符滝医院2
「え?」
俺が発したのも含めて、幾つもの声が重なった。
それぞれが次の言葉を発さず、部屋の空気が固まる。
「いやいや、別に麻里奈君の件が原因って言ってるんじゃないんだよ。ただ同じ時期だったなってだけの話だ」
符滝が慌てて言い直した。
優奈の鋭い視線に、符滝を突き通そうかというくらいの勢いが見て取れる為だろう。
麻里奈が放火事件で救急搬送されたという事実――優奈は俺がその事実を知っていることを知らない。優奈からすれば、そんな話を持ちだしてくるんじゃねえよという話だ。
ここで俺が取るべき行動は、何も知らないテイで、符滝の話に食いつくことだと思う。
ここで興味を持たない方が不自然なのだ。
「そうなんですね。麻里奈が市立病院に入院してたって話は初耳ですけど、それは大きなヒントになるかもしれません」
「ああ、いやまあそうだな。大体、六年前ってところだ。それだけの事実で、何の関係も無い話だよ、あはははは」
「先生! 具体的な数字を出すのはやめて下さい!」
「ああ、ごめんごめん。そうだな。俺達には守秘義務がある。勝手に患者の事を話すのは許されない事だ」
符滝は『口を噤む』とジェスチャーをした。
それが優奈の視線を更に鋭利なものにする。
符滝はカツアゲされているような顔で縮こまった。
――なんだか、俄然重要な話が出てきたなというところである。
符滝が記憶を失ったのが麻里奈の入院日だとすると、それは放火事件の当日でもあるということだ。
陸浦栄一は双子の父親から記憶を奪った直後に、市立病院まで来て、符滝の能力を奪ったのだろうか。
普通なら、そんな立て込んだスケジュールは避けたいと思うはずだ。
陸浦には、そうしなければいけないだけの理由があったということなのだろう。
この件からは、まだまだ隠された事実が出てきそうだなと思う。
「まあ、六年前とか、時期が明確なら、各所に聞いて回りやすいですね。あとは剛村さんに頼りましょう」
「そうだな。それがいいだろうな」
符滝の泳いだ目を見ると、もう俺には聞かないでくれという訴えが読み取れる。
だが、俺にはもう一つ言質を取っておかないといけないことがあった。
「この際ですし、剛村さんにも符滝先生が能力者だったという事実を打ち明けて頂けませんか?」
これは説得が大変になるかなと思いながら話を振ったが、符滝は思いのほか素直に首を縦に振る。
「そうだな。能力者の話が、俺の妄想の類いでは無かったということなら、俺も覚悟を決めるよ。それで失望されるなら、もう仕方の無い話だ」
それが符滝と剛村の長年の付き合いにどう影響するかは分からない。
だから、俺は「ありがとうございます」と、ただ感謝の言葉を述べるに留めた。
さて。
そろそろ剛村を呼んで貰おうと思った時――俺達の会話を麻里奈が思い詰めた顔で聞いていることに気がつく。
「先輩、私も話さないといけない事があるの」
「麻里奈、それはやめて」
優奈が、ぴしゃりと言い放つ。
しかし、麻里奈に動じた様子は無い。
「私は最初から話すべきだって思ってたの。この話も多分、栄一さんの件に関係してるよ、絶対」
「だから、話しちゃだめって言ってるから!」
驚いたな――と思う。
優奈が麻里奈を叱責するのは初めて見た光景だ。
二人の中では、意見の対立もあるだろうが、それを表に出すのが珍しいことであるのは間違いない。
「この話を先輩に話したところで、何の問題も無いはずだよ。私達が能力を持ったのは、もっとずっと後のことでしょ?」
「麻里奈、あんたは今まで何を見てきたの? こいつは一つ情報を与えると、百にも千にもして帰ってくるのよ。しかも、たった一日とか二日の間に」
「でも今は栄一さんのことが重要でしょ? 栄一さんを放置してたら大変なことになる。優先順位を間違えちゃいけないんだよ」
