遭遇
といっても、司崎はこちらに気付いていない様子だ。
雪嶋の先導で歩いていたので意識していなかったが、気付けば公園の前まで戻って来ている。
そしてその公園の真ん中で、司崎が男三人に取り囲まれていたのである。
その男三人は、いかにも堅気じゃないといった感じの連中だ。
青髪の男――辻平はそれを遠巻きに見ていた。
公園に長居してなくて本当に良かったという所だろう。
残っていたらと思うと、背筋が寒くなる。
この公園はフェンスが高く、俺達がいる側には出入り口が無いので、司崎からの距離は十分にある。
更に、ここらは細い路地が多い。気付かれて追いかけられても、そこに逃げ込めば何とかなるだろう。
だから、どうせなら司崎がどうするかを見届けておこうと思う。
司崎の能力を排除する上で、何か重大なヒントが見つけられるかもしれない。
「遠田、見えない位置に下がっててくれ。辻平が遠田を見付けてしまったら、俺達全員が狙われるからな」
「わかったよ」
そんな事を言っていると、司崎を取り囲んでいる男の一人が口を開いた。
「司崎、お前が何も言う気が無いなら、それで構わない。そんなのはどうでもいい事だ。重要なのは、お前がかなりの手負いだって事だけだよ――その話を聞いて、お前に本業の怖さというものを思い知らせてやる良い機会だと思ったんだ。だが、うちの若いのは、お前にビビってて使い物にならない。だから仕方なく本物を雇ったんだよ。しかも、二人も。これでお前の天下も終わりだ。ここがお前の墓場だよ」
本物というのは、脇にいる二人の男の事だろう。
昨日見た司崎の子分達とは体格が全く違っていて、その場にいるだけで威圧感があった。
二人は身構えず、すっと立っている。
その落ち着きからも確かに本物であると感じるのである。
それに対して司崎は表情の一つも変えず、三人の顔を見回して口を開いた。
「この公園に来たのは俺の気遣いです。横たわるのはアスファルトの上より土の上の方が良いですよね?」
「うるせえ! 舐めてんじゃねえ!」
話していた男が殴りかかる。それをさらりと躱した司崎は、男の背中に蹴りを入れた。
それを期として、後の二人が司崎に襲いかかる――背中を見せていた司崎は、振り向きざまに、殴りかかる男の手を払いのけ、脇腹に拳を打ち付ける。更に、死角から詰め寄る男に鋭い回し蹴りを決めた。
男達は蹌踉めいたが、さすがに本物だけあって、そんな事では動きは止まらない。再び、司崎との距離を詰めた。
二人の表情からは立ち所に余裕というものが消えている。
彼等は思っていただろう、片方が打撃で対応し、片方が組技を仕掛ければ楽勝だと。
しかし、今の司崎の速さ、そしてパワーは危険性を感じ取るのに十分なものだった。
一方で、司崎も余裕は無いはずだ。司崎は単に筋力強化の能力であり、それ以外は生身の人間である。相手は二人で、司崎は一つのミスで詰んでしまう……と思ったが、そうでもないらしい。
司崎は笑みを浮かべながら、男達の腹に拳を突き立てる。
彼等は一度として的確な防御が出来ていない。分かっていて、どうしようもないのだろう。
もう技術がどうとかの問題では無い。
あれはもう人間では無いものなのだ。
これでは覆面が出てきたところで敵わないだろう。
まあ、覆面なんて、もうどこにもいないのだが。
それにしても、人が人を殴る音というのは、こんなに響くものなんだなと思う。
昨日よりも近い距離にいる事で臨場感が増している。
司崎の立ち回りは恐怖を植え付けられるには十分なものだった。
昨日とは意味合いが違う。
その力が俺達に振り向けられる可能性があるのだ。
腕の一振りで、命に関わるような大きな傷を負わされるだろう。
冷や汗と震えが止まらない。
隣を見ると雪嶋も呆気にとられているようだ。
あまりにも鮮やかな身のこなしに、映画でも見ているような気になっているのかもしれない。
気付けば、二人の男は司崎と大きく距離を取っていた。
