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嫌われ者と能力者  作者: あめさか
第五章
138/232

懐柔


「次の日、俺と沼澤は少し早めに学校に来た」


 沼澤とは下駄箱で待ち合わせをして、一緒に教室へと向かった。

 ドアを開けると、教室の真ん中に人垣が出来ている。

 その中心で藤堂が、どこの何々が美味しいだの、どのブランドが良いだの、朝からどうでもいい雑談に興じていた。


「早く行けよ」

「分かってるけどさ」


 藤堂の元へ行くには、人をかき分けて行かなくてはいけない。沼澤にとってはそれだけでも気後れするものだろう。

 その緊張感が、ひしひしと伝わって来た。

 それでも、沼澤は大きく深呼吸すると、一歩一歩踏み出していった。


「藤堂さん、おはよう」

「何? 何の用?」


 藤堂が低い声を出す。

 身構えてないとあんなに自然にトーンは落とせないだろ、というくらいの瞬発力だ。


「あの……今日の多数決の事なんだけど……」

「ああ、あれね」


 藤堂が向けた拒絶の視線と、沼澤の不安げな瞳が絡み合う――その瞬間に全てが変わった。


「私はもっとみんなが楽しめるような出し物をしたくて……」

「……ごめん。聞いてなかった。もう一回言って」

「文化祭の出し物、カフェなんてどうかな。やりがいがあると思うし。今日の投票、そっちに入れて欲しいっていう、お願いに来ただけなんだけど」

「そっか……そうだね。私も戸山の案はつまらないって思ってたから」


 あの、俺がすぐ後ろにいるんですけど……。


「だよね。あたしも戸山の案はつまんないと思ってたよ」


 取り巻きの一人が同意の声を上げる。

 俺は誰の目にも入ってないのだろうか。


「彩音はどう思う?」


 藤堂が遠田の方に視線を向けた。


 今思えば、藤堂は遠田の力と沼澤の力にサンドイッチされていたという事だ。


「私はカフェでもいいよ。実行委員の案も割と興味深いと思ってたけど、折角の文化祭だ。みんなが楽しめるようなものがいいのかもしれない」


 遠田、お前は優しいな。

 だけど遠田、お前はガチの方で模造紙展示だったのかよ。


「瑠華は?」


 自分に話を振られるとは思ってなかったのだろう、笹井は一瞬戸惑った後、慌てて首を縦に振った。

 他の取り巻き連中も、それに合わせて頷く。


「ここにいる子は、みんなカフェでいいみたいだから。頑張ってね、沼澤さん」

「そっか。ありがとう、藤堂さん」


 沼澤は深々とお辞儀をした。



「見ての通り、沼澤は力を使って無事に藤堂を取り込む事に成功したんだよ」


 俺がそう言うと、役目を終えた藤堂達が消える。

 藤堂だけは黒い炎に包まれて断末魔の叫びを上げながら消えていったが、それは単に俺の個人的な感情の表れなのだろう。


「その後、沼澤は他の女子生徒の席も回り、次々と懐柔かいじゅうしていった。まあ、藤堂を説得した時点で過半数は決まったようなものだったが、彼女達の顔を潰さないという意味もあったんだろう」


 と補足を加えて、次の場面である。

 教室を回り終えると、沼澤がまだ不安そうな顔をしていたので、話をする為に廊下に出た。

 今は廊下に出られないという状況なので、便宜上この教室で、その会話を再現してみる。



「……女子の票と、戸山君と守川君の票があるから何とかなるよね。でも一応、戸山君も他の男子に頼んでみてよ」


 と、沼澤。


「言っておくけど、俺には票を動かせないぞ。むしろ逆効果になる可能性が高い」

「そんなに言い切らなくても。戸山君のコミュ力があれば、本当は簡単でしょ」

「必要ないよ。そんなギリギリのところで争ってる訳でもないし」

「本当に?」

「過半数は確実だよ」

「そっか。戸山君がそう言うなら、信じるけどさ」

「ああ。そうしてくれ」

「それにしても、改めてこれが特別な力なんだなって思ったよ」

「まあ、人の意見なんて、ほとんど気分で決まってるからな」

「そういう事だね」

「一つ確認だけど、これで作った人間関係は偽物だって考えは変えてないよな? あまり力に頼ろうなんて思うなよ」

「うん。分かってる。私がこの力を乱用する事は無い。私はストーキングの恐怖を知ってるから。返却された小テストの裏にびっしりとポエムが書かれてたり……」

「犯人が容易たやすく絞れるな」

「でも、私の力の所為だから何も言わない」

「そっか」


 担任よ、もっと自制してくれ――俺は心の中で呟いたのだった。



「その後、ショートホームルームでの多数決により、クラスの出し物はカフェに決まった」

 

