昼休み
教室に着くと、すでに小深山は登校して来ていた。
七原は小深山に歩み寄り、話し掛ける。七原が二言三言話すと、すぐに小深山が笑顔で頷いた。
簡単に約束が取り付けられたようだ。
やはり七原がいてくれて良かった。
俺は、ふと辺りを見回す。
幸運な事に、まだ藤堂は教室に来ていないようだ――丁度良かった。藤堂がいたら、七原が小深山に近付いてたとか言って、また絡んで来るところだっただろう。
そして席に着き、熟考に入る。
小深山に話を聞くにあたり、何を聞くか、どんな順序で話すかを頭の中でシミュレーションしたのである。
そんな内に、あっという間に昼休みになる。
俺は七原と部室に向かった。
そして、昼食を摂りながら小深山が来るのを待ったが、小深山は中々現れなかった。
「七原、小深山はいつ来るんだ?」
「学食に行ってから来るって言ってたよ」
「そうなのか」
早く来てくれよ、とは思うが、それに関しては文句も言えない。
小深山には俺達と話をする義務なんてない。
こちらは、お願いして話を聞かせて貰う立場なのだ。
だから、焦りは禁物だ。
出来るだけ小深山の機嫌を取り、より多くの情報を引き出さなければならない。
「七原が居てくれて良かったよ」
「そうなの?」
「ああ。だって、俺だけとなると、小深山は話も聞いてくれなかったと思う。俺が『部室に来てくれ』と頼んでも、『ここで話せ』とか言われて、あまり込み入った話は出来なかったはずだ」
「確かに、そうかもしれないね」
「それだけじゃない。七原の前だと、小深山は良い格好して、いつもの余裕な感じを崩さないと思う」
「そうなの?」
「ああ。別に七原じゃなくても、きっとそうだよ。女子生徒がいれば、小深山はずっとあんな感じだ。だから、七原がいるのに、小深山がキレたという事になったら、何か隠し事があるんだと判断できるって事だ」
「別に、怒りを露わにしたとかじゃなくても、嘘って見抜けるからね。例えば、目線や息づかい、喋る分量とかで。私は心の声を聞く能力があったおかげで、自分の嘘を見抜く力が信頼できるものだと分かってる。だから私って、役に立つと思うよ……それでも、ときどき戸山君の嘘を見抜けない事があるってところが、戸山君の恐いところだけどね」
「それは、七原が気を抜いてる時だったからだよ。こういう場で七原に嘘をつくのは俺にも無理だ」
「そうなのかな?」
「そうだよ――まあ、とにかく小深山が嘘をついたと思ったら、何かジェスチャーで合図してくれ。それを参考にしたい」
「わかった。じゃあ、小深山君が嘘をついたら……髪を触るって事にしようか」
七原が自分の髪を触って見せる。
「そうだな。それにしてくれ」
そんな事を話していると、程なくして小深山がやって来た。
いつも通りの爽やかな笑みを浮かべている。
「二人とも、遅くなって悪かった――ってか、最近、仲が良いと思ったら、こんな所に居たんだな」
「ああ。呼び出しなんかして悪かったな。そこに座ってくれ」
七原の横を指差す。俺の正面の席である。
この席だと、七原のジェスチャーも見えやすいのだ。
「小深山君、訳の分からない呼び出しなのに、来てくれてありがとね」
「七原さんに頭を下げられたら、そうするしかないだろ。で、用件は?」
「七原に聞いてると思うけど、ちょっと話したい事があるんだ。いいか?」
「ああ、聞くだけ聞くよ。何だ?」
「青星さんの事だよ」
「は? 戸山って兄貴と知り合いだったのか?」
小深山は意外だといった顔をする。
「ああ、いや、直接は知らないんだ。それについては追々分かっていくと思う……まずは、青星さんの知り合いの話なんだけど、いいか?」
「わかった。話を続けてくれ」
