司崎3
「じゃあ、目を閉じて下さい。次に能力を捨てるって感じのイメージをして下さい。じゃあ、行きますよ――はい、終わりです。ありがとうございました」
バットを振り抜いて一呼吸する俺に、七原が「ねえ、戸山君。聞いていい?」と話し掛けて来る。
「何だ?」
「今回の排除、雑じゃない?」
「は? 言い掛かりかよ」
「言い掛かりじゃないから。明らかに違うから。私の時も小深山さんの時も、たっぷり間を取って、勿体振って勿体振ってって感じだったでしょ?」
「司崎さんは、完全に気持ちが固まってる。それほど儀式的な要素は必要ないという判断だよ。実際、排除は成功してるし」
「わかるの?」
「手応えというか、そういうので分かるんだ」
「ケツバットの?」
「ああ。そうだよ」
「どういう感触なの?」
「あんまり深く突っ込むなよ。男の硬いケツを叩いた感触なんて」
「そんな事は聞いてない!」
こんなに男のケツを叩かないといけない宿命を背負う俺は、きっと前世で途轍もない悪事を働いたんだろうなと思う。
「ありがとう、戸山君。とてもすっきりした気分だよ」
握手を求めてきた司崎に……俺は仕方なく、手を握り返す。
「ねえ、戸山君」
「何だよ? 七原」
「司崎さんが物凄い事になってるんだけど」
確かに七原の言う通りである。
司崎は今、ガチムチのマッチョな身体の上に細面の童顔が乗っている状態なのだ。
「今は元の体格に戻っている過程なんだ。司崎さんは顔から変わるタイプなんだな。顔面の筋肉が変わるだけで、人相ってのはかなり違うものになる。七原にも卒業アルバムの司崎さんの写真を見せただろ?」
「そうだけど。何でそんなに平然としてられるの」
「いや、驚いて声が出ないだけだよ」
「いやいや、司崎さんに握手を求められて、少し嫌そうに握手してたでしょ」
「慣れだよ、こんなもん」
「一体どれだけの経験したら、あんな無のリアクションが出来るのよ」
「お互い疲れてるんだから。細かい話はやめとこう。七原もすぐに慣れて行くはずだよ」
「戸山君、それってさ――」
七原は何かを言いかけて顔を赤くすると、少し慌てながら、「う、うん。わかった。頑張る」と言った。
もちろん、七原にはしばらく一緒にいて貰うつもりである。
七原は非常に役に立つ。
今回の件においても、全てを理解する七原が隣にいた事で、排除しやすい空気が出来上がっていた。それが排除を短縮できた最も大きな要因である。
「司崎さん、身体の方は大丈夫ですか? 肉体強化系の能力の排除は負担が大きいものです」
「そうだな。寒気がして、身体が重い。少し休んでも良いか?」
「じゃあ、あっちのベンチに行きましょう」
司崎はふらふらと歩いて行き、どすんと腰を下ろした。
脂汗が額に滲んでいる。
「大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だよ。能力者になった時よりは楽だ。あの時は意識を失ったようだから」
「そうだったんですか」
「公園の向かいに病院があるだろ。そこの先生にお世話になったんだ」
「それって、もしかして符滝先生ですか?」
「知ってるのか?」
「はい。司崎さんの事について色々と聞かせて貰いました」
「そうなのか。符滝先生にまで……。もう驚きを通り越して感心するよ、君には」
司崎は目を閉じる。
胸板が薄くなり、腕も細くなっている。本当に急速に元に戻ってるようで、身体が萎んで行くといった感じだ。
「符滝先生を呼んでこようか?」
と、七原。
「いや、いいよ。符滝先生が来たって、これに対処は出来ない」
「そっか。そうだよね……でも、こんな風になるんだね、排除って」
「恐いか?」
「恐いって言うか。今までのは目で見える変化は無かったから……やっぱり驚いてる」
「まあ、今までの能力者は端から見れば実感しづらい変化だったからな」
「私自身、能力を排除された訳だから、疑ってはいなかったけど……っていうか、あれが凄く前の事に感じるよ」
「そうだな。俺も同じだよ。昨日の事さえ遠く感じる……本当に長い一日だな」
そして、この一日はまだ終わりじゃない。
まだ、玖墨と陸浦を何とかしなければならないのである。
「で、さっきは後の事は全部任せとけとか言ってたけど、あれはどうするつもりなの?」
「とりあえず、排除で見た目が変わったから、司崎さんを狙う奴に識別される事は無いだろう。安全面ではマシになったよ」
「でも、それ以外の事はどうするの? 司崎さんは玖墨さんと組んで色々やっていた。だからこそ、あんなに恨みを買ってる訳だし」
「そうだな。償わないといけない罪もあるだろうし。辻平の話によれば、今日も相当に暴れてる。その後処理もあるだろうから、俺達だけではどうにもならない。だから――」
――その時、地鳴りのような音が聞こえ、公園の入り口の前に車が一台停まった。
いつも通りのクソほど荒い運転だ。
目の覚めるような黄色で塗装されたセダンのドアが開き、赤い髪の女が降りてくる。
その女は俺達を見つけると、ぱっと右手を挙げた。
俺が関わらないといけないのはこんな奴ばっかりだ。
