フローレン家の革命
ルーナの家はソアラの家の二軒隣にある。
だからここに来たのだろう。
ルーナだけでなく沢山のご近所さん達が集まって来て、ひそひそキャアキャアと大騒ぎになっていた。
王家の紋章の入った馬車が、フローレン邸の前に停まっているのだから。
この時ソアラは知ってしまった。
この1週間とても穏やか気分で過ごせた理由を。
ルーナとは幼馴染みで小さい頃からずっと一緒だった。
学園時代までは仕方が無いとしても……
卒業を控えて、やっと彼女と離れられると思った事が思い出される。
「 ソアラ! わたくしも経理部に行く事にしたわ! 」
一緒に試験を受けましょうと言われた時には何故なんだと思った。
学園を卒業したら、直ぐにブライアンと結婚をすると思っていたからだ。
この1週間……
ルーナが私の側に居なかったから快適だったんだ。
今、ソアラの目の前には……
騎士達に囲まれる中、2人だけの世界にいるようにルシオとルーナが見つめ合って楽しげに話をしている。
ルシオを見上げて、口元に手をやりクスクスと笑うルーナはとても可愛い。
殿下も可愛いと思っているのでしょうね。
ルーナは本当に可愛らしいのよ。
普通顔の私と違って。
あの時……
婚約者候補が私でガッカリしたわよね。
ルシオは……
ルーナをソアラだと思い込んで、跪いてルーナの手の甲にキスをしたのだ。
それは婚約者候補がルーナだったから。
彼はそれをとても喜んだからで。
ブライアンからソアラ・フローレンはルーナの横にいる令嬢だと言われた時のルシオの顔を思い出す。
ソアラはため息を一つ吐いて、踵を返して家に入ろうとした。
「 お嬢様、お出迎えをしないで宜しいのですか? 」
トンプソンが眉を潜めている。
何故殿下とルーナ嬢が、我が家の狭い庭先で話をしているのかとブツブツと言って。
「 楽しそうだから……わたくしはリビングで待っているわ 」
ソアラはそう言って家の中に戻って行った。
ドアを開けると……
ダニエル達が畏まってズラリと並んでいて。
「 殿下は? 」
「 さあ? 」
ソアラは無表情でそう言って、家人達を掻き分けてリビングのドアを開けた。
何時もそう。
ルーナがいると皆はルーナしか見ない。
ルーナと話をしたい。
可愛いルーナの側にいたい。
だから……
殿下もきっとそうなんだとソアラは思った。
これは中々中には入って来ないだろうと。
「 こら!ソアラ! 婚約者を出迎えもせずに、さっさと家に入るなんて酷いんじゃない?」
「 えっ!? 」
ソアラが開けたリビングのドアにルシオが手を掛けて立っている。
ソファーに座ろうとするソアラを見ながら。
その姿がとても格好良くてドキリとする。
「 ごめんなさい……殿下がルーナと話をしていたから 」
話の邪魔しちゃ悪いと思ったのだと言いながら、ソアラは慌てて立ち上がりルシオに向かってカーテシーをした。
ルシオは、家に入るソアラを見ると直ぐにソアラを追い掛けて来たのだった。
ソアラに言いたい事があって。
「 別にたいした話はしてはいない 」
ルシオはソアラの側に歩いて行き、2人掛けのソファーにドカッと座った。
「 えっ!?…… 」
「 一緒に行こうと伝達した筈だが? 」
ルシオは少し拗ねた様な顔をして、横に立っているソアラを見上げて来た。
何時も私が見上げているけれども。
見上げて来る殿下も格好良い。
いや、そんな事を思っている場合じゃ無い。
殿下は怒っているのだ。
ソアラは慌てて頭を下げた。
「 スミマセン……早くここに来たくて…… 」
「 僕の指示に従わない者は君が初めてだ! 」
「 ………… 」
そうだ。
彼は王太子なのだ。
国王陛下に継ぐこの国の権力者。
叱られるとばかりに肩を竦めながら……
ソアラは恐る恐るルシオを見やった。
しかし……
ルシオは凄く嬉しそうな顔をしていて。
自分が座るソファーの横をポンポンと叩いた。
えっ!?
