そっちの令嬢
「 私はシリウス・ウエストと申します。以後お見知り置きを 」
ソアラの前に跪いて、手の甲に口付けをした男がそう言って微笑んだ。
とても凛々しい顔をして。
えっ!?
ウエスト公爵令息?
突然の所為に驚いて目を大きく見開いたソアラを見たままに、シリウスはソアラからそっと手を離した。
「 あっ!……わたくしはソアラ・フローレンと申します 」
ソアラは座っていた椅子から慌てて立ち上がり、ドレスの裾を持って丁寧にお辞儀をした。
シリウス・ウエスト。
漆黒の髪に灰色の瞳。
目は少し垂れ目気味で妖艶な雰囲の顔。
背は高くかなりの美丈夫だ。
黄金の髪に青い瞳が多い王族と公爵家の面子の中で、彼は母方の遺伝子が色濃く出ていた。
母親の祖母が異国の者だったと言う。
5年前に先の国王が崩御し、政権がウエスト一族からノース一族に代わった時に、丁度学園を卒業したばかりだったシリウスは隣国のオマール国に留学して行った。
経営学を学ぶ為に。
彼はとてもモテるらしい。
留学して行く彼を見送りに、港には沢山の令嬢が駆け付けて涙したとか。
勿論これはフローレン家のお喋りなメイド達から聞いた話なのだが。
勿論、16歳のデビュタントの時に王宮の舞踏会に行っただけでしか無いソアラは、本人を見るのは初めてだ。
「 女官姿も素敵でしたが、ドレス姿も素敵ですね 」
シリウスはそう言ってソアラをじっと見つめて来る。
まるで観察をするように。
「 えっ!? 」
またまた驚くソアラを見て、彼はクスリと笑いながら「 では……失礼致します 」と言って胸に手を当て、ソアラにお辞儀をして踵を返して去って行った。
殿方に……
自分の前に跪かれ、手の甲にキスをされると言う正式な挨拶をされたのも初めての事。
自分の名前を口にしながら、自分の幼馴染みにそれをした我が国の王子様を目撃はしたが。
「 ソアラ、顔が真っ赤よ 」
ソアラの顔を覗き込んで来たルーナが、可愛らしい声でクスクスと笑う。
ソアラが慌てて両手を頬に当てた。
頬が熱い。
「 私は何回もされた事はあるけれども……やっぱり王太子殿下からされた時が一番ドキドキしたわ 」
本当の王子様はやはり特別だったわと言って。
何だかその言葉にムッとするが。
初めての事にドキドキしたのは確かだ。
「 ソアラは彼と知り合いなのね? 」
だから彼は私に気が付かなかったのだわと、自分がスルーされた理由を呟いていた。
またまたムッとしたが。
事実なのだから反論のしようが無い。
「 私は初めてお会いしたのだけれども…… 」
どうやら向こうは私の事を知っているようだ。
女官姿がどうとか言っていたから、仕事関係で会ったに違いない。
でも……
あの様相ならば記憶に残る筈。
人の顔は一度会ったら忘れない質である。
皆は自分の顔を覚えなくてもだ。
ソアラは頭を捻るのだった。
***
ルシオはあの事件の時に……
ソアラを何故呼び出し、そして何を言ったのかをリリアベルに聞きたかった。
しかし……
それを聞いたらソアラが何か告げ口をしたのかと思われかねない。
ソアラは何も言わなかったのだからソアラの気持ちを尊重しなければならないと、聞きたいのをぐっと我慢をした。
アメリアにはソアラを守って欲しいと言いたかった。
新年祭では高位貴族達が集う事もあって。
新年祭には国民に向けて正式に婚約発表をする事から、今その準備に追われている。
それに踏まえてフローレン家の引っ越しは年内に行われる予定だ。
発表されたら更に警備を強化しなければならない事から。
当然ながら納得しない者もいるだろう。
反対の声も上がるだろう。
慣例を破り、伯爵令嬢と言う身分の低いソアラが選出されたのは何故なんだと。
そもそもルシオも……
何故エリザベスがソアラを選んだのかは知らないが。
正式に婚約発表をされたら……
あのマリアン・ロイデン侯爵令嬢やミランダ・ドルチェ侯爵令嬢が問題だった。
彼女達とはデートをしたのだ。
アメリアとリリアベルとでさえしなかった2人だけの街デートを。
新たな婚約者候補として……
彼女達をその気にさせてしまったのは事実。
今から思えば軽率な事をしたと思う。
父上からは色んな令嬢と交流をする事を薦められた事から、カールが有力な侯爵令嬢を選んだのだが。
もっと慎重になるべきだった。
アメリアは我が国で最高位の公爵令嬢。
彼女ならきっとソアラを守れる。
学園時代はあの男爵令嬢から僕を守ってくれたのだから。
しかし……
アメリアが自分の事を好いていた事を思えば、ソアラを守れなんて事はいくらなんでも言えなかった。
ルシオの頭の中はソアラを守る事でいっぱいだった。
彼女は伯爵令嬢と言う低い身分なのだからと。
だから……
シリウスがソアラに挨拶をする所は見てはいなかった。
ソアラが会場の隅で両親といるのは確認していたが。
このクリスマスの夜に。
あのポンコツな出会いをやり直して、ロマンチックな夜をソアラと過ごそうと思っていたのだった。
***
「 ソアラ嬢! 」
カールがフローレン家のいる場所までやって来た。
「 殿下がお呼びです 」
カールはダニエルとメアリーに軽く頭を下げながらソアラに言った。
この会場の隅から動きたくは無い。
今宵はお父様とお母様と一緒にいようと思っていたのに。
ルシオがいる場所は会場の上座。
当然ながら両陛下とシンシアがいる。
シンシアとドレスの色が被っている事から尚更で。
そして……
公爵家の面々がいて。
アメリアやリリアベルもいるのだから。
もう、猛烈に行きたく無い。
胃の辺りがキリキリと痛くなって来た。
登校拒否の学生のように。
「 わたくしはシンシア王女殿下にご挨拶に行きたいのですが…… 」
一緒に行っても良いですかと、カールに向かって可愛らしい声でルーナが言った。
シンシア王女に?
