帰路
翌朝。
まだ夜明け前だが、離宮の正門の前では出立の準備が終わり、騎士達は騎乗し、カールや侍従達、侍女達も馬車に乗り込み出立の合図を待った。
王太子殿下専用馬車の前では、ルシオとソアラが見送りに来たビクトリアと最後の挨拶を交わしていた。
「 王妃から何か言われたら、わたくしに手紙を書くようにしなさい 」
「 王妃陛下は……わたくしにとてもよくしてくれます 」
そう言って困った顔をしたソアラに、ビクトリアがニッコリと笑った。
そう。
婚約者はエリザベスのお気に入りだとビクトリアは聞いた。
だから……
絶対に気に入らないだろうと。
いや、憎い嫁のお気に入りなんかは、絶対に受け入れたく無かったと言うのが本音だ。
誰が来てもだ。
しかし……
ソアラの姿を見たとたんに、ビクトリアは気に入ってしまった。
沢山の人と会って来た元王妃ビクトリアは、ソアラの人となりを見抜いたのである。
聡明そうな顔。
控え目に佇む姿。
落ち着いた話し方。
緊張する顔にまで好感が持てた。
彼女を気遣うルシオの姿は限りなく優しい。
そんな2人の空気感がとても心地よかった。
それは……
ルシオが、アメリアやリリアベルといた時には無かった雰囲気だ。
彼女達は何事にも完璧な公爵令嬢達だったのだから。
この令嬢が……
王太子妃となり、やがては我が国の王妃となるのだと思うと、何だか新しい風がそこに吹いたような気がした。
近くでは……
ソアラと同じ年頃の、ピンクの令嬢がキャピキャピしていたから尚更に。
今から25年位前の事。
当時王妃だったビクトリアは、ノース公爵令嬢エリザベスの犯した夜這いに激怒した。
エリザベスが王太子妃に選ばれたら良いと普段から思っていた事から、そんな行いをしたエリザベスに失望したのである。
そこには……
当時王太子であったサイラスの乳母である、侍女長が関与していた事は明らかだった。
王太子宮で夜這いをするには、侍女長の手引きが無ければあり得ない事なのだから。
ビクトリアはその侍女長と反りが合わなかった。
そこには生母と乳母の永年に渡る確執があったからで。
そんな事もあってエリザベスを苛めたが。
しかし……
永年エリザベスと王太子妃の座を争って来た、もう一人の婚約者候補のサウス公爵家の令嬢( アメリアの母 )の事は……
もっと嫌いだった。
彼女こそが全くのルーナタイプ。
あざとい女だったのだ。
だからこそ……
気の強いエリザベスは夜這いと言う行動に出たのである。
やられる前にやろうと。
王太子宮の侍女長と結託をして。
兎に角、気難しいビクトリアの周りは、彼女の気に食わない奴ばかりだったのだ。
そのビクトリアが……
一目でソアラを気に入ったのである。
この数日間で更に。
ソアラは王太子妃に相応しいと。
勿論、ルーナも気に入った。
侍女に相応しいと。
「 結婚式までには、ウォーキングをして体力をつける事にするわ 」
「 王宮までの長旅は体力がいります。是非そうして下さい 」
ルシオがそう言ってビクトリアを抱き締めた。
ビクトリアは次にソアラの方を見やった。
「 王宮の庭園で、わたくしと一緒にウォーキングをしてくれるかしら?」
「 ええ……勿論です 」
ソアラがうんうんと頷きながら嬉しそうな顔をした。
「 お祖母様。新婚夫婦の朝の邪魔をしないで下さいよ 」
「 殿下!? 」
目を真ん丸く見開いてルシオを見たソアラが、顔を赤らめながら横にいるルシオを睨んだ。
「 そうだな……朝だけじゃなく、昼も夜も邪魔をしないて欲しいかな? 」
「 まあ!? ルシオったら……随分ね 」
執事の捕縛で気落ちしていたビクトリアは、オホホホと声を上げて楽しそうに笑った。
こうしてビクトリアと別れを惜しんだルシオとソアラは、王太子殿下専用馬車に乗り込んだ。
