悲しき試練
「 彼女が僕の婚約者になるソアラ・フローレン伯爵令嬢だ! 」
王太子殿下が自らの声で宣言した。
2人の公爵令嬢を婚約者候補から外し、出された王命の新たな婚約者候補が伯爵令嬢だった。
産まれた時から王子の婚約者候補として未来の王妃になるべくして、アメリアとリリアベルは教養もマナーも身に付けて来た。
人生の全てを王子に賭けて来たのである。
なのに……
アメリアは22歳、リリアベルは20歳になっての婚約者候補の取り消し。
サウス家とイースト家の面々が怒りに震えたのは言うまでも無い。
誰もが思った。
あの王妃のせいなのだと。
優しく穏和な我らの国王陛下の考えでは無い筈だと。
そして……
新たな婚約者候補として選ばれたのは、侯爵令嬢では無く伯爵令嬢だった。
初めて見るソアラ・フローレン伯爵令嬢。
今まではその存在すらも知らなかったフローレン伯爵家の令嬢。
それも大伯爵家では無く、領地も商会も持たないただの文官の家系だ。
一体どんな令嬢なのかと確かめようにも……
王室はお妃教育として彼女をさっさと入内させた事から、ソアラ・フローレン伯爵令嬢の実態は見えなくなってしまったのだ。
数々の噂が飛び交う中……
ソアラ嬢は大層可愛らしい顔をしていると言う話が聞こえて来た。
成る程と誰もが思った。
地位も富も何も無いのなら……
顔で選んだのだと言う事しか考えられないのだから。
王太子殿下が可愛らしい彼女の前で跪き、手の甲にキスをすると言う挨拶をしたと言う話は有名だ。
本来ならば……
王太子がこの挨拶をするのは相手が王妃か王女に限っての場合。
身分の低い貴族令嬢に対しては行わない所為なのだから。
婚約者候補では無く婚約者になると言って、今、王太子が肩を抱き寄せている令嬢は……
普通の顔であった。
何度見直しても。
何故彼女が選ばれたのかが分からない。
麗しの王太子殿下の横には常に美しいアメリア嬢とリリアベル嬢がいたからか、2人が並んでいる姿には違和感しか感じなかった。
横にいるピンクのドレスの令嬢では駄目なのか?
何故紺のドレスの方なのかと。
それに……
この婚約は王命だ。
だったら彼女に特別な何かがあるのかと、皆は更にソアラに注視するのだった。
皆の視線が私に突き刺さって来る。
こうなるのは分かっていた事だ。
横にルーナがいるのだ。
誰もが彼女の方が殿下に相応しいと思うだろう。
スルーされるのには慣れているが、こんな風に注目されるのには慣れていない。
物心がついた時から注目されるのは何時もルーナだったのだから。
だけどこれも慣れなくてはいけない。
王太子妃になるのだから……
これからはあらゆる所で注目される事になるのだから。
『 出る杭は打たれる 』
私は思いっきり出てしまった杭。
ソアラはそう思って皆の視線をやり過ごした。
ソアラは幼馴染みがルーナと言う理不尽な人生を生きて来たが……
それでも卑屈な考えを持たない女性だった。
理不尽な目にあったとしても……
それを仕方が無いと何らかの理由を付けて自分で完結してしまうのだが、それは次に前向きな考えをする為であった。
そして正義感が強く勤勉だ。
だけど決して前には出ない。
何時も控えめでいるが……
やる時はやると言う。
ソアラの人となりを知る者は皆が彼女の事を好きになるのだった。
残念な事に……
多くの者がルーナだけを見て、ソアラを見る事はあまり無かった。
***
ルシオはソアラとフローレン夫婦を連れて両陛下と、シンシアのいる場所へ挨拶に向かった。
両家の顔合わせのお茶会はこのクリスマス明けに行われる予定になっている。
