遭遇2
司崎に持ち上げられた中谷は目を白黒させている。
中谷にとって、今の司崎は見知らぬ男なのだから当然の反応だろう。
どうなるのかと成り行きを見ていると、司崎はそのままの体勢で俺達の方に振り返り、口を開いた。
「全員、そこを動くなよ。逃げたら、こいつを殺すから――とでも言えば、少しは待つ気になるか?」
近くで見る司崎は威圧感が段違いである。
獣が唸るようなその低い声に恐怖心が募った。おそらく能力による体格の変化で、そんな声になったのだろう。
この男が、今し方、話で聞いていた司崎と同一人物であるとは思えなかった。
自分の心臓が激しく脈打っているのを感じる。
ここから逃げ出したい――本能的にそう思うのだが、司崎のスピードを考えると、この至近距離では、とてもじゃないが逃げるつもりにはなれなかった。逃げたとしても、誰一人として、この狭い路地から抜け出せないのではないかと思う。さっきの鉄パイプの連中には助けが入ったが、あれはあくまで偶然、そんな事が二度も続く事は無いだろう。
俺達の様子を見て納得したのか、司崎は再び中谷の方に顔を向けた。
「中谷、あの時は迷惑掛けて悪かったな」
「お、お前、司崎なのか……?」
「ああ」
「何がどうなってるんだよ! こんなのおかしいだろ!」
中谷は悲鳴のような声を上げた。
「夢でも見てると思ってくれよ」
「夢だなんて言われても」
「ところで、中谷。俺を陥れたいと思ってたってのは本当なのか?」
「いや、違う……ムカついてたのは本当だ。たけど、陥れようなんて……」
「でも、自分で言ってただろ?」
「それは……違うんだ。違うんだよ」
「何が違うんだ?」
「…………」
中谷は何も言えないで口を開けたり閉じたりしている。
「そうだ。中谷、お前に借りた金を返さないとな」
司崎はポケットに手を突っ込むと、直で入っていた札の束を取り出し、中谷のジャージのポケットへとぐしゃりと押し込んだ。いくらくらいだろうか――その束は結構な厚みがあった。
中谷は唖然とした顔で司崎を見つめる。
「――いいんだ。気にするなよ。これは利子だ。迷惑を掛けた分は精算しておかないと、と思ってたから、丁度いい機会があって良かったよ」
中谷は恐怖に顔を歪ませる。
「頼む……もう、許してくれ! 謝るから」
それを聞いた司崎は中谷の襟元を締め上げる。中谷は掠れた呻き声を上げた。
「別にお前に謝って欲しいなんて思ってない。今更、腹も立たないしな。もうどうでもいいんだ」
「じゃあ、離してくれよ!」
「ああ、いいよ。ただ、一つ約束してくれ――ここで俺に会った事は誰にも言うな。もし誰かに言ったら、俺はお前の家も勤め先も行動範囲も全部知ってるんだ……どうなるか分かるよな?」
中谷が息も絶え絶えに頷くと、司崎は手を離した。
急な事で中谷は地面に倒れ込むが、手足をバタバタさせながら立ち上がり、叫び声を上げながら逃げて行った。
生徒である俺達を残して……。
一つ息を吐いた司崎は、振り向きざまに口を開く。
「まったく……とんでもない教師だな」
それに関しては同意である。
「――で、中谷と一緒にいたって事は、お前が戸山って事でいいんだよな?」
出来るなら『違います』と言いたいところだが、その確信に満ちた目を見れば、言い逃れ出来るとは思えない。
「……はい。そうです」
司崎は鋭く俺を睨み付ける。
その目からは強い怒りが見て取れた。
「俺の過去を嗅ぎ回っていたんだな?」
「はい……でも、悪意があっての事じゃないです」
「そんな事、よく言えるな。雪嶋まで巻き込んでおいて」
「それに関しては雪嶋さんが無理に着いてきただけですよ」
「そうだよ。先生。私は先生が心配で――」
雪嶋が声を上げる。
「うるさい! お前は黙ってろ。俺は戸山と話をしてるんだ」
司崎がそういう事を自分に言うとは思ってもいなかったのだろう、雪嶋は肩を落とす。
司崎はそれを見ても何も無かったような顔で、俺の方に視線を戻し、口を開いた。
「俺の力を排除する気か?」
「そう出来たらいいと思ってます」
この期に及んで、雪嶋の前で能力の話をしないように配慮する余裕は無かった。
あとで雪嶋に口止めをしなければならないだろう。
