玖 『トゥルパ』 4/10
トゥルパはもともとチベット仏教の教典に由来するものだ。
だがそれは現代日本に伝わっているものとは、別物と言ってもいい。
チベット仏教においてトゥルパというのはネットで語られる視覚化やオート化などといったものではない。
あくまで悟性を高めるためのプロセスであってトゥルパの作成はその