登校
朝、携帯の振動で目を覚ます。
おかしいな……今日はしっかり眠ってから学校に行こうと思って、遅刻覚悟でアラームを切っていたのだが。
そう思って、携帯の通知画面を見ると、霧林からメッセージが来ていた。
『もう登校した? まだなら、三津家さんと一緒に車で送ってあげるよ。下にいるから、準備が出来たら降りてきてね』
一つ溜め息を吐いて起き上がる。
三津家と優奈達が鉢合わせしたら、どうするんだよ――そう思いながら、急いで準備を整えた。
焦っていた事を悟られないように、息を整えてから、マンションの玄関口を出る。
――ああ、『もう少し寝るから先に行ってください』と言えば良かったんだと気付いたのは、ミニバンの運転席に座った霧林と、がっつり目が合ってからだった。
霧林が窓を下げて、手招きしている。
「戸山君、おはよう」
「おはようございます、霧林さん」
三津家はどこにいるんだろう……そう思って、後部座席へ視線を移すと、車用カーテンが閉じられていた。
「今日は助手席に乗ってね。三津家さんが寝不足みたいで、後ろで寝てるんだよ」
霧林の言う通りに、助手席側のドアを開いて車に乗り込む。
夏木に三津家の話を聞いた所為もあるのだろう、三津家の寝不足には同情的な心持ちになっている。
「一つ聞いて良いですか?」
「ああ、うん」
「三津家が学校に来る事に、意味があるんですかね?」
「古手の戸山君の側にいるのが彼女の仕事だよ。いざとなったら、戸山君の身代わりになると意気込んでるから」
「三津家を身代わりになんか出来ませんよ。そんな事をしたら、人間性を疑われます」
はて、つい最近、誰かを何かの身代わりにしたような気もするが……きっと気の所為だろう。
「まあ、戸山君の人間性も分かってきたし、一緒にいる事に意味があるか無いかで言えば無いんだろうけどさ、形式上やっておかないといけない事ってのがあってね」
「こちらとしては、子守が面倒で仕方ないんですけど」
霧林が苦笑いを浮かべる。
「三津家さんが熟睡してて良かったよ。起きてたら、カンカンだったと思う。彼女に軽口は通用しないから」
「ですね」
「ところで、戸山君――」
「なんですか?」
「七原さんにも連絡してくれれば、ついでに乗せて行ってもいいよ。彼女には連絡先を聞いてなかったから、迎えに行けなかったんだ」
七原は遠田と一緒に登校して来るだろう。
となれば、適当に断っておくのが無難だ。
「七原はもう登校してるでしょうから、大丈夫です」
そう言いながら、携帯を見る。
通知画面には七原からのメッセージが表示されていた。
『ごめん。寝不足で頭が痛いから今日は休むね』
そのメッセージは一分前に送られて来ていたようだ。
霧林に「七原に電話して良いですか?」と確認を取って、通話ボタンを押す。
すぐに表示が通話中に変わったので、携帯を耳に当てた。
「戸山君、おはよ」
「おはよう、七原。大丈夫か?」
「うん。ちょっと寝不足ってだけだから、大丈夫だよ」
「寝不足だけとは限らないよな。昨日の屋上での張り込み、寒かっただろ」
「確かにそうだね。ひどくなりそうだったら、病院に行くよ」
「ああ……」
あとで、『知り合いだからって符滝医院には行くなよ』とメッセージを送っておこう。
あの病院は、何か心配だ。
「ごめんね、戸山君。今日、三津家さんのこと、手伝えなくて」
「ああ、いいよ。昨日も言ったけど、今回の件は時間が掛かりそうだしな。気にせず、ゆっくり休んでくれ」
「うん。また明日ね」
「ああ、明日な」
そう言って電話を切る。
こちらをじっと見ている霧林に、視線を返した。
「七原、休むみたいですよ。寝不足で頭が痛いみたいで」
「そっか。了解……しかし、驚いたな。戸山君でもショックを受けたりするんだね」
自分では普通に応対したつもりだが、様子がおかしかっただろうか……。
「もしかして、声に出てました?」
「いや、七原さんにはバレてないと思うよ。だけど、顔が完全に死んでた。血の気の引いた顔で、明るいトーンで話してるから、めちゃくちゃ恐かったよ」