離宮の帳簿を調べ、王族の財産が減っている事の原因を突き止めると言う、もう1つの目的を成し遂げて。
「 しゅったーつ!! 」
先頭にいる騎乗した隊長が号令を掛けた。
皆が一斉に動き出す。
この日のブライアンの護衛の任務は隊列の最後尾。
王太子殿下専用馬車の護衛にもつけなかった。
ブライアンは先頭を駆ける隊長に……
自分の姿を重ねていた。
***
「 出立したか…… 」
「 ………… 」
王太子殿下御一緒様が見えなくなると、シリウスとフレディも馬車に乗り込んだ。
シリウスはウエスト公爵領地の邸宅に戻るのだ。
王宮からやって来る調査員を迎える準備をする為に。
執事だったモーリスは、昨日中にそこに送られている。
フレディはその後に帰国すると言う。
昨夜は遅くまで舞踏会が開かれていた事から、ディランもこの離宮の客間に泊まっていた。
「 殿下はもう少し、我が国にいる筈ではありませんでしたか? 」
「 ちょっとやらなければならない事が出来てね 」
フレディはそう言って、嬉しそうに笑った。
「 それよりも……昨夜はナンパしなかったんだな? 」お前にしては珍しいとフレディがニヤニヤとしている。
「 止めて下さいよ。私はそんなに節操の無い男ではありませんから 」
いやいや、節操の無い男だっただろうがと、フレディは苦笑いをした。
ソアラに出会いシリウスは変わった。
それは……
王室御用達店で、ソアラが値切っている所を見た時からで。
あの時は……
久し振りに会う恋人達へのプレゼントを買いに来ていた筈なのに、シリウスは何も買わなかった。
その後……
沢山いる恋人達を清算し、それからは彼に女気は全く無くなっていた。
「 もっと早くにソアラちゃんに会いたかったかな?」
「 ……殿下……それはあり得ない事ですね 」
社交界にも出ず、王宮の経理部で地味に働く令嬢と、この2人が出会う筈が無いのだ。
ましてやソアラは、一目で人目を引く様相では無い。
ルシオの婚約者になったからこそ、知る事となっただけで。
近々ウエスト公爵家の当主になるシリウスは、早々に結婚しなければならないのは必須。
今まで結婚したいと思う令嬢はいなかった。
親からはお見合いの話があるから帰国せよと、何度も連絡はあったが……
ずっと帰国をせずに全て反古にして来た。
まだ自由でいたかったのである。
その甘いルックスと公爵令息と言う高い地位で、どんな女性も虜にして来た彼が……
本気で恋をした女は自国の王太子殿下の婚約者。
いくらドルーア王国の最高位の公爵令息でも、王太子の婚約者に対して名乗りを上げる事は出来ない。
勿論、奪い取る事も。
「 殿下こそ……早く妃を迎えないとならないのではありませんか? 」
「 ソアラちゃんみたいな娘何処かにいないかな? 」
「 ……… 」
百戦錬磨の2人が……
顔を見合わせて首を横に振るのだった。
***
ルーナは侍女の馬車に乗っていた。
王太子殿下の侍女長のバーバラ達と共に。
6人掛けの座席だが……
7人でぎゅうぎゅう詰めに座っていて。
太めの侍女がいるからかなり苦しい。
ソアラは王太子殿下専用馬車に乗っているのだ。
この馬車よりも大きく、座席も広くふかふかの豪華な馬車に、王太子殿下と2人で。
あの時……
初めて王太子殿下専用の馬車に乗った。
ルシオからソアラの話し相手になって欲しいと言われて。
驚く程に豪華な仕様だった。
馬車の窓から外を見やれば……
王太子殿下専用馬車とこの馬車の間に、騎士達が駆けてる姿があった。
王太子殿下専用馬車はかなり遠くを走っている。
守られているのはルシオ様と……ソアラ。
帰りはわたくしがあの馬車に乗っている筈だった。
どうして上手くいかなかったのかしら?
