フローレン家の訪問者
翌日は休日だった事もあり、ソアラはルシオに一時帰宅を申し出た。
家族の皆が家にいると言う事もあって。
この1週間は自分の事で精一杯で、家族の事を考える暇もなかった。
自分がこの生活に慣れる為に必死だったのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
それでも……
ルシオがちゃんと我が家の事を考えてくれていたのが嬉しかった。
あの狭い我が家に警備がいるのかは別にして。
ルシオからは、午前中は用事があるので午後から一緒に行こうと言う連絡が来たが……
ソアラは朝から自宅に帰る事にした。
家族の事を考えたら……
少しでも早く帰りたくなっていた。
王太子殿下の婚約者候補になったのだ。
色んな事が普通で無くなった今、家族の各々の置かれている立場や環境が変わるのは当然な事。
「 イアンは……学園でどうしてるのかしら? 」
元々王宮勤めの父親は然程変わりは無いだろうが、まだ学園の1年生である弟の事が心配でならない。
自分の事でイアンが上級生から苛められていたらと思うと、胸が苦しくなる。
自分も……
シンシア王女に辛辣な言葉を投げ掛けられた事もあって。
毎日職場に歩いて通っていた宮殿なのに……
馬車と護衛付きで、徒歩10分のタウンハウスに行かなければならない不自由さに、王族と結婚するのだと言う事を自覚する。
王宮では自由に動きまくっていた事からあまりそれを意識した事は無かった。
警備の者が至る所にいるので護衛を付ける必要が無いのだ。
因みに……
王宮には王宮を警備する警備員と王族を警護する騎士団の騎士がいる。
警備員は騎士団を退団した騎士がなる事から、年配の者が多いと言う。
***
「 お嬢様!? まさか……もう、追い出されたのですか? 」
フローレン邸のドアを開けた執事のトンプソンが、細い目を丸くして驚いている。
もうって何だ?
もうって……
トンプソンの毒舌は相変わらず健在だ。
「 違うわよ! お休みを貰えたから一時帰宅させて貰ったのよ 」
そうですかと言って、ホッとした様な顔をしたトンプソンはソアラの帰宅を告げた。
「 旦那様、奥様、ソアラお嬢様がお戻りになりましたよーっ! 」
自宅に帰ったのにそう言われるのは何だか妙な気分だった。
大体トンプソンは家族が帰って来ても、出迎えるだけでこんな風に家族を呼び寄せる事はしない。
何か緊急な事があった時は別だが。
外から見ても小さい家だが、家の中に入ると壁に圧迫されて窮屈さを感じずにはいられない。
「 うちってこんなに狭かったのね 」
これはもう思ってた以上に。
広い宮殿にいたからか……
廊下の狭さと短さに苦笑する。
「 ソアラですって!? 」
リビングからダニエルとメアリーが飛び出して来た。
休日の午前中のこの時間は、夫婦2人でゆっくりとリビングでお茶を飲んでいる時間だ。
2階からはイアンが下りて来た。
彼は自分の部屋で勉強をしていたのだろう。
早く寝るフローレン家では勉強は朝にするのが常だ。
ソアラも学園時代は試験勉強は朝にしていた。
皆が、今までと変わらずに規則正しく過ごしている事に少しホッとする。
ソアラ自身も……
本来ならば休日の午前中は部屋で翻訳のアルバイトをしている時間だ。
本が好きなソアラは外国の本も読んでみたくて、辞書を読み解きながら独学で外国語をマスターしていた。
なので……
図書館勤務の父親の紹介で、趣味がてらに翻訳のアルバイトをしていたのだ。
もうそのアルバイトも出来なくなったが。
「 お父様、お母様、イアン……ただいま戻りました 」
「 辛い事は無い?皆に苛められてはいない? 」
「 王宮での暮らしはどうだ? 」
「 姉上!毎日どんな事をしてるのですか? 」
ソファーに皆が座ると同時に、矢継ぎ早に質問を浴びせられる。
メアリーはソアラをハグしながら涙ぐんでいて。
余程心配していたようだ。
「 大丈夫よ。皆は親切で……ちゃんとお妃教育を……頑張っているわ 」
お妃教育はまだ始まっていないので、どんな物かは知らないが。
財務部で調査をしてる事は秘密だ。
嘘を吐くしか無いのが心苦しい。
「 お妃教育ってどんなものですか? 」
「 王太子殿下とは……毎日お会いしていますの? 」
いつの間にかやって来ていたメイドのクロエとノラが、目を爛々と輝かせている。
噂好きな彼女達に話す訳にはいかない。
きっとメイド仲間に根掘り葉掘り聞かれているのだろう。
ここで口を滑らせたら大変な事になる。
「 王宮での事はシークレットだから教えられないわ 」
これ以上聞かれてら困るのでピシャリと拒絶をする。
「 当たり前だ! 王宮の事は全てがシークレットだからな 」
ダニエルがメイド達を睨み、ついでにトンプソンとシェフのリチャードにも言って聞かせた。
ここでの事も言わないようにと言って。
いつの間にか皆がリビングに集まって来ていた。
「 そうですね。警備員達も何も教えてはくれませんし…… 」
聞く気満々で目をギラギラと輝かせていた皆の目は、その輝きを失った。
警備員……
そうだわ!ここに警備員が配属されているのだわ。
何処にいるのかとふと目をやると……
リビングの壁際にいつの間にか2人の警備員が立っていて、ソアラが頭を下げると彼等は敬礼をした。
そして彼等は……
ソアラの護衛で来た騎士達のいる庭に行くと告げて、窓から庭に出て行った。
フローレン家を警備する警備員は6人いて、交代しながら2人づつフローレン家にやって来て、24時間体制で警備をしているらしい。
時間を決めて屋敷を巡回していて、夜だけは客間で寝ているとか。
巡回する程の広さは無いので、短い巡回の仕事が終わると厨房横の使用人部屋にいて、使用人達と皆で和んでいるとか。
「 もう、鍵を閉めなくてもセキュリティはバッチリですよ 」
まあ、元々フローレン家には盗られる物など何も無いから、警備なんて適当で良いですと彼等に言ってるんですよと、トンプソンは胸を張る。
トンプソン……
何故お前が胸を張る?