 担任まで手を挙げていた。

 もちろん、担任には投票権がないのでカウントしなかったが。



「満場一致だったね。この力って本当にすごいのかも」

「いや、一人挙げてなかったよ」

「え? 誰?」

「一番、沼澤の力を喰らってる奴だよ」

「ああ、戸山君ね」

「沼澤の力なんて、正体を知れば、そんなもんなんだよ。だから力に執着するのはオススメしない」

「わかってるって」

「あと、言って置くけど、俺はカフェってのにも不満だからな。俺達の仕事がどれだけ増えると思ってるんだよ」

「まあ、そうだね。それは付き合わせて悪いと思ってる。でも安心して、戸山君には出来るだけ負担が掛からないようにするから」

「ああ、そうしてくれ――あと、ここからは力を使うのを最小限にして欲しい。今の状況なら笹井に近づくのは簡単なはずだろ?」

「うん。やってみる」

「それで、未練が無くなったと思ったら、もう一度能力を消すのを試したい。いいよな?」

「……うん、わかってるよ」

「この文化祭は良い機会だ。笹井の事だけじゃなく、ここでコミュ力を磨いておけば、次の学校に行ったときに困らないと思う」

「そうだね。頑張るよ」

「じゃあ、今日は先に帰るから」

「うん」



 その会話が終わると、当時の俺と沼澤は消えていった。


「それからどうなったんですか?」


 三津家が問い掛けてくる。


「文化祭の準備はとどこおりなく進んでいった。沼澤は俺が言った通りに力の使用を最小限に抑えてたよ。何より最初に藤堂の首根っ子を押さえていたのが大きいな。藤堂が味方にいれば反乱分子は生まれようがない。むしろ藤堂がいる事で相当心強かった……と聞いている」

「聞いている?」

「それ以降、あんまり実行委員の仕事はしなかったからな。俺はそういうのパスだから」

「そんな事していいんですか? 能力者を放置なんて」

「俺がいない方が、沼澤もスムーズに溶け込めると思ったからだよ。実際、沼澤は上手くやってたし、その方針は間違いじゃなかった。沼澤はクラスメートに対して段々と躊躇しなくなっていった」


 実際のところ、俺が沼澤に構っていられなくなったのは、遠田の弟である夏木の件を知ったからである。

 夏木の件は、中学生の家出からの失踪という、いつ大事件として取り上げられてもおかしくない問題だった。だから、転校する事が決まっていた沼澤の優先度が低くなったのは当然の話だ。

 だが、これもまた三津家には話すべきではない話題である。


 俺は隠している事に気付かれないように、努めて冷静に話を続けた。


「日を追って、文化祭ムードは高まり、クラスは一丸となっていった。沼澤が望んだ通りの結果だよ。だけど、ただ一人、その空気に溶け込めない奴がいた――いや、俺を含めればただ二人か」

「なるほど、話が繋がりました。それが笹井さんって事ですね」

「そうだよ。笹井は困惑してただろうな――あの内気な沼澤が藤堂と上手くやってる。しかも、文化祭実行委員の役割を十二分に熟し、クラスの中心的な人物の一人となったんだ」

「その沼澤さんに対して、笹井さんは『空気読んだら?」なんて事を言ってしまってますしね」

「それから笹井が一人でぽつんとしているのを見かけるようになったよ。もちろん、笹井はそれを誤魔化そうと必死になっていたから、あからさまでは無かったけど、それでも確実に周囲と心の隙間が開いていっていた。元々本音を隠して、他人に合わせてた分、気持ちが追いついていかなかったんだろうな」


 それまでは、色々な場面で遠田がバランサーとなり機能していたのだが、遠田が夏木の事で不在がちになったのも笹井の孤立の原因である。


「なるほど。それは追い詰められますね。笹井さんの気持ちが分かるとは言いませんが、あんな風に激高した理由は分かりました」

「そして、例の衝突の日がやって来るんだよ」



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