双子からの電話
「もしもし」
七原の携帯から優奈の声が聞こえた。
「また、何かあったのか?」
「ようやく朝の件を話し始めたから電話したの」
優奈が晴れ晴れとした声で言った。
「えっ、もう喋り始めたのか? 意外と早かったな」
二、三時間は掛かると思ってた。
「まあ、技を決めたからね」
「は?」
「どうにも理性が保てなくなって、関節を決めた」
……我慢できなかったか。
「気持ちは分かるけどさ」
「大丈夫なのか?」
「じゃれ合いの感じで留めたから。結果的に怒らせる事もなく、関係の無い話を止めることが出来た」
「そうか。よかった……良かったには良かったんだけど、あんまり危ない橋を渡るなよ。相手は発火能力を持ってるんだぞ」
「指図しないで。あんたに心配されなくても、大丈夫だから」
優奈は、また少し不機嫌に戻ったが仕方ない。
釘を刺しておかないと、調子に乗って無茶なことをされるのは困るのだ。
「じゃあ、本題について話しましょ?」
「ああ。教えてくれ。委員長はどうして俺の鞄に火を付けたんだ?」
「それは今、聞いてるところよ……やっとのことで話が進み始めたと思ったけど、寺内さんの話ってやっぱり長いのね。元々こういう人なんだと思う」
「中途半端な技で西園寺が抜け切れてないんじゃないか?」
「そういうシステムなんだ?」
「そうだとしても、もう関節は止めとけよ」
「わかってる。今、やっとのことで核心に触れそうだから、これを不意にする事は出来ない。それを伝える為に電話したの」
「後でまとめて話してくれればいいんじゃないか?」
「今はわたしが仕切ってるんだから指図しないで。ここは、ちゃんと詳しく聞いておいた方がいいと思ったから」
「こっちも暇じゃないんだよ」
「口出ししないでって言ってるでしょ。黙って聞いててなさい!」
「あ?」
「あ?」
「あ……いや、そうじゃなくて。寺内さんの話、ちゃんと聞いてますよ。『あ?』ってのは口癖で、たまに出ちゃうんです」
優奈は激高しすぎて、テレパシーだけではなく、委員長にも『あ?』と言ってしまったらしい。
ここまで忠実に再現するなんて、実は悪意もあるな――麻里奈。
「ああ、やっと問題の場面になりそう。麻里奈、こいつに寺内さんが話していることを説明して」
「うん」
と、久しぶりに麻里奈らしい声が聞こえる。
ほわほわして可愛い声だ。何故、麻里奈があんな冷淡な声を出せるのだろう。
そんなどうでもいい事を考えながら、そのやり取りを聞いていた。
やり取りといっても麻里奈の一人芝居なのだが。
「――その時、戸山君は『こんな夜中に出歩くのは危ないから帰れ』って、そう言ったの。わたしは普段から夜中でも気にせず出歩いてる。だから、わたしにとっては何でも無い事だったんだけど、戸山君はわたしを心配してくれてね。『送っていくよ』と言って、わざわざ家まで送ってくれた。それまで、わたしの事なんて知らなかったのに、本気で心配してくれた。こんな優しい人はいないと思った。彼は人探しをしていたんだけど、自分も困ってるはずなのに、必死に毎晩毎晩探していたのに、それを後回しにして、わたしの事を気遣ってくれた。だから、わたしは言ったの、『手伝わせて』って。だけど戸山君は『もし何かあったら、俺には守りきれないかもしれない。だから駄目だ』と言って断り続けた。人手があった方が絶対良いはずなのに、苦労を一人で背負い込もうとしていた。私を見つけたら、毎日毎日家まで送ってくれた。だから、わたしは戸山君に興味を持ったの」
委員長の言葉をメモするために黙って聞いていた七原が顔を上げ、俺に視線を向ける。
「おかしいな。戸山君は私に事情を全部話したって言ったよね。こんな艶っぽい話だったっけ?」
「艶っぽいってなんだよ。仕方ないだろ。送ってやるよと言ったら、大人しく家に帰ってくれた。委員長に事情を説明することは出来なかったから、代わりにそうしてたんだよ。『わたしを見つけたら』とも言ってたが、俺を捜し回ってたのはあいつだよ」
「ナルシスなセリフは?」
「いやいや、全然そんな話じゃなかったんだ――何かあったとしても、俺は喧嘩したことも無いし、弱いから守る事なんて出来ない。委員長を置き去りにして、全力で逃げる事になるだろうけど、それも後味が悪いから一緒に行動したくないって、そういう話をしたんだよ。それが、あんな話になってるなんて思わなかった」
俺達が、そんな会話をしていると優奈の声が聞こえてくる。
