優奈
「失礼しました」
頭を下げて、校長室を出る。
扉を閉めた瞬間、ガチャリと鍵が閉まる音がした。オートロックくらいのスピードだ。
机に肘をつき、頭を抱えていた校長が、ダッシュをして来て、鍵を閉めたのかと思うと、少し気の毒に感じられた。
さて。
校長との話を総括する前に、とりあえず優奈と連絡を取っておこう。
そう思って、携帯を取り出し、画面を点灯させると――通知リストに優奈からのメッセージが表示されている。
『校門にて待つ』
果たし状だろうか。
「戸山君、どうしたの?」
俺の表情の変化を感じ取ってか、七原が心配そうに視線を向けて来た。
「ああ、優奈から校門で待ってるってメッセージが来ただけだよ」
「そっか――って事は、もう次に行く場所は決まってるって事だね」
「だろうな。早く行こう。どやされるから」
こっちにも段取りがあるのだが、優奈からしたら知ったこっちゃない話である。
「それにしても、七原の追求、すごかったよな」
「あ、褒めてくれるんだ。嬉しい。戸山君だったら、こういう言い方をするだろうなって考えてたら、降りてきたというか、取り憑かれたというか」
「取り憑いた記憶は無いけどな、もちろん降臨した記憶もな」
「かなり上手くトレースしてたと思うけどね」
「しかし、客観的に見ることで納得できた部分もあったよ――あんな事してたら、そりゃあ嫌われる」
早足で、下駄箱を通り、校庭へ。
「あ。優奈ちゃん、居るよ」
七原の声と同じくして、校門の前で佇む優奈に、焦点が合う。
その姿を見て、ただ純粋に、絵になるよなあと思った。
麻里奈と居る時は、髪型や服装を含め、二人に違いが無さ過ぎて、異様さが先に立ってしまうのだ。
優奈は俺達が近づいても、まったく表情を変えず、視線だけをこちらに動かした。
「私達を閉め出してまで押し通した案だったけど、収穫はあったの?」
嫌みは普段通りだが、今回は、いつもにも増して感情が籠もっている。
相当に腹を立てているのだろう。
「栄一さんが、三月から合計四回、この学校を訪れてた事が分かったよ。校内を自由に闊歩していたらしい」
「その目的は?」
「それに関しては、まだ分かってないんだ。校長は責任問題になるのが嫌で、関わりを持とうとしなかったって話だよ」
「本当に?」
「嘘を吐いてる感じは無かったけどな」
それでも、優奈は疑念の目を向けてくる。
どうしたものかと考えていると、
「戸山君の言ってる事は本当だよ、優奈ちゃん」
と、横から七原のフォローが入った。
ありがたい。
「そうですか。実桜さんの言葉なら信用できますけど……」
優奈は、すぐに俺へと視線を戻し、不満げに歪めた口を開いた。
「でも、これだけで収穫だと言おうとしているなら、厚顔無恥としか言いようが無いよね」
「ブーメランって知ってるか? そういう軽はずみな批判は、後で自分に降りかかってくるもんだぞ」
「なによ?」
「行こうと思ってる場所があるから、ここに俺達を呼んだんだろ?」
「ああ、それはそうだけど、残念ね。あんたに言い掛かりを付けられたところで、私は露ほども悔しいとは思わないから」
マトモに取り合っても仕方が無いようだ。
「で、どこに行くつもりなんだよ?」
「符滝医院よ。そこで麻里奈と合流する事になってる」
「何で符滝医院なんだ?」
「麻里奈が思い出したの――前に符滝先生が、陸浦栄一に市立病院の院長になるのを阻止されたって話してたのを」
「へえ……」
誰にでも、話してるんだな――院長になれなかったエピソード。
「その時は鼻で笑ったけど、今の私達にとっては物凄く重要な話でしょ?」
鼻で笑ったのかよという突っ込みもあるが、ドヤ顔の優奈を見て、これは良くない展開だなと思う。
昨日の優奈との会話で『符滝医院』の名前が出てきた時、俺は符滝と面識があるという事実を語らなかった。
今のこの状況で、それを打ち明けたら、あの時に黙っていた事に意味が出てきてしまう。
優奈達の過去を嗅ぎ回ることで生じた符滝との繋がりを隠そうとしていたと、変な誤解をされてしまう可能性が高い……まあ、事実も遠からずといったところだが。
