交渉
「戸山君、あと少しで着くけど、どこに車を停めたらいい?」
「そうですね。どうせなら、もうファミリア-ギュの駐車場に入っちゃって下さい。出来るだけ目立たない場所に」
「わかったよ」
「あと、今回も僕一人で行かせて貰いますね」
「そうだね。僕達じゃ、戸山君のように上手く立ち回れない。栄一さんの前で、うっかりボロを出したら終わりだし、それが賢明かもね」
霧林がそう言うと、三津家が不満げに俺を見る。
その手にはスタンガンが握られていた。
「私も行きます。私には、これがありますから、いざとなったらバチバチと」
「三津家さん、駄目だよ。戸山君は色々と考えた上で、一人で行くと言ってるんだから」
霧林の言葉に三津家がシュンとする。
何だかんだで、三津家は霧林の言う事に逆らえないようだ。
霧林はファミレスの建物に後ろを向ける形で車を停めた。
ミラー越しに煌煌と輝く店内が見える。家族連れ、大学生くらいのグループ、カップルなどなど、割と客入りが良いようだ。
あの中に陸浦栄一がいるというのも、一つのギャグのように思えてくる。
「僕達は、ここで見張っているよ。何かあったら、連絡して。すぐに行くから」
「ありがとうございます。じゃあ、いってきます」
「先輩、どうか御無事で」
三津家がギュッと口を結ぶ。
「そんな、泣きそうな顔するなよ。死なないから」
この流れが完全に死亡フラグだなと思いつつ、霧林のミニバンから出た。
ファミリア-ギュの外観は奇をてらわない、一般的なファミレスのそれである。
さすがに緊張感が込み上げてきた。
ここのところ何度も話に聞いていた陸浦栄一と、ついに顔を突き合わさないといけないと思うと、身震いがしてくる。
だが、平静である事が一番大切だ。
大きく息を吐いて、扉を開ける。
店内をざっと見回すが、今、蓮子さんはいないようだ。
「何名様ですか?」
歩み寄って来た店員に「待ち合わせなんですけど」と行って、再度、視線を動かす。
すると、一番奥のテーブル席に写真で見た男がいた。
陸浦栄一である。
別に服飾の分野に詳しい訳では無いが、上品で高級なスーツであるというのが一目で分かった。
陸浦栄一はナイフとフォークを優雅に使いながら、ハンバーグを口に運んでいる。
そこだけ空間が違って見えた。
高級レストランのようだ。
――本当に陸浦が居た。
どこかで牛岡の適当な捏ち上げでは無いかと思っていたのだが。
現在の陸浦栄一は白髪の所為もあって、牛岡より幾つも年上に見える。
他人の痛みを肩代わりした代償というところだろう。
もう、やるべき事は簡単だ。
気負いを持つ必要すら無い。
「陸浦さん、お待たせしてすみません。牛岡さんの代わりに参りました。戸山望と申します」
状況はまったく掴めていないだろうに、陸浦は表情を変えなかった。
「そうか。君が噂の『望君』だね。どうぞ、座ってくれよ」
女性店員がオドオドしながら、俺の前に、そっと水をおく。
陸浦は強い目力で彼女を見つめながら、口を開いた。
「彼にも『絶品! 煮込みハンバーグセット』を」
勝手に注文を決めるのかよ。
……まあ、それでいいけど。
「畏まりました。ライスのサイズはいかがいたしましょう」
女性店員が伏し目がちに俺を見る。
「普通サイズでいいです」
「遠慮することは無いよ。高校生だろ。大盛りにすればいい」
「いえ、大丈夫です。僕は空腹を満たしに来たわけじゃありません。ハンバーグを食べに来たんです」
いや、陸浦栄一と会う為に来たのだった。
女性店員は注文を繰り返す事も無く、厨房に駆け足で戻っていく。
あれほど萎縮しているのは彼が陸浦栄一だからだろうか。
いや、陸浦栄一だと知らなくとも、この男にはビビってしまうだろう。
陸浦には、それだけの雰囲気があるのだ。
「望君、君の活躍は色々と聞かせてもらっているよ」
聞かせて貰っている……か。
陸浦栄一に報告していたのは楓だろうか。それとも他の誰かか。
今後の陸浦との関係性を考えれば、下手な探りを入れるわけにもいかない。
「たまたま運が良かったってだけの話ですよ」
――さて。
込み入った話になる前に、これだけは聞いておかないといけない事がある。
何故、陸浦栄一が蓮子さんが勤めるこの店を選んだのかという事だ。
「ひとつ聞いて良いですか?」
「ああ。いいよ」
「何故、陸浦さんは、この店を待ち合わせ場所に?」
「この店は、哲治が選んだんだよ」
哲治は牛岡の下の名前である。
