砂見病院
能力で人が死んだ……か。
まさか、こんな展開が待っているとは思わなかった。
考え得る最悪のケースだ。
先程まで流暢に喋っていた三津家は、俯いたまま言葉を失っている。
外界から遮断されたこの部屋は本当に無音になってしまうんだなと思う。
時計の針の音さえ聞こえるんじゃないだろうか。
俺は三津家の反応を見ながら、問い掛けた。
「そんな話を聞いたら、排除能力者として黙ってられない。俺なりに少し調べてもいいか?」
七原が不安げに見ているが、戸惑っている場合では無い。
一つ躊躇してしまえば、次の一歩が踏み出しづらくなるのだ。
「それは……私は……」
「心配しなくていいよ。俺も七原も三津家の味方だ。悪い事なんて起こらない」
「私の力を排除しようとするならば、先輩だって敵です」
三津家が思いの外、強い口調で答える。
「排除能力者にも能力が再発するリスクはあるんだぞ。古手に排除されれば、その心配が無くなる」
「確かに、それを言われれば何も言えません。ですが、今以て、能力による悲劇は繰り返されています。私は排除能力者としての務めを果たさなければならない。これは私の責任なんです」
なるほど。
能力で命を奪ってしまった彼女にとって、排除は贖罪なのである。
今まで三津家が排除されることに消極的だったのは、これが理由のようだ。
「そっか……じゃあ、きっちり調べた上で、三津家の言い分に納得できたら、排除は諦める。それで良いだろ? ってか、そもそも、三津家自身に能力と決別する意思が無い限り、排除は出来ないんだ。問題なんて何も無いだろ」
「ありますよ」
「何だよ?」
「時間の無駄です」
「俺の時間だ。俺の勝手だろ?」
「先輩、あなたは古手です。選ばれた人間なんですよ。私なんかを相手にしていては駄目だと、何で気付かないんですか? どうやったって、私は、もう取り返しがつかないんです」
三津家の目が悲しみを湛えている。
しかし、相手の感情に飲み込まれてはならない。そんな事をしていたら、いつまでも真相には辿り着かない。
「世の中の大体の事は、ただの偶然だ。選ばれたも選ばれてないも無いよ。それに、もし仮に俺が選ばれてたとしても、俺は俺の行動原理で動くだけだ」
「ですが……」
「三津家が嫌だって言うなら、無断でやるしかないな。この件に関しては三津家の目に触れないところで進めていく――調べる手段なんて幾らでもあるよ。霧林さんに聞くとか」
「待って下さい」
「なんだよ?」
俺を睨み付けていた目が、すっと諦めの色に変わる。
「……わかりました。それでも先輩が調べるというのなら、私にも手伝わせて下さい」
「は?」
「これは私の問題です。この件に関わって起こる様々な災厄は、全て私の責任です。経緯がどうであれ、私が何もしなければ、先輩に押しつけたという形になるでしょう。それではいけない。それでは私自身が許せないです」
どこまでも三津家は三津家である。
「そっか。辛くなったら、いつでも離れて良いからな。俺も結果が出なければ手を引くよ」
「わかりました」
「じゃあ、あとは、三津家が知ってることだけで良いから、教えてくれ」
「はい――と、言いたいところなのですが、私が知っている事は決して多くありません。捜査資料に触れる権限もありませんし、私の教えられている事が全て真実とは限りません」
「そうなのか?」
「はい。能力者本人には精神衛生を考えて、真実を教えられないというケースもあるでしょう」
「なるほど。だったら、やはりまずは――」
「霧林さんですよ。霧林さんなら、しっかりと答えてくれると思います」
三津家が食い気味に答える。
「霧林さんは、この件に詳しいのか?」
「……はい。霧林さんは、あの事件で私が排除されてから、私の担当医でした。私なんかより、よほど私の事を知ってますよ」
「確かに三津家と霧林さんは昨日今日初めて会ったような感じではないと思っていたけど」
「霧林さんには本当にお世話になりました。霧林さんがいたからこそ、私は今、こうやって前向きに生きる事が出来るんです。霧林さんは本当に親身になって私を支えてくれました。それを霧林さんに言ったら、『主任として初めて担当した能力者だったから、ガムシャラになってたんだよ』なんてことを仰いますけどね」
「なるほど」
「そんな霧林さんの手を煩わせるのは申し訳ないのですが、私の説明では、戸山さんの時間を更に無駄にしてしまうだけです。結局、霧林さんに聞くことになるのなら、最初からの方がいいかな、と」
