登校3
人通りの少ない路地が終わり、片側一車線の街路に出た。
なだらかな坂道を、あと五分ほど登れば、学校に到着する。
同じ制服を着た生徒達も、ちらほらと目に付いた。
今の話題は公然と話せる類いのものでは無い。
俺は、さらに声のトーンを落とす。
「栄一さんが、どこにいるかってのも問題なんだけど、先に排除の方に目処を付けておかないとな」
「そうだね。栄一さんが発症した経緯とかは、もう分かってるの?」
「ああ。始まりは、ずっと昔だよ。一華さんの父親の隆一さんが子供の頃の話だから、もう何十年も前の事だ」
「そんな前からだったんだね」
圧倒された様子の七原に、頷きを返す。
俺達の尺度には無い、長い長い時間である。
「その頃、栄一さんの奥さんも能力者だったそうなんだ」
「どんな能力?」
「パイロキネシスだよ」
「……そっか」
七原の顔が一気に曇った。
「奥さんの最期は自らの身を炎で焼き尽くすというものだった。そして、息子の隆一さんも、その惨状を見た事で同じ能力を身につけてしまったんだ」
「え。隆一さんも能力者だったって事?」
「そうだよ」
「でも、隆一さんは、そんな事なんて一言も言ってなかったよ。嘘もついてなかったと思うし……」
「隆一さんに当時の記憶が無かったのは当然だよ。栄一さんの能力は記憶を奪うってものだからな」
「……あ、そっか。そういう事か。栄一さんが隆一さんの記憶を奪ったから、隆一さんの心の傷が癒やされ、同時に隆一さんの能力も排除されたってわけね」
「まさに、それだよ」
「なるほど。その話を聞くと、栄一さんが能力者でありながら、排除能力者でもあるってのが、すごく納得できるよ」
「そうだな。栄一さんの力はスタートの地点で、他の能力を排除する為のものだったんだ。そこで謎なのが、孝次さんの事件だよ」
俯いて考え込んでいた七原が、はっとした顔で目線を上げる。
「……そうだね。孝次さんも排除能力者だった。志は一緒のはずなのに、どこをどう間違えたら、二人が対立する事になるのかって話だよね」
「孝次さんは、話し合いの余地もないほど、栄一さんの排除に強行的だったんだと思う。栄一さんだって、同業者に能力を使うなんてリスクは避けたいはずだろ? それなのに、その手を使うしか無かったんだから……二人の間には本当に何があったんだろう」
「そうね。そこは重要なところだよね」
「ああ」
「戸山君。不思議な事は、まだあるよ」
「なんだ?」
「今回、放火事件に関わってる事が明らかになってから、栄一さんが姿を消したって事だよ。栄一さんの能力と権力があれば、こんな風に事実が発覚する前に隠蔽工作が出来てたはずだから」
なるほど。七原の言う事は、もっともだ。
放火事件の犯人が霧林だと知らなかったにしても、陸浦栄一なら真実を突き止めて、関係者の記憶を消す事は簡単なはずである。
「あえて放っておいたって事か――本当に栄一さんの行動は謎だらけだな。洗脳されていたとは言え、間抜け面で無防備に事件の追及に行った俺を、記憶も消さずに放置した事も含めて……」
「それに関しては……うーん……」
七原は少し考え込んだ後、手をぽんと叩いた。
「例えば、栄一さんが記憶を奪う力を使えなくなってるって可能性は無い?」
「それは考えにくいよ。栄一さんは今も排除能力者として、方々を飛び回ってるって柿本さんが言ってたし」
「でもさ、栄一さんくらいになれば、指揮の役割だけを熟して、自身で排除する事は無いって事も有り得るでしょ?」
「あ……たしかに、それは十分に有り得る事だな」
七原が目を輝かせる。
こういう時の発想力は、能力で幾人もの心の声を聞いてきた賜物なのだろう。
「そうだよ。でなきゃ、排除する能力者の数だけ他人の記憶と付き合わないといけないって事でしょ? そんなの無理だよ。私の想像でしかないけど、その能力は並大抵の事では使えないものなんだと思う」
「だな。納得したよ。だけど、それにしても、俺に幻覚を見せただけってのは変じゃないか? 警告の方法なんて幾らでもあるはずだし」
「案外、戸山君に恩義を感じてたのかもしれないね」
「恩義?」
「戸山君は栄一さんの孫であるところの一華さんの力を排除したわけでしょ。一華さんの力もまた、自らの身を滅ぼしてしまうかもしれないものだった」
「……あ」
その線は無いよと言えるほど、俺は陸浦栄一の事を知らない。
むしろ、胸にストンと嵌まり込む考えである。
「隆一さんの為に能力を得た人なんだから、一華さんの事も同じように心配している可能性は十分にあると思う。たとえ、今は疎遠だったとしてもね」
「そうだな。栄一さんが情に厚いってのは何となく理解できるよ」
「でしょ――まあ、とは言っても、今後は戸山君も注意しておいた方が良いと思うよ。一度目が許されたからといって、二度目も許されるとは限らないから」
「だな。気をつけるよ」
七原は小さく息を吐いた。
「だけど、本当に大変な事になってるよね。この三日の間に、今の疑問点を全て明らかにしておかないといけないって事だし」
「そうだな。明日は休みだし、猶予はあるけど、どうなるかは予想も付かないな」
俺も小さく溜め息を吐いた。
この件に、どこまで優奈達を関与させるかも悩みどころである。
「授業中にでも、今後の事を考えておくよ」
「うん。そうだね。そうしなきゃね」
なんて事を言っている内に、校舎の昇降口に辿り着いた。
優奈達に会う前に、七原に話しておくべき事は一通り話せたというところだ。
上履きに履き替えながら、やらなければならない事が一つあったと思い出す。
「じゃ、七原。先に教室に行っていいよ」
「え、なんで別行動なの?」
七原が首を傾げる。
「逆に聞くけど、さすがに俺と七原が二人一緒に登校ってのはマズいと思わないか?」
「まったく問題ないけど」
七原は、ぴしゃりと言い放った。
「でもさ、クラスの空気とか色々あるだろ」
「戸山君が空気を語るの?」
「そうだけどさ」
「そんなの平気だよ。今日は遅めだから、時間をずらしてたら遅刻しちゃうよ?」
そう言いながら、七原は足を進めた。
七原の事だから、俺の顔を見て、何かあると察しているのだろうが、それでも飲み込む気は無いらしい。
こちらとしても、ちょっとした用件なので、断りを入れるまでも無いというだけの話なのだが……。
「いや……また逢野に絡まれたら面倒だろ。昨日なんて、わざわざ追いかけて来てまで文句を言って来たわけだし」
「それは戸山君が説明しないからってのもあるよね」
「いちいち説明なんてしてたら、話に飽きた柿本に逃げられて、柿本理事官の連絡先を聞き出せなかったと思う。こういうのは一旦冷静になってしまったら、終わりなんだよ」
「まあ、たしかにそうかもしれないけど」
「逢野には、その内に菓子折でも持って謝りに行こうと思ってるよ。今日もイラつかせてしまうだろうしな――七原も共犯だと思われたくないなら、他人のフリでもしていてくれ」
そう言って、俺は教室の扉に手をかけた。
七原と話している間に、ちょうど辿り着いたのだ。
「共犯? 何をするつもりなの?」
「たいした事じゃないよ。見てたら分かるから」