学園に通うシンシアとソアラの弟のイアンが、クリスマス休暇になるのを待っていた事から。
サイラスがダニエルに声を掛ける。
「 引っ越しの準備に忙しいだろう 」
「 はい……しかし我が家の荷物なんて、あの広いお屋敷に入れたら1部屋分しかないかと思われます」
ダニエルの言葉に両陛下が顔を見合わせて声を上げて笑った。
そなたは冗談が上手いと言って。
ルシオもクスクスと笑って。
いや、冗談では無いのだ。
ソアラはまだ新しい邸宅に行った事は無いが、さっき2人から聞いた話では新しい邸宅はそれ程広いとか。
「 ソアラ嬢は明日から準備の為に自宅に帰るのだな 」
「 はい。仕事も一段落致しましたので、引っ越しの準備をしに帰ります 」
仕事の話が出たのでサイラスは嬉しそうに微笑んだ。
少し笑った顔が殿下に似てるとソアラは思った。
殿下は両親の良いところばかりを貰った顔だと。
私はどちらの良いところを貰っても、普通顔にしかならないのだから。
「 仕事の事はルシオとカールから聞いている。そなたの力添えに感謝する 」
「 勿体無いお言葉を有り難うございます 」
それから少し仕事の話をサイラスとルシオとソアラがし出した事で、フローレン夫婦は皆に挨拶に行くと言ってその場を後にした。
両陛下との話が終わると、ルシオとソアラの元には皆が挨拶に来だした。
ダニエルとメアリーの事が気掛かりなソアラは、挨拶の合間に2人の姿を目で追った。
フローレン夫婦の挨拶周りに、いつの間にかルーナが付き添っていた。
ルーナと挨拶周りをしているダニエルとメアリーの周りは和やかなムードになっていて。
2人に飲み物を取ってあげたり、皆にもナプキンを渡したりと甲斐甲斐しく世話をやくルーナの姿をソアラは見ていた。
お父様もお母様も楽しそうだ。
2人と皆の間を取り持つようにして、ルーナは楽しい話で盛り上げてくれている。
ソアラはルーナに感謝した。
彼女がここに来てくれて良かったと。
ルーナが腕に抱き付いて来た時に……
嫌だなと思った自分のどす黒い心を恥じた。
皆の挨拶が一通り終わると……
シンシアの侍女がソアラを呼びに来た。
シンシアの方を見れば夫人達や令嬢達が集まっていた。
そこにはアメリアやリリアベルもいて。
シンシアがソアラをよく思っていない事はルシオも知っていた。
財務部の部屋で、ソアラがシンシアに辛辣な言葉を投げられた事は聞いていた。
勿論、その後にシンシアを叱ったが……
彼女は頬を膨らますだけで納得をしてはいなかった。
そして……
リリアベルがいるのだ。
シンシアとリリアベルは仲が良い。
2人がソアラに何を言うのかと思ったら胃がキリキリと痛んだ。
やはりアメリアにソアラを守って欲しいと言えば良かったと後悔した。
頼みの王妃エリザベスは……
公爵夫人達とバトルを開始していた。
今、母上は使えない。
あの世界には国王である父上でさえも入れない世界だ。
「大丈夫か?」
ソアラはコクンと頷いた。
社交界の女の世界は王妃である母上さえも苦労している。
4人の公爵夫人と付かず離れずの関係を築かなければならないのだから。
特に……
アメリアの母であるサウス公爵夫人とは、過去の因縁がある事からバチバチである。
ソアラは社交界には出た事が無い。
そんな彼女にいきなりの試練なのだ。
「 頑張っておいで 」
ルシオがソアラの肩をトンと押し出した。
「 はい 」
ソアラは大きく深呼吸して一歩前に踏み出した。
カールがルシオの側にやって来た。
両手にはワインの入ったグラスを持って。
ワイングラスをルシオに渡しながらカールが言う。
「 今宵に婚約発表をして良かったのですか? 」