ここに座れって事?
「 殿下……殿下のお席はあちらの1人掛け用のソファーですが? 」
「 君の家は狭いからね 」
「 そりゃあ……狭いですけど…… 」
たった1週間王宮で過ごした私でも「 狭っ! 」と思った位だから、殿下がそう思うのは当然で。
だからって……
空いている席は他にあるのよ?
タウンハウスは、貴族が王宮の近くに住む為に国が建てた家々だ。
城に勤務する者達の為に、通いやすいようにと。
なので当然ながらドレスで生活をする貴族女性の為に十分な広さはある。
ドアだって全てのドアは両開きだ。
キョロキョロと頭を動かして、狭いリビングを楽しげに見渡しているルシオの横にソアラはそっと座った。
あの後……
ルーナはどうしたのかしらと思いながら。
***
ソアラがリビングに姿を消すと直ぐにルシオが玄関から入って来た。
挨拶をしようと肩に力を入れたダニエルの横を、ソアラの後を追うかのように、ルシオはズラリと並ぶフローレン家の人々を掻き分けてリビングに消えた。
一瞬の出来事だったが。
フローレン家の面々は固まった。
「 本当に王太子殿下がここに来た……」
「 正に、麗しの王太子殿下だ 」
「 背がお高い…… 」
「 全体的にキラキラしていたわ 」
「 凄く良い匂いがした 」
想像以上のルシオに、フローレン家の面々は恍惚として動けなかったのだ。
直ぐにカール達もフローレン邸に入って来た。
ダニエルが慌ててカールに駆け寄って頭を下げた。
「 ノース様……殿下はどうなされたのですか!? 」
「 さあね 」
ニヤニヤとしながらカールはリビングに向かった。
カールはルシオとソアラの2人の距離感が面白くてたまらなかった。
ソアラ嬢を迎えに部屋まで行った時に、先に実家に戻ったと聞いた時の殿下の顔。
王太子であるルシオの指示に従わない者はこの国にはいない。
ルシオの婚約者候補であり、公爵令嬢と言うこの国の最高位の令嬢であるアメリアやリリアベルでさえもルシオには従順だった。
彼女達は常にルシオの前では完璧だったのだ。
余程一緒に行きたかったのか……
ルシオは馬車に乗っている間中ブツブツと文句を言っていた。
それでも何処か嬉しそうな顔をしていて。
「 ソアラをどうやって叱ろうかな 」
なんて楽し気に言っているのである。
いつの間にかソアラと呼び捨てになっている事にも驚いた。
カールは今まで見た事の無いルシオの変化を楽しんでいるのだった。
カールがリビングに入ると……
2人が狭いリビングの小さなソファーに並んで座っていた。
「 !? 」
その後に入室して来たフローレン家の皆は足が止まった。
これはどう言う状況?