深く反省すべきだろう。
あの時点では優奈達と行動を共にするとは夢にも思わなかったとはいえ、少しでも反応は示しておくべきだったのだ。
……とにかく、ここは誤魔化すしかない。
「そうだな。符滝医院に行くってのは悪くない選択肢だと思うよ。符滝さんは置いておいたとしても、看護師の剛村さんは市立病院の看護師長だったらしいからな」
「は?」
「符滝さんは陸浦栄一と関わっていた頃の記憶を失っているんだよ」
「ちょっと待って――あんた、符滝さんを知ってるの?」
「ああ、知ってるけど」
背中に冷や汗をかきながら、優奈の目を見返す。
「昨日は、そんなこと、一言も言ってなかったでしょ?」
「符滝さんの話題になったら、また話が長くなるなって思ったからだよ」
「話が長いのは、あんたの方でしょ。どこでも、ここでも、一日中べちゃくちゃと喋ってるじゃない」
「必要な時に必要な事を話してるだけだよ。全部、優奈の為に必要な事だ」
「どうだか……」
優奈は呆れたように外方を向いた。
今、これ以上の追求は無さそうだが、これは決して言い含めたと言える状況では無いだろう。
おそらく、麻里奈の聞いている場所で話す話ではないという判断が下されただけなのだ。
麻里奈が眠った後、優奈は詰問にやってくるだろう。
震えながら、その時を待つしかないようだ。
そんな事を考えていると、優奈は気を取り直したように一つ頷いて、再び口を開いた。
「ちなみに、あんたは符滝先生と、どういう知り合いなの?」
「符滝さんが、司崎肇っていう元教師の能力者の面倒を見てたというか、匿ってたというか――だよな? 七原」
俺だけの言葉では、話の信憑性が上がらないと、七原に振る。
「そう。あれは火曜日の話だったね。その日は優奈ちゃんにも会ってるよ」
「ああ。遠田さんと、あと一人、別の女の人と夜道を歩いてた日ですよね。そういえば、結局、あの女の人って誰だったんですか?」
「雪嶋恵理さんっていう大学生だよ。彼女は司崎先生の教え子で、排除に協力して貰ってたの」
「排除は成功したんですか?」
「そうね。口に出すのも憚られるような方法だったけど、雪嶋さんの力を借りたからこそ、排除を成し遂げる事が出来たんだよ」
「口に出すのも憚られる方法?」
優奈が鋭い目で俺を見た。
「いや、それはまあ……色々あるんだよ。結論としては、雪嶋さんに訴えられなくて本当に助かったなって話だ」
「……はあ」
何故、ケツキックの話題を放り込んだのかと言いたくなるところだが、それで俺が言い淀むというリアリティこそが、七原の狙いなのだろう。
優奈の目からも興味が失われたのがよく分かる。
ここらで符滝との関係性の説明も十分なはずだ。
さらに話を逸らすためにも、符滝自身の能力について言及しておくべきか。
「優奈。そんな事より、さっきも言いかけた話なんだけど、優奈に言っておかないといけない話があるんだ」
「なに?」
「実のところ、符滝さん自体も元能力者だったんじゃないかって疑いがあるんだよ」
符滝が自ら秘密を暴露する可能性もあるので、知っている情報は全て出した方がいい。
同時に、これには優奈を煙に巻くという効果効用もある。
「どういう事?」
「符滝さんからは、当時の記憶に欠落があるって話を聞いてるんだよ。おそらく、栄一さんに記憶と能力を奪われているんだと思う」
「そっか。その点においても、符滝先生は陸浦栄一の被害者だったわけね」
「もちろん、符滝さんの記憶が無くても、剛村さんからなら、幾らか話を聞けるかもしれない。だけど、剛村さんは能力者じゃないから、重大な事実を知っている可能性は低いよ」
「回りくどい話だったわね。つまり、符滝医院に向かうのは無駄って言いたいわけ?」
優奈が怒り混じりに声のトーンを上げていく。
「そうは言わないけど、優奈が思ってるほどの成果は出ないだろうって話だよ」
「だったら、対案を出しなさいよ。あんただったら、次はどうするって言うの?」
まあ、そういう話になるよな。
しかし問題は無い。
それは、むしろ待ち望んでいたセリフなのである。