まあ、ここから生きて帰れたらの話なのだが……。
「そうか……だが、俺は大人しく排除されるつもりはない。ここに来たのは、お前に排除をやめさせる為だよ。手荒な事をしてでも、お前を止めるつもりだ」
どうやら状況が変わっているようだ。
司崎のターゲットが遠田から俺に移行して、遠田の知り合いである所の辻平がいなくなっている。
更に司崎が俺の名前を知っていて、こんな路地裏で俺達を見つけ出した。
これらの事から考えると――。
「玖墨さんから僕の事を聞いたんですね? 僕が司崎さんの排除をしようとしている事も、僕がここにいる事も」
「ああ。玖墨から全て聞いたよ」
「玖墨さんの能力って本当に何なんですか? 僕達の居場所まで把握されてるなんて」
「玖墨は未来を知る力を持つ特別な能力者だ」
司崎は濁る事の無いまっすぐな目で、そう言った。
否定すれば、暴れ出しそうな空気さえ感じるので、「そうですか」と返事をするしか無かった。
「その玖墨が俺に言ったんだよ――戸山は死神だ、と。私利私欲の為に能力者を食い物にしている、と」
「そんなつもりはありません」
「お前がどう思ってるかなんて関係ない。実際に、お前がしているのはそういう事なんだよ。能力ってのは絶望の先に有るものだ。絶望の果てで、世界と自分を繋ぐ最後の命綱なんだ。必要だからこそ能力を身に付ける。だから、排除によって力を失った能力者が自ら命を絶つ事もある――お前も排除能力者なら、その事実を知ってるんだろ? それをお前らはどう考えているんだ?」
「そういう事もあるかもしれません――それは否定しません。だけど、僕は排除能力者として、そういう結末を迎えないように全力を尽くしてます」
「そこまでして、何故、能力を排除しなければならないんだ」
「能力者は精神が不安定になりやすく危険なんです。能力で他人を傷付けてしまってからでは遅いんです。能力は怪我と同じで治ります。治るならば治した方がいいと思いませんか?」
「それはお前ら排除能力者の言い分だ。全ての能力者が危険な訳じゃない。能力者である事を隠して、平穏に生きてる者もいる。お前らは理屈を並べて排除の力を使いたいだけだ。排除は金になるからな」
扱いづらい話題を出しやがってと、俺は心の中で舌打ちした。
案の定、七原と遠田が訝しげな顔で俺を見ている。
「お金になるってどういう事?」
「文字通り、そのままの意味だよ。排除能力は金になる。それも当然の話だよ――能力者は社会に混乱を来す。しかし、能力を持つだけでは法を犯している訳では無い。しかも、能力者はそれぞれ違う力を持っていて、その対処には暴漢を取り押さえるのとはまったく別の才能が要る。そんな特殊な仕事をする排除能力者がボランティアって事は無いだろ? それなりに対価が支払われるからこそ、能力者がいる所に排除能力者が群がるんだよ」
「じゃあ、私の力を排除した時も、お金を貰ったの? いや、それが悪いって言う訳じゃ無いけど、言って欲しかったっていうか……」
「七原の件は俺達しか知らない事なのに、どこの誰から金が出るんだよ。俺は報酬を受け取った事はないし。これからも、そのつもりはない」
「そうなんだ……」
その会話を苦々しい顔で聞いていた司崎が口を開く。
「お前はそう言うだろうと思ってたよ。お前は詐欺師だな。平然と仲間を騙し、能力者を騙す。息を吐くように嘘を吐き、口先で丸め込んで有無を言わさず排除する。結局の所、お前は自分の都合しか考えてない。他人がどうなったって何とも思わない」
自分の都合しか考えてないという事に関しては反論の余地も無い。だが、黙っている訳にもいかないのである。
「口先で何とかしようとするって事は否定できません。だけど、排除ってのは大変なんですよ。そのくらいの事をしないと不可能な事もあります。でも、それは――」
「言い訳を聞くつもりはない!」
狭い路地裏が司崎の声で満たされた。
「――お前は俺を騙すつもりだろ? 玖墨はお前の事を、今まで出会った中で一番質の悪い奴だと言っていたよ」
「そんな事ありません。戸山君は――」
七原が抗議しようとするが、司崎は手の平を掲げ制止する。