「わかった。霧林さんに頼むことにするよ」
「よろしくお願いします」
三津家は深々と頭を下げた後、一呼吸置いて、再び口を開いた。
「すみません。今日は、もうヘトヘトで。部屋に戻らせて貰っていいですか」
三津家は、この施設に寝泊まりしているという事なのだろう。
考えてみれば当然だ。彼女は能力者なのだから。
「ああ、しっかり休めよ。明日も忙しくなると思うから」
「わかりました。先輩、七原さん、おやすみなさい」
「ああ」
「三津家さん、おやすみ」
「はい」
居たたまれない気持ちなのか、三津家はぺこりとお辞儀をすると、足早に部屋を出て行った。
俺と七原は無言で目を見合わせる。
七原が俺と同じような事を考えているのは、何となく空気感で伝わってきた。
頭の中で、三津家の『取り返しがつかない』という言葉が残響している。
こういう受け止めがたい事実を前にすると思う――七原という協力者がいてくれて本当に良かった。一人で排除している時は、心を持ち直すのに長い時間が掛かったものだ。
俺は少し口角を上げながら、七原に語り掛けた。
「また、楓にやられたな。どうして楓の持ってくる話は、こうも予想の斜め上なんだろう」
俺に合わせてか、七原も無理に笑顔を作る。
「そうだね。まさか、こんな展開が待っているとは思わなかった……まあ、悩むのは事実確認してからだね。もしかしたら、思ってた話とは違うかもしれないし」
七原の言う通りだ。
嘘や誇張や勘違い。事実を押し曲げるものは幾らでもある。
「だな。それを願うだけだよ」
「戸山君も珍しく弱気になってるんだね」
「いや弱気にもなるだろ。今回の件は」
「ああ、そうなんだ。意外。今まで逆境ほどイキイキする戸山君を見てきたから」
「してねえよ……あ。でも、一つ心当たりがあるとすれば、七原の時だな。クセの悪い能力者だったから、ノってたかもしれない」
「確かに。クセの悪さは自覚している」
「最大の敵は、最大の味方になるって話だな」
そんな会話に、いつものリズムを取り戻す。
やはり七原は偉大である。
「ところで、三津家さんの能力って何だと思う?」
「何だろうな。あいつの様子を見る限りでは分からないけど……」
「予想はついてる?」
「ああ。楓の遣り口から考えれば、少なくとも一つは候補があげられる。楓が何故、数いる排除能力者の中で、三津家を呼び寄せたかを考えれば」
「パイロキネシス?」
「そういう事だよ。早瀬も発火能力だろ? 早瀬の排除の練習台として三津家を連れて来たって事は十分に考えられる」
「なるほど」
「パイロキネシスは危険な能力の代名詞だし、死人が出てもおかしくない。まあ、単純に霧林さんが事情を知ってる能力者だからってのが理由かもしれないから参考程度だけど」
「パイロキネシスか……」
「気が重いよ」
「確かに。純粋な破壊衝動である発火能力に至るほどの環境下にあったって事だもんね。悲惨な家庭環境とか、そういう話になるって事でしょ?」
「ああ、恐らく。いずれにせよ、この件は長期戦になるんじゃないかな。三津家には、それなりに信用されていると言っても、今の段階で真っ当にやって排除できるとは思えない」
「だね……」
――コツコツ。
そこへノックの音がした。
七原が返事をすると、「ごめん。お待たせしたね」と霧林が入って来る。
俺達は今し方の三津家との遣り取りを霧林に話した。
「――そっか。それで三津家さんがいないんだね」
霧林が腕組みをしながら、うんうんと頷く。
「協力して頂けますか?」
「ああ。当然だよ。全面的に協力する」
「本当ですか? そんなに軽く?」
「三津家さんを傷付けるだけになると判断したら、あるいは反対したかもしれない。だけど、戸山君の力を見せられた後だ。何かが変わるんじゃないかって期待してしまうよ。それに、あの事件には僕自身も色々と思うところがあって……」
霧林が言葉を止める。
何か考え込んでいる様子だ。
「何ですか?」
「今の勢いで話しても良いんだけど、あとは明日にしよっか? 二人とも疲労が、もろに顔に出てるから」
霧林の言葉に七原とお互いの顔を見る。
確かに霧林の言う通りだ。
「そうですね。明日、よろしくお願いします」
「うん。僕も、しっかり説明できるように資料を読み返しておくから――じゃ、家まで送るから、車に行こう」
と、踵を返して歩き出した霧林が振り返る。
「あ、そうだ。忘れてた。七原さん、アイマスクよろしくね」




