移動
「取り敢えず、来た道を戻ろう」
そう言って、俺達は歩き始めた。
帰りは下り坂の分、少し楽ではあるが、玖墨の家からの景色を思い出し、結構歩かなければいけないと、げんなりしていた。
携帯を確認すると、逢野姉からSNSでメッセージが来ている。
それを読み、ささっと返信した。
携帯をポケットに入れ、視線を上げると、七原がこちらを振り返っている。
「この後はどうするの? 行き先は?」
「それは考えてあるよ……と、その話の前に、二人に謝っておかないといけない――本当にごめん」
「何で謝るの?」
「こんな事に巻き込んでるからだよ」
「私達を指名してきたのは玖墨さんだよ。戸山君じゃない」
遠田も真剣な顔になる。
「そうだ。戸山には何の落ち度も無い。それに、玖墨先輩が言ってただろ、司崎さんと私には因縁があるって。私は今夜、獣化した司崎に何も知らず殺されていたかもしれない。それよりはよっぽどマシだ。むしろ、礼を言いたいくらいだよ」
そう言うと、遠田は七原の方に向き直った。
「……だけど、七原さん。七原さんは、こんな危険な目に遭う理由が無い。だから七原さんだけでも帰ってくれ。これは私の問題だ。玖墨先輩の言ったように七原さんが巻き込まれるなんて事になったら……私は困る」
「それは出来ないよ。私は遠田さんを守りたいし。戸山君の排除に協力したい。ここにいるなと言うなら、私は一人でも真実を突き止めるから」
「そうか……わかった。ありがとう」
遠田は眉間に皺を寄せながら、そう言った。困りに困った末の、その言葉だったのだろう。
昨日の件もそうだったが、七原の決意を覆すのは難しい。
「で、どうなんだろう? 司崎さんは本当に私に恨みがあるんだろうか? 司崎さんとは、どう考えても昨日が初対面というか――いや、昨日は遠くから見ただけだから、対面とも言えないな――司崎さんの噂は聞いていたが、自分と関わりがあるとは思ってもみなかった」
「司崎と関わりが無いなら、玖墨が司崎と一緒にいると言っていた青髪の男の方はどうなんだ? そっちの方は知らないのか?」
「青髪なんて心当たりが無い」
「そうか……でも、最近青髪にしたかもしれないな。他に特徴が無いかも聞いておけば良かった」
「私は人の顔を覚えるのが苦手だ。だから、特徴を言われても分かったかどうか」
「じゃあ、恨まれてるって事に関しての心当たりは?」
「それも色々と考えてみたんだが、恨みを買った事が無いとは言わないが、そんな風に危害を加えられるような事をした覚えはない」
「まあ、そうだよな。いくらヤンキーだったとはいえ、よっぽどの事が無い限り、遠田がそんな事をするとは思えない……じゃあ、やっぱり玖墨の嘘だと考えるべきかな。俺達が司崎の排除に真剣に取り組むようにする為の嘘だと」
「でも、それなら司崎さんと一緒に青髪の男がいるなんて言うかな? そんな男が実際に存在するにしても、しないにしても」
七原は俯いて考え込みながら、そう言った。
「そうか……そうだよな。何故、玖墨は殊更に青髪の男の話をしたのか……」
「そもそも、全て玖墨さんの嘘なら、司崎さんのターゲットは戸山君って事にすればいいよね? 能力者が排除能力者の命を狙う。これが一番単純で、納得させやすい話だと思う」
「遠田を狙ってるって言ったのも、青髪の男がいるって言ったのも、これが本当の事だからって事か?」
「そう。これは、あくまで玖墨さんの予言なの」
「予言って話に関しても、訳が分からないのは、玖墨は予言が外れるのが気に食わないから、小深山兄の受験を妨害をしたって話だったよな。それなのに、今回は未来を変えると言ってきてる。これは何なんだろう?」
「単純に考えれば、あの受験妨害の件は、予言を当てる為の行動と言うより、小深山君のお兄さんへの嫉妬心とか、そういうものからだったって事なんだろうね。結局、玖墨さんは、予言が外れても自分が未来を変えたと言うことが出来る。玖墨さんにとっては、自分の予言が当たるかどうかなんて、それほど重要じゃないんだよ。玖墨さんは、その場その場で適当な話をしてるだけなんだと思う――玖墨さんはそういう感じの人だと思ったよ。嘘つきっていうか、本当の事は滅多に言わないタイプ」
「なるほど」
「だから、今回の件では、玖墨さんが言った事の中で何が本当かを考える必要があると思う――それで、まず一つ前提として考えても良いと思うのは、私達に対する敵意ね。排除能力者が能力者にとって邪魔なのは当然だし。彼らにとって戸山君が脅威なのは確かだと思う」