「牛岡さんは陸浦さんが選んだと仰ってましたが」
「そうか……ならば、どちらかが嘘を吐いているという事なんだろうな」
陸浦は無表情で答えた。
これ以上は突っ込むなという事か。
やはり、何かがあるという事は間違いないだろう。
この謎も棚上げしておくしかないようだ。
――そうして考えている間に生まれた沈黙の中、さっきの店員が猛スピードでやってきて、俺の前に皿を置く。
速い。
下手をすれば、注文の前から作り始めたのでは無いかという速さだ。
恐るべし陸浦のファストパス能力。
「熱いうちに食べたらいい」
湯気の向こうで、陸浦が口を開いた。
この一連の流れは何なんだよと思いつつ、ハンバーグを口に運ぶ。
謎のこの空気もあって、意外にも、すんなりと喉を通った。
まあ、一番は、これが蓮子さんのハンバーグの味に似ているからだろう。
「このメニューは、ね。片田舎の一従業員が、とある野菜を隠し味に入れる事を提案して改良されたんだ。それによって注文数は三倍に膨れあがり、今では、このチェーンの看板メニューとなっているという話だ」
ああ、やはり、そういう事か――。
ここの煮込みハンバーグが蓮子さんの提案で改良されたと聞いた事がある。
陸浦栄一は上月蓮子がここで働いている事を知っているのだ。
しかし、ならば、何故こんな匂わせ方をしてくるのだろう。
そんな事を考えながら、最後の一欠片を口に運ぶ。
うん。やっぱり美味いな、これ。
「で、望君は何の為に、ここに来たんだ?」
陸浦が問い掛けてくる。
いよいよ、本題か……。
「いずれ分かる事だと思うので、正直に言います。牛岡さんから、陸浦さんについて色々と聞かせて頂きました。陸浦さんが能力者になった理由とか、上月さんの事件の時のアリバイの話とか」
「それで?」
「全面降伏する事にしましたよ。これから僕がどういう排除をしていくか、すべて陸浦さんにお任せします」
これだけ話せば、こちらの意図は伝わるだろう。
俺の記憶を消すのだけは許してくれという事だ。
幾ら上品な老紳士といえども、オデコごっつんは無理である。
「君は、それでいいのか?」
「はい。僕は自分が今までやって来た事が、正しかったとは思ってません。誰かに任せられるものなら任せてましたよ。だから、何が何でもという気持ちはありません」
「では、何の為に排除を?」
「助けたい人が居るんです。自分の能力で苦しんでいる友人を助けたい。それさえ叶えば、他には何も望みません――それが終わった後なら、記憶が無くなってしまってもいいです」
心残りは七原との事を忘れてしまう事だが、そんな事を言ってても仕方ない。
「楓君には、君が優秀な人材だと聞いているよ。どの角度からでも最適解を見つけ出す事が出来る。どんな逆境でも、最後まで諦めない不撓不屈の精神を持っていると」
「今まで排除が出来てたのは、さっきも言った通り、ただの幸運ですよ。周りの人達がいなければ、どうなっていたか分かりません――」
楓にしろ。遠田にしろ。七原にしろ。
何か一つの要因でも掛けていたら、ここに辿り着く事は無かっただろう。
ここに至っては、嘘や誤魔化しも通じない。
――いや、いつだってそうか、俺は嘘を真実にしなくてはいけない。
「楓さんには、いつも上手くやろうとするなと怒られてましたよ。泥臭くても、愚直でも良い、と。ここまで来たからには、それを最後まで突き通そうかなと思います。友人の排除の為には手段を選びません」
陸浦が無表情のまま、俺を見る。
牛岡もそうだったが、この人達は何を考えているのか想像もつかない。
俺はただ、陸浦が次に何と言うかと、耳を傾けた。
「そうか……望君は真実を知りたいか?」
「真実?」
「上月孝次の事件の真実だよ。それを知らなければ三津家陽向の排除は出来ないだろ?」
やはり、こうである。思っても無い返答が帰って来た。
当日の話を俺に話してくれるという事だろうか。
「確かに、そうですね」
「だが、こんなところで話すのも問題のある話だ。私の知り合いの店で話すよ。そこなら個室がある」
すっと立ち上がった陸浦に、俺も付いて行く。
陸浦は、こちらを注視していた女性店員に歩み寄り、財布から札を出して渡した。
「釣りはいらんよ。その代わり、あっちの出口を使わせて貰えないか?」
陸浦が指差した方には従業員出入り口があるようだ。
「はい。どうぞ!」
店員が背筋をびしっと伸ばして応えた。
この分だと、外で三津家と霧林が監視している事も知っているのだろう。