「戸山の仲間も同じだ。お前らの言葉が信用出来るはずが無いだろ。黙ってれば、手を下すのは排除能力者の戸山だけだ。だから口を挟むな」
何を言っても無駄なのだろう。
中谷は酒に酔ってるだけだったが、司崎は玖墨に心酔してしまっている。
俺達がどんな言葉を並べ立てようが、最初から聞く気が無い。中谷の時とは状況が違うのだ。
ならば、こちらの話をしてみよう。
「そうですね。事情を説明したところで信じて貰えないのなら意味がない。それについては諦めます。だけど、一つだけ言わせて貰えませんか? 司崎さん、あなたは昨夜から一時的ではありますが、錯乱状態だったんですよね? それは能力者にとって物凄く深刻な状態なんです。放置すると、玖墨さんの為にもなりませんよ。そういう話を玖墨さんから聞いてませんか?」
獣化の事を知れば、排除を受け入れてくれるかもしれない。そう思っての説明である。
「ああ。玖墨から聞いてるよ。獣化と言うんだろ?」
話していたか……玖墨は黙っていると思ったのだが……。
「そうですね。獣化と言います。獣化すれば理性を失ってしまう。それは司崎さんが司崎さんではなくなるという事です。司崎さんはその能力で沢山の人を傷付ける事になるでしょう。そして、それがこの街に大量の排除能力者を呼び込む事となる。そんな事は司崎さんも望まないはずです。能力を排除するべきだとは思いませんか?」
「わかってるよ。でも、今はまだ大丈夫だ」
「じゃあ、さっきの鉄パイプの時は、理性があったというんですか? サイレンの音が無ければ、司崎さんはあいつを……」
死に至らしめていたかもしれない。
「……ああ。あれを見てたのか、あれは相手の戦意を削ぐ為だよ」
「本当に殴る気なんて無かったってことですか?」
演技には見えなかったのだが……。
「ああ。よくやる手だよ。力の違いを見せつけて戦意喪失を狙うんだ。鼻っ柱を殴って鼻血を出させてやったりな。無益な争いを続けない為に必要な手段だよ。俺は別に相手を傷付けたい訳じゃないんだ」
「じゃあ何故、あいつらと争ってるんですか?」
「玖墨は俺を救ってくれた。未来を指し示してくれた。俺は玖墨の指示に従うだけだよ。俺と同じように絶望を味わった仲間の為に自分の能力を有効利用しているんだ……そして今夜、これが俺の最後の仕事だよ。玖墨が『戸山望を許すな』と言った。だから、俺はお前を許さない」
「僕一人に、何故そこまでする必要があるんですか? 排除能力者なんて他にもいますよ」
「お前の未来が能力者の血に塗れているからだ。お前が、それを改めるまで。未来が変わるまで、俺はお前を許す訳にはいかない。安心しろ。未来が変われば玖墨から連絡が来る手筈になっている」
「連絡が来なかったら、どうするつもりですか?」
司崎は俺をじっと見つめる。
その目は悲しみを称えていた。
「覚悟なら決めてるよ。お前も覚悟を決めろ」
玖墨からの連絡が来なければ、俺はもう朝を迎える事は出来ないのだろう。
腹立たしいのは、司崎の騙されやすいところが全く変わってない事だ。
結局騙されて利用されているということに気付いてない。
こうなれば、司崎が言うように俺も覚悟を決めなければならない。
会話の最中にケースから取り出して置いたバットを握りしめる。
こんな物では心許ないが、無いよりもマシだ。
どうするべきかなんて考えるまでも無い。全力で打つかるしかないのだ。
俺は司崎を睨み返した。
――その時。
「先生、やめて!」
悲痛な叫び声が聞こえ、気付けば雪嶋が俺の前に立ち塞がっていた。
「雪嶋、そこを退きなさい」
「そんなの出来ない。戸山君はそんな人じゃないよ。先生はこれ以上間違った事をするべきじゃないと思う」
司崎が鋭い視線で雪嶋を威圧する。
「そこを退け!」
「出来ません!」
まさか、こんな展開になるとは思っていなかった。
司崎の迫力は相当なものだと思うのだが、雪嶋の意志は固いようだ。
俺は雪嶋に問い掛ける。
「雪嶋さん、司崎先生の事が怖くないんですか?」
あれだけの力を見せられれば、脅えてて当然だろうと思っていた。
「ううん。先生は先生だから」
先生は先生か……。
……なるほど。
その言葉は俺に閃きを与えてくれた。
俺は一つ策を思い付く。
どうするべきか?