「 ああ、婚約者候補のままでいるよりは、ソアラの地位は上がった筈だ 」
カールからワイングラスを受け取ったルシオは、ゴクンと一口飲んだ。
王太子妃になるソアラは、これからは社交界を牛耳って行かなければならないのだ。
それならば……
この公爵家の面々がいるこの機会に、婚約発表をした方が良いだろうとルシオは考えた。
まだ正式では無いが……
婚約者候補と言う名目が、皆を誤解させたのだ。
当初はソアラ自身も誤解をしていた程だ。
そして……
この候補と言う名目を外さなければ、何時までも他の令嬢を進言されてしまうだろう。
母上の元には今でも釣書が送られて来てると言うのだから。
婚約者候補から婚約者となったソアラの試練が今始まる。
シンシアとアメリア、リリアベル達のいる場所へ行くソアラの後ろ姿を、ルシオとカールは見つめていた。
***
ソアラはシンシアのいる前に行きカーテシーをした。
しかしソアラを呼んだシンシアは……
ソアラに声を掛ける事は無く、完全に無視をした。
いきなりだ。
想定はしていたが。
そして……
「 ルーナ・エマイラ伯爵令嬢! こちらへ来て! 」
シンシアはルーナを自分の側に呼び寄せた。
呼ばれたルーナは直ぐにやって来て、シンシアに向かってカーテシーをした。
ふわりとピンクのドレスが綺麗に広がり、甘いバニラのような香りが辺りに漂う。
「 彼女がお兄様が跪いて挨拶をした令嬢よ 」
「 !? 」
皆がルーナを見た。
情報は錯綜していたが……
これだけは事実なのである。
ルーナ本人を前にして皆が納得をする。
彼女はアメリアとリリアベルに匹敵する程の可愛らしい令嬢なのだからと。
「 お兄様はね、本当は彼女が新しい婚約者候補なら良かったと思っていたのよ 」
ソアラを見て目を細めたシンシアは、紺のドレスの裾を持ってユラユラと揺らした。
「 そんな事…… 」
それを聞いたルーナが、可愛らしい声で両手を頬に当てた。
「 何かが間違って、そちらの礼儀知らずの令嬢が選ばれたに決まっているわ! 」
皆はシンシアの言った事に頷いた。
王族と同じ色のドレスを着るなんて……
シンシア王女殿下は紺のドレスを着ると言うお触れは出ていた筈なのにと。
「 本当に……こんな令嬢が王太子殿下の婚約者になって良いのかしら? 」
皆の視線がソアラに突き刺さる。
ソアラに仕える侍女達は、シンシア王女殿下はピンクのドレスを着ると言っていた。
それを侍女達に知らせずに急遽変更した事になる。
シンシア王女殿下は同じ色のドレスを着ている私を辱しめて……
私が殿下に相応しくないと皆に知らしめたかったのだろう。
シンシア王女殿下は私の事を認めていない。
私は殿下に相応しく無いと面と向かって言われた事もある。
それを知っていながら……
これは社交界に慣れていない私のミスだ。
もっとしっかり確認すべきだった。
仕事では最後の最後までしっかりと確認するのだが。
だけどそんな事よりも……
もしかしたらサブリナ達はこの事を知っていて、私に紺のこのドレスを着せたのかも知れない。
彼女達とは仲良くなったと思っていたのに。
だけど……
彼女達は王妃陛下の侍女で、シンシア王女殿下とも関わりの深い侍女達。
彼女達も本当は私の事を嫌がっているのかも知れない。
彼女達の大事な王太子殿下には相応しく無い私なのだから。
そう思うと……
ソアラは悲しくて仕方が無かった。
そして……
ソアラはダニエルとメアリーがこの場にいない事に安堵した。
親ならば……
娘が礼儀知らずと罵られ、頭を下げる姿なんかは見たくは無いだろうから。
ソアラはシンシアに深く深く頭を下げた。




