校長室
午後の授業は半分寝ながら、半分考え事をしているという状態で過ぎ去っていった。
放課後の予定は決まっている。
七原によって、校長が外出する予定は無いという情報が齎されたからだ。
授業終わりのチャイムと共に、七原と視線を交わし、校長室へと向かう。
「戸山君、ちょっと緊張してるでしょ?」
階段を降りながら、七原が語りかけてきた。
普段通りのつもりなのだが、そんな事まで見破られるようになってしまったようだ。
「そうだな。一応、学校一番の偉い人なわけだし、どこまで踏み込むかってのは、重要な問題だよな」
「私も一緒に行くからって、気を遣わなくていいからね。ガンガンいこう。なんだったら戸山君と転校するって話になってもいいよ。見渡す限りのジャガイモ畑みたいな田舎での青春っていのも、ありだと思うし」
「そっちがポテト農場に寄せて来るのかよ」
そんなこんなで校長室の前。
呼吸を整え、ノックをした。
「どうぞ」
感情が見えない硬質な声に、扉を開ける。
顔を上げた校長が不思議そうに俺達を見た。
「二年C組の戸山望と申します」
「二年C組の七原実桜と申します」
「校長先生、お話したい事がありまして」
校長と、こうやって対面で話すのは初めてだ。
「そっか――戸山君、あなたの話は、よく耳にしているわ」
校長が口角を上げる。
「僕の話をするってのは……もしかして、楓ですか?」
「ええ。自慢の弟子っ子だそうよ」
なるほど。問題が起きた時の為に、俺が排除能力者だという話を通してあるのだろう。
今週は三津家の転校もあり、楓が学校と連絡を取る機会も多かったはずだ。
「あなたみたいな生徒が居てくれて、心強いわ」
「いえいえ」
「才能があるという事は、それだけで素晴らしい事よ。自信を持ってやりなさい。あとから実績が追い付いてくるはずだから」
楓は校長に、俺が排除能力者として実績不足だと伝えているようだ。
毎日毎日、這いずり回らせておいて――と思うが、考えてみれば、そう認識されていた方が警戒されずに済む。
ありがたいと考えるべきである。
「ありがとうございます。頑張ります」
「まあ、立ち話もなんだから、座って座って。予定があるから、出来れば話は短めにしてね」
岩淵は『校長に外出の予定は無い』と言ったそうだが、まあ外出しないからと言って予定がないという事では無いだろう。
「で、どんな用件かしら」
「率直に言えば、陸浦栄一さんの事について聞きたいんですよ」
「ああ、元市長の陸浦さんね。プライベートなお付き合いがあるわけじゃないから、何で私にって話だけど?」
「陸浦さんは市長時代から、教育機関の方と懇意にされていると聞いてますから」
「そっか。まあ、あなた達より長く生きている分、幾らかでも話せる事はあると思うわよ」
校長の物腰は柔らかい。
彼女から得られる情報は多いかもしれないなと思う。
とりあえず、ここは足場固めの質問をするべきだろう。
「陸浦さんとは、どのくらいの頻度で意見交換をしているんですか?」
「うーん。そういう事は余り無いわね。私が校長の任に就いた頃には、もう既に楓さんの時代だったから。陸浦さんが排除能力者だったって話は伝え聞くだけだったのよ」
「では、陸浦さんとの面識は無いんですか?」
「無い事は無いってところかしらね。仕事上の話をしないってだけで、会えば話もするわ」
結局のところ、どの程度の関係なのだろうか。
校長と陸浦栄一の距離感が掴めない。
「では、最初に陸浦さんとあったのは、いつですか?」
「市長として、この学校を訪問された時かしら。私が教頭だった頃の話ね」
「陸浦さんとは、どんな話を?」
「その時は当然、仕事の話よ」
「今、会ったら、どんな話をされるんですか」
「もう、陸浦さんは市長じゃないんだから、世間話って感じよ。まあ、そもそも、私達が排除関連で情報交換をする事は有り得ないわ。私は学校長っていう立場だけど、たとえ、この学校から能力者が出たとしても、私が知らされる情報なんて、ほんの一握りなのよ」
のらりくらりと、躱されている……のだろう。