また霧林が苦笑いを浮かべる。
「そうですか……まあ、バレてないなら良かったです。昨日は七原に負担を掛けすぎたなと思ってて」
「慣れてない人に、あれはつらいよね」
「はい。霧林さん、昨日は三津家の話を『切り上げた方が良い』って言って下さって、ありがとうございました。まさに霧林さんの言う通りでしたよ。あれ以上、話が長くなってたら、もっと酷い事になってたかもしれない」
「戸山君も、七原さんがいない間に無茶して解決しようとか思っちゃ駄目だよ」
「わかってます。自分の体力も考えて、やっていくべきだと痛感しました」
「能力者に接してると、やっぱり消耗するよね、色々と……じゃあ、取り敢えず学校いこうか」
低い唸りを上げながら、車が動き始める。
見慣れた通学路も、車から見れば、まったく違う景色だ。
「そういえば、昨日、君達を送って行った後、楓ちゃんが帰って来たんだよ」
「え? 本当ですか?」
「ああ、また別件があるって言って出て行ったけどね。また連絡がつかない状態だよ」
「何しに帰って来たんですか?」
「僕に片付けておいて欲しい仕事のリストを押しつける為さ」
「お気持ち、お察しします」
「まあ、緊急性の高い仕事の時は、こういう事もよくあるからね。とにかく無事で良かったよ」
あの楓に無事で良かったと言えるなんて。
いや、そもそも楓の人間性が我慢できてるなんて。
霧林からは後光が差しているように見えた。
俺が部下だったら、この人に着いて行こうと思うのではないだろうか。
「で、楓は姿を消してた間、どこに行ってたんですか?」
「司崎さんを本部に移送していたそうだよ。君の排除の有効性を確かめる為にね」
「なるほど……そういう事ですか」
「それに付随してって話なんだけど、司崎さんの証言で牛岡哲治という人が逮捕されたらしい」
牛岡哲治は、陸浦隆一の企みで陸浦栄一を陥れた一味の一人である。
「牛岡さんが?」
「え、牛岡さんを知ってるのかい?」
「面識は無いんですけど、牛岡建設の元社長さんですよね?」
「うん。そうだよ。戸山君は本当に色んな事を知ってるね」
「いえいえ――で、司崎さんと牛岡さんはどんな関係だったんですか?」
「玖墨君と司崎さんが、かなりアウトローな事をしてたのは知ってるよね?」
「はい。話には聞いてます」
「それを裏で操ってたのが牛岡さんらしいんだ」
「『裏で』ってのは?」
「実はね、司崎さん達がカモにしていた相手ってのが反社会的勢力なんだよ。彼らは反社の縄張りを掠め取って利益を得ていた。玖墨君の能力と牛岡さんの知識で策を練り、司崎さんが実行犯となってね」
なるほど……。
「だから、あんなにも反社に恨まれてたんですね」
「そういう事だよ」
考えてみれば、牛岡と玖墨の繋がりは驚く事では無い。
贈収賄の件に、玖墨も関わっている。そこで知り合ったという事なのだろう。
事件で会社を手放した牛岡と、陸浦隆一に頼らず生きて行こうとしていた玖墨の目論見が一致して、協力関係が始まった――こういう繋がり方もあったのかと、納得するだけである。
「しかし、何でわざわざ、そんな事をしていたんですか? 玖墨さんの力があれば他に稼ぐ手段はあると思いますけど」
「一昔前なら、そうだろうね。でも、今の世の中はコンプライアンスって言葉で埋め尽くされているだろ? 出所不明の情報には碌な買い手がつかない。だからといって探偵みたいに個人でやるのは、効率が悪い上に、能力がバレるリスクは変わらない。となれば、アナクロでやってるところを狙うしかない」
「それが反社界隈って事ですか」
「そういう事だよ。牛岡さんは以前から裏社会との繋がりがあったみたいでね、隆一さんが会社を引き取るまで、牛岡建設は色々と悶着を起こしてたそうだよ」
「なるほど――しかし、何故、こんなにも早く牛岡さんが逮捕されたんですか?」
司崎の排除は一昨日の話だ。
逮捕理由が司崎の証言だけでは弱いように感じる。