「それは、こいつのデマカセを真に受けすぎだから! 私達から情報を引き出すために大袈裟な話にしてるに決まってるでしょ!」
「先輩は、そんな事しないよ。私達の事を誰より考えてくれてる。今までだって、そうだったし、これからもきっとそうだから」
ますますヒートアップしていく優奈に、麻里奈が冷静に返す。
双子は決して相容れない。
彼女たちは立場も違えば、抱えている問題も違う。
それを示すように優奈の表情からは、今の状況に対する焦りと苦悶が窺えた。
狼狽と言ってもいいほどだ。
彼女の秘密を解き明かす上で重要な局面に突入していることは、火を見るより明らかである。
「そうだよ、優奈ちゃん」
黙って成り行きを見つめていた七原が、おもむろに口を開いた。
七原は諭すように語りかける。
「戸山君が二人を裏切る事は絶対にないと思うよ。戸山君のまっすぐな瞳は、いつも二人の方を向いてたから。戸山君の行動原理は、いつだって二人を守るってものだったから」
七原はそのセリフが優奈を更に追い詰めるものだと分かっているだろう。
その上で、憎まれ役を買って出たのだ。
実際、七原の発した言葉は的確で、麻里奈や符滝も含め、動かす事の出来ない空気が出来上がった。
俺は七原に感謝しながら、優奈の方に目を向ける。
「……わかりました。話しますよ」
優奈は窮しながら返答した。
そして、一点を見つめて、一度だけ小さな息をつく。
「……実を言うと、麻里奈の入院の日……私と母も記憶を失ってるんです」
「どういうこと?」
「小四の頃なんですが、私達が住んでた家が火事になって、取り残された麻里奈が市立病院に運び込まれるってことがありました」
「入院までしたって、結構重症だったの?」
七原が眉根を寄せながら、問い掛けた。
「はい。心停止の時間が長すぎたらしくて……。それから、しらばらくは市立病院に居ることになったんです。剛村さんにも符滝先生にも、その時にお世話になったんですよ」
「なるほど。だから今も符滝医院に通ってるのね」
「はい」
「それで、記憶を失ったってのは、いつからいつの?」
「市立病院に着いて救急車を降りてからの記憶です。符滝先生が病状を説明してくれるために案内してくれたっていう応接室のソファで、何故か私と母の二人ともが眠っていて」
優奈は一つ一つ言葉を選びながら、慎重に答えを返す。
「そっか……その話だと、単なる口封じに記憶を奪われたって感じがするよね。その日、病院内で起きた何かを隠蔽する必要があったのかもしれない」
「たしかに」
と、呟く。
七原の言う通り、優奈達がそこに居合わせたのは偶発的なものだった以上、陸浦栄一が彼女たちの能力を奪うことを目的としていたとは思えない。
「重要なのはここでも、栄一さんが何を考えていたかを推察することだな。だけど、優奈達にも符滝先生にも記憶がないというなら、やっぱり探りようも無い話ってことになる」
考え込む俺に、符滝は脳天気な笑顔を向けた。
「そこで、真打ちの剛村君登場だよ」
「いい加減、剛村さんの負担が大き過ぎませんか?」
「大丈夫だ。剛村君はスーパーヒーローだからな」
「すーぱーひーろー?」
俺が首を傾げると、麻里奈が隣で俺の袖を引っ張る。
「そうだよ、先輩。剛村さんこそが私の命の恩人なんだよ」
剛村さんこそ?
どういう意味だろう。
俺の疑問に答えるように、符滝が頷く。
そして、符滝は大きく息を吸った後、
「剛村君! 悪いが、ちょっとこっちに来てくれないか?」
と叫んだ。
「はい!? 行きますけど、何ですか?」
ハスキーでパワフルな声が返ってくる。
何故、いつもいつも内線を使わないのだろうか、この人達は。
昭和の夫婦感だろうか。