どうやら、校長には隠さなければならない事実があるようだ。
「校長先生、私からも一つ聞かせて頂いていいですか?」
七原が声を上げる。
「いいわよ」
「では、ちょっと立ち入った話になりますけど、陸浦さんに、ウチの生徒の話をしたという事はありませんか?」
「そんな事、無いわよ。この個人情報の時代に」
端から見ていると、鈍感な俺でも、校長の目の奥が笑っていない事が、よく分かった。
「そうですか? この学校は陸浦さんのご家族も通ってましたね。陸浦一華さんってお名前の」
「そうね。まあ、お孫さんとなれば、お話をする事はあったと思うわ。詳しくは覚えていないけどね」
「そうですか。では、もう一つ聞かせてください。陸浦さんから個人的に、何か特別な指示を受けたという事は無いですか?」
絶妙な聞き方だなと思う。
単純な確認にも見えるが、言質を取ろうとしているようにも見える。
校長も戦々恐々だろう。
案の定、校長は戸惑いながら、黙って頷く。
「そうですか。無いんですか……」
七原が含みのある返答をすると、校長は俺の方に視線を向けた。
「ところで、戸山君。彼女は七原さんというお名前だったかしら。彼女も排除能力をお使いになる方なの?」
「私は戸山君の助手ですよ」
と、七原が答える。
「助手なんて言われてもね。正式なものでもないでしょうに」
「そうですね。だから素人の世間話として話して下されば、何の問題も無いんですよ」
「そんなこと言われてもね。私は責任のある立場なんだから」
「ああ、そうですよね。勝手な事を言って、すみません。では、校長先生には事情をお話しさせて頂きますよ。何故、私達が、陸浦さんの事を調べないといけないかと言うと、陸浦さんが失踪したからなんです」
「失踪?」
「陸浦さんは今、この街に滞在しているんですが、昨日から当局と連絡を絶ってるんですよ。宿泊先から荷物がなくなってた事から考えても、自ら行方をくらましたんでしょうね」
荷物云々の話は、七原のアドリブだ。
俺も、こういう風に優奈に説明できていれば、違和感を打ち消せていただろう。
勉強になります、七原さん。
「――そこで今、陸浦さんが、この街で何をやっていたかを精査するべきだという話になってます。陸浦さんには正式な手続きを踏まず行動して、能力者を私的な目的の為に利用していたんじゃないかという疑惑が持たれてるんですよ」
この七原の発言は、校長が不正に加担していたんじゃないかと疑い、それならば告発するという意志を暗に示したものだ。
ここで、陸浦栄一に収賄の前科が有る事もまた、七原の策略を後押ししている。
ヘタをすれば警察沙汰。
そんな言葉が、校長の頭の中を過っただろう。
もちろん、取引によって、校長から情報を引き出す権限は俺と七原には無い。
校長からしても、俺達に真実を明かすメリットがあるとは思わないはずだ。
それでも、俺達に不用意な嘘を吐くと、後戻りできなくなるかもしれないってくらいは、考えたのではないだろうか。
「ちなみにで、お聞きしたいのですが――私達の担任の早瀬先生は、陸浦さんの肝いりで従来より大きな予算が投じられた養護施設で育ってます。彼女がこの高校に採用されるにあたって、陸浦さんからの口利きがあったという可能性は無いでしょうか? 校長先生の目から見ての御意見でいいので、お願いします」
「そうね。教育委員会が採用を決めているので、私には全くわからないとしか言えないわね。そうで無い事を祈るけど」
「変な事を聞いて済みません」
「いえいえ」
「では、次に校長先生自身の話を聞かせて頂きますよ」
「はい」
校長は探偵に追い詰められた犯人かのような顔で返事を返した。
「校長先生は、陸浦さんが今も強い権力を持っている事から、早瀬先生の待遇において、忖度をしたって事は無いですか? たとえば、彼女との不倫疑惑があった教師が、あくまでも疑惑でしかなかったのに、一方的に責め立てられた挙げ句、退職まで追い込まれたりとか」
司崎肇の話まで持ち出してきたか。
恐るるべきは七原実桜である。