「司崎さんは同じ能力者である玖墨君に厚い信頼を置いていた一方で、牛岡さんには強い不信感を持っていたらしい。玖墨君に常々、牛岡と手を切って欲しいと言ってたくらいにね。しかし、玖墨君は聞き入れなかった。だから、司崎さんは、いざという時の為にノートにメモを取ることにしたんだ――そのノートには牛岡から、いつどんな指示を受け、どんな人物と会い、どんな風にお金が流れたかを克明に記録されてたそうだよ」
「それを元に裏を取って、逮捕って話になったわけですね」
「ああ、能力者絡みだから早めにという判断もあったんだろう。証拠隠滅の恐れがあったから、夜中の家宅捜索も行われたそうだ――聞くところによれば、司崎さんの周囲は経理担当も、弁護士も牛岡さんの息の掛かった人間で固められていて、玖墨君と司崎さんにも証拠となるような物は残さないように指示していたらしい」
「それに従ったのが玖墨さんで、従わなかったのが司崎さんって事ですね」
「ああ。司崎さんを排除したのが戸山君で良かったという話だよ。そうでなければ、逮捕まで進まなかったかもしれない」
棚上げにしていた幾つかの問題が腑に落ちたという感じだ。
それにしても、やはりこの逮捕の早さは気になるのである。
考えてみれば、楓が姿を消していた事にも意味があるかもしれない。司崎を移送するだけなら、黙って行動する必要は無いはずだ。
意識を引きつけておいての逮捕劇は、俺達へ何らかのメッセージなのだろうか。
それで、まず第一に考えられるのは、市長の冤罪を牛岡から証言させ、一華の能力を排除させる為というところだろう。
だが、それは既に解決している。
いつも何歩も先を歩いている楓の事だ。それでは終わらない気がする。
牛岡の逮捕が、今回の主役こと三津家陽向の排除の一助となるかもしれない。
その事は頭の片隅にでも置いておくべきだろう――。
「戸山君、着いたよ」
霧林の声で思考を止める。
悪目立ちしないようにする為だろう、霧林は大通りとは外れた住宅街の狭い道に車を停止させた。
「ありがとうございました」
「うん。帰りも、ここで待ってるからね」
「お忙しいのに大丈夫なんですか?」
「三津家さんの担当医は、あくまでも僕だからね。それに今日は三津家さんの事を話す約束だよ?」
「そうですね。じゃあ、その時に」
俺は車を降り、霧林に会釈する。
思わぬ流れで、早く学校に着いてしまったな。コンビニにでも寄って時間を潰すか――そう思いながら、踵を返して歩き出した。
「あ、待って待って、戸山君。三津家さんを忘れてる!」
窓を開けて、霧林が声を上げた。
ちっ、気付かれたか。
大胆にやれば、スルーしてくれるかもと思ったが。
仕方なく、車へと戻り、後部座席のドアを開ける。
結構な物音がしてると思うが、それでも、ブランケットに包まった三津家は、すやすやと寝息を立てている。
普段とは違い、険の取れた表情だ。
「めっちゃ熟睡してますよ」
「そうだね」
「霧林さん、起こしてあげて下さい」
「え? 何で僕が?」
「何か、こんなに穏やかな顔で眠ってると、人でなしと言われた僕でも、気が引けるんです」
「苦悩している三津家さんを知ってるからこそ、邪魔できないと思っちゃうよね」
とはいっても、高校生と社会人が中学生一人に右往左往している場合では無い。
大きな声を出して起こすのも何だと思うので、軽く肩を揺らしながら、声を掛ける。
「おい、三津家。そろそろ起きてくれよ」
すると、半分目を閉じたままの三津家が顔を上げ、不思議そうな顔で俺を見つめた。
「とやまさん? おはようございまふ」
いつもはっきりと喋る三津家が、むにゃむにゃと言っている。
「おはよう。学校行くぞ」
「うー……すみません。あまりにも眠ひので、もうちょっとだけ」
「じゃあ、先に行ってもいいか?」
「それはダメです。もう少しだけ」
三津家は、俺の袖口をぎゅっと握り、もう一度ブランケットに顔を埋めた。
同じ姿勢で寝ていた所為だろう、後ろ髪に、ぴよんと寝癖がついている。
「今回の主役だからって、急にキャラ付けてくるんじゃねえよ」
思わず、そんな台詞が口をついて出て来たのだった。




