小深山の違和感
「どうして彼女に会いに行った事に違和感があるんだ?」
「いや……別にそれほど大した話じゃないよ。だから、二人してそんな鋭い目で見ないでくれ」
俺達の食い付きに気圧されたのか、小深山は困り顔で言った。
「いいから、詳しく聞かせてくれ」
「ああ。わかったよ――ここ最近の話なんだけど、自分の行動に納得がいかないって事がよくあるんだ。彼女の呼び出された事に関しても、昨日は別に良かったんだ。暇だったからな。でも、一昨日はそうじゃなかった」
「何か大切な用でもあったのか?」
「ああ。あったよ。CSでやってたサッカーが滅茶苦茶いい試合だったんだ」
「は? そんな事か? 別に録画しておけばいいだろ?」
「戸山って、あんまりスポーツとか観ないのか?」
「ああ、観ないよ」
「そうか。これだからスポーツを観ない奴らは話にならないんだよ。俺達はお前らが思ってるよりずっと真剣にスポーツを観てるからな。臨場感を大事にしてるんだ。だから、リアルタイムで見ないと気が済まないんだよ」
小深山が熱の籠もった声で語る。
「そうなのか」
「ああ。そうだよ。そうなんだよ。だから、そういう時は電話が掛かってきても出ない。特に俺の彼女は話が長いから、絶対に出ないんだ。それなのに何故、あの時ミサキの電話に出たのか、自分でも分からないんだよ。ましてや、観るのを止めて、会いに行くなんて考えられない」
「彼女の様子がいつもと違ったからとかじゃないのか?」
「いや、いつもと同じだったよ。ミサキは、いつだって『不安だ』『会いたい』の繰り返しだ」
「そういえば、彼女と別れ話をしてるとか、デカい声で話してたよな」
「ああ、そんな事も言ったな……でも、あれに関しては違うんだよ。説明するのが面倒だったから、塚元の話に適当に合わせただけで、彼女と別れるつもりは無い」
「そうなのか?」
「ああ。なんていうか……彼女の事は気に入ってるんだ。ミサキは俺の初恋の人に似てるからな」
「確か胸が滅茶苦茶大きかったよな」
「ああ、そういえば戸山と擦れ違った事があったな」
「噂で聞いたんだが、小深山の歴代の彼女は全員巨乳って話は本当なのか?」
「誰に聞いたんだよ? ……まあ、間違ってはいないんだけどな。やっぱりそこは外せない要素の一つだよ」
「そうか。気持ちは分からないでもないけどさ」
そんな話をしていると……。
「小深山君、戸山君。もうその話題はいいから、元の話に戻さない?」
七原が抑揚のない声で言った。
その表情からは、不機嫌なのがしっかりと伝わって来る。
小深山ははっと気がついた顔をする。
「あっ、いや……まあ……胸ってのは一つの要素でしかないよな」
小深山は取り繕うように言った。
だが、全くフォローにならなかったようだ。
その証拠に、七原の顔はますます険しくなったのである。
――しかし、今の話を聞くと、小深山が七原に好意を持っているという説は何だったのかと思う。
俺達はデマに踊らされていただけなのだろうか。
虚実が入り乱れる中で、今のが小深山の本心かどうかは分からないのだが……まあ、それは今考える事でも無いだろう。
七原が言う通り、小深山の『違和感』の話を進めるべきである。
「で、小深山の違和感ってのは、彼女に会いに行った理由が分からないって事だけなのか?」
「いや、そうじゃない。さすがにそれだけの事を態々言ったりしないよ……なんていうかな……最近よく感じるんだ。自分が遠くに居るような感じというか、自分が自分じゃないというような感じとか、そういう感覚があって、それがどんどん酷くなっている気がするんだ」
それを聞いて、『獣化』という言葉が脳裏を掠めた。
獣化は能力への強い欲求から、理性を失う事である。
小深山が言ったような身体と意識の隔たりという症状は、まさに理性を失っている兆候であるとも考えられる。
……やはり小深山は獣化してるのかもしれない。
仮に小深山が獣化しているとなれば、小深山に覆面としての記憶が無い事も説明が付くのである。
俺は考える――『獣化』という言葉を使わずに、どうやって小深山から真実を探り出すかを。
そして俺は小深山をじっと見据え、口を開いた。
「小深山、そういう症状は意識の解離といって、記憶の欠落を起こしたりする事もあるんだ」
「そうなのか? でも、記憶喪失とかは無いよ」
「いや、記憶ってのは欠落しても、あとで無理矢理に埋められたりする事もある。そういう場合、自分では気付けないんだよ」
「うーん……そんな事は起きてないと思うんだけどな」
小深山も先程よりハッキリと言えなくなっているようだ。
そうとなれば話は進めやすい。
確認すべきは、昨日覆面が現れた時間の小深山のアリバイである。
覆面が現れたのは十一時、その時間に小深山が自宅にいたのが確かなら、全ての疑いは晴れるのである。
「じゃあ、彼女か、もしくは親に聞いてみてくれないか? 小深山が昨日と一昨日、十一時に家にいたかどうかを」
「……ああ。結局は、それが聞きたいって事だな?」
「つまりはそういう事だ。やっぱりそこなんだよ。俺達が小深山だと疑っている覆面が現れたのがその時間だ。そして、小深山が違和感を抱いたのも、その時間なんだろ? 記憶が食い違っているとしたら、その時間なんだよ」
