31.温厚な人ほど怒らせると怖い。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
部屋に戻ると、いつも通りのリティと、真顔のつもりなのかな? ぶーたれたみたいになってるビアンカが出迎えてくれた。
ビアンカ用に用意したお仕着せに着替えている。
……一応、挨拶は出来たか。
これで駄目だったら流石の私も返品するしかないところだった。
「リティ。どう? 何とかなる?」
「厳しいかと存じます」
「……」
言われた途端にぷぅっと膨れるビアンカ。
……えぇ~~……。
真顔じゃなくて、ほんとにぶーたれてたんかい。
私初めて体罰は必要かもって思ったよ。殴りたい。
さっきのやる気はどこ行ったよ。
私が離れている間に何があった??
「そうね。駄目かもしれないわね……」
「っ何でよっ! あたしちゃんとやってるじゃない!」
「出来てないじゃない。あたしじゃなく私。主に対しての口の利き方は?」
人参も駄目か――……。どうしよ。
「何よ……っ! 何よ何よ何よっ!! やっぱりあんたは悪役令嬢なのね! あたしの事、平民出だからって馬鹿にしてるんでしょ! こいつとグルになってあたしを虐めて楽しんでんでしょ!? あんたなんてアイザックに断罪されたら良いんだわ!!」
ビアンカがそう叫んだとたん、バンっと扉が開いた。
ドアの音に飛び上がるビアンカと私。
険しい顔をしたフレッドがそのままずかずかと入ってくる。
え、フレッドどした?!
「――娘。ブランシェル公爵令嬢、アウラリーサ様に対し不敬である。謝罪せよ」
フレッドは冷たく言い放つと、シュリンっと剣の音を響かせ、固まるビアンカの鼻先へと、剣の切っ先を向けた。
「ひっ……」
――へたり。
真っ青になって、ビアンカがへたり込む。
「……フレッド?」
いや、ほんとどした? 温厚なフレッドらしくない。
こんなお子様相手に剣を向けるような大人げない人じゃないのに。
「この方はアウラリーサ・ブランシェル公爵令嬢。メルディア王国筆頭公爵家のご令嬢である。本来であれば、目通りすら叶わぬお立場の方。分をわきまえよ。次に無礼な真似をすれば、子供であろうと容赦はせぬ。問答無用で斬り捨てる故、覚えておけ」
ヒュン、と剣を一度振り、鞘へと納め、呆気に取られる私に向かい、フレッドが頭を下げる。
顔を上げる時、一瞬フレッドが笑ったように目を細めた。
――あ。
そっか。フレッドは、ビアンカに自分がしていることがどういうことなのか、わからせようとしたのかも。王侯貴族への不敬は死罪にあたる。そのくらい、重大なことなんだって。
「お嬢様。お部屋に勝手に押し入りましたこと、ご無礼致しました」
「いいえ。お務めご苦労でした」
「御前失礼致します」
フレッドはビアンカを一瞥すると、マントを翻し、部屋の外へと出て行った。
私はへたり込んだビアンカの前にしゃがむ。
「――もう一度聞くわ。元の生活に戻る? それとも、残る?」
「……もう、もうし、わけ、ござい……ません、でした……っ」
ビアンカの瞳から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。
「……私も、無理を言ったわね。やめても、良いのよ? あなたは平民のままの方が、幸せなのかもしれないわ」
「いいえっ! 私、ちゃんと、頑張ります……っ。うっ、上手く、できなくて、お金、どんどん、減っちゃうし……っ、今度こそ、って、思ったのに、く、くや、悔しく、って、なさけ、なくてっ、それでっ……」
ぱたぱた、ぱたぱた、床に涙のしずくが落ちる。
私は黙って耳を傾ける。
「甘えて、た、っっです……っ。ごめ、なさ……っ、はん、せい、しまっ……、リティ、さんにも、やつあたり、してっ」
「……リティ」
リティは小さくため息をつくと、苦笑を浮かべ、頭を下げた。
「……畏まりました」
***
あの後、ビアンカが落ち着くのを待ってから、ビアンカをサロンへと案内をした。
お父様とお母様、お兄様。それに、クロエさんとマークさんにも集まってもらった。
目を真っ赤に腫らしたビアンカは、深く、頭を下げ、謝罪をした。
クロエさんとマークさんも、ビアンカの隣に寄り添って、一緒に深く頭を下げていた。
お父様は、私が決めて良いと言ってくれた。
ビアンカの両親は、ビアンカの行儀の悪さを鑑みて、とても公爵家では働かせられないからと、王都の近くに家を借り、クロエさんだけを公爵家で働かせて欲しいと頭を下げた。
ビアンカは、反省し、本気で努力するから、もう一度だけチャンスが欲しいと、自分の両親にも頭を下げた。
フレッドがよほど怖かったのか、それとも別の理由があったのかは、わからない。
でも、ビアンカの態度は、別人のように変わった。
リティに自分から質問をし、やり方を真似、妙な敬語になったりはするけれど、きちんと敬語を使おうとする姿勢を見せ、ぎこちないながらも、簡単な所作を教えられるまでになった。
コインは後三枚まで減ってしまっていたけれど、一月近く経つ頃には、見違えるようになっていた。




