」
「催眠術みたいな感じか?」
「ああ、そうだそうだ。そんな感じだ」
催眠術か――それが、小深山兄が洗脳をする際の手法なのだろう。
という事は、七原もその手に引っ掛かったという事だ。
そう考えると、七原がなんだか間抜けに思えて来るが、それが能力の力というものなのだ。仕方がない。
「間違いないと思う――そいつは能力を使って遠田を洗脳しようとしたんだ」
「そうなのか? じゃあ、私は洗脳されてるのか?」
「いや、洗脳が成功していたら、こんな事を俺に話さないだろ? おそらく、失敗したという事だ」
「調子が悪かったのかな? 体調も悪そうだったし」
「そうかもしれない。でも、他に理由があるかもしれない――遠田、何か心当たりは無いか?」
「うーん。心当たりという訳じゃないけど、私が彼の言うままに眠くならなかった理由は分かるよ」
「何だ?」
「私の部屋にはキテ……猫を模して作られたぬいぐるみ……みたいな物があるんだよ。別にそれは欲しくて買ったとかじゃなくて偶然あるんだけどさ。それを抱えてるとな、据わりが良いというか、安定するというかで、最近ではそれがないと眠くならないんだ」
「それだ!」
「それなのか? そんな事なのか?」
「暗示ってのは、素直な人間とそうじゃない人間では難易度が格段に違うんだ。頑固とか、捻くれてるとか、そういう奴は掛かりにくい。遠田も、それがないと寝れないとか思い込む頑固なタイプだ。だから遠田には掛からなかったんだよ」
「じゃあ、戸山にも掛からないな」
「そうか……そうだな」
俺を洗脳すれば早いのに何故そうしなかったか――それは俺が小深山兄の能力に掛かりにくい人間だと分かってたからという事なんだろう。
「ありがとう、戸山。その電話に関しては腑に落ちたよ」
「こちらこそ、ありがとうだ。こっちも結構重要な事がわかったよ」
「そうか。それなら良かった――それで、私を呼び出した理由は何なんだ?」
「逢野芽以って奴を探してるんだ。CSFCに聞きたい。頼めないか?」
「ああ。じゃあ使ってくれ」
遠田は表情一つ変えず、ポケットから出した携帯をぽんと俺に手渡した。
『見られて困る物とかは無いのか?』と思うが、無いと言う事なのだろう。
俺は遠田の携帯を操作して、SNSのアプリを立ち上げた。
CSFCの項目を選び、メッセージを流す。
『二年前の卒業生の逢野芽以さんと連絡を取りたいので、連絡先を知ってる方がいたら教えて下さい』
「これでOKのはずだ」
「そうか。知ってる奴が見付かればいいな」
遠田がそう言ったか言わないかで、携帯から電子音が鳴る。
そこには逢野芽以のIDと電話番号が表示されていた。
「五秒かよ。俺達は五秒で分かるような事に苦労してたのか」
「そういうもんだ」
「さすがだよな、CSFC。えーと、銚子フットボールクラブだっけ?」
「ちがうから。何で銚子市のフットボールクラブが、縁もゆかりもない私の質問に答えてくれるんだよ」
そんな事を言っていると、遠田の携帯が再び音を鳴らす。
『逢野さんには、こちらで話を通しておいたので、いつでも連絡して下さい』
CSFCは本当に有能である。
俺は自分の携帯を取りだし、逢野芽以に電話を掛けた。
「もしもし。逢野芽以さんですか?」
「うん。そうだよ」
とろけるような甘い声が電話口から聞こえる。
「はじめまして、戸山望と申します。亞梨沙さんと小深山章次君のクラスメートです」
「はじめまし……って、そうなの? あの二人って同じクラスなの?」
「はい」
「そうなんだ。知らなかったよ。亞梨沙ちゃん、そういう事は何も教えてくれないからね」
「そうなんですか?」
「そう。昔から秘密主義でね。私の周りには秘密主義が蔓延してるよ……って、あ、ごめんごめん。そんな話はいいよね……で、何で私に電話を掛けてきたの?」
