排除1
「お待たせしました、霧林さん。僕たちの見解が纏まったので、話させて頂きます」
砂見病院の応接室。
無機質な白い部屋には、茶褐色の一人掛けソファーが四脚あるだけだ。
明かり取りの小窓も、夜では意味をなさない。
ソファーの一脚には霧林が手枷を付けたまま座らせられていて、背もたれに身を預け、不機嫌な顔で宙空を見ている。
その対面には俺、右隣には三津家が座り、左隣のソファーには七原を映し出す携帯を鎮座させた。
三津家は視線を落とし、体を縮こまらせて、所在なさげだ。
ちなみに、楓と柿本理事官は別室のモニターで、ここの監視カメラの映像を見ている。
「――でも、その前にやっておくべき事があります」
俺は立ち上がって、霧林に歩み寄り、口のガムテープを外した。
まったく想定していない事だったのだろう、霧林は少し呆気に取られた顔で俺を見る。
「何でこんな事を? 僕を疑っていたんじゃないのかい?」
「疑ってますよ。っていうか、少なくとも霧林さんが洗脳系の能力者であることは疑いようのない事実だと思ってます」
霧林の能力と発動条件が分かってるからこそ出来る事である。
この場に楓と柿本が同席してないのは、俺達が洗脳された時の保険なのだ。
「だったら何故……?」
「霧林さんが何も言えない状態ってのもフェアじゃないと思ったので、こうするのが一番かな、と」
強制排除も一つの手だが、古手としての務めは、能力者が能力と決別するのを促す事である。
出来るならば、霧林も本人が納得した状態で排除したい。三津家のためにも。
「そっか。まあ、いいよ。これでちゃんと反論が出来るから――さっきは言えなかったから言わせて貰うよ。僕が三津家大輔だなんて言いがかりだ」
さすがに洗脳系の能力を身に付けるだけあって、表情、視線の動き、声の抑揚、すべてが尤もらしい。
しかし、この部屋に霧林の言動を信じる人間はいない。
既に三津家にも確実な証拠を見せた上で、霧林が父親の三津家大輔だったと説明している。
「そうですか。だったら、まず客観的な事実から、お伝えしますよ」
「客観的な事実?」
「はい。さっき、七原が剛村さんに話を聞いたって事を言ってましたが、彼女がやってくれたのは、それだけじゃないんですよ――きちんと、裏も取ってくれていました」
「裏を取るって……強引に話を結びつけてるだけじゃないのかい?」
霧林が悲しげに視線を向けてくる。
そのアピール力は流石というしかない。
「戸山君。その件に関しては私から話すよ」
携帯の中から七原が呼びかけてきた。
「そうだな。七原が調べてくれた事だからな」
「うん」
画面の中の七原が居住まいを正して、霧林の方に視線を送る……といっても、携帯は最初から霧林の方を向いているので、推測だが。
「私達の知り合いに遠田夏木君って中学三年生の子がいまして。彼は陽向さんと同級生だったんです。三津家さんのお宅を訪れた事もあるそうですよ――その夏木君に協力して貰って、大輔さんについて知っている人がいないか、虱潰しに調べました。そして一枚の写真を見つけたんです」
七原の代わりに、A4のコピー用紙にプリントアウトした写真を霧林に向ける。
三津家にも見せた証拠とは、この写真の事だ。
保育園の卒園式の写真――門の前に、きっちりとした服装の保護者と園児がいて、その後ろにも何組かの親子がいる。
少し不鮮明ではあるが、その一番後ろに無表情の霧林と三津家が写っているのだ。
「へえ。確かに僕と三津家さんに似てるね、でも、それだけのことだ……」
霧林は完璧なまでに困惑の表情を作っているが、この写真はどうみても他人の空似では無い。決定的な証拠と言って良いものだ。
――しかし、よくもこんな端っこの写真を見つけ出したなあと思う。
一つ裏情報を補足するなら、この写真を圧倒的な物量作戦で発見したのは遠田の後援団体ことCSFCらしい。
まだCSFCは解散していないようだ。
遠田の能力を排除したのが一昨日だから、『魅了』の効力が幾らか残っているのだろうか。もしくは、CSFCは一生CSFCなのかもしれない――気になるところではあるが、それはまた別の機会に考えよう。
「写真は一枚しか出てこなかったんですが、同級生の保護者の方々にも、色々と話を聞く機会が持てました。そして、その証言には一つの共通項があったんです。事件の後に佐藤だか、高橋だか、山本だか――名乗った名前は違うんですが、物凄く人当たりの良い感じの男性が訪ねてきて、大輔さんの事について尋ねられたそうです」