やってみるべきだろうか?
しかし、そんな事をやっていいのだろうか?
悩んでいる暇なんて無い。一秒で決断するべきだ。
こちらが何か仕掛けるつもりだと気付かれない内に。
不意打ちが出来る内に。
俺は正義でも善人でもない。司崎が言う通り、他人がどうなろうがどうでもいいと思っている側の人間なのだ。
ここは排除の可能性だけを模索するべきだ。
「雪嶋さん、さっきのをもう一度お願いできないですか?」
「うん? さっきのって?」
「雪嶋さん、すいません」
そう言いながら、俺は力を込めて――雪嶋の背中を蹴った。
「え?」
その声と共に雪嶋はバランスを崩し、司崎の方に倒れ込んだ。
「雪嶋さん! ホールド!」
その声で、雪嶋は差し伸べられた司崎の手をすり抜け、しゃがみ込む。
「何するんだ!? やめろ!」
司崎がそんな事を言ってる間に、雪嶋は司崎の足に掴まる。
期待通り、雪嶋は司崎をがっちりとホールドしてしまった。
俺が食らったのと同じ技である。
いや、技でも何でも無いか……ただ足にしがみついているだけなのだから。
「雪嶋さん、その手を絶対に離さないで下さい」
「わかった」
そんなもの、司崎は簡単に振りほどけると思うだろうがそうでもない。司崎は何度も雪嶋に手を伸ばそうとするがその手が雪嶋に到達する事は無かった。
「何なの? どういう事?」
と、七原。
「司崎さんは雪嶋さんに危害を加える事が出来ないんだよ」
「何で?」
「雪嶋さんが司崎さんの教え子だったからだよ。今、教師が教え子に暴力を振るえば大変な事になる。教え子には絶対に手を上げてはならない――その原則が身体に染みついてるんだ」
「そんな事で動けなくなってるの?」
「そんな事で動けなくなってるんだよ。能力ってのは心の奥にあるものを大きく反映するんだ。そんな小さな事が大きな影響を与える。そうじゃなくても、司崎さんの能力は筋力を扱うものだ。それはつまり、一挙手一投足を能力に支配されているって事なんだよ。だから今、司崎さんは動けない」
司崎の場合は、真面目で真っすぐな所が能力に反映している。だからこそ、肉体強化にしても、こんなに強い力が得られているのだ。
その分しがらみも強い。
獣化を始めている事で、そのしがらみから解放されるどころか、より強く縛られてるんじゃないだろうか。
玖墨も司崎の弱点には思い及ばなかったのだろう。
ターゲットが俺に代わった事で、不要になった辻平を置いてきたのだと思うが、それが玖墨の誤りだった。雪嶋による拘束を失敗したとすれば辻平がいた時だった。
ここからも、玖墨に未来を見る能力が一ミリもない事がよく分かる。
「でも、拘束したからといって、これからどうするの?」
「一時退避だよ」
「え?」
「ということで、雪嶋さん。あとはお任せします。出来るだけ時間を稼いで下さい。俺が何とかしますから」
「うん。頑張る」
司崎は強い怒りに顔を歪ませている。
「おい戸山! これをやめさせろ!」
「あんまり騒ぐと人が集まってきますよ。今の動けない状態で警察が来たら、司崎さんも困るんじゃないですか?」
「クソッ」
司崎は顔を真っ赤にしながら、悪態をついた。
それでも司崎は何の行動に移す事も出来ない。
「さ、逃げるか。遠田も行くぞ」
「最低だ最低だとは思ってたけど、雪嶋さんを一人で置いて行くのは最低過ぎないか?」
元はと言えばお前の所為だろうと思うが、ここで言い争いをしている時間も無い。
「ちゃんと策はあるから、大丈夫だ」
そう言って遠田の腕を引っ張る。
「わかったよ。行くから――」