「青星さんの事について聞きたいんです」
「小深山君の事? ……うん。いいよ。話せる事なら話すけど」
「ありがとうございます。じゃあ、さっそく聞いて良いですか?」
「うん」
「クズミさんとの揉め事についてなんですけど――」
「クズミ君と……揉め事?」
「受験前に教室で喧嘩したって話です。知らないんですか? 同じクラスだったと聞いたんですけど」
「……うーん。そういえば、そういう事もあったね。だけど、私はその場にいなかったから、あまり分からないの。役に立てなくてごめんね」
「ああ、いえ……じゃあ、全く知らないって事ですかね?」
「後から、そんな事があったって話を聞いただけだから、ちょっとしか知らないし、うろ覚えだよ」
「じゃあ、その揉め事の後、青星さんとクズミさんの関係がどうなったか分かりますか?」
「どうだろう……もともと仲が良いのか悪いのか分からないって感じだったからね。でも、そんなに悪くなったようには見えなかったけどね」
「……そうですか」
それ以来、二人は口を聞いてないとか、そういう事ではないらしい。
「クズミさんって、どんな人ですか?」
「変わった人だったよ。突然笑い出したり。自分には未来が見える力があると言ったり……あ、そうだ。思い出したよ。それが喧嘩の原因なの。クズミ君は、小深山君が受験に失敗するって予言をしたの」
「予言ですか……それは青星さんから聞いた事ですか?」
「そうだよ。まあ、はぐらかすような話し方だったけどね。小深山君は重要な事は何も話してくれないから」
「そうなんですか?」
「うん。今年、A大に合格した事だって、聞いたのは章次君からだったし。その後、小深山君に電話しても無視されたの。だから、SNSでおめでとうってメッセージを送ったんだけどさ、こっちは長文で送ったのに『ありがとう』の一言で……」
「そうですか」
「ごめん。愚痴っちゃって――他に質問は?」
「最初の年の受験の時に、何かおかしなことがありませんでしたか?」
「うーん。一年以上前の事だからねえ」
「すいません。昔の話ばかりで」
「いいのいいの。でもちょっと待って、今、思い出してる所だから……」
「クズミさんとか、司崎先生絡みで何か無かったですか?」
「司崎先生絡み? ……ああ、確か小深山君の受験の日に、司崎先生から突然電話が来たなあ」
「一日目ですか? 二日目ですか?」
「二日目だよ」
「その電話の用件は?」
「『小深山を激励したいから、携帯の番号を教えてくれ』って」
「……そうですか」
俺は頭の中を整理する。
受験に落ちるというクズミの予言。
司崎からの電話。
受験二日目の失敗。
現在まで続く司崎とクズミの親交。
そして、司崎を通じてクズミに会おうとする小深山兄。
それらを繋ぎ合わせて考えれば、一つの仮説が立つ――クズミの予言を実現する為に、司崎が小深山兄に電話して、受験を妨害するような事を言った。そして、最近それを知った小深山兄がクズミに会おうと、司崎に接触した……という事なのではないだろうか。
恐らく、当たらずとも遠からずといった所だろう。
大体、聞きたい事は聞き終えた。
締めくくりに、小深山兄に対する逢野芽以の見解を聞いておこう。
「逢野さん、最後にもう一つだけ聞いていいですか?」
「うん」
「青星さんが今までで一番悩んだ事って何だと思いますか?」
「……疎外感かな」
「それは学校での?」
「ううん」
という事は、家族の中での疎外感ということだろうか……。
俺は思いきってカマを掛ける。
「それって、章次と青星さんの親が違うって事が関係してますか?」
「そう……そうなの。小深山君は、お父さんに遠慮してるところがあってね。実の親かなんて気にしてるのは小深山君だけだと思うんだけど……って、戸山君はそんな事まで知ってたんだね……」




