陸浦栄一について
「まさに、それです。洗脳さえ出来れば、他の能力者を自由に出来る」
「それは私達も考えたわ。実際、三津家大輔がその力を持っていたならばと納得できる話もある。大輔が三晴から家賃だけではなく、生活費まで受け取っていた事とかね」
「三晴さんに、そういう心当たりは無かったんですかね? 洗脳されたかどうか」
「もちろん、本人に聞いてみたわ」
「三晴さんは、何と?」
「大輔と話していると、彼が言うのがどんな理不尽なことでも、自分が間違っているんじゃないかと思えてくるって話だった」
俺は他人を自分の思い通りに動かす能力を幾つか知っている。委員長や沼澤美礼、小深山青星あたりだ。
その中で、まさに洗脳能力といえば、小深山青星の力だろう。
彼は声によって、その力を発動させていた。
三晴と大輔が遠く離れて生活していたのに、洗脳を続けられたという事は、大輔の力も青星の力に近いものだったという事ではないだろうか。
「でも、よく考えてみるといいわ。たとえ彼に洗脳系の能力があったにしても、犯行が可能だったとは思えない」
「確かに。いくら洗脳の力があっても、病院のベッド上で意識も無いまま、三津家達を自由に操ることは出来ないでしょうね」
「そういう事よ」
「ですが、大輔さんの命令が、自分が能力者だという事実を隠蔽しろってものだとしたら、どうですか?」
小深山青星が七原にさせていた事が、そういう感じだった。
行動の方向性だけを決めて細かい指示をしない。対応力がある人間を扱う時は、それが最も矛盾が起きにくい手法である。
「なるほどね。その命令に則して、三津家さん達は犯行を行った。ある者が能力で上月の意識を奪い、三津家さんは発火能力を使った」
「三津家が自首したのは、記憶を消される事で、証拠を隠滅するという意味合いがあったのかもしれません」
「最初から、三津家さんが排除される事を目的としていたって説ね」
「はい」
そうだとすると繋がってくる話もある。
青星の能力は身体的に負担の大きいものだった。身体の怠さから始まり、排除の時は一人で立ち上がれない状態にまでなっていた。
三津家大輔の身にも、同じようなことが起きていたのでは無いだろうか。
「三津家大輔が昏睡状態に陥ったのも、そこから目を覚ますことが出来なかったのも、力の使い過ぎによるものじゃないんでしょうか?」
「それは違うと思うわ。私は彼の診断データを見たから――そのデータによれば、彼はよく立って歩いてたなっていう状態だった。三津家大輔がアルコール中毒だったのも事実だし、彼の昏睡状態も死因もアルコール依存から来た合併症で間違いないわ。まあ、その診断データが改竄されていたのなら話は変わってくるけどね」
「なるほど」
「何より、三津家大輔はスーパーのイートインで、お酒を一気飲みして倒れたのを目撃されている。彼が更に別の誰かに洗脳されていたというのなら、話は別だけどね」
「つまり、大輔さんが主犯である可能性も非常に低いって事ですね」
「ええ。彼の素性を明かすのは捜査の進展に繋がる可能性はあるけど、事件解決には至らないでしょうね。まあ、もちろん、能力者の関わる事件である以上、あらゆる可能性を考えていかないといけないけど」
「僅かな可能性に掛けるとしても、大輔さんが既に亡くなっているので、彼の犯行を証明するのは困難を極めますよね」
「そうね。まさに雲をつかむような話ってところかしら」
柿本の言う通りである。
この事件を解決する糸口が見つかるとは思えない。
だが、まだ始めたばかりだ。焦る段階では無い。
冷静に色々な可能性を検討していないといけないだろう――そうは思っているのだが、やはり、どうしても気になってしまうのは陸浦栄一の存在である。
ここ最近になって、その名前は頭が痛くなるほど、耳にしてきた。
「少し話が戻りますが、栄一さんについて、もう少しお話を聞いてもいいですか?」
「彼に犯行は無理だったって話は、もう忘れてしまったのかしら」
さっきまで流麗だった口調に、一気に不機嫌さが混じる。
「純粋に興味があるというか、栄一さんの事は知っていないといけない気がするんです」
「何故?」
「一華さんの祖父で、隆一さんの父、収賄で退職した元市長。樋口楓とも繋がりがあって、三津家の事件当日に丁度、この街を訪れていた」
諸々の事件を一つに繋げているのは、間違いなく陸浦栄一という男なのだ。
柿本からは聞き出せることは全部聞き出しておくべきだと、更に説得を続ける。