リビングで家族の皆がテーブルを囲む。
たった1週間しか離れていないのに……
まるで異世界から戻って来たような感覚がして、涙が出そうになる。
「 皆の生活は変わりありませんか? 」
「 ソアラは?大丈夫なの? 」
ソアラの横に座っているメアリーがソアラの掌を握って、顔を覗き込んで来る。
とても心配そうな顔をして。
「 私は……快適に暮らしているわ 」
そう……
今の生活はとても気持ちが穏やでいるような気がする。
皆が皆、ソアラと言う存在を見てくれていて。
それがとても心地良いのだ。
全てに緊張感はあるが……
「 それよりも、皆の毎日を教えて欲しいの 」
ソアラは一人一人にこの1週間の近況を聞いて行く。
先ずは……
1番気掛かりであるイアンに学園での生活を聞いたが、今の所は以前と然程変わらないと言う。
学園長から全校生徒に向かって、騒ぎ立てず静観するようにと話があったのだと。
しかし……
まだ1週間しか経っていない。
皆が様子を見ているのだろう。
学園はそんなに甘い所では無い事は知っている。
出る杭は激しく打たれるのだ。
可愛いと言う理由でルーナが執拗に苛められて。
そして……
そんなルーナを庇うソアラが標的になった事もあった。
水を掛けられ全身びしょ濡れになった事は数知れずあった。
兎に角、イアンにはまだ何も起こってはいない事に安堵する。
ダニエルは勤務先が人が少ない図書館と言う事もあって、何時もと何ら変わりは無いと言う。
ただ……
本を借りに来る人が増えたとか。
きっと、ダニエルを見に来ているのだろう。
「 わたくしは毎日お茶会に呼ばれて忙しくしているわ 」
メアリーが嬉しそうに言う。
侯爵夫人から招待されたらどうしましょうと言うメアリーは、かなりテンションが高い。
その時の為にドレスを新調していると言って。
いや、侯爵家所か王家から招待されてるのだが。
「 お父様、お母様、イアン……驚かずによく聞いて下さい。両陛下からディナーのお誘いがありました 」
「 !? 」
皆は固まった。
ソアラの手を握っているメアリーの手がだんだんと冷たくなる。
「 それから……今日の午後から王太子殿下がここに来ると仰っておられました 」
「 !? 」
皆は更に固まった。
「 王太子殿下が……この狭い家に来るぅ~!? 」
大声で叫んだのはトンプソンだった。
***
ソアラ家の面々はパニック状態になった。
それでも刻一刻と我が国の王太子殿下が訪れる時間はやって来る。
トンプソンは新調した執事用のスーツを着て現れた。
何だか高そうな素材だ。
ダニエルの着ている服よりも。
こんな事もあろうかと高級洋服店で誂えたと言っているが、執事が主よりも良い服を着て何になるのだ?と言う言葉をソアラは飲み込んだ。
そもそもそのお金は何処から来ているのか?
1度我が家も帳簿を確認しなければと思うソアラだった。
シェフのリチャードは白のコック服が基本なのだが、彼も黒いスーツを着て来ていて、トンプソンから誰だか分からないと言われて着替えさせられていた。
メイドのクロエとノラは厚化粧をして香水の匂いをプンプンとさせている。
通いじゃ無かったら、余所行きのドレスを着るのにと言って嘆いている。
メアリーも一張羅のドレスに着替えて来ていて。
何気に化粧が濃いのは気のせいか?
「 ソアラはそのままで構わないの? 」
部屋にドレスがあるから着替えて来ては?とメアリーが眉を潜める。
「 王宮でもこのドレスを着ているわ 」
本当は王宮にいる殆どの時間は、女官の制服を着ているのだが。
そんなてんやわんやのフローレン家の人々が、気合いを入れて王太子殿下の訪問を待っていると。
やがて……
ガヤガヤと周りが騒がしくなった。
ガラガラと馬車の止まる音がして。
「 王太子殿下が到着したみたいですね 」
トンプソンが自分の首元のリボンを絞めながら張り切っている。
皆で勢揃いをして玄関口で身繕いをし、手を前で組み姿勢を正した。
トンプソンがドアを開ける。
「 ………… 」
しかし……
王太子殿下は中々入って来ない。
門から玄関までは直ぐなのに。
あまりにも狭くてビックリしているのかしら?
ふと目をやると……
玄関口で立っているトンプソンが、チラチラとソアラの顔を見てくる。
「 ? 」
何か問題でも?
ソアラが外へ出てみると……
ソアラを護衛して来た騎士達にルシオの護衛の騎士達が加わって、ルシオと誰かを取り囲んでいる。
ルシオは誰かに優しく微笑んでいて。
誰かがルシオの前にいるのだが……
背の高いルシオや騎士達にその誰かが埋もれていて、その姿が見えない。
「 誰がうちの庭にいるのかしら? 」
そう呟きながらソアラは背伸びをした。
騎士達の隙間から見えたその誰かは……
ルーナだった。
頬を染めた彼女は……
とびきり可愛らしい笑顔をルシオに向けていた。




