エピローグ
三津家陽向、霧林誠、そして玖墨柚人の排除を終えて、家路につく。
帰りは楓の車で送って貰った。
楓に問いただしておきたい事は山ほどあるが、どうせ肝心な事は何も話してくれないだろう――そう思って、さっさと仮眠に入る。
仮眠に……入る……。
「ノゾミ~、着いたぞ~! 起っきっろっ~!」
かすかに聞こえていた言葉が、ふっと大きな音量になった。
「ああ……そっか。もう着いたのか。ありがとう、楓」
「ったく。なかなか起きないから、死んだのかと思ったよ」
楓が頬を膨らます。
「にしては、陽気な起こし方だったろ。それに、こんなタイミングで死なねえよ」
「そこで意表を突いてくるのがトヤマノゾミという人間だ」
「どんな意表の突き方だよ」
「それより何より、ノゾミの部屋、電気が付けっぱなしだぞ。電気は大切にしろよ」
「急に話を飛ばすなよ。ちゃんと会話してくれ」
そんな事を言いながら、楓が指さしたマンションの窓を見る。
確かに、俺の部屋のカーテンの隙間から、かすかに明かりが漏れていた。
「きっと、優奈が来てるんだよ……」
思わず溜め息が零れる。
「会いたくないのか?」
「面倒な事を言ってこなかったら、会ってもいいんだけどな」
「そっか。じゃあ、そんなノゾミに、これをやるよ」
楓はニヤニヤ笑いながら、俺の肩をポンと叩いて、ネギを差し出した。
袋にも入っていない、剥き出しのネギである。
車内にネギ臭は無かったが、どこから取り出したのだろう。
「何でネギなんだよ」
「きっと役に立つ。いいから持ってけ」
楓が俺のバッドケースのファスナーを開けて、ネギを押し込む。
「やめろ、楓。それは細長いものなら何でも入れていいケースじゃねぇんだよ」
そして、車を降りて、自宅。
リビングに入ると、携帯をイジっていた優奈が顔を上げた。
一昨日とは違って、飾り気も何も無い、中学のジャージ姿だ。
「ただいま」
「……」
優奈はムスっとした顔で俺の目を見るだけである。
「おかえりの一言も無いんだな」
「おかえりって言葉は自分達のテリトリーに戻ってきた身内に使う言葉でしょ? あんたは招かれざる客だから」
「いやいや、ここは俺の家だ。少なくとも客ではねえよ」
俺がトーンを上げて喋ると、優奈は人差し指を、その小さな唇に当て、『静かに』のジェスチャーをしてみせた。
馬鹿にしているのかというような振る舞いだが、優奈がやると絵になるので、文句を言う気も無くす。
「で、こんな夜中に何の用だよ?」
「ちょっと話しておくべき事があって……麻里奈が熱を出したの」
ああ、そうか。
それで優奈のテンションが低いのか。
「病院は?」
「もちろん、連れて行った。そしたら、ヤブ医者に『微熱だし、疲れが出ただけだろう』なんて脳天気な事を言われて、早々に帰らされたの。こっちは精密な検査を求めたんだけど」
「他に症状がなければ、そんなもんだろ――ちなみに優奈達って、どこの病院に行ってるんだ?」
そのあたりの事に探りを入れるには良いタイミングだと、そう問いかける。
「繁華街の方に符滝医院っていう病院があるの。そこ。まったくお薦めは出来ないけど」
放火事件で麻里奈が搬送されたのは市立病院――当日、救急外来を担当していたのが符滝正信だ。
その繋がりが現在まで続いているという事だろう。
「そっか、早く良くなるといいな」
そんな事を言いながら、ふと思う。
おそらく、楓は麻里奈が体調不良だという情報を掴んでいたのだろう。それで栄養的に風邪に良いとされるネギを振りかざしたのだ。
しょうもない上に、回りくどい――とは思うが、霧林の件で痛い目をみた楓が、自分の情報網が正常に機能している事を示しておきたかったという事なら、理解できなくも無い。
まあ、楓は楓だ。
深く考えても仕方ないのである。
「優奈も、こんな夜ふかししてないで、寝た方がいいんじゃないか?」
「待って。まだ話は終わってない」
「まだ何かあるのかよ?」
「実際の所を言えば、私も符滝先生の診断には概ね同意してるの。麻里奈の熱はストレスによって引き起こされた疲労の所為なんだと思う」
