柿本
「市立病院での話なら、やっぱり院長の根岸さんに聞くのが最適解だと思うよ――とは言っても、素直に話してくれるような人じゃないんだけどな」
「え。あんた、市立病院の院長とも知り合いなの?」
優奈が、もう呆れるしかないという顔で俺を見た。
「知り合いって言うか、昨日、当局の伝手で話を聞かせて貰ったんだ。根岸さんは栄一さんの元部下で、当局で働く医師だったから、栄一さんの事を調べるとなれば最初にリストアップされる人物なんだよ」
「ちょっと待って。当局の医師って何?」
「当局は能力の排除から社会復帰までをトータルサポートするためのナショナルオーガニゼーションだからな。当然ドクトルだっているさ」
そこら辺の事情を詳しく語るのは面倒なので、雑に説明する。
「なるほど。とにかく胡散臭さだけは伝わって来たわ」
「で、話を戻すと――根岸さんは、院長になった今でも栄一さんと裏で繋がっていて、色々と便宜を図っていたらしい。その中に、法に触れるものも幾つかあったって事が、昨日夜に分かったんだ。となれば、当局も当然、重要参考人として事情聴取するという話になる」
霧林と共謀して、昏睡状態の玖墨父を三津家父と偽ったのも、その罪の一つである。
まあ、これも三津家に関する事なので、優奈には決して語れない事実だ。
「つまり、逮捕された男から話を聞くってこと?」
「まあ、まだ逮捕までは進んで無いだろうけどな」
俺がそう言うと、優奈は大きな溜息を吐いてみせた。
「信用できないでしょ、そんな人の証言」
「まあ、そうだな。でも、大丈夫だ。こっちには七原実桜がいる。落としのナナさんと言われる七原実桜がな」
「いわれてないから」
七原が平坦な声で突っ込むが、やけに納得した顔で優奈が頷く。
「そうね。実桜さんと一度顔を見合わせれば、そこは即席の懺悔室になる。そういう能力だったもんね」
「ねつ造しないで」
というが、我々嘘つきにとって、七原の能力はまさにそういうものだった。
優奈と一緒に、七原へ視線を向けて、溜息を吐く。
「わかったから。その節はごめんって」
さて、落とし所が見つかったので話を戻そう。
「とにかく、当局に行けば根岸さんと会わせて貰えるはずだ。だから、こっちを優先させてくれ」
「って事は、また私達にパスしろって話になるわけね」
優奈が顎を上げ、不満げに俺を見る。
「仕方ないだろ。手近なところから回れば効率がいいってもんじゃないからな。まずは根岸さんで、あとはそれからだ。とにかく、俺の雇い主であるところの柿本さんっていう人に電話して、根岸さんに会えないか聞いてみるから、待っててくれ」
「わかったわよ」
優奈は渋々といった様子で頷いた。
さすがに、ここまで理屈が通っていれば反論もしてこない。
優奈の案を潰す事が目的化しているところもあるが、今、間違いなく根岸の証言が必要であるという事実も確かである。
俺は携帯を取り出し、履歴にある柿本の番号をタップして、耳に当てた。
「ああ、戸山君」
呼出音が三回鳴った後、受話口からハスキーボイスが聞こえて来る。
「柿本さん、お忙しいところ、すみません。少し伺いたい事がありまして」
「ええ。わかったわ。ちょっと待ってね……」
柿本がそう言うと、漏れ聞こえていた話し声が遠くなっていった。
病院内という雰囲気でも無いので、今は陸浦栄一の事を聞き込みして回っているといったところかもしれない。
「もう大丈夫よ。話して」
「ありがとうございます――それで、根岸さんに話は聞けましたか?」
「……ああ。その話か。残念だけど、根岸の行方が分かってなくてね。警察とも連携して動いてるんだけど」
「え。根岸さんも失踪したという事ですか……?」
なるほど。そういうパターンもあるのか。
考えてもいなかった事だ。
「ええ。自宅にも病院の方にも戻ってないみたいね。彼が持つ口座の幾つかで、ATMでの限度額まで預金が引き出されていたって話だし、本気の逃避行のようね。根岸が余程のポンコツでない限り、数日中に身柄を確保できる可能性は低いと思うわ」
「三日間のタイムリミットが来てしまいますね」
「そうね。でも、どうにもならないわ。根岸の事は諦めて頂戴」
参ったな、と思う。
根岸に話が聞けないとなると、三日という時間が急激に少ないと感じられてくる。
