選択2
「何故、その店で待ち合わせを?」
俺が問い掛けると、牛岡は、事も無げな顔で口を開く。
「そんなこと知らねえよ。栄一が指定して来たんだ。俺に選択権は無い」
「そうですか……」
その店が蓮子さんが勤めるファミレスである事が偶然だとは思えない。
だが、陸浦栄一がその店を選んだ意図も、まったくもって汲み取れないのである。
「おい。ボケっと考えている暇は無いぞ。もうすぐ八時だ。急いで行けば、間に合うかもしれない」
上手く乗せられて、牛岡自身に対する追及を躱された気がしないでも無いが、今は陸浦の方が重要だ。
牛岡に礼を言って、取調室を出ると、後から出て来た高梨に「戸山君、ちょっといいかな」と呼び止められた。
「今の話って……」
俺に返答を求めてくる。
警察での担当者だけあって、その辺の事情にも詳しいのだろう。
高梨は眉を八の字に曲げ、難しい顔をしていた。
この人の知っている情報は、どういったものだろうか。その摺り合わせもしておきたいが、今は時間が無い。
「牛岡さんが言ってた事は誰にも話さないで下さい。場合によっては真実を知るのは高梨さんだけになるかもしれませんし」
「わかったよ」
頷く高梨から視線を前に戻して、三津家達が居る部屋の扉を開く。
椅子が用意されているのに、二人とも立っていて、ナーバスになっていたのが、よく分かった。
特に三津家の方は腕を組んで厳めしい顔をしている。
「先輩。もしかして本当に栄一さんに会いに行くつもりではないですよね」
「その話は、例のファミレスに行きながら話すから」
「そうだね。車に戻ろうか」
「待って下さい。何で霧林さんも戸山さん側なんですか」
さすがの三津家も、誰が聞いているかも分からない場所で、話を続けるわけにはいかないと思ったのだろう。警察署横の立体駐車場に停めた車に乗り込むまで黙って付いて来た。
助手席に座った三津家が振り返り、キッと強い目で俺を見る。
「先輩、今回だけは納得できませんよ。まだ何の策も立てられてないんですよね?」
「牛岡さんから、こんな情報を掴んでしまったんだ。行くしかないだろ」
「ですが!」
いつもより強い『ですが』である。
しかし、こういう機会というのは逃してはいけないものだ。
「霧林さん、車を出して下さい」
「了解。あと五分だし、急がないとね」
「先輩! どうしたら分かってくれるんですか!」
三津家が苛立ちを募らせている。
霧林はオロオロしながらも、エンジンを掛けた。
何なら自分の足で向かったっていい。距離は知れている。
「これは合理的な判断だ」
「他人の能力を奪う能力者だなんて――複数の能力を持ってる能力者だなんて、太刀打ちできるわけがありませんよ。上月さんみたいな事になったら、どうするんですか。私は先輩が心配なんです。先輩がいなくなったら、私は、私は……」
一気に感情が昂ぶったのだろう。今度は目に涙を溜めていた。
俺は一つ間を取り、諭すように語り掛ける。
「栄一さんが上月さんを排除した犯人だとしたら、火事は不可抗力のハズだ。最悪の事態なんて心配しなくてもいい。あっちからしたら、記憶を奪えたら、それ以上の事をする必要は無いんだ」
「だとしても、嫌なんです。記憶を無くしてしまったら、先輩が先輩ではなくなってしまう。私は今の先輩が……」
「今の俺が?」
そう問い掛けると、三津家は耳まで真っ赤にした。
「い、今の先輩が……排除能力者としての正しい姿だと思うんですよ」
排除能力者としても、期待して貰えるのはありがたい。
だが、彼女の気持ちに応える事は出来ない。
俺が陸浦栄一に会いに行く本当の理由を話さなければいけないだろう。
「実のところ、俺に栄一さんと遣り合うつもりは無いんだよ」
意外な返答だったのだろう。三津家の表情は一気に訝しげなものに変わった。
「どういうことですか? だったら、何で会いに行くんですか?」
「交渉だよ」
「交渉?」
「俺には古手として排除しないといけない能力者がいる。俺は自分の目的が果たせれば、それでいいんだ」
「降伏するってことですか?」
「ああ。栄一さんの力は太刀打ちできないんだろ? だったら、他に選択肢は無い」
「そう見せかけてって事ですよね。何か策が」
「無いよ、何にも」
