帰宅
なるほど。そう来たか……。
あまりの事実に、驚きは疾うに通り越している。
俺が言葉を失ってると、遠田がこちらを向いて、口を開いた。
「上月って……もしかして、あの上月さんの父親って事か?」
「ああ、亡くなった人ってのが、上月孝次って名前だったらな」
「そうです。その人ですよ。孝次さんって名前です――お姉ちゃんも知ってたんだ?」
夏木が目を丸くして、遠田と視線を合わせる。
「ああ。その孝次さんの子供が双子の姉妹なんだが、彼女達は戸山の知り合いでな」
「三津家さんは、上月さんの娘さん達と仲が良かったそうだよ」
「そうだったのか……しかし、知らない事ばかりだな。三津家さんの家の隣りって事は、上月さん達も同じ小学校だったって事だろ? そこが火事となったら、話に聞いてても、おかしくないはずだ。だけど、戸山経由で知り合うまで、彼女達の事を全く知らなかった」
「そうだね。僕も気になって調べてみたんだけど、ニュースにもなってなくて、新聞も小さい記事だったみたいだよ」
「でも、それにしても……って話だ。そういう事が起きたら、保護者会で『助け合いをしよう』って声が上がって、子供達の耳に入ったりするものだろ?」
夏木は一つ息をついてから、口を開いた。
「たぶん、こうじゃないかなって話をしてもいい?」
「ああ」
「火事の話を聞いたおばさんに、『じゃあ、何で三津家さんはいなくなったんですか』って聞いたんだよ。そうしたら、気まずそうな顔をして、答えをはぐらかされた。それが気になったってのもあって、勢いのついた僕は、アパートの他の部屋を回って話を聞いてみる事にしたんだ……」
「そうしたら?」
「うーん。それは……」
「なんだ?」
「……うーん」
勢いで話し出してみたものの、こんな事を言って良いものかと躊躇し始めたようだ。
「夏木、これは三津家の為に調べてるんだよ。続きを聞かせてくれ」
「……そうですね。戸山さんが調べてるって事は三津家さんの為ですもんね。わかりました。戸山さんが仰るなら」
「頼むよ」
「聞いた話では、刑事さん達が三津家さんのお父さんについて聞き込みをしていたそうです。三津家さんのお父さんはアルコール依存症で、素行が悪い人だったらしくて、上月さんのお父さんと揉めてるのも何度か目撃されていたんですよ」
「三津家の父親に放火の疑いがあったって事か?」
「はい。話を教えてくれた全員が、そう確信しているように感じられました」
「なるほど。夏木が言いたいのは、そういう事か――最低限の良識がある大人なら、そんな話題を子供の前で出すのは避けるよな」
「そうですね。この話は小学生にとってショッキングすぎる。中には知っている子もいたはずですが、それを他人に話すのは良心の呵責があったのでしょう。結果的に、話は広まらなかった――そして逮捕者も出ず、時が経つ事で、人々の記憶から消えていったんです」
遠田が頷きながら、口を開く。
「納得いったよ。夏木が、いつも隅々まで新聞を読んでるのは、事件の真相を確かめる為だったんだな」
「うん。でも、三津家さんのお父さんが逮捕されたという記事は無かったよ。家出した時も、置き捨てられてる新聞を見て確認してたから間違いないと思う」
「なあ、夏木……」
「ん? 何?」
「もしかして、三津家さんが初恋の相手か?」
「そうだね。そうかもしれない……今、気が付いたよ」
夏木は、すっと姿勢を正して俺の方を見る。
「戸山さん、一つお願いがあります」
「何だ?」
「僕に出来る事があったら、何でも言って下さい。三津家さんに嫌われても恨まれても構わないです。それが三津家さんの為になるなら」
「ああ。わかったよ」
「夏木、偉いな。お前は自慢の弟だよ」
遠田が夏木の頭をくしゃっと撫でた。
そんなんだからシスコンになるんだよ――そんな事を思っていると、遠田が良い事を思い付いたとばかりに目を輝かせる。
「そうだ、夏木。今日は久しぶりに背中でも流してやるよ」
「え? え?」
戸惑う夏木。
その腕を遠田が掴んだ。
「ついでに実桜も、どうだ?」
「え? え? 私も?」
腕力の差は歴然なので、あっさりと引っ張られる七原。
「おい! 何してんだよ」
思わず声を上げてしまう。
すると、遠田が『待ってました』という顔でニヤリと笑った。
「冗談だよ。戸山と実桜の関係を見てたら、私も冗談の一つくらい言えないと駄目だなと思って」
「だったら、それと分かるように言えよ。って……ああ、そうか。もしかして、そのジャージも」
「ん? このジャージがどうかしたか?」
夏木が「戸山さん、あれはマジの奴です」と耳打ちして来る。
俺も声を潜め、「だったら、本人に言ってやれよ。遠田があれを着た事で、ヤンキーという概念を物質化したような状態になってるぞ」と返答した。
「言えませんよ。お姉ちゃん本人は可愛い服と思って着てるんですから」
姉には結構な事を言うんだなと思っていると、夏木が何とも言えない表情をして俯く。
俺に近づいたことで鼻をくすぐる香りが、再び絶望を想起させたのだろう。
「夏木、もしかして三津家さんの残り香をまた嗅いでるのか」
と、遠田。
「あ……いや、違うって。そんなんじゃないよ! これは……」
夏木は顔を真っ赤にしつつ、どう答えたものかと迷っている様子だ。
――仕方ないな。俺が代わりに言ってやるか。
「遠田、誰しも他人には言えない性癖ってものがあるんだ。誰かに迷惑を掛けたわけでも無い。あまり言ってやるなよ」
「ちょ! 戸山さん!」
「そうだな。戸山の言う通りだ。法律やモラルを守るなら、私は何も言うまい」
「だから、ちが――」
「じゃあ、そろそろ俺は帰るから」
「いや、誤解を残したまま帰らないで下さいっ!」
夏木が声を張り上げる。
「止めるなよ。俺は、誰が何と言おうと、帰る事に決めたんだ」
「いや、大きな決断したみたいに! 家に帰るだけですよね!?」
「戸山君、また明日」
「そんな、七原さんまで!」
その隙に、ドアを開いて外に出た。
話の食い違いは七原が解決してくれるだろう。
どんなに拗れてても丸く収める安心感。やはり、七原が味方で本当に良かった。
――はあ。やっと我が家か。
タクシーを降り、マンションの玄関へと向かう。
静まり返った夜の空気の中、出来るだけ物音を立てないように足を進めた。
上月孝次の命を奪った火災――その原因は、おそらく三津家の能力によるものという話になるのだろう。
優奈達の前で三津家の名前を出さなくて良かった。
彼女達が事実をどこまで知っているかは分からないが、たとえ三津家が犯人だと知らなくても、ややこしい話になったはずだ。
三階の上月宅を見上げると、カーテンの隙間から明かりが漏れている。
あれが点いてるという事は、まだ優奈が起きているという事だ。
また眠れていないのだろう。
いつもなら、声の一つでも掛けておこうと思っただろうが、今日は止めておく事にした。
優奈には昨日、新しい排除能力者が現れたと話したところだ。
その排除能力者の事を教えろと言われたら、面倒極まりないのである。