「結局、栄一さんの能力の正体が分かった時点で、根岸さんを押さえておかないといけなかったって事ですよね。早く気がついていれば……」
「それは、あなたが気にする事じゃないわ。銀行に照会したところ、預金が引き出されたのは昨日の十九時十七分だった。私達には、どうやったって捕まえられなかったはずよ」
「そうでしたか……」
電話口からハスキーな溜め息が聞こえて来た。
「まったく。参るわね。あの男、昔から逃げ足だけは速いのよ」
根岸が当局の職員から転身を果たし、市立病院の院長になったことも含めての皮肉なのだろう。
「根岸さんに話が聞けないとなると……どうしましょうかね」
横で優奈が俺の表情をじっくりと見ている。
何らかの結果は出さなければ。
「柿本さん御自身で、陸浦さんについて気になってる事は何かありませんか? 昨日、話したこと以外で」
「あったら、もう話してるわよ」
「じゃあ、他に当ては?」
「心当たりがあれば、もう話してるわ定期。陸浦隆一や牛岡哲治にも会ったけど、まったくの無駄足だったわね」
陸浦隆一は父親とまったく連絡を取っていなかったという話だったし、何も知らないのは当然だろう。
問題は陸浦栄一と長年の付き合いがある牛岡哲治だ。
だが、根岸と同様に、牛岡もまた好意的に話をしてくれるようなタイプでは無い。
「牛岡さんとは、どんな話を?」
「昨日、戸山君が聞き出したこと以上の事は何もってところね。あの感じだと、ここ最近は陸浦から相手にされていなかったんじゃないかな」
「どういう事ですか?」
「そのままの意味ね。関係悪化の決定的な一打は一華ちゃんの一件よ。牛岡は、玖墨君と、その恋人である一華ちゃんを巻き込んでいた。陸浦の逆鱗に触れるのも当然でしょ」
「なるほど。それはそうなりますよね」
「陸浦からすれば、牛岡は勝手に昔語りをする迷惑な友人でしかなかったんだと思う」
一つ一つの選択肢が確実に潰されているという感覚だ。
俺を手の平の上で転がす楓を、さらに陸浦栄一が手の平の上で転がしていたという構図のようにも思えて来る。
「他に伝手は無いんですか?」
「もちろん、陸浦の友人、知人に虱潰しで話を聞いてるけど、有力な手がかりはゼロね。彼らは口を揃えるように言うわ――陸浦さんと会っても、大した話はしなかったって」
「そもそも、陸浦さんの力があれば、誰かに頼ったり、相談したりする必要なんて無いですもんね」
「そうね。あれはあれで孤独だったんだと思うわ……」
感傷にひたる声で答える柿本。
それを指摘すると、怒らせてしまいそうなので、黙って次の言葉を待った。
「あと、話を聞けてないのは楓と、その兄妹くらいね。楓はいつもの如く、どこで何をしているのやら」
その三人は俺にとっても、どうにもならないメンツである。
友人、知人という線で調べていくのは難しいようだ。
「そうですか……わかりました。もう少し色々と考えてみますね。また何かあったら連絡します」
「わかったわ。こっちも何かあったら連絡するわね」
柿本に礼を言って、終話ボタンをタッチした。
意気消沈だが、それを悟られないように表情を固める。
「その様子だと、今回も収穫ゼロみたいね」
優奈が先制攻撃を打ってきた。
口元には嘲笑を浮かべている。
だが、ここで反省や後悔をしている場合では無い。
たとえ空回りでも話を進めるべきだ。
「いや、あったよ」
「は?」
「収穫ゼロという収穫だよ」
優奈が、また溜息を吐く。
「何を言ってるか、まったく分からないんだけど」
「そもそも、陸浦栄一を相手にして、友人知人から情報を聞き出そうとしていたのが、間違いなんだよ。敵対する人物や、誰も注目してない人物にこそ焦点を当てないといけない。って事で、原点に戻って、符滝医院に行こう」
「よく、そんな風に手の平返しが出来るものね、最低」
「それはそうだけど、残念だったな。俺は優奈に言い掛かりを付けられたところで、露ほども悔しいとは思わないんだよ」
般若の顔となった優奈に、さらに畳みかける。
「あとは、まあ――こういう事は専門家に任せるのが一番じゃないかって思うんだ」
「専門家? 何なのよ本当に、次から次へと」
「探偵だよ。知り合いに一人居るんだ、こういうイレギュラーな案件でも引き受けてくれそうな探偵が」