「そんな……それだって先輩らしくないです。先輩は、いつだって奥の手を使ってきたじゃないですか。確かに汚ないと思う時もありましたよ。ですが」
三津家の表情に落胆の色が浮かぶ。
「これくらいの譲歩は仕方ないんだよ」
「これくらいって。そんな問題じゃないですよ。先輩は、それで自分を許せるんですか?」
「排除能力者として重要なのは結果だ」
「ですが……」
「言い訳になるけどさ、今の状況は喉元に刃物を突き立てられているのと一緒だ。どこに行こうが、陸浦栄一は追いかけてくる。俺達は色んな事を知りすぎてしまったんだ」
「確かに」
「栄一さんとは上手くやれるさ。俺は他人の心の声が聞こえる能力者にだって対抗できたんだから」
「その能力者というのは?」
「七原の事だよ」
これが説得力になるのならと、七原の名前も出す。
「そうですか。私が七原さんだったら、何かを変えられたかもしれませんね」
「七原がいたって、事実は動かないんだ。こうなる事は最初から決まっていたと思う」
「わかりました。まあ、ロクでもない方法だとは思いますが、それしかないというのなら……ですが、もし栄一さんが有無を言わさず排除しようとしてきたら、どうするつもりですか?」
俺は、朝から霧林の車の一番後ろの座席に置かせて貰っていたバットケースを手に取り、チャックを開けた。
その中にはいつも使っているプラスチックバットと共に鈍色のバットが入っている。
「それは?」
「金属バットだよ」
「栄一さんをそれで殴ると?」
「殴らねえよ!」
その発想はなかった。この道具は俺の中でケツバットする為のものでしかないと気が付き、辟易とする。
俺も相当に毒されている。
「だったら何故、金属バットを?」
「これは最後の最後の奥の手だ。古式にも『強制排除』ってのがあるんだよ」
「強制排除?」
「どうやったって能力と決別する意志を持てない能力者だっているだろ。能力の深化が進み、言語を解さなくなった能力者だっているだろ」
「古手の先輩に、そんな事が出来るとは思いませんでした」
「いや、試した事は無いよ。相手の能力者が相当に格下じゃないと使えないらしいし」
霧林が「なるほどね――」と反応を示す。
「ゲームでいうと、弱い敵を一気に殲滅するみたいな奴だね。戸山君が、そんな隠し球を持っているとは思わなかったよ」
その発言に、三津家が不服そうに首を振った。
「霧林さんは、ちょっと黙ってて下さい――戸山さん、相手は栄一さんなんですよ。そんな事、無理に決まってます」
「だけど、火事場の馬鹿力みたいなもんで、人間は土壇場で途轍もない力を発揮するなんて事もあったりするもんだろ? 金属バットを使えば、排除に一つ重みを付与する事だって出来る」
「そんな事を言われても、納得は出来ないです。とにかく栄一さんって人は――」
「栄一さんが沢山の能力を取り込んできたというのなら、相対的に一つ一つは薄まってるはずだ。可能性が無いわけじゃない」
「ですが――」
「まあ、とにかく説得が一番だ。一か八かなんて手法は、出さなくて済むと思う」
「ですが――」
霧林が助手席の三津家の肩に、そっと手を乗せる。
「三津家さん、ここは戸山君の背中を押すってくらいの気持ちじゃないといけないと思うよ。戸山君のやって来た事は、いつだって間違って無かっただろ? 七原さんだって、きっと同じ判断をしたはずだよ」
三津家が振り返り、俺へと視線を戻した。
その目からは激情が消えている。
「わかりました。反論ばかりして、すみません。先輩の決めた事なら全力で支持します」
なら、最初からそうしろよと思うが、俺からしても、こういう遣り取りの一つ一つが、自分の意志というものを確かめていくのに必要なプロセスだ。
しかし、それにしても説得には時間が掛かったが……。
まあ、やっとこれで陸浦栄一の事に集中できる。
不安はあるが、今まで牛岡の排除をしなかった事からしても、利のある条件は飲んで貰えるはずだ。
俺は、ふーっと長い息を吐いた。
「わかってくれたなら、それでいいよ」
長きにわたって反論し続けたのを反省したのか、三津家は表情を緩めて深く頷く。
「ですが、勢い余ってボクサツとかは、やめてくださいね」
「しねえよ!」