「それは事実無根だわ。私は公平性を欠く事なんて、絶対にしないから」
「本当ですか?」
七原が校長の目を、じっと見つめる。
校長は息も出来ないという顔で、目をそらした。
「そんな感情的な事はしないから。私だって、自分の立場が一番大事だからね」
綺麗事だけでは説得力に欠けると判断したのだろう。そんな理由を付け加えた。
「一昨日も」
再び口を開いた七原に、校長は恐怖の視線を向ける。
「一昨日も、陸浦さんを見ましたよ、この学校で」
一昨日の授業中に、俺と七原と三津家が、笹井の夢を共有する能力に飲み込まれるという一件があった。
俺達四人が同時に眠るというのも、考えてみれば確かに出来すぎている。
いや、七原の機転はマジで凄まじいな――と思う。
陸浦栄一が委員長父から『強制睡眠』の力を奪っているという情報を勘案して、カマをかけたという事だ。
「いや、まあ、確かにいらっしゃったけど……」
『擬態』の能力を使って古文の古橋教諭に化けてから、『強制睡眠』の能力を使ったってところか。
「あの日、私の隣の席の渡辺君が風邪か何かで休んでいて、席が空いてました。だけど、何故か、午後の一つ目の授業だけ、誰かが隣に居た気がするんです――つまり、それが陸浦さんですよ。陸浦さんは、そこで何をしていたのでしょうか?」
そこに居たのかよ、陸浦栄一!
制服の陸浦栄一が席に座っていたかと思うと少しおかしい。
いや、擬態の能力があれば制服もいらないか。
まあ、そんな事はどうでもいい。
問題は、校長がどんな反応を示すかという事である。
そう思って、校長を注視した……が、校長は、ぽかんとした顔で七原を見つめた。
陸浦栄一が、この学校で実際に何をやっていたのかは、知らなかったのだろう。
「ごめんなさい。私には分からないわ」
ただただ困惑している校長の反応は、至極、自然だった。
おそらく、それは嘘偽りの無い真実なのだろう。
七原は気を取り直すように、小さく咳払いをした。
「とにかく、陸浦さんが、この学校で色々と暗躍してた事は確かだと思いますよ。ちなみに、陸浦さんはどのくらいの頻度で、この学校に来てたんですか?」
「今年に入ってからは四回ね。三月、四月に一回ずつ、五月に入ってからは二回」
「そんなに頻繁に来てた事を不審に思わなかったんですか?」
「そうね。何はともあれ、関わらないのが一番だと思ってたから」
まさか、失踪するとは――という所だろう。
校長の置かれていた立場からすれば、身の振り方は非常に難しかったとも思う。
校長の苦悩は、その苦々しい表情からも十分に感じ取れた。
さて。
今の手駒で、引き出せる情報は、これくらいという所だろうか。
七原に目で『終わりか?』との合図を送って、頷くのを見てから、俺も口を開く。
「お話、ありがとうございました、校長先生。あとで、まだ伺いたい事も出てくるかもしれませんし、連絡先を教えて頂けますか?」
「わかった。出来るだけの協力はするわ」
校長はペンを握ると、凜とした姿勢で携帯番号をしたため、俺に手渡した。
「あと、陸浦さんが来た日時が思い出せれば、それもお願いします」
「わかった」
さらさらと、もう一枚のメモを書き上げ、俺に向けて差し出す。
もう割と何でも答えてくれそうだ。
「ありがとうございます。ところで、先生。ちなみに、この後は?」
と、問い掛ける。
校長は、この後に予定があると言っていた。
それが何なのか、ずっと頭の中に引っかかっていたのである。
「もちろん、陸浦さんと会うなんて事は無いわ。六時に趣味のお友達と会うってだけよ」
「そうですか。すみません、疑うような事を言って」
隣の七原が追求しなかったという事は、嘘を吐いてるとは感じなかったという事である。
それなら、何の問題も無い。
「校長先生」
七原が呼びかけると、校長はビクリと肩を揺らした。
「……な、何かしら?」
「お話、すごく参考になりました。ありがとうございました」
七原の言葉に、校長は深い深いお辞儀を返す。
五分ほどの会話だったが、疲労困憊でボロボロになった校長の姿が、そこにはあった。