体勢が決したのは本人達も理解したのだろう。
明らかに戦意を失っている。
――そんな中、唐突に視界の端で何かが動く。
そちらを見ると、公園の入り口から鉄パイプを持った男達が雪崩れ込んできていた。
「マジかよ」
俺は思わず呟いていた。
その連中は数えると六人もいる。
服装もジャージや刺繍入りのシャツと言った感じで、年齢層も若い。先客とは別の集団という感じだろう。
騒ぎを嗅ぎ付けて、やってきたのかもしれない。
しかし、司崎はどんだけ恨まれてるんだ、こんなにも次々と狙われるなんて……。
男達は何の前口上もなく、一気に司崎に向かって突き進んでいく。
司崎の強さを十分に知っているのだろう――彼らの殺気は段違いだった。
男達は司崎を取り囲むようにして殴りかかる。
公園の電灯を鈍く反射する鉄パイプが次々と、司崎に向かって振り下ろされていった。
だが、司崎は、それをいとも簡単に躱し、叩き落としていく。
さっきよりも司崎のスピードが上がっていた。
多人数の上に全員が得物を持っているから、少し本気になったという事なのだろう。
あれでも、手を抜いていたんだな。
と、そんな事を考えている内に、散乱する鉄パイプと立ち尽くす男達という光景が出来上がっていた。
彼等も唖然とするしかないだろう。
司崎は眉一つ動かさず、全ての事をやり終えてしまったのだから。
そして、司崎は落ちていた鉄パイプの一つを拾い上げた。
一斉に男達が後ずさる。
そんな中、刺繍シャツの男が近くに落ちていた鉄パイプを拾い上げ、半狂乱で司崎に向かって行く。
鋭い金属音。
その後、男達が響めいた。
刺繍シャツの男が持っていた鉄パイプの真ん中より先の部分が消えていたのである。
その一振りで折り取ってしまったのだろう。
刺繍シャツの男は腰が砕けたようにヘタり込んだ。
司崎は、それに目もくれず、主犯格だと判断したのか、一番歳がいってそうな男に歩み寄って行く。
「やめてくれ! 頼む! こんなつもりじゃなかったんだ!」
司崎は後退りする男を蹴り倒し、胸倉を踏みつけた。
そして無表情のまま、鉄パイプを振り上げる――その方向と角度からすると、頭に狙いをつけているようだ。
そんな事をしたら確実に――
「っ!!」
隣で雪嶋が声にならない声を発したその瞬間、けたたましいサイレンの音が鳴った。
目撃した誰かが通報したのだろう――サイレンの音は近付いているようだ。
司崎は我に返ったという感じで、鉄パイプを投げ捨てた。
「早く行くぞ」
辻平が声を上げる。
そして、司崎と辻平はサイレンが鳴る方とは別方向の出口から走り去っていった。
それを見届けると、俺も口を開く。
「俺達も、この場に居ちゃいけない。行くぞ」
「先生……」
雪嶋は呆然とした様子で動かない。
仕方なく雪嶋の手を引き、その場を離れた。
こんな所に道があったのかというような細い道に入る。
こういうのに詳しくなったのは夏木のお陰だ。
それには感謝するしかない。
……しかし、あのサイレンが鳴らなかったら、どうなってたかと思うと本当に恐ろしい。
まだ会話が出来る程度の理性は残っているが、一度興奮状態になると何を仕出かすか分からない――今の司崎はそんな感じなのだろう。
玖墨の予言は単なる脅しだと思っていた部分があったが、的中してしまう事は十分に考えられる。
遠田を目掛けて探し回っている分、遭遇してしまえば、まず間違いないく、ただでは済まない。
そうなると、やはりこんな事に巻き込んだ俺が、逃げる訳にはいかないのだと思う。
本当に大変な事になってきたな……。
司崎がこちらの動きを知らない事が救いだが、玖墨次第で、俺達はいつだって最悪の状態に陥る可能性がある。
俺は黙り込んでいる雪嶋に問い掛けた。
「雪嶋さん、今の見ましたよね? 司崎先生は今、ああいう状態なんです」
雪嶋は首を縦に振った。