何でこいつらは原色を好むんだよと思う。
信号かよ。
「悪い悪い。遅くなったよ。排除は?」
「今、終わったところだ」
「そんな不機嫌になるなよ、ノゾミ。何にお憤りだ?」
「別に。強いて言うなら、お前が遅すぎるって事だ。一歩間違えたら俺は能力者に殺されてたんだぞ」
「悪かった。一旦寝たら、中々寝癖が直らなくて」
「寝癖云々もだけど、一旦寝てたのかよ」
「能力者を相手にしてたら生活が不規則になるだろ。仕方のない話だ」
「ねえ戸山君、この人ってもしかして……?」
と、七原。
「ああ。七原が思ってる通りだよ」
「え? ええ?」
そりゃあ戸惑って当然だろう。
七原には、楓と繋がりを持っている事を言っていなかったのだから。
「はじめまして。君がミオか?」
「は、はい。七原実桜です」
「そっか。私の名前は樋口楓だよ。カエデと呼んでくれ」
「樋口って……」
更に驚く七原に、俺は『黙ってるように』と人差し指でジャスチャーを送る。
能力で、この会話を聞いているであろう玖墨には、無闇に情報を与えたくない。
それを察したようで、七原は慌てて口を噤んだ。
岩淵との会話に出た早瀬の『主治医の樋口』というのは楓の事である。
楓は排除能力者であると同時に、能力者更生施設の医師である。その施設は能力者が問題なく一般社会に戻れるように支援する為の仕事も行っている。
そこに司崎を送り届けるのならば、楓を呼ぶのが一番だったのだ。
七原を家に帰らせてからというのも時間の無駄だし、七原が私も残ると言えば止める自信はなかった。もうこの際、七原に楓の事を明かしてしまうのは仕方ない事だと判断したのである。
「でも、楓さんは、この街からいなくなったって言ってたよね。あれは嘘だったの?」
「この街にはもういない。だが、連絡は取れていたって事だよ」
「また小狡いことを」
そう言いながら、七原は悲しげな顔をする。
「小深山のような事もあるし、玖墨のように盗み聞きをしている奴がいるかもしれない。能力者が関わると、どうやって秘密を保持するかという事が重要になって来るんだ……悪かったな」
「そっか。そういう事か」
「そうだよ。だから許してくれ」
「うん。わかった……でも、それにしてもまた騙されたんだね。あの時は、もう一度楓さんに会ったらバットで顔面を突いてやるなんて言ってたよね。それに凄く感情が籠もってたから信じちゃったけど……」
楓がニヤリと笑って口を開く。
「先週会った時に、ノゾミに顔面をバットで突かれたのは、そういう事だったのか」
「え? やったの?」
「あの時は来るのが遅くてムカついたからって言ってたけど、ミオとの約束を守る為だったんだな」
「嘘は出来るだけ減らすのが、本当の嘘つきってもんだ。ちょうど七原の件があった日の夜だしな。そのままのテンションでって感じだよ」
「あの日の夜って事は……」
「ああ、あの件は一人じゃ片付かないと思ってな。楓に助けを求めたんだ」
早瀬の発火能力排除の件である。
「なるほど、あの件ね……」
「まあ、ここでグダグダ話してても時間の無駄だな――楓、司崎さんを送り届けるのも頼むんだけど、ついでに、ここに向かってくれないか?」
俺は玖墨の家を携帯の地図で指し示す。
今夜中に玖墨を何とかするつもりである。
俺が玖墨の秘密を知りすぎているのと同様に、玖墨もまた俺達の秘密を知りすぎている。
排除しないという選択肢は無い。
「わかった。じゃあ車に乗ってくれ」
ベンチに座ってる司崎を連れて車へと向かう。
俺は司崎と共に後部座席に乗り込んだ。
同時に車が唸りを上げて発進する。
「いきなり踏み込みすぎだろ」
「急いでるんだろ?」
「そうだけどさ。それと、この前も思ったんだけど、車やバイクの趣味が派手すぎる。職業を考えれば目立たない車にすべきだろ」
「は? これだけは譲るつもりはないからな」
凄い剣幕で言ってくるので、「わかったよ」と言うしかなかった。
「それより、ミオ。初めて会った私が言うのもなんだが、ノゾミを頼むよ」
「何ですか急に」
「私とミオを会わせた。それはノゾミがミオを信頼している証だろ?」
「いや、色々な事情を考慮しての事だよ。それだけだ」
「そうか、それでもいい。だけど、ミオを信頼してないと言えば嘘になるだろ?」
それに関しては否定できない。
七原には小深山の家からの帰りに信頼してると言ってしまってるのだから。
「まあ、確かに、そうだな。俺は七原を信頼してるよ」
誰に嫌われようと、文句を言われようと、それが正義じゃなかろうと、俺の中には曲げられない事がある。
しがみついてでも、命を賭けてでも、やり遂げないといけない事がある。
しかし、七原が言うなら立ち止まって、もう一度考えようと思う。
もちろん、七原の言うことがいつも正しいとも最善だとも思ってない。意見が対立することもあるだろう。小深山の時のように洗脳されて嘘をつかされてるかもしれない。だけど七原が言うなら、立ち止まってもう一度考える。それが、俺の中での七原への信頼というものなのである。
横で司崎が「青春だな」と呟いて、うんうんと頷いている。
それが本当にウザいのだった。




