アリマケンタ
「俺は物好きだとは思いませんけどね。雪嶋さん、お綺麗ですから――で、ちなみにアリマさんって、どんなお仕事をされているんですか?」
「どんな仕事って……何でそんな事を聞くの?」
雪嶋の声のトーンが下がる。
「アリマさんってどんな人なのかな、と」
「調べてるって事?」
「まあ、そうですね」
「戸山君、それならそれで理由を話して貰わないと」
――まあ、当然の反応だろう。
雪嶋からしてみれば、客の事を勝手にベラベラと喋る訳にはいかないのである。
「それはですね。えーと。何から話して良いのか……」
本当に何から話して良いのかという話だ。
「司崎先生の件みたいな事?」
「ああ。そうですね。そんな感じです。司崎先生の事を調べてて、雪嶋さんに話を聞いたじゃないですか――まさに、ああいう事です」
「そっかぁ。なるほど。そういう事なら協力しないといけないんだろうけどね……でも、お客さんの事を勝手に話すなんてできないよ。ウロスさん優しいから、『何かあったら相談に乗るよ』って言ってくれてるし、私もウロスさんさんみたいな知り合いがいて、本当に心強いと思ってるし」
「心強い?」
「ウロスさん、探偵だから……アア、マズイ。クチガスベッチャッタ」
絶対、わざとの奴だ。
後で問い詰められた時の事を考えて、うっかりという事にしたいのだろう。
「探偵……なんですか?」
「そう。ここまで言っちゃったら、もう仕方ないよね。浮気調査とかストーカー対策とか、そういうのなら任せてくれって言われてるの」
「なるほど。探偵ですか……」
探偵なら報酬さえ支払えば、依頼という体で話が出来るだろう。
その際に対価とする金銭が、どこから出てくるかという問題があるが、幸いな事にそれに悩む必要は無い――というのも、何だかんだで表沙汰になった排除に関しては、楓から報酬を受け取っているからだ。そのお金はこういう時に使うべきものだと思う。
しかし、問題はどうやってアリマケンタと連絡を取るかである。
名前だけでどこまで辿り着けるだろうか?
せめて、どこの探偵事務所に所属しているかだけでも分かれば――。
「ねえ、戸山君」
雪嶋の少し改まった声に思考を遮ぎられる。
「何ですか?」
「こうやって陰で情報を流すってのは、やっぱり問題があると思うのよ。だから、ウロスさんを紹介してあげる」
魅力的な提案である。
しかし……。
「それはちょっと気が引けるんですよね。込み入った事情があるので、もしかしたら何らかのトラブルが起きてしまうかもしれません」
「いいよいいよ。ウロスさんなら細かい事は言ってこないだろうし、もし仮に怒らせちゃっても平気だから」
雪嶋は平然とそう言った。
「本当ですか?」
「うん。最近、ウロスさんの押しが強くて少しだけ困ってるのよ。私は司崎先生一筋だから」
聞き捨てて良いのだろうかという事を言っているが、雪嶋が良いなら、お言葉に甘える事にしよう。
「じゃあ、お願いしても良いですか?」
「わかった。いいよ。じゃあウロスさんに戸山君の連絡先を送るよ? いい?」
「はい。宜しくお願いします――」
俺は雪嶋に礼を言うと、ささっと電話を切った。
もちろん、それは雪嶋が授業中というのを配慮しただけの事だ。別に、『司崎やアリマと深く絡むのは程々にしておいた方が良い』という私見を進言する時間もモチベーションも無いからという事では無い。
いや、訂正。時間もモチベーションも全く無い。
「どうだったの?」
電話を終えた俺が微妙な顔をしていたからだろう、七原が心配げな顔で俺を見る。
「ケンタウロスって渾名で呼ばれてる人が実在するみたいだよ。その人はアリマケンタって名前で、探偵らしい――こうなると、この写真が何故ここにあるかって事も想像が付くよな。まあ、あくまでも想像に過ぎないけど」
「そっか……確かにそうだね」
「どういうことだ?」
符滝が首を捻ると、七原が口を開く。
「あくまで憶測なんですけど、符滝さんは探偵であるアリマさんに『陸浦市長を調べて欲しい』という依頼をしたんだと思います。その調査の課程で手に入った写真だからこそ、符滝さんがこれを持っていたという訳です」
