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嫌われ者と能力者  作者: あめさか
第七章
206/232

地下


 陸浦の斜め後ろで、夜の街を歩く。

 ここらは居酒屋が多い界隈かいわいだ。


 真っ直ぐ伸びた背筋で、悠然ゆうぜんと足を進める陸浦は、どこか現実感というものに欠いている。


「ここだよ」


 陸浦が指差した先には階段があり、下から香ばしい匂いが上って来た。

 『やきとり』と文字が入った赤提灯、看板には『なべや』とある。


 陸浦は、こんな感じの店にも行くのか。

 陸浦のイメージが、どんどんと更新されていく。

 なんだよ、この無駄な情報量……と思いながらも、着いて行くしかないので、陸浦に続いて階段を降りた。


「大将、個室いいかな?」

「どうぞ」


 これまた無表情の店主がいるカウンターの横を通り、鉄の扉を開け、更に階段を下る。

 電球色の灯りの下、掘りごたつの半個室が四つほど並んでいた。

 他に客はいないようで静まり返っている。


「望君、心配しなくてもいい。客は少ないが、味は確かだよ」

「そうなんですか……すごく雰囲気がある店ですね」


 陸浦は黙って頷く。

 さっきの店主が降りて来て注文を取ると、再び、息の詰まる静けさが戻って来た。


 みぞおちの奥に、締め上げられるような鈍痛がある。

 この痛みは、恋だろうか――いや、ストレスである。


 正直に言うのなら、俺はこの異空間に完全に飲まれていた。


 しかし、踏み出さなければ何も変わらない。


「陸浦さん。さっきの話……続きを話して頂けますか?」

「ああ、そうだな。ついに、この話を他人に打ち明ける時が来たか――」


 陸浦は、ゆっくり勿体もったいつけながら言葉を継いでいった。


「あの日、私は裁判に出廷する為、この街に帰って来ていた。孝次たかつぐの家には、その後――昼過ぎに行く約束をしていたよ」


 やはりか……。

 その時、上月孝次の運命は既に決していたという事だろう。


「何の為に孝次さんと会ったんですか?」

「望君と同じさ。私も話し合いで解決しようとしていた。しかし、彼もかたくなでね。私を排除すること以外、何も考えてないという感じだった」

「孝次さんは陸浦さんの本当の力を知っていたんですか?」

「ああ。彼は全てを知っていた。その上で、私を納得させられないのなら強制排除だってするつもりだ、ってな感じで話していたよ」


 陸浦が『強制』という言葉を強調する。


 陸浦は俺がかたわらに置いているバットケースの意味も知っているだろう。

 それでも、まったく意に介している様子が無い。


「陸浦さん。一つ聞いてもいいですか?」

「ああ」

「陸浦さんは孝次さんの家に行ったという事ですが、陸浦さんは元市長ですし、有名人です。陸浦さんを目撃したという人が出てこなかったのは、ただの偶然ですか?」


 俺がそう言うと、突如、目の前に『牛岡哲治』が現れる。


「能力ってのは、本当に多種多様なものでね。透明になる能力者もいれば、他の誰かに成り代わる能力者だっている――私は、上月孝次のフリをして、上月宅を訪れたんだ。目撃者なんているわけも無いだろう」


 そう言い終えると同時に『陸浦栄一』に戻った彼を見て、つくづく、この能力者にあらがおうとする事が無駄に感じられた。


「で、話し合いは結局、どういう顛末てんまつになったんですか?」

「最後まで分かり合える事はなかったよ」

「なるほど。それで孝次さんの記憶を奪ったってことですね」

「ああ。だが、私は彼の排除能力までは奪わないという選択をした」

「何故ですか?」

「彼の力もまた世の中に必要なものだったからだよ。だから、私は彼を眠らせ、私に関する記憶だけを譲り受けることにした」、

「なるほど……」


 そこは排除能力者として理知的な判断を下したようだ。


「哲治も話していただろ。私の力は家族を守る為に得たものだ。『能力』というものは凶猛きょうもうで、最終的に太刀打ちできるのは『能力』しかなかったりする。古式だって、新式だって、私の力だって、すべて必要なものだと思うんだよ」


 陸浦の力の籠もった声音に、彼が初めて自らの思いを語っていると感じた。


「確かに、そうかもしれませんね」

「彼が事件で命を落とした事には、今でも慚愧ざんきに耐えない――そんな事にならないように、地下室への扉を隠して、玄関にも鍵を掛けたんだがな」


 そう言って、陸浦が三日月のキーホルダーの付いた鍵をポケットから取り出す。

 三日月のキーホルダーといえば、霧林の言っていた上月家の家族の印だ。

 確かに、陸浦がそれ以外の理由で上月家の鍵を持っているとは思えない。


「陸浦さんは『発火』には一切関わっていなかったって事ですか?」

「もちろんだよ。当時の私に、そんな事をする理由なんて無かった。しかし、私の責任である事は間違いないよ。私の見込みが甘かった――私の睡眠能力では目が覚めるまでは一時間も掛からないんだ。本当に何かが起こるなんて思ってもみなかった」