するとルシオがその長い足を組み替えながら言った。
「 持って来た書類を広げないとならないから、カールはそこの1人掛けのソファーに座れ! 」
カールは自分の秘書官に沢山の書類を持たせて来ていた。
「 分かりました 」
ただ、ソアラ嬢にくっつきたかっただけでしょと思いながら、書類をテーブルの上に置くようにとカールは秘書官に指示をした。
そんなやり取りを見ながら……
ルシオの横にチョコンと座るソアラが何だか可愛くて。
フローレン家の皆はほっこりとするのだった。
改めて皆でルシオと挨拶を交わして、カール主体で話が進んで行った。
話は正式な婚約をする事と、警備のしやすい広い邸に引っ越す事であった。
「 あの……殿下と結婚するのはソアラでありますから……わたくし達はこの家にずっといたいと思うのですが…… 」
何よりも普通を望む一族の、フローレン家の当主ダニエルはそう言って抵抗を示したが。
「 それは無理です。あなた方はかなり危険な立場になっている事を自覚して頂きたい。やっかみや身代金目的で誘拐される場合もあるのですから 」
カールの説明にフローレン家の皆は震え上がった。
最早、従うしかない。
出てしまった杭は叩かれるのだから、叩かれ無いようにするしかないのである。
頭を悩ますフローレン家の3人を余所に、使用人達は大喜びだ。
大きなお屋敷に住めると言って。
馬車でのお買い物も夢じゃないと皆が騒いでいる。
「 使用人も募集しなくては…… 」
トンプソンは特に張り切っている。
久し振りの仕事だと言って。
カールが示した邸の候補は三軒ある事から、近々皆で見に行く事になった。
そして次の話は……
学園の1年生であるイアンは、特進クラスに行く様に言われた。
頭が良かったイアンは、先生達から特進クラスに行く事を何度か薦められていたが、文官になるつもりでいた彼ははそれを断っていた。
特進クラスとは医師や研究者への道に進む者の後押しをする為に、早くから特別な教育をするクラスである。
「 将来的に何になるのかはそなたが決める事だが、その選択肢は多い方が良い 」
ルシオはイアンを諭すように話を続ける。
「 特進クラスの者は文官にはなれるが、医師や研究者になりたいと思っても、特進クラスを経ていないとかなり困難になる 」
熱心に話すルシオにイアンは感銘を受けた。
普通クラスとは違って特進クラスは別の場所にあり、クラスにいる人数も限られている。
心ない上位貴族や上級生達から、変な苛めに合わない為にもその方が良いとソアラは思った。
それに特進クラスは授業料が無料なのも魅力的なのだ。
「 殿下……弟に気を配って頂いて有り難うございます 」
「 イアンは頭が良いのだから、文官も良いけれども違う道に進むのもありだと思うよ 」
まあ、将来はイアン自身が決めたら良いとルシオは笑った。
これはフローレン家の4人にとっては正に青天の霹靂だった。
文官でなければならないと言う枷に支配されていたフローレン家に、革命が起こったのだ。
それに……
『 出る杭は打たれる 』と言う家訓を守り、普通の生活をしていれば毎日が波風立てずに過ごせると思っていた事も、今では無意味な事になったのだと気付いた。
最早思いっきり杭が出てしまっているのだから。
そして……
それを守るとルシオが言ってくれているのだ。
フローレン家の面々はこの日ルシオをとても好きになった。
我が国の王太子は幼い頃から容姿端麗だけで無く、文武両道の優れた王子であり、その上に優しくて慈悲深い人物であると言われている。
正にその通りだと。
「 その上……ソアラにとても優しく接して下さってるわ 」
メアリーがそう言って……
話が終わり馬車に乗り込む2人を見ながら涙ぐんだ。
本当に有り難い事だと言って。
「 これこそ慈悲の心ですね 」
失礼な事を言いながら……
上等なスーツの上着の胸ポケットから出したお高いハンカチで、トンプソンは涙を拭うのだった。
***
その日ソアラはとても幸せを感じていた。
ルシオがこれ程までに自分の家族の事を考えてくれていた事が嬉しかった。
そして何よりも嬉しかったのは……
ルーナがいるのに、ルシオが自分の後を追い掛けて来てくれた事だった。
ソアラが婚約者なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
ソアラはこの時も……
ルシオはルーナを優先すると思ったのだ。
誰かと仕事の話をしていても……
そこにルーナが現れたら、話の途中であっても皆はルーナに注目する。
「 今、ソアラとお話をしていたのでは無いの? 」
「 良いの良いの! それは後でも……ルーナちゃん優先! 」
文官達は鼻の下を伸ばしながら……
向かい合って話をしているソアラにクルリと背を向けて、ルーナと話し出す。
「 後から話そう 」
ソアラはそう呟きながら自分の席に戻って行くのだ。
経理部で働く女性はソアラとルーナのたったの2人。
その、たった2人に対するあからさまな差別は、学園時代のそれよりもきつい。
殿下は……
ルーナよりも私を優先してくれた。
それは……
ずっと存在を無視されて来たソアラにとっては、何よりも心を揺さぶられる出来事だった。