頑張ったのに……
その結果が侍女だなんて。
6人で侍女ノートを広げて、ワイワイと打ち合わせをしている侍女を横目に見ながら……
「 侍女になりたかった訳じゃ無いわ 」
ルーナは胸元に忍ばせている入れた小さな小瓶に手をやった。
そこには……
旅に出る前に母親から渡された媚薬があった。
「 千載一遇のチャンスを逃さないようにしなさい 」
旅は警護力が弱くなるから、殿下がお一人になられたら、口にする物に混ぜるようにと言われて。
幾度か千載一遇のチャンスを作ろうとはしたが……
こんな物が無くても、ルシオ様はわたくしをお好きなのよ!
攻略しないとならないのは王妃陛下だわ。
自分に自信満々のルーナは……
ビクトリアの攻略に全力を注いだのだった。
攻略には成功したが……
その結果がビクトリアの侍女だったと言う訳で。
「 千載一遇のチャンス…… 」
ルーナは媚薬の入った小瓶を指先で触りながら……
独り言ちた。
***
「 ソアラ? 何でそんな物を開いているんだ? 」
「 カール様からお願いされましたの 」
ソアラはモーリスの裏帳簿の翻訳を、カールから依頼された。
「 政府間では、ソアラ様しかヨルネシア語が分かる者がいませんので、この裏帳簿の翻訳をお願いします」
王太后に関わる事であるから、全てをシークレットで行わなければならない。
その内容が外部に漏れ伝えられられように、翻訳はソアラにしか託せなかった。
「 賜りました。でも……料金が発生致しますよ 」
翻訳は王宮での仕事とは別に、ソアラ個人がアルバイトをしている仕事。
公務員としての仕事では無い事から、賃金を貰うと言う事である。
ソアラは、王宮の経理部から財務部に移動となった公務員なので。
今の段階では、ちゃんと王宮からお給料を貰っている。
「 ………良いでしょう。では、帰城するまでに終わらせて下さい 」
カールは納期を付けた。
公務以外の給金が発生するならきっちりと。
「 ええ……了解致しました 」
必ずや納期までに仕上げます。
給金が発生する限りはきっちりと。
ここに2人の交渉が成立したのである。
「 君達は何時のまにそんな話をしたんだ? 」
馬車の中の向かい合った椅子の通路には、小さなテーブルが運び込まれていて。
ソアラはテーブルの前に座って、新しい帳簿に書き移している。
時折辞書をペラペラ捲りながら、ペンをカリカリと走らせて。
カールとソアラ。
この2人は妙に馬が合う。
同じ宮仕えだからなのか、よく2人で仕事の話をしていて。
そのやり取りは、凡そ未来の王太子妃と王太子の側近と言う主従関係には見えなくて。
仕事の同僚と言う感じがするのだ。
「 暫くは翻訳に集中致しますから 」
「 ……… 」
テーブルを自分の前に引き寄せて、ソアラはさっさと自分の世界に入っていった。
帰路ではソアラとイチャイチャしたかったのだ。
そもそもこの旅は、離宮で暮らすビクトリア王太后に、結婚の報告をする旅であった。
言わば……
婚前旅行だ。
未婚の男女であっても、婚約者同士だからこそ許されている2人っきりで乗る馬車。
イチャイチャしないで何をする?
行きはソアラの体調が悪くなったりと色々あったが。
王族の財産が少なくなっている事から、ずっと調査をして来たが……
その原因を突き止めた。
お互いの想いも通じ合った。
2度目の口付けもして、何時でもキスが出来る恋人同士の関係に晴れてなれたと言うのに。
仕事モードのソアラは隙が無い。
ルシオとしては何とかして甘いムードに持ち込みたくて。
怒られるのを覚悟でソアラの横に座り、そっと髪を一房手に取り唇を寄せた。
すると……
ソアラはルシオを睨みながら、髪を後ろにひとくくりに束ねた。
「 邪魔をしないで下さい! 」
キッと怒るソアラも可愛いくて。
結わえた髪の生え際から垂れる数本の後れ毛を、ソアラの耳にそっと掛けた。
「 殿下っ! 」
真っ赤になって本気で怒るソアラに、嫌われては大変だとルシオは向かいの席に慌てて戻るのだった。
良かった。
ソアラが元気だ。
幸せいっぱいの王太子殿下専用馬車は、ガタゴトと爽やかな朝の光の中を進んで行った。