小深山の態度から、先程より少しだけ、いい加減さが薄れた。
急に家族の話を出されたら、そうなって当然だろう。
自然な反応である。
「クズミって奴を知ってるか?」
「うーん。知らないな」
「じゃあ、司崎は?」
「知らない」
小深山は全く思い当たらないといった感じで首を振る。
「結構、関わりが深い相手だぞ。知らないのか?」
「知らないよ。そんなもんだろ、兄弟なんて」
……クズミも司崎も知らないのか。
小深山の反応を注視しながら喋っていたが、嘘をついている感じには見えなかった。
七原の表情を見るに、俺と同意見のようだ。
まあ、まだまだ話はこれからだ。
集中力が切れてきた頃に、ボロが出て来るかもしれない。
「で、クズミって誰なんだ?」
小深山が俺に問い掛ける。
「クズミは、青星さんがこの高校に通ってた時のクラスメートだよ。三年A組だ」
「司崎は?」
「そのクラスの担任だ」
「そうか……だったら、聞いた事があるのかもしれないな。だけど記憶には残ってないよ」
「じゃあ青星さんが受験直前に、教室で掴み合いの喧嘩をしたのは知ってるか?」
「喧嘩? 兄貴が?」
「ああ」
「嘘だろ? それは無い。絶対無い」
「何で言い切れるんだ?」
「兄貴は大人しいんだ。掴み掛かられる事はあっても、掴み合いってのは有り得ないよ――小学生の頃、兄貴とキックボクシングを習ってたんだが、兄貴は一年間ついぞ一度も人間相手にキックを出さないまま、ジムを辞めていった」
小深山のその発言に、俺は少し驚いていた――小深山が、小学生の時だとはいえ、格闘技の経験がある事を話しているのだ。そんな覆面と結びつけられそうな情報を自ら提供している――小深山の余裕の現れなのだろうか。
「小深山は、青星さんが辞めてからもキックボクシングを続けたのか?」
「ああ?」
そんな質問が返ってくるとは思わなかったのだろう。小深山は素っ頓狂な声を上げた。
「ああ……まあ、結構いい所までいったんだよ。でもサッカーを始めて、そっちに集中した。まあ、そのサッカーは怪我がちで駄目になったんだけどな」
小深山はサッカー部のエースで、ここらで敵う相手はいないらしい。それでも自分で駄目だと言うのは、もっと上を目指していたって事なのだろう。
「キックボクシングをやってたのは何年くらいだ?」
「三年だよ。ってか何で、その話に食いついてくるんだよ。そんな話だったか?」
「そうだな、話題を戻そう――とにかく、青星さんが掴み合いの喧嘩をしたって話は本当だよ。相手は、さっき言っていたクズミって奴だ」
「聞いたことなかったな。で、その喧嘩がどうしたんだ?」
「その喧嘩があって――それから話が飛ぶんだが、さっき言っていた司崎って奴が最近、繁華街で夜に『覆面の男』ってのに襲われたんだ」
「覆面?」
「ああ、目出し帽で顔を隠した男だ。そいつは司崎を暴力で組み伏せ、司崎の携帯からクズミの連絡先の情報を得たんだ」
「本当か?」
「ああ。本当だよ。俺達は、この目でそれを見ている」
小深山が七原に目線を送ると、七原も頷いた。
「小深山君、これは本当の話なの」
「そうか……二人は学校だけじゃ無くて、ずっと一緒に行動してるんだな。やっぱり付き合ってるのか?」
小深山がニヤリと笑った。
「そんなんじゃないけど……そんなんでもいいというか……」
七原の方が動揺を引き出されている。
そんな場合じゃ無いと、俺は話を戻した。
「俺達は、司崎を襲ったその覆面の男を探してるんだよ」
「探してる?」
「ああ。そうだ。探してる」
「探偵ごっこかよ」
「ああ、そんなもんだ――で、調べていった結果、その覆面の男が青星さんか、それに近しい人じゃないかって話になったんだ」
小深山は目を見開く。
それは演技には見えなかった。