「わかった。仕方ないな。聞いてみてやるよ」
「小深山君、ありがとう。じゃあ、まず親に聞いてみるのはどうかな?」
七原が言う。
確かに、昨日ミサキに話を聞いたときはハッキリしなかったが、家族に聞けば、その時間に家にいたかどうかハッキリするだろう。
「そうだな。小深山、親に電話を掛けてみてくれないか?」
「ああ、わかった。じゃあ、母親と父親のどっちに掛ける? どっちも多分昼休みの時間だけど」
そう言いながら、小深山はポケットから携帯を取り出す。
「じゃあ、母親から」
七原は『から』の部分を強調しながら言った。
納得いかない結果なら父親にも聞くつもりなのだろう。
もちろん、俺もそのつもりである。
「何を聞けばいい?」
「十一時に家にいた事が確認できれば、それでいい――それから、俺達にも聞こえるようにスピーカーフォンで頼む」
小深山は「分かった」と言って携帯を操作した
「……もしもし」
「ああ……章次。電話してくるなんて珍しいわね。何の用?」
電話口から若々しい女性の声が聞こえて来る。
小深山の母親だろう。小深山の携帯の画面にも母親と表示されている。
「ちょっと聞きたい事があって。俺、昨日も一昨日も夜に出掛けただろ?」
「そうね」
「俺って何時に帰ったっけ?」
「昨日も一昨日も十時半くらいだったと思うけど」
「そうだよな」
「うん……でも、何でそんな事を気にしてるの?」
「いや、ちょっとな……何時だったかなって思っただけだよ。それからは、ずっと家にいたよな?」
「ちょっと……大丈夫なの?」
小深山の母親は、気遣わしげに問い掛ける。
変な質問をする息子を心配したのだろう。
「それだけ聞かせてくれればいいから」
「いたわよ。リビングでテレビ見てたでしょ?」
「そうだな。わかったよ。ありがと。それだけだから」
「章次……何かあったの?」
「別に何て事も無いよ。じゃあ、電話切るから」
そう言って小深山は電話を切った。
「確かに家にいたみたいだね」
七原が落胆した声で言う。
「そうだよ。俺は最初からそう言ってるからな……まあ、これでアリバイは完璧って事でいいよな?」
下手な事を言って小深山の機嫌を損ねても困る。
ここは素直に非を認める事にしよう。
「そうだな。アリバイ成立だ。悪かったな、家族に変な電話させて」
「帰ったら……彼女に浮気を疑われてアリバイを確認されてたとでも言っておくよ」
そんな言い訳を瞬時に思いつくとは、さすがに頭の回転が速い小深山である。
その点では覆面じゃないかと思えるのだが、残念ながら、小深山の母親に嘘をついている様子は無かった。
口裏を合わせる時間も無かったし、母親の偽物を用意する事も不可能なはずだ。
小深山は覆面じゃないのか……。
「ねえ、小深山君。一応、お父さんにも確認してくれないかな」
七原はまだ諦めてないようで、父親にも電話を掛けさせるつもりのようだ。
万が一という事も考えられる。
俺は静観する事にした。
「まじかよ。もう十分だろ」
「お父さんにも聞いたら、もう疑わないから。お願い」
「うーん。困ったなあ」
そうは言うが、基本的に女子生徒の頼みを断らないのが小深山という人間である。
小深山は少し悩んで勿体振って見せると、
「わかったよ。七原の頼みなら応えてやるよ」
と言って、爽やかな笑顔を見せた。
こういう小さいテクニックを積み重ねて、小深山は更にモテようとする。
さすが逢野が下半身モンスターと称しただけのことはある。
そんなこんなで、小深山は父親にも電話を掛けた。
しかし結局の所、父親も母親と同様に小深山が家にいたと答えたのだった。
「ってことだ。俺は覆面なんかじゃないよ」
「そうみたいなだな」
俺がそう返答すると、
「また行き詰まったね……」
と七原が肩を落とした。
「今回はいつもそうだよな。希望が見えたと思った瞬間に、悉く綺麗さっぱり打ち砕かれるんだ」
俺は考える――
部室に来てから、ずっと具に観察してきたが、小深山が嘘をついているとは思えない。
小深山が獣化していて、覆面としての記憶が欠落しているというのも、両親の証言で否定された。
――それでも、小深山を覆面だと疑うとしたら、どんな可能性があるだろう?
いくら考えても、そんな事は思い浮かびそうになかった。
昨日はまだ良かったのだ。昨日は、小深山が彼女に会った後、覆面として司崎を襲ったという可能性も残されていた。希望が打ち砕かたと言っても、まだグレーゾーンといったところだった。
しかし今回は、これ程までに明確に否定されたのだ。
それでも小深山が覆面だというなら、小深山と両親の三人全員が嘘をついているか、三人全員の記憶が欠落しているという事になる。
三人全員の記憶が欠落……していることに……。
そう考えると……一つの閃きがあった。
――ああ、そういう事か。
何だ、一度思い付いてみると、単純な話である。
おそらく、記憶を書き換えるような能力が存在するのだろう。
その能力を小深山兄が持っている。
そして小深山兄は、その能力によって小深山と両親の記憶を書き換え、彼らを自在にコントロールしているのだ。
それなら、今までの様々な事が説明できるのである。