「しかも、更に最悪な事に――司崎と一緒に消えた青髪の男がいたでしょ? あいつが、この遠田に復讐しようと探し回ってるんですよ。俺達と一緒にいたら巻き込まれる可能性が高い。命が惜しいなら、大人しく家に帰るべきだと思いますよ」
「駄目。そんな事は出来ない。先生がああいう状態なら、尚更放っておけない。君達は先生を何とかする為に動いてるんでしょ? だったら、私はちゃんと君達を中谷先生に引き合わせるよ」
「それに意味があるかなんて分かりませんよ。無駄足になるって事も十分考えられます」
「それでもいい。私は先生の為に何かがしたいの」
「そうですか……」
そこまで言うのなら、俺には何も言えない。
有り難く利用させてもらおう。
「じゃあ、せめて行く道の途中で司崎先生に遭遇してしまった時のことを考えておきましょう」
「遭遇したとき、どうするかって事?」
「はい。そういう事です――固まって逃げたら、全員が巻き込まれる可能性がある。だから、僕が合図を出したら、みんな一斉にバラバラの方向に逃げる事にしましょう。そうすれば何人かは助かるかもしれない」
俺は雪嶋だけではなく七原と遠田の顔も見ながら、その提案をした。
司崎が遠田を追いかけるという事を分かってるからこその提案である。
「雪嶋さん、この約束を守ってくれますか? それなら着いて来てもいいですよ」
「……わかった」
雪嶋は頷く。
「七原も、それでいいか?」
「でも……」
「さっきのを見たら、力を合わせてどうにかなる相手じゃないって事は分かるだろ? だったら、当然そうするべきだ」
「……わかった」
すると、今度は遠田が俺の目を真っ直ぐと見て来る。
「じゃあ、戸山も私とは別の方向に逃げろよ。わかってるよな?」
遠田は何より他人を巻き込んでしまうのを恐れてるのだろう。
「ああ、もちろん。遠田には悪いが、そのつもりだよ」
そのつもりである。
俺は今夜リュックを背負ってきているのだが、その中には小深山から預かった目出し帽と手袋が入っている。何かあったときのために持ってきていたのだが、これが役に立つとは思わなかった。いざとなれば、これを身に付ければいい。そうすれば、俺は『覆面』になれるのだ。
司崎は遠田より先に『覆面』を狙うはずだ。
俺は排除能力者だ。いざとなれば、何かが出来る可能性はある。
「七原さん、戸山は約束を守るかな?」
「そうだね。約束は守ると思うよ」
その言い方は、俺が何かを企んでいると勘付いているのかもしれない。
しかし、七原は何も言わなかった。
言っても無駄だと諦めてるのかもしれない。
「で、合図はどうする?」
「そうだな。さっきは合図って言ったが、合図が分かりにくかったら逃げ遅れる奴が出てくる可能性もある。だから、単純に俺が『逃げるぞ』って言うよ。それなら全員にちゃんと伝わるだろ?」
「うん。わかった」
そんな話をして、再び南町の方へと向かい始める。
その時だった。
狭い路地から、少し広めの道に出るその時――俺達は最悪の人物に行き会ってしまったのである。
「逃げるぞ!」
そして各々が一斉に別の方向に……とはいかなかった。
「いや……何でなの?」
と七原。
「『何で?』も何もねえよ」
そこにいるのは上月優奈だからである。
思いも寄らぬ人物と遭遇してしまった。
今、二番目に会いたくない人物である。
「何なの? 私の顔を見て、いきなり『逃げるぞ』とか」
「いや、何でもない。優奈こそ何してるんだよ、こんな所で」
「コンビニ」
こんな時間に行くことねえだろと思う。
こっちの方角にコンビニもないし。
おそらく、俺が家に不在だという事に気付いて、予定外の外出なのだろう。その証拠に優奈の着ているシャツは、この時間に外に出るには寒い格好だ。
何より、コンビニに行くだけなら、肩から提げているバットケースの意味が分からない。それでコンビニに行くのは、押し入る事でも考えているのかという話になる。
「あんたこそ、何してるのよ?」
「散歩だよ」