「そりゃあ、大輔さんが捜査対象だったからじゃないかな」
「刑事だったら、刑事だと名乗りますよね?」
「そっか。そうだね……」
「そこで私は、その男性が霧林さんであると結論づけました。霧林さんの力は認識をねじ曲げてしまえる代わりに、手間の掛かる力なんだ、と――相手を褒めそやして、上手く懐に入り込みながら、事実を誤認させていく。そんな能力なんだ、と――そんな事を沢山の人にやろうと思えば、相当な時間が掛かるでしょうし、関わったすべての人というのも事実上不可能だと思います。この写真で納得して頂けなくても、もっと決定的な証拠が出てくる可能性がありますよ」
「……」
七原の言葉に、霧林が押し黙る。
いつもの七原とは、表情の作り方も、話し方も違う。
その上、霧林の表情を具に観察しながら、感情を逆撫でする方法を探っているようだ。
煽りの七さん、ここに誕生である。
「私の見解ですが、陽向さんが能力者になった原因も、あなたにあるんじゃないかと思いますね。心をねじ曲げる能力――そんなものを常日頃から使われていたら、心が壊れてしまうのも当然じゃないですか?」
ぞっとするほどに冷ややかな目が七原に向く。
嫌われ役を買って出てくれるのは有り難いが、それは俺の役割である。
後れを取ってはならないと、一つ咳払いをして、俺も口を開いた。
「そこで問題になって来るのは、事件当日に市立病院に搬送され、その後、意識が戻らないまま亡くなった大輔さんの偽物が、どこの誰だったのかという事です」
「仮に、本当に偽物だったらね」
霧林が俺に視線を戻す。
さっきの目はどうしたのかと言いたくなるほど、フラットな表情に戻っていた。
だが、これにペースを乱されてはいけない。
洗脳系には、その場のコントロールを取らせない事が一番重要なのである。
「ご説明しますよ――そこで鍵となったのは根岸院長の動きでした。今し方、柿本さんにも確認を取って来たんですが、市立病院に勤めていた霧林さんを当局に連れて来たのは根岸院長だったそうですね」
「そうだよ。根岸院長が僕を推薦してくれたんだ。僕としても、以前から、こっち側の仕事に興味があったからね」
「そうですか? むしろ、最初は霧林さんも本意では無かったんじゃないかなと思ってますけど」
「何を根拠に?」
霧林がどう考えていたか――そんな曖昧な事に根拠など見いだせるはずも無い。しかし、推論に足る情報は十分にある。
「残念ながら、単なる推測なんですが――当時、霧林さんが交際していた看護師さんに、『霧林さんには妻も娘もいる』という噂を流されたって話があったじゃないですか。あれを収束させるために能力を使っていたのを根岸院長に勘付かれたんじゃないかな、と思ってます」
「それは……こじつけが過ぎると思うよ」
静かな室内では、一つの動揺も如実に伝わってくる。
三津家も同じ事を思っているのだろう、霧林の顔をじっと見た。
「では、根岸院長本人に事実確認をしましょうか。霧林さんは関係者のほとんどを洗脳してますが、根岸院長だけは洗脳できてませんよね?」
「……」
霧林が再び押し黙る。
代わりに七原が「そうなの? 根岸院長は霧林さん側の人だと思ってたけど」と合いの手を入れてくれた。
「能力を使いこなすってのは、そう簡単な話じゃないって事だろう。さっきも七原が言っていたように、霧林さんの能力は、ある程度だけでも懐に入らなければならない。相手が霧林さんの能力を警戒している場合においては、途端に使いづらいものになるんだよ」
「あ、そっか」
「根岸院長を洗脳できていたなら、わざわざ、当局に転職する必要も無かっただろう。当局に勤めるという事は常に排除能力者の監視下におかれるという事だし」
「確かに」
「それに、根岸院長を洗脳できていたのなら、さっきの市立病院での会話で、根岸院長がボロを出すことも無かったと思う」
「ボロ?」
「それはまた後で話すよ。とにかく、そこで根岸院長の派閥というところのものが出来上がったんだ。根岸院長が霧林さんを引き入れたかったのは、根岸院長も色々と後ろ暗いことをしていたからだよ。贈賄事件で陸浦栄一の影響力が低下して、根岸院長の後ろ盾が無くなった。そんな時に、霧林さんが現れたんだ。霧林さんを利用する事を考えたのは当然と言えば当然だ」
「なるほど」
「そして、ほどなくして、二人に共通の敵が現れた。それが上月孝次さんだよ。孝次さんは非常に危険な存在だったと思う。霧林さんにとっても。根岸院長にとっても」