「でも、送るなんて言われて、身の危険を感じなかったんですか? あの戸山望ですよ」
「ううん。いや、なんか普通に嬉しかったんだよね。実はその頃、わたし色々な事があって、気が滅入ってたの。家庭の事情というか――」
家庭の事情か。
優奈が言っていた『虐待』という言葉が頭を掠める。
「やっぱり、そういう話になるのかな」
七原が小さく呟いた。
電話の向こうで優奈が「その事情とは?」と訊ねる。
「小さい頃、上月さんの親は怒ると、どうしてた? 家庭によって躾の方法は色々あるよね。わたしの母は激しい人でね。わたしを家の外に出して、玄関の鍵を掛けてた。わたしが玄関の前で泣きながら、母の名前を呼んでも、母は一向に出てきてくれなかった。そして、泣き疲れた頃に、やっと母の怒りが冷めて家に入れて貰えるってのが、いつものパターンだった――そう。今、優奈さんが考えてたように、母はよく通報されなかったなっていうような事をしてたの。でもそれはね、その躾が何回か重ねられていく内に、わたしが慣れていったから。わたしは段々と素直に母の怒りが収まるのを待つという事をしなくなった。母に追い出されると、父の会社まで歩いて行き、父の仕事が終わるのを待って、一緒に帰ってたの。自分で考えても意固地な子供だったと思う。だけど、母に謝って家に入れて貰うってのは絶対に嫌だった。母の思い通りになるのは嫌だった。父も迷惑してたと思うわ。母は父がわたしと一緒に帰ってきたのをみると、父にガミガミと文句を言っていた。『あなたが甘やかすから』とか何とか。それでも父はわたしが会社の前で待っていると、笑顔で手を差し出してくれた。友達に見られたら照れくさいなと思ったけど、わたしも素直に手を繋いだ。たまに寄り道して甘いものを食べて帰ったりしてね。むしろ逆に母を怒らせてやろうと思うこともあったくらい、わたしにとって、それは掛け替えのない時間だった――戸山君と歩く帰り道は何か、そのときの感覚を思い出させてくれたの。状況は全然違うんだけどね……まあ、当時自分がどういう心境だったのか整理できてるわけじゃないから、口では上手く説明できないけど、でも、そこに安心感があったのは間違いないと思う。実は、その一方で空虚感もあったんだけどね……もう会えない父の事を思い出しちゃったから。まあ、それは今、関係ない話なんだけど」
委員長の長い話に少しだけ間が出来る。
だが、優奈は何も言わなかった。
おそらく思考が追いつかなくて何も言えなかったのだろう。
実は彼女達の父親もまた事故で亡くなっているからだ。
委員長は、そんな様子の優奈には気付かず、再び話し出す。
「だから、わたしは戸山君の事が気になっていったの。こんな気持ちになるのは初めてだった。片想いだの両思いだの、そういうものに浮かれてる人達の事を、どこか遠くに感じていた。同世代で、何か違うと思えるような人はいなかった。だからと言って背伸びして大人に興味を持つと言うこともなかった。でも気がついたら、それなりの見栄えになるにはどうしたらいいかを友達に聞いていた。大体、自分でも何がいけないかは知っていたけど、それでも聞いた。気付いて欲しいと思った。友達は『何で急に?』と笑ってたけど、協力してくれた。まあ、そんなこんなで、わたしは男の子受けするように頑張って変身して、戸山君に会いに行った。今度は怒られないように夜中の住宅街ではなく、学校で戸山君を探した。でも、戸山君はわたしの事を『嫌い』だと言ったの。わたしが近づいてくることを『迷惑』だと言ったの」
「そんな酷いことを言ったんですか。それは気持ちも冷めますよね」
「ううん。そのとき、私は戸山君を諦めるつもりはなかったよ。嫌いだの、迷惑だのは私を諦めさせる為に言ったんだと思う。戸山君はそんなに酷いことは思わない。そもそも嫌いになるほど、人の心を持ってると思えない」
酷い言われようだ。
「じゃあ、その後も戸山望の事が?」
「だけど、戸山君の事はすぐに諦めた」
「どっちなんですか」
優奈の声に苛立ちが混じった。
「わたしは他人を好きになるとかそういう事はやめた方がいいなと思ったの。わたしが感情的になってしまったら、一歩間違えてしまったら、わたしは戸山君に嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。それが恐くなった。何故かって? だって、わたしが戸山君を嫌ってしまったら、わたしの『呪い』で戸山君が傷ついてしまうから……」