本当に驚いているようだ。
「有り得ない。どこをどうしたらそんな話になるんだよ。兄貴に、そんな事が出来るわけがない」
「でも、適当に言ってる訳じゃない……本気なんだ」
「証拠は?」
「これといって、証拠が出てきる段階ではない。でも状況から考えると、可能性が高いって思ってるんだよ――例えば、さっきも話した通り、青星さんはクズミと揉めている」
小深山の様子を注意深く窺いながら、そう言った。
「兄貴と揉めるような奴は、誰とでも揉めるよ。そんな事で犯人にするなよ」
「理由はそれだけじゃないよ。覆面の男はクズミの連絡先を得る為に、司崎と接触したんだ。司崎は青星さんが卒業した年に教職を辞めていて、今では180度違う仕事をしてる。司崎がクズミの連絡先を知ってると、他に誰が思うんだよって話だ」
「それだって、兄貴だけって事では無いだろ?」
「そうだな。でも、それで犯人は、かなり限られてくるよな?」
「まあ、それは認めるけど」
「そして覆面は、俺が知る限り三度出没したんだが――」
本当に目撃したのは昨日だけなのだが、それでは小深山兄を疑う根拠として弱いと思い、そう言った。
「――覆面の出没時間と同じ時間帯に、その周辺で、二度も小深山を目撃してるんだよ」
「……つまり、俺も疑ってるって事か?」
「ああ、そういう事だ。小深山は覆面として――実行犯として、青星さんに協力したのかもしれないと思ってる」
「俺が兄貴の代わりに復讐か? そんな事はしないよ。兄弟なんて他人みたいなもんだ」
これだけ話していても、小深山の反応に寸分の狂いもない――終始、何も知らない、思ってもみないという反応だ。
本当に何も知らないという事なのだろうか。
このままでは突破口は見えてこない。
「そもそも兄貴がクズミって人と揉めてたという話が、全く信用できないんだけどな」
――まずいなと思う。劣勢である。
ここで小深山を納得させるような事を言わなければ、この場から去ってしまう理由を与える事になってしまうだろう。
俺は少し見得を切ることにした。
「でも本当なんだよ。ちゃんと調べているからな。何なら、それを聞いた教師の名前を言ってもいいよ。これから、本当かどうか、その教師に確認に行ってもいい……まあ、実を言えば、他言しないという条件で話を聞いたから、出来れば行きたくはないんだ。だけど小深山が俺を疑うのなら、やむを得ない。それくらいの覚悟はしてるよ」
「本気なんだな……」
「行くか?」
「いや、別にいい。俺にとってはどうでもいいことだ。とにかく、俺は関係ないからな」
少し空気を戻せたようだ。
これで小深山への質問を続けられそうだ。
「それなら、聞かせてくれよ。昨日の夜、小深山はどこに行ってたんだ?」
「何の事も無い。また彼女に呼び出されただけだよ」
「二日連続か?」
「ああ、二日連続だ」
「よく行くなあ。面倒じゃ無いのか?」
「確かに面倒だけどな。でも呼ばれたら行く事にしている」
「で、家に帰ったのは何時頃だ?」
「十時半くらいだよ」
帰り着いたのが本当に十時半ならば、小深山は覆面ではない。
俺は小深山が嘘をついていないかと、一挙手一投足に注目する。そして、ここに来て初めて小深山の顔が曇った事に気がついた。
それは嘘をついているというか……思い悩んでいるといった感じだ。
小深山に向けている視線を七原の方へ向ける。
七原は、はっとして小さく頷いた。七原も、おかしいと感じたのだろう。
「小深山、どうしたんだ?」
「いや、この話とは関係ない事なんだけどさ。彼女に会いに行った事に、自分でも少しだけ違和感っていうか……分からないというか、そんな感じがあるんだよ」
小深山はそんな事を言ったのだった。




