能力
部室のドアが開く。
委員長は中の様子を窺うと、おずおずと入って来た。
そんな調子の委員長は見た事が無い。
いつだって委員長は人懐っこい笑顔を浮かべていた。
まあ、こんな状況だ。仕方が無い事だろう。
「戸山君……」
委員長が俺の名前を呼ぶ。
この部室で待っていたのが俺であることには驚いている様子は無い。
おそらく、優奈が部室に来るまでの道すがらに話したのだろう。
「ここで俺が待ってるのを知ってたのか?」
「うん。優奈ちゃんに色々聞いたよ。戸山君が裏で色々動いてった事も聞いた」
「そうか」
優奈がそれを話した意味は、すぐに理解できた。
俺が委員長の周囲を嗅ぎ回っていた事を口走って、委員長が怒り発火能力を使ってしまう事態を恐れたのだろう。だから、予め話をしておいたという事なのだ。
勝手な事をしやがって……とは思うが、そのお陰で説明が省けた。
「優奈ちゃんは、わたしの能力を物凄く危険なものだと言った。戸山君に能力を使わないようにって何度も念を押された……優奈ちゃんは相当に心配してたよ。でも、そこまで心配なら、何で戸山君に任せたの?」
「能力の排除には特別な力が必要なんだ。優奈はそれを持っていない」
「なるほどね。でも、戸山君は何故そんな事出来るの?」
「まあ、俺にも色々あったんだよ」
「教えてくれないの?」
「説明してもいいけど、長い話になる。もう長い話は面倒だ」
「面倒って。戸山君っていつもそんな感じだね」
委員長が呆れた顔をする。
少しはこの状況にもなれてきたという事だろう。
「大事なのは結果だろ? 俺はきちんと結果を出してるよ。委員長は今の夏木を知ってるんだろ?」
「知ってるよ……夏木君は変われた」
「だから委員長の力も排除させてくれないか?」
「でも……出来るの? 優奈ちゃんは、このパイロキネシスって力が本物なら根が深くて排除できないようなものかもしれないって言ってたよ。わたし、どうなっちゃうのかな……」
委員長は儚げに笑う。
「いや、簡単だよ。大丈夫だ」
「え?」
「だって、委員長の能力はパイロキネシスなんかじゃないから」
「でも優奈ちゃんに、そう言われたんだけど」
「それは優奈が勘違いしただけだ」
「ちょ……ちょっ、ちょっとだけ待って……顔が熱い」
委員長は赤面して、手で顔をパタパタと扇いだ。
「ごめん……わたし、悲劇のヒロインの空気出してごめん。でも、あんなこと言われたら、わたし能力者だったんだなって勘違いするよ。あーもう、恥かいた!」
「いや違う違う。違うっていうのもなんなんだけど、発火能力じゃないってだけで委員長は能力者だから」
「え?」
「事情があって優奈達は真実は明かせなかった……だけど、委員長には全部話すよ。話さないと排除できないからな」
優奈は別に勘違いしていてもいい。いや勘違いしていた方が色々と都合がいい。
だけど、委員長には自分の能力を理解していてもらわなければならない。
能力者本人が、自分に能力は何なのか、悔い改めるべきは何なのかを理解していなければ、能力を排除する事は出来ないのだ。
「委員長の能力は感情を伝播する力だよ」
「感情を伝播?」
「ああ、そうだ。例えば、委員長が誰かに憤慨したとする。すると、その感情が言葉を介さなくても周囲にいる人達に広がるんだ。そして、無意識の内に強い力で委員長と同じ感情にさせられる」
この能力は七原や双子と同じくテレパシーの一種であると思う。
能力としては極々一般的なものだ。
「本当なの?」
「ああ、本当だよ。そう考えると、思い当たる節は幾つもあるだろ? 委員長が嫌った相手は、みんな不幸になっていった。当然だ。周囲の人物からも同じように嫌われるんだからな。非難する訳じゃないけど、俺もその影響を受けてると思うよ。委員長は俺を嫌いだと思ってないと言ったらしいが、無意識で嫌ってる分があるだろ。その分だけ、俺はクラスメート達に嫌われたんだよ」
「嫌いって感情だけ?」