「根岸さんという方を市立病院の院長にしたのも栄一さんで、その市立病院には午前中に大輔さんが、午後には上月さんの娘さんが搬送されていますよね。栄一さんが犯人で有るにしろ、無いにしろ、鍵を握る人物であることは間違いないと思えてくる。教えていただけないのなら、栄一さんを探し出して直接聞くしかありません」
電話口から聞こえる掠れた溜め息に、あまり不快さは感じなかった。
そういえば、最初の冷たい口調も少し和らいでいるかもしれない。
「……そうね。だったら答えるわ。だから、約束して。古手のあなたが闇雲に動くなんていう馬鹿な事はしないで頂戴」
「わかりました」
「で、何が聞きたいの?」
「まず、聞きたいのは、上月さんが栄一さんの事を調べていたという話が無いかって事です」
「私は知らないわ。調べていたとしても、表立って捜査するなんて事は無かったと思う。特に相手は陸浦よ、身内も身内の排除能力者なんだから」
「確かに、そうですね」
「上月が誰を調べていたかの答えは火事で燃えてしまった上月の手帳のみが知っていたってところね」
「では、陸浦さんと上月さんとの関係性は?」
「この街に上月が来たのは陸浦が辞めた後だからね。それ以前に何かあったというなら、話に聞いていただろうけど、それも無いわ。もっとも、上月が米代市に来た理由の一つに、陸浦の排除があったのなら、何も喋るはずがないけどね」
聞けば聞くほど、陸浦が怪しいと感じてくる。
「陸浦さんと根岸さんとの繋がりは、どの程度深いものでしたか?」
「……なるほど。根岸まで疑ってるのね」
「共犯だったら、データをすり替える事も可能ですよね」
「その発想力、嫌いじゃないわ。ただ、根岸は自分の立場が一番大事って人だから、何らかの便宜を図っていたとしても限定的だと思う。犯罪になるような事をするほどの心臓は持ってない」
「楓は……樋口さんは陸浦さんとどういう関係だったんですか?」
「樋口は彼の事を尊敬していたわ。心酔してたと言ってもいい。彼女が排除能力者になったのは陸浦の影響よ。だけど、ある時から、ぱったりと彼女の口から陸浦の名前を聞かなくなった」
「それはいつですか?」
「この火災事件よ」
また一つ繋がった。
この事件には、楓と陸浦栄一の関係性を変える何かがあったのだ。
「もういい? 聞きたいことは聞けたかしら」
「最後に、一つだけ聞かせて下さい」
「何?」
「陸浦さんと柿本さんの関係性についてです」
「関係性って、上司と部下だったってこと以外には何もないけど」
「でしたら、栄一さんに対して思ってることを聞かせて下さい」
柿本は小さく息を吐く。
「個人的な事を言わせて貰えば、陸浦には腸が煮えくりかえってるわ。陸浦と出会ってからは二十年以上経ってるけど、出会った頃から記憶が更新されてないんでしょうね。私の事を未だに、二十代そこらの小娘みたいに扱ってる。あいつ、私の事を真智子って呼ぶのよ。今だったらセクハラで訴えられているような案件ね」
「……そうなんですか」
そうなんですかと言うしかないような案件である。
「でも悪い人では無いのよ。そう思うんだけど……」
「陸浦栄一には裏の顔がある。そう感じるって事ですね」
「ええ。七原さんと言ったかしら。彼女でも、陸浦の嘘は暴けないと思う」
七原の話まで知っているのか。
そんなことを考えていると、柿本が一際大きな溜め息を吐いた。
「わかったわ。もう、私の思ってることをぶっちゃける」
「なんですか?」
「戸山君、あなたと話していて思ったんだけど、戸山君が真実を手繰り寄せていく力は本当に凄いわ。だからこそ、今は不用意に陸浦に近づかない方がいい。陸浦栄一という人間を信用してはいけない。あの事件のような事が起きてからでは遅いのよ」
「柿本さんは、栄一さんが犯人だと思ってるとは言ってませんでしたよね」
「犯行は無理だけど、やってないとは言ってないわ。実際に陸浦によって力を奪われた排除能力者もいる。陸浦は暴走する排除能力者に必要な措置を講じたと説明しているけど、当人達に記憶がない以上、真実がどこにあるかは分からない」
「なるほど。そういう事もあったんですね」
「戸山君、そんな風に悠長に構えてる場合じゃないわ。事態は思ってるよりも、深刻かもしれないのよ」
ハスキーボイスが微かに怒気を帯びる。
「どういう事ですか?」
「理事官の中には、陸浦を信奉している人が何人もいる。彼らは、今その街で起きている能力者の急増を問題視して、三津家陽向だけではなく、ある人物を送り込むことを決めたのよ」
「え」
「つまり、その街に陸浦栄一が帰って来ているの。何が目的かは分からないけどね」