「しかし、その間に三津家陽向が上月優奈の鍵を使って家に入り、発火能力を使ったという事ですね。つまり――」

「つまり、三津家陽向は、私が孝次の格好をして出て行ったのを見て、誰も居ないはずの家に放火したという事なのかもしれない。そんな事も全部含めて、私の責任だ」


 それを聞いて、心の奥から沸々と怒りが込み上げてくる。


「だったら何故、それを誰にも話さなかったんですか? 三津家は、ずっと罪の意識に苦しんでいたんですよ。能力が再発する可能性だってあった」

「わかってるよ。それでも私は戦いを続けなければいけなかった」

「戦い?」

「望君、発火能力ってのは、筆舌に尽くしがたいほどに凄惨なものなんだ。隆一が再び能力者化しないようにする事も含め、私には抱えている問題が幾つもあった。もちろん、陽向君の事に関してもそうだよ。陰ながら、出来る限りの事をしてきた。そして今、こうして君と会ってるのも陽向君の為だ――結局の所、私も君と同じだよ。目的の為に手段は選ばない」


 そう考えてみれば、陸浦の行動に納得できない事も無い。

 だが……。


「では何故、僕が会いに来るまで待っていたんですか? もっと早く解決する事は可能だったはずです」


 俺の言葉に、陸浦は『そんな事か』というように呆れた顔で首を横に振った。


「そりゃあそうだろ。生半可な力を譲り受けたって意味が無い。君が成長するのを待っていたんだ」


 はっとして、陸浦の顔を注視する。

 陸浦の瞳は獣化した能力者のそれだった。


 不意に焦げ臭い匂いがして、階段の上から煙が降りてくる。。

 おそらく焼き鳥のコンロか何かから出火したというところだろう。


 ああ。

 たしか、贈収賄事件の現場となった飲食店も『なべや』という名前だったなと思い出す。


 ――最初から全て計画通りだったという事なのだ。


「何故、こんな事まで?」

「君も、もはや有名人だ。排除能力者が、ただの記憶喪失では済まされない。証拠隠滅も必要だろ?」


 全身の力が抜け、まぶたが閉じていく。

 一度もバットを振らずというのも情けないが、反撃しようも無いのは分かっていた事だ。


 初手から間違っていたのだろう。


 まあ、後悔しても仕方がない。

 もう取り返しなんてつかないのだ……。



 ……。

 ……。

 ふと目を覚ます。

 俺は教室に居た。

 自分の席に座っている。

 周りの様子から察するに――おそらく、放課後だろう。


「その用事ってさあ、あたし達より重要な事?」

「紗耶。駄目だよ、実桜を困らせちゃ」


 笹井が藤堂をたしなめる。


「まあ、用事なら仕方ないよね」


 と、柿本も続く。

 藤堂は溜め息を吐いた。


「わかった。用事なら仕方ないね。今度はあたし達を優先してくれるんでしょ?」


 面倒くせえ。何度聞いても面倒くせえ。


 ――つまり、これは、そういう事だろう。

 俺が七原に能力者である事を打ち明けられた日である。


 なるほど。だったら、話は簡単だ。

 俺は席を立ち上がり、大きく口を開く。


「ループなんかしてたまるかよ!」


 いぶかしげに俺を見るクラスメート達。


「ループするにしても、こっからは長げえだろ! 面倒くせえよ!」


 『長いって何?』『ついに戸山がおかしくなったな』『いや、前からおかしかったって』

 口々に言うクラスメート達が徐々に――徐々に、ぼやけていく。



 目を開くとコンクリートの天井と、古くて端が黒くなった蛍光灯があった。

 辺りを見回せば、机や椅子、段ボールに食器棚。

 飲食店の倉庫という感じだろうか。


 悪夢だったなと、一人つぶやく。

 陸浦栄一にはどうやったって敵わない。

 ってか、どんな能力を使えば、このホコリ臭い倉庫が、あの掘りごたつの半個室になるんだよと、心の中で突っ込む。

 いや、もう陸浦もいないので、口に出しても構わないか。


 最低の気分である――最低の気分ではあるのだが、意識を失っていた所為なのか、少し頭がすっきりしたようだ。

 夕方からずっと頭の中に掛かっていたもやが晴れている。


 ――それにしても、陸浦栄一が俺の記憶が奪わなかったのは、どういう事なのだろう。

 気付かないような記憶を奪っていったという事だろうか。


 色々と思い返してみるが、大切な記憶は失っていないようだ。


 では、陸浦は何の意図でもって、今し方のような事をしたのか。


 俺に対するおどしだとするなら、手間も掛かり過ぎているし、意味がある行為だとも思えない。


 陸浦が三津家の排除の為に真実を教えてくれようとしたのは、あながち嘘では無いのかもしれないな。

 陸浦の言葉を信じるならと、今までとは別の観点で頭の中を整理してみた。


 上月孝次の排除と、上月宅への放火は別の事件である。


 三津家陽向に発火能力を使わせるなんて事が出来た人物は限られるだろう。当然、亡くなった三津家大輔でもないし、全てを飛び越えられる『超』能力を持つ陸浦栄一でも無い。


 そして、三津家大輔は玖墨の父親と同一人物である可能性がある。


 ……そうだな。もう少しだ。

 もう少しでバラバラだった事実が一つに繋がりそうだ。


 当時から深く事件に関わっていて、今回も沢山の情報を提供してくれた人物がいる。

 あの人の事も、一度は疑っておくべきかもしれない。



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