「特に怒りの感情は伝播しやすいという事だと思う。まあ、これは怒りって感情が明確で強いものだからなんだろうな」
「なるほどね。確かに……そう言われると思い当たる節はある」
委員長の母親が父親にコーヒーを掛けたのは、委員長が抱いた怒りが母親に伝播したという事かもしれない。
ピアノ教室の生徒が一気にやめたのは、委員長の母親に対する感情が生徒達やその親に伝播したからかもしれない。
「でも、それだと、今朝の件は何なの? わたしの能力は関係ないって事?」
「いや、委員長が原因なのは、ほぼ間違いない。だけど、それだけじゃ発火なんて事は起こらない。おそらく、あの時教室には、もう一人の能力者がいたんだよ。その能力者に委員長の感情が伝播し、そいつが発火能力を使った。そして俺の鞄に火が付いたんだ……まあ、推測に過ぎないんけどな」
「なるほど。そういう事ね……でも、誰が能力者なの?」
「あの後、不自然な様子だったのは委員長だけだった。つまり、本人は能力者である事を気付いてないんだろうなと思う」
「その能力者は放っておいて大丈夫なの?」
「そいつは、偶然に委員長の影響を受けて力を使ってしまっただけだ。委員長の力がなくなれば、ただちに危険という訳じゃない」
「なるほど」
だから、委員長の能力は俺にとって驚異では無かったのである。
「でも、また委員長がその能力者を煽ってしまったら大変なことになるだろ? だから一刻も早く排除したいんだよ」
「戸山君がわたしの能力を排除しないといけない理由は分かったよ。でも……ちょっと待って、わたしまだ気持ちが整理できてない」
「待つ必要なんてないだろ。委員長にとっても、この能力は不要なものだ。この力は、母親の暴言で突発的に芽生えてしまったものなんだし」
人には様々な立場があり、様々な意見がある。その中で誤解や軋轢が生まれるのは当然で、人が人を嫌いになるのは自然な事だ。
人を嫌いになれない生活というものは不自由なものだったはずである。
「……そうだね。でも、ちょっと待って」
「まだ何かあるのか?」
「これって共感を得るための能力でしょ?」
「まあ、そうとも言えるよな」
「……母はわたしが小さかった頃から、わたしに共感してくれた事がない。だから、わたしにこの能力が身についたのかもしれない……少しだけ時間が欲しい。この能力の本当の使い方がわかれば、もしかして母と……」
「やめておいた方がいい。世の中にはどうにもならないことがある。どうやっても通じ合えない相手がいる。それが普通なんだよ……正直に言えば、委員長の能力を使えば、母親を操る事は可能かもしれない。更に強い力を望むなら、この能力は他人の心を掌握するようなものに変化するかもしれない。でも、それは分かり合えたのとは違う。それを望むのか?」
「それでもいい……だって、そうすれば家族の揉め事がなくなる。お父さんだって家に帰って来れるはずだから」
委員長は涙声になりながら言った。
「委員長、より強い能力を得るには、あまり時間がないと思うぞ」
「え?」
「だって委員長の父親が一時間後に、ここに来るんだからな」
「何で? 何でお父さんが?」
「ついさっき、委員長の父親と話をしたんだ」
「ちょっと待って、そんな話は聞いてない。何を話したの?」
委員長が前のめりで聞いてくる。
「委員長の父親は委員長を一緒に連れて行くつもりだ。今度は諦めないと言ってたよ。嫌われてもいい。例え嫌われても、この問題を解決するって」
「本当に?」
「ああ。本当だ。強い意志のこもった声だったよ。『娘にとって安心の出来る場所を作ります』って」
「お父さん……」
「委員長の父親は覚悟を決めて来るんだ。そんな時、能力があったら、ゴタゴタするだろ。だから、その能力は早めに捨てておいた方が良いに決まってる」
「……そうだね。わかった。能力を捨てる……でも、やっぱり少しだけ待って……涙が止まらないから」