確か……
庭園のお茶会で、ルーナが殿下とシンシア王女殿下と一緒にいる所を見た事がある。
仲良しなの?
ソアラは何だか嫌な予感がした。
「 構いませんよ。あっ! フローレン伯爵と夫人もご同願います 」
ソアラとダニエルとメアリーの3人は顔を見合わせた。
お父様とお母様も呼ばれたならばもう逃れる事は出来ない。
胃が痛いからと言って逃亡しようと考えていたが。
ソアラは……
行くしかないのだと腹をくくった。
「 ……はい 」
「 分かりました 」
何時までも端っこにいる訳にはいかないと言って、ダニエルはメアリーの肩を抱いた。
カールに続いてダニエル、メアリー、ソアラ、ルーナの順に歩いて行く。
ソアラがルシオの婚約者候補にすると王命が下されてから……
ソアラは初めて公の場に出て来たのである。
皆がこの一行を注目した。
王太子殿下の側近であるカールが連れているのなら、それはきっと殿下の新しい婚約者候補に違いないと。
ソアラ・フローレン伯爵令嬢が将来の王太子妃になり、やがては王妃になる令嬢なのかも知れないのだ。
ドルーア王国のこの四大貴族の公爵家の上に立つ人物。
それに相応しい人物なのかどうかを見極める必要がある。
自分達が崇め奉る人物かどうかを。
しかし……
皆の視線はルーナに注がれていた。
ソアラがルーナの前を歩いているにも関わらずだ。
皆が顔を突き合わせてヒソヒソと話をする。
その視線はルーナに釘付けだ。
「 この令嬢が王太子殿下の新しい婚約候補だ! 」
「 噂どおりに可愛らしい令嬢です事 」
そうして一行はルシオの前に到着した。
ダニエルは頭を下げて、メアリーとルーナはカーテシーをした。
ピンクのドレスがフワリと揺れて。
遅れて到着したソアラは、ルシオに挨拶をしている3人の後ろに立った。
今朝も2人で仲良く庭園をウォーキングしていて。
なので……
今ここで挨拶をする必要は無いのだから。
「 ルーナ嬢…… 」
「 王太子殿下にご挨拶を申し上げます 」
「 納税の仕事、手伝ってくれて感謝する 」
「 お役に立てて嬉しいですわ 」
2人が見つめ合って話す姿を見ると……
それはもうお似合いとしか言いようが無かった。
一部の者達は知っている。
ルシオがピンクのドレスがお気に入りだと言う事を。
それは……
ピンクのドレスはリリアベルが何時も着ていたドレスだったからで。
ピンクのドレスが似合わないキツメの美人のアメリアは、終ぞ着る事は無かったが。
そしてあの男爵令嬢が……
自分の着ているピンクのドレスは、ルシオ様の好きな色だと吹聴していた事もあって。
ルーナの着ているピンクのドレスは、ルシオが贈った物だと皆はヒソヒソと話をするのだった。
「 君を皆に紹介をする 」
ソアラがルシオの側に行くと、ルシオがいきなりそう言った。
「 えっ!? 」
凄く嬉しそうな顔をしている殿下が何だか憎たらしい。
今……
私はシンシア王女と同じ紺色のドレスを着てると言うのに。
皆の前に引っ張り出されると言う。
ソアラは目眩がしそうだった。
さっきから痛む胃は更にキリキリと痛んで。
ルシオは会場の皆に向かって声を張り上げた。
「 皆の者! 聞いて欲しい! 」
ルシオが片手を軽く上げた。
ざわざわとしていた会場が水を打った様に静まり返った。
そして……
ソアラの肩を抱き寄せた。
「 彼女が僕の婚約者になるソアラ・フローレン伯爵令嬢だ! 」
王太子殿下が紹介したのは紺色のドレスを着た令嬢だった。
えっ!? そっち?
会場の皆は驚いた。




