沼澤美礼
「どういう事なの?」
七原は俺の悪ふざけだと理解したのだろう。三津家の悲鳴を意に介さず、冷静な顔で俺を見る。
「この高校にはいないってだけだよ。沼澤は転校したんだ。失踪とか死んだとか、そういう事じゃない」
「転校した子が何でここに?」
「たぶん沼澤は俺達とは性質が違う存在なんだ。意思を持ってここにいるのでは無く、机やイスと同じで、この夢の構成要素の一つなんだと思う」
「どうして沼澤さんがここにいるかを考えないといけないって事ね」
「そうだな……ここを出る為には、それを解き明かす必要があるって事だ」
俺は改めて沼澤を見る。
その見た目通り、沼澤は大人しい女子生徒だった。
いつだって俯いて誰とも目を合わせなかった。
そこに座る沼澤も、全く同じイメージを抱かせる雰囲気である。
「……解き明かすって言っても、他に情報が無いんじゃ厳しいよね?」
「そうかもな……でも、今回は分かり易くて良いよ。能力者の方から謎を提示してくれたから」
「ですが、それが分かったからって、どうしようもないです。例え犯人を見つけ出しても、現実に戻らなければスタンガンも使えないでしょうし」
「もしかして、沼澤にも試してみたのか?」
「はい。実はそうなんです……電気なら、もしかしてと思って」
「どういう理屈だよ。そこら辺が中学生だよな」
「もちろん、ダメモトですよ」
三津家は制服のポケットからスタンガンを取り出す。
そんな所に入れてるのかよ。
「なあ、三津家。ちょっとだけ、それを貸してくれないか」
「何故ですか?」
「いや、この夢の中で三津家のスタンガンがどこまで再現されてるのかなと思って。ぱっと見ではわりと細部まで……」
「分かりました」
三津家は俺にスタンガンを差し出した。
それを手に取ろうとするが、取り落としてしまう。
「ちょっと、戸山君。何してるんですか。大事なものなんですよ」
「いや、どうせ夢なんだ。実物じゃないから平気だろ」
そう言いながら、スタンガンを拾い上げようとするが……掴めない。
「三津家、俺の手を握ってみろ」
「何ですか急に」
「いいから」
三津家の手が俺の手をすーっと通り抜ける。
三津家は小さく悲鳴を上げた。
「そっか。沼澤に実体が無いように、俺達にも実体が無いってことだな」
「でも、実体あるよ」
七原は自分の頬を引っ張ってみせる。
「俺にとっては七原と三津家の実体が無い。七原にとっては俺と三津家の実体が無い――とか、そういう事だよ」
「なるほど……気づきませんでした。戸山君に触れようなんて思いませんし」
三津家はトゲのある言い方をする。
何度も怖がらせる俺に不信感が募ったようだ。
まあ、三津家に嫌われるのは悪い事じゃない。
「まあ、そうだな……でも、俺達にも実体が無いってのは結構重要な事だと思うよ。俺達は同じ空間にいる訳じゃない、同じ夢を見てるだけって事だ」
「どういう事ですか?」
「この教室で起きている事が視覚情報として俺達の頭の中に伝達され、それぞれの夢を形作っている。だから触れる事が出来ないんだよ。触れるという情報は高度で伝達するには許容範囲オーバーなんだと思う」
「なるほど……ですが、それが何なんですか?」
「俺達は自ら現実世界に戻る事は出来ないが、この空間に完全に支配されてるって訳でも無いって事だよ」
そう言って、俺はズボンのポケットを探り、札束を取り出した。
「え?」
「な?」
「……この札束は俺がイメージしたから出たものだ。つまり、この夢はイメージ次第で、幾らかは自由にする事が出来るんだよ」
「ああ、そういう事ですか」
「だけど、俺が作った物は三津家に触れる事が出来ないから、残念だが、この札束で三津家の頬を叩く事は出来ない」
「どういう趣味ですか。大体、何で札束なんですか」
「現実に有り得ないものって考えたら、札束が思い浮かんだんだってだけだよ」
「発想が貧困ですよ――」
そう言いながら、三津家の表情は暗くなっていく。
「――でも結局、夢を自由に出来たところで、お互いに触れられないのなら、能力者が現れてもスタンガンは当てられないって事ですよね。じゃあ、やはりどうやっても排除できないって事です」
「それに関しては多分大丈夫だよ。俺の力に最も重要な事は、能力を決別するという能力者の意志だ。それさえ出来てしまえば、触れるという事は必ずしも必要じゃない。もちろん、儀式的なものが出来なくなる以上、ベストコンディションとは言えないが、相当に拗らせた能力者でなければ何とかなると思う」
「本当ですか?」
「ああ。理屈の上では出来るはずなんだ。やった事はないけどな」
「……わかりました。今回は戸山君の言葉を信じましょう。で、どうすればいいんですか?」
「この夢を作り出している能力者を説得しないと駄目だ。その為に、能力者が誰かって事を突き止めなければならない」
「なるほど」
「まずは、ここにいるはずのない沼澤が何故ここにいるか――そういう事から考えていこう」
「その事ですが、この教室で起きている事の説明は、まだ全部終わってないんです」
「そうなのか?」
「はい。最初にも言ったんですが、この教室では同じ事が繰り返されてるんですよ」
「ああ。言ってたな、そんな事」
「どんな事が起こるの?」
三津家は教室の前側の扉を指差し、口を開く。
「あの扉から一人の女子生徒が入って来て、沼澤さんに一方的に罵詈雑言を浴びせて出て行くんです」
「罵詈雑言?」
「はい。酷い言い方でした」
三津家は眉をしかめる。
「その女子生徒は、クラスで見た顔だったか?」
「はい。藤堂さんと一緒にいる人達がいるじゃないですか。取り巻きっていうんですか? その内の一人ですよ」
さすが藤堂だ。
まだ転校生と接触もしてないのに、既に名前を覚えられている。
「藤堂と一緒にいるって事は笹井か柿本だな……三津家、そいつは陰湿な方か? 陰気な方か?」
「内面で比べないで。分かり難いから」
と、七原。
「否定はしないんだな」
「確かに否定は出来ないけどさ――三津家さん、それは髪が長い方? 短い方?」
「長い方です」
「笹井だな」
そこに、ドアが開く音がした。
俺達の声以外は静寂に包まれた教室では、はっきりと聞こえる。
そっちの方を見ると笹井が立っていた。
思い詰めたようにも、怒りを堪えているようにも見える。
「また始まりました。笹井さんは沼澤さんに毎回まったく同じ事を言うんです」
「何て?」
「見てれば分かりますよ」
笹井は真っ直ぐと沼澤に歩み寄った。