「そうだな」
「それと、司崎さんが獣化して事件を起こす事によって、排除能力者が集まって来るのが迷惑ってのも確かな話だよね。そんな未来が迫っているからこそ、玖墨さんは、こんな風に排除能力者の戸山君と関わりを持たなければいけなかったんだと思う」
「そうなのかな。玖墨は何に、そんなに困ってるんだろう?」
「家が消えただの、カップが片付けられてただの、そういう状況から考えるに、玖墨さんには恐らく能力者の仲間がいる。そして、それは一人とは限らない。一人いるのなら、何人かいるかもしれないでしょ? 玖墨さんは、排除能力者が来ても、この街から逃げればいいだけだとは言ったけど、玖墨さん一人なら簡単な話でも、仲間を引き連れて逃げるとなると、色々と難しくなると思う……まあ、いざとなれば、玖墨さんは一人で逃げるとは思うけどね」
「玖墨本人が話してた以上に、司崎の獣化は切実な問題かもしれないって事だな」
「そう。そうなんだけさ……私の推測では、それでも玖墨さんは、この一件をチャンスだと思ってるんじゃないかと思う」
「チャンス?」
「戸山君を取り込む為のチャンスだよ。玖墨さんの思い描く最高のシナリオは、司崎に追い詰められた所で私達を救って、恩を売る事。それによって、戸山君と本格的に協力関係を築こうとしている。自分にとって不都合な司崎さんみたいな能力者を排除してもらい、自分は見逃してもらう。そんな風に、戸山君を自分にとって都合のいい排除能力者にしようとしている」
「なるほど」
「おそらく、玖墨さんは司崎さんが能力に目覚めた原因も知っていると思うよ。その情報を小出しにしていって、最後の所は、私達が本当にギリギリの時に教えるつもりなんだよ。本当に命に関わる状況の時にね――玖墨さんは、これに関していくらでもチキンレースが出来る。もし何か想定外の事故が起こっても、自分が警告した通りだと言ってしまえばいい。後で、そういう風に言い逃れできるような言葉選びをしていたと思う」
「でも、玖墨は俺達と敵対関係があるって事を強調しているように感じたけど」
「あえて、そう言ったのは、頼られすぎても困るからだと思う。距離が近いと、より多くの手助けを求められて、それを断る理由を用意しないといけなくなる。だから、そう言ったんだよ。さらに、この立場を明確にする事で、戸山君に擦り寄ろうとしている意図を隠すことも出来る――そういう感じで、玖墨さんは相当な注意を払って発言してたと思う――だから、当然、玖墨さんは今夜バレてしまうような嘘を吐いていない。司崎さんの獣化、青髪の男、そして遠田さんに対する害意は全て本当の事なんだと思う」
説得力のある話である。
小深山兄の一件で、自分の見解を話す機会がなくて鬱憤が堪っていたのだろう。それを一気に吐き出すかように、七原はキレッキレになっていた。
遠田も口を挟むタイミングが無く、うんうんと頷くだけだ。
「玖墨は根っからの嘘つきであるが故に、嘘を吐いてはいけないタイミングが分かってるって事だな」
「まあ、こういう風に考えたところで、何がどうなるって話でもないんだけどね」
「いや、玖墨のスタンスについて、一定の見解が出た事は前進だよ」
「でも、だからといって、玖墨さんの言う事を信じるのも危険だよね。自分たちで何とかしないといけないって事は変わらない」
「それはそうだな……玖墨に協力を持ちかけられた時の対応については追々考えよう」
「協力するつもりなの?」
「能力者を何人か知っているのなら、それはそれで有用だ。能力者を手繰り寄せて、全員排除する」
「……そう。まあ、じゃあ、それは後で考えて。今は司崎さんの能力について解き明かすことに集中しなきゃいけない……といっても、どうやって司崎さんの事を調べれば良いのか見当もついてないけど」
「それなら少し考えてるよ」
「どんな事を?」
「これから、雪嶋恵理って人に話を聞こうと思ってる」
「雪嶋さんって?」
「逢野姉の友達だよ。小深山兄や玖墨と同じ三年A組のクラスメートだった奴だ。逢野姉と同じくB大に通ってるらしい」
B大は地元にあり、十分に通える距離にある大学である。
「へえ、そうなんだ」
「そもそも、小深山が司崎の居場所に辿り着けたのは、司崎が繁華街に出没するとの情報が、雪嶋から逢野姉を経由して小深山に伝わったかららしい。逢野姉は雪嶋と大学で話すことがあって、雪嶋が司崎を見たという話を偶然聞いていたそうだよ」