「女の子を三人も引き連れて?」
「偶然会ったんだ」
「三人とも偶然?」
「そうだよ」
隣で七原が「不倫がバレた時の司崎先生も、こんな顔してたのかな」と呟いた。
「なるほどね。そういう事か――」
優奈は俺に非難するような目を向ける。
「ハーレムを作る計画は、もう最終段階に入ってるって事ね?」
「あんな冗談を真に受けるなよ」
「色んなタイプの子を取り揃えてるのね?」
「だから違うから」
「知らない顔もいるけど」
「俺の知り合いを全員知ってるのか?」
「誤魔化そうったって無駄。能力者関係なんでしょ?」
「それは……」
「ねえ、能力者って何? 何の話?」
雪嶋が首を傾げる。
「優奈、全てを説明してる訳じゃ無いんだ、それ以上言うな」
「あれ? ダジャレ?」
「違うから」
俺は小さく溜息を吐く。
本当はすぐにでも、この場を離れたいが、こんな奴でも一人で帰らせる訳にはいかない。
こんな騒がしい夜でなければ放置してたかもしれないが、今夜だけは駄目だ。
「遠田、南町へは少し道を外れるけど、遠回りとは言えない。悪いけど、優奈を送ってもいいか」
「ああ、そうした方がいいな」
「じゃあ、優奈。家まで送るぞ」
そう言って歩き出したが……優奈は着いて来ない。
「いらない。一人で帰れるから」
優奈は不満げに俺を見る。
何故、遠田に許可を取らないといけないのかという事に引っ掛かっているのだろう。
「事情があるんだよ、色々と」
「じゃあ説明して」
「わかったよ。帰りながらな」
そう言うと、やっとの事で優奈が歩き出した。
気を遣ったのか、遠田は少し距離を取って着いてくる。
「じゃあ、掻い摘んで話すよ。実はな――」
俺は優奈に今までの出来事を出来るだけマイルドにして話した。
雪嶋がいるので、おそらくは陸浦も能力者であるという事には触れずに済ませた……いや、雪嶋がいなくても、話さなかっただろう。闇雲に全てを話せば、優奈を不安にさせてしまうだけだ。
「――という事があったんだよ」
全てを話を終えた時は既に自宅が目と鼻の先だった。
優奈は黙ったまま話を聞き終えると、肩から提げていたバットケースを俺に差し出す。
「これ、返しておく。もう預からないから、持ってこなくていい」
「そうなのか?」
「今までは私に黙って勝手な事をしないように預かってただけ――これが無くても排除が出来るなんて知らなかった。今まで、私に隠れて排除してたって事ね。そして、本当に大事な時だけ、これを取りに来ていた」
「まあな」
「だったら預からない方がいい。ただ無意味に無茶な事をさせてるだけだったって事だから……」
「それは勘違いだよ」
「は?」
「排除に道具を使うのは対象者に感覚的に『排除』を意識させる為のものだ。だから、鉄パイプとかゴルフクラブとか、そういう堅いもので叩いた方がより強い力を発揮できる。だけど、そんなもの持ち歩いてたら捕まるだろ? だからこそのプラスチックバットなんだよ」
「じゃあ、このバットであることに、それほどの意味はないって事?」
「そういう事だよ」
優奈は俺に無言でバットケースを投げつけて、自宅へと戻っていった。
それを見送った七原が口を開く。
「……でも、このバットが戸山君の力を引き出してるって言ってなかった?」
「まあな。楓に与えられたものだという事で、俺の中での意味付けがあるからな。排除ってのは、そういう些細な事で変わってくるもんなんだ」
「じゃあ何で、今嘘をついたの?」
「これが有用なものだとバレると、また人質にされるかもしれないだろ。何だかんだ言って、鉄パイプの方が効果があるのも事実だしな」
それに、そうでも言わないと、あれで優奈は考えすぎてしまうところがある。自責の念で、心のバランスを崩されても困るのだ。何しろ、あいつは能力者なのだから……。
まあ、何はともあれ、これで気兼ね無くバットが使えるという事だ。プラスに考えておくべきだろう。