「そうなのか?」
「ええ。今日はクラスで文化祭の実行委員を決める日だったから」
「それのどこにストレス要素があるんだよ」
「は? 去年の事、覚えてないって言うわけ?」
「去年の事?」
「あの時、あんたは気まぐれに、『麻里奈もウチの高校の文化祭に来たらいい』なんて言ったでしょ。麻里奈は、あの約束を楽しみにしてたの」
なるほど……思い出した。
優奈と麻里奈がウチの高校を目指していた事もあって、話の流れで、そういう展開になったのだ。
しかし、また文化祭の話か。
文化祭ってのは、揃いも揃って、それほど楽しみにするものなのだろうか。
俺にはまったく分からない感覚である。
「仕方ないだろ。あの時は排除に追われてたんだよ」
ちょうど文化祭の時期は、夏木の排除が最重要課題だった。
「まあ、確かに、それは仕方が無い事だとは思う。だけど、あろうことか、あんたは『来年があるだろ』なんて事を言って、さらに罪を重ねたのよ」
「罪って何だよ」
さっきの三津家との約束によって、派手にダブルブッキングをやらかしてしまっているが、それは優奈達が知らない、こっちの事情である。
「罪は罪よ。結果的にだけど、麻里奈を欺いたって事だから」
「欺いた?」
「だって、今年の文化祭は実桜さんと一緒でしょ?」
「いやいや。何度も言ってるだろ。七原とは、そういう関係じゃねえよ」
優奈が小さく溜め息をついた。
「私の話、聞いてた? 麻里奈は今、体調が悪いの――だから、今日は本当に眠ってる」
「だったら何だよ?」
「いつものように、白々しい嘘をつく必要が無いって事。ここまで言わなきゃ、分からない?」
優奈は苛立ちを露わにして、そう言った。
「白々しいって何だよ。俺は、いつだって優奈達の事を最優先にしてきただろ」
「昨日まで、そうだったからと言って、明日からも、そうだとは限らない。麻里奈は、あんたとの関係が変わってしまう事に怯えてるの」
関係が変わる……か。
麻里奈は俺を『お兄ちゃん』と呼び、俺に『お兄ちゃん』である事を求めて来た。
それが麻里奈にとって居心地のいい関係だったのだろう。
失った父親の代替物という役割もあったのかもしれない。
……なるほど。そういう事か。
麻里奈の求めてきた関係というものを考えると、ここ数日の双子の動きにも一定の説明がつく。
優奈は、麻里奈の七原に対する心境の変化に付き合ってやっていたのだ。
俺と七原をくっつけようとしたり、逆に、俺の気を引こうとして、唐突におかしな動きを見せて来たりというのが、それである。
妹に振り回される姉というのも大変だなと思う。
「七原がどうとか、他の誰かがどうとかで、俺がスタンスを変える事はねえよ。優奈には最後の最後まで付き合う。優奈達の問題は、それだけ深刻なものだろ?」
「……そうね。同情なら必要ないって言えるほど、私達は形振り構ってられない。あんたがいなかったら、今頃……」
口ごもった優奈の目を見て、沈黙を埋めるように言葉を返す。
「だったら、優奈も今まで通りを続けていけばいいだろ。俺は優奈達を守るために他の能力者の排除をする。優奈達は、悠然と構えてくれてればいいんだ」
優奈と出会って五年になるが、こんな風に互いの本音の部分を明らかにした事は無かった。
これはこれで貴重な意見交換である。
「わかった……あんたの好きにすればいい。ってか、そもそも、私に選択権なんて無いんだし」
優奈の冷めた口調は変わらない。
その目からは、俺を心の底から嫌っているのが伝わって来た。
「なんなら、もう少し歩み寄って来てくれてもいいんだけどな。俺に対する態度が酷いって自覚があるなら」
「それは無茶な話ね。どうやったって私は戸山望という人間を信用できないから」
「何でだよ?」
「たとえば今朝の事とかも、そうでしょ」
優奈の表情が険しさを増す。
「ああ、あれの事か……」
今朝の事と言われれば、思い当たるところが無いわけでも無い。
「そう。あれの事。こっちの方は忘れたとは言わせないからね」
「……ああ」
「私、見たの――あんたが三津家陽向と一緒にいる所をね」




