符滝とアリマ2
ドアが開くと、看護師の剛村とアリマと思しき男が視界に入って来た。
男は濃紺のスーツで、すらっとした長身。目鼻立ちが整っていて、まさに歳を重ねて渋みを増した小深山青星という感じだ。
こうやって隣り合う二人を見比べてみると、いかに剛村が筋肉質か分かる。アリマも決して線が細い訳では無いのだが、明らかに腕力があるのは剛村の方だ。
しかしアリマもアリマで、その芯の通った立ち姿から徒者ではないと感じさせる。身の熟しと頭脳で相手を去なしていくタイプだろう。
二人がもしリングの上で戦うなら、良い勝負になるのではないかと思う。
って、俺は何を考えているんだ。
あまりにも剛村が強そうに見えたので、思考が脱線してしまった。
むしろ注目すべき点は、アリマが電話時の印象と違って『笑み』を浮かべている事である。
「ご無沙汰してます、符滝先生」
「ああ、久しぶりだな。アリマ君」
「例の件からですので、八年も経ちますよ。俺も病気をしたら市立病院に行こうって決めてたんですが、幸いな事に一度もお世話になる事がありませんでした」
例の件から八年――つまり、一連の出来事は八年前に起こったという事か。
あの写真では現在教職三年目の早瀬が高校生だったので、まさにその頃だろう。
「ソッカ。ヨカッタナ。ソレニシテモ、ズイブンハヤカッタジャナイカ」
いきなり失った記憶に関する話題を振られた所為だろう、符滝が緊張でカタカタいっている。
しかし、発言自体はそれほどおかしいものではない。
実際、電話を終えて数分なので、何故こんなに早かったかは十分に気になる所であるし、話題の逸らし方として正しいと思う。
「偶々(たまたま)この近くにいたんですよ。ちょっと知り合いの店が開くのを待ってましてね。とはいっても、今日は来るのが八時からと判明したので、少し時間が出来ました」
雪嶋の勤めてる店は繁華街だから、この病院から近い。
八時から出勤ってのは雪嶋と連絡を取った事で分かったのだろう。
「――ってな感じなので、残念ながら今日は無理なんですけど、符滝先生とはまた飲みに行きたいです。先生の好きな洋酒でも、どうですか?」
思っていたよりアリマは符滝に親しげだ。
単なる依頼人と探偵という関係でもないようである。
「アア……アア、ソウダナ」
「どうしたんですか、余り乗り気じゃないみたいですけど。もしかして、酒は止めたんですか?」
「マア……マアナ」
「へえ。あんなに浴びるほど飲んでた符滝先生が酒を止められてるとは思いませんでした」
「ソレホドダッタカナ?」
「すごかったですよ。まあ今より、あの頃の方がストレスが多かったのかもしれませんね。先生を見てたら、医者ってのもホント大変だと思いましたよ、本業以外の所で」
「ア……アア」
符滝がアワアワいっている。
既に限界が近いようだ。
スムーズに依頼の件まで話が進むならばと見守っていたが、どうやら無理そうである。
記憶喪失の事は話しておかなくてはいけないだろう。
「あの……アリマさん、ちょっと待って下さい。僕の話を聞いて欲しいんですけど」
「あ? うるさいよ。ガキはちょっと黙ってろ。先生とは久しぶりで、積もる話があるんだ」
俺に対しての態度は電話と同じである。
「アリマクン、ソレハイイカラ、イライノコトヲハナソウジャナイカ」
「先生まで、そんなこと言うんですか?」
「アリマクンモ、ヨテイガアルンダロ?」
「予定なら後にずらしても良いんです。こっちの方が優先ですよ」
「ダガ……」
「いっそのこと、朝まで語り合いましょうか。俺を待っている彼女には悪いですが、今日は諦めます――そうだ。そうしますよ。明日行けばいいんです。毎日行かなくても、俺の存在はきっと彼女の心を埋め合わせてるでしょう」
雪嶋もどこかがで悪寒がしているだろう。
この探偵、どうにも勘が悪いようだ。
しかし、返す返すもアリマが重要な証言者である以上、諦めるという訳にもいかない。
俺はもう一度トライする。
「だからアリマさん。ちょっと待って下さい。話を聞いて下さいよ」
「さっきも言っただろ、八年ぶりの再会なんだよ。早く本題にいけってのは余りにも無粋ってもんだ」
「だとしても――いや、だからこそ先に話しておかないといけない事があるんですよ。ねえ、符滝さん」
俺が目配せすると、符滝は『ようやくか』と言うように頷いた。
「アリマ君、これは他言しないで欲しい話なんだが……いいかな?」
「わかりました。お約束します」
空気で重要な事だとは感じたのだろう――アリマが符滝の声に耳を傾ける。
「実を言うと……俺は記憶喪失なんだよ」
「記憶喪失?」
アリマの表情が固まる――が、それは一瞬の事だった。
気を取り直したのか、すぐに口の端に笑みが戻る。
「なんだ記憶喪失だったんですか。それなら先に言ってくださいよ。どうりで反応が悪い訳だ……って、先生は医者を続けてるんですよね? 大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫だ。色々な検査も受けたし、身体も脳も健康だよ。だけど、アリマ君の事とか符滝市長の事とか――そういう特定の記憶だけが消えてしまってるんだ」
「なるほど……そういう事ですか」
アリマがこんなにも早く納得してくれるとは思わなかった。
ほいほいと流すことのできるような話では無いと思うのだが。
符滝も同じ事が気になったようで首を傾げながら口を開く。
「そんなにあっさり飲み込める話か?」
「俺達みたいな商売をしていると、意外とそういう摩訶不思議な事は珍しくないものだと気付くんですよ。世の中にはおかしな事象というもがゴロゴロとある。そういうのが関わってる来ると、一気に仕事が遣りづらくなるから嫌なんですけどね」
能力という言葉は使わないが、そういうものがあること自体は知っているようだ。
さっきは勘が悪いなんて事を思ってしまったが、少し考えを改めるべきだろう。
このアリマという男は独特のセンスで物事を知覚しているのである。