「でも、今の司崎さんは、かなり様子が変わってるんでしょ? ほぼ別人ってくらいに。よく、司崎さんが司崎さんだって分かったよね」
「俺も同じ事を疑問に思ったよ。だから逢野姉に聞いてみたんだが――雪嶋は繁華街の方の店でバイトしていて、そこまでの道すがら、よく見かける男がいたらしい。その男を何度か見る内に、かなり見た目は変わってるが、司崎の面影がある事に気が付いた。そして、バイト先の店の人に、その人物の名前を聞いたんだ。そうしたら、店の人は、『あの人とは関わっちゃいけない』と渋りながらも、その人物の名前が司崎であると教えてくれたらしい」
「ちなみに、雪嶋さんは何のバイトしてるの?」
「キャバ嬢だよ」
「へえ」
「その雪嶋から話を聞きたいと思ったから、今夜会わせてくれと逢野姉に頼んでいたんだ」
「キャバ嬢だから?」
「は?」
「キャバ嬢だから会ってみたいの?」
七原が、じとっとした目で俺を見る。
「ちげえよ」
「でも、ただ単に今の司崎さんを見分けられた人ってだけでしょ? それだったら、小深山君のお兄さんだって、そうでしょ?」
「いやいや、説明不足だったよ。それだけじゃないんだ。逢野姉に、司崎が教師を辞めた理由を知らないかと聞いたんだけど、それも雪嶋がよく知ってるんじゃないかなと言われたんだ。雪嶋は高校時代、司崎の事が好きで、いつもベッタリだったらしい。卒業式の日も、司崎は担任なのに学校に現れなかったらしいんだが、雪嶋は『先生が来ないなら帰る』と言い出したらしい。逢野姉は、それを止めようとしたんだが、雪嶋は『先生を見つけて、謝らないといけない』と言って、逢野姉の手を振り解いて帰ってしまった」
「雪嶋さんは、何かを知っているって事ね」
「ああ、そういう事だ」
「……でも、問題は雪嶋さんって人が話を聞かせてくれるかどうかだね」
「そうだな。それが問題だ。こっちは命が掛かってるなんて言っても信用してくれないだろうから、嘘でもハッタリでも何とか上手く説得して話を聞かせて貰わないといけない」
「そもそも会ってくれって言うには非常識な時間になってるよね――」
七原は時計を見ながら言った。
「――戸山君には何か策があるの?」
「策ってほどでもないよ。苦し紛れの賭けだったんだが――逢野姉に、司崎先生の甥が、行方不明の司崎を探していて、雪嶋と話したいと言っていると伝えてもらった」
「甥?」
「ああ。逢野姉によると、司崎は結婚していたが、子供はいなかったらしい。あまりに血縁が離れていたら、司崎を探しているということに説得力が無くなるだろ? だから、一か八かで、司崎の姉の息子、高校生の甥がいる設定で嘘を吐いた。その甥が、この街に来て司崎を探してるので、会って欲しいという感じで」
「結構、無茶な事してるよね」
「仕方ないだろ。能力の排除は時間との戦いだ。そのとき、出来る事をするしかない。これで駄目なら、自宅なり、キャバクラなりに押し掛けて話を聞くしかない。それでも駄目なら、他の手段を考えるしかない」
「で、どうなったの?」
「逢野姉によると、さっき雪嶋と連絡がついて、承諾を貰えたらしい」
「ああ。だから、さっき携帯を弄ってたんだね」
「ああ。出来るだけ早く、話を聞けるように話を進めて下さいと返信したんだよ」
そんな事を話していると、俺の携帯が鳴り始めた。
「ああ、丁度、逢野姉からの電話だ」
俺は携帯をタッチして、応答する。
「もしもし、戸山君」
電話口から甘ったるい声が聞こえてきた。
「はい。逢野さん、ありがとうございます。色々と」
「ううん。大丈夫。で、今、雪嶋さんから返信があったんだけど、『十分後に、繁華街の近くの公園で待ってる』って。行けそう?」
頭の中で公園までの距離を考える。
「そうですね。大丈夫そうです」
「ごめんね。戸山君の都合もあるんだろうに……いきなり場所と時間を送ってきたのよ……今更だけど、やっぱり雪嶋さんを紹介するべきじゃなかったかもしれない」
「どういう事ですか?」
逢野姉は何かを考えた後、
「……ちょっと面倒くさいところがある子だから……でも、いい子なんだよ」
と言った。
面倒くさいか……そんな事を聞いてしまうと、もう不安しかなくなる。しかし、やはり雪嶋恵理とは一度会ってみるしかないのである。