「なるほど。だから、裏側に彼の渾名であるケンタウロスの絵を描いていたんだな」
「はい。この走り書きの絵も、今見ると敢えて分かりづらく描いてあるように感じる――それは記憶を消される前の符滝さんが、この写真を誰かに見つけられてもアリマさんに迷惑が掛からないようにした為なんじゃないでしょうか」
「こんなにきったない絵なのは、その所為か」
「この写真が何かの証拠かとか、大きな意味合いを持っているかはまだ分かりません。しかし、符滝さんがこの写真を隠したからには何らかの意味があるはずです」
俺はそれに「詳しくはアリマさんと話してからですね」と付け加えた。
「そのアリマって奴と話せるのか?」
「はい。紹介して貰える事になりました。上手くいけば、すぐにでも連絡が取れるはずです」
そんな事を話していると、携帯が振動を始める。
画面を見ると、知らない番号が表示されていた。
「早いね」
七原の声に頷き、応答ボタンを押す。
「もしもし、戸山です」
「アリマだ。エリカちゃんに言われたから、掛けたけど」
――ああ、そう言えば雪嶋は店で『エリカ』と名乗ってるんだったな。
「ありがとうございます。すみません、突然こんな電話をお願いして」
「まったくだよ。エリカちゃんに友達を紹介したいって言われた時は浮き足だったけど、男ってのにはマジでガッカリしたよ」
「それもすみません」
深い落胆の滲む声に、流れ上そう言うしかなかった。
「しかも、お前は高校生のガキなんだってな。『彼の話を聞いてあげて欲しい』なんて言われてさ――ああ、面倒くさい。こっちは探偵だ。探偵『業』なんだよ。そこのところ分かってるのか?」
会話開始一分で雪嶋が困ってるのがよく分かる。
しかし、ここで話をやめる訳にも行かない。
アリマは重要な証言者なのだ。
「ちゃんと報酬はお支払いしますよ」
「ちゃんと払う? 高校生のガキが?」
「相場は一日――くらいですよね?」
七原と符滝が喋っている間にネットで調べた金額を提示した。
「そうだな。ウチもそれくらいでやってるよ」
「それなら大丈夫です。お支払いしますよ」
「って事は正式な依頼をするって事か?」
「そうなると思います」
「ったく。わかったよ。それなら話を聞いてやらない事もないけれども」
「ありがとうございます。もう十年近く前のことだと思うんですけど――」
「おいおい待て待て。ちょっと待て」
「何ですか?」
「その前に聞きたい事がある。さっき言った金額。最初の一日は半分で良いよ。その代わり俺の疑問に答えてくれ」
いきなりの減額である。
それほどまでに重要な質問とは何なんだろうか。
「何でしょう?」
「戸山望と言ったな。お前、エリカちゃんとはどんな関係なんだ?」
「は?」
「エリカちゃんからはSNSで連絡が来たんだけど、そのメッセージで『彼の話を聞いてあげて欲しい』って文章の後にエクスクラメーションマークが付いてたんだよ。俺の知る限り彼女がそういう風に感情の起伏を見せることはない。お前はエリカちゃんの何なんだ?」
感嘆符を使っただけで、こんなにも驚かれるのか。
どれだけローテンションで接客してるんだよ。
「何でもないです。ただの友達ですよ」
俺は咄嗟にそう言った。
友達と言えるような関係でも無いとは思ったが、それで手を引かれても困る。
「本当に本当だな」
「本当です」
「本当に本当に本当だな」
アリマケンタは相当に入れ込んでいるようである。
大丈夫か、青星父。
キャバ嬢だぞ。
大学生だぞ。
息子の同級生だぞ。
ちなみに小深山母は青星父と離婚して、別の人と再婚しているので、小深山章次父ではない。
「そっか。まあ、エリカちゃんに言われたら、お前が何であれ誰であれ、話を聞くしかないんだけどな。エリカちゃんには出来る限り恩を売っておきたいから」
「物好きですね」
「堅い女ってのがいいんだよ。女は堅ければ堅いほどいい。そういう難攻不落の城を落とした時にこそ……いや、違うな。もはや、そういう相手じゃないと満たされないんだよ。俺らクラスになったらな」
昨夜、雪嶋が司崎にしがみついていたのを思い出す。
『やはり物好きだと思います』という言葉を、既の所で飲み込んだ。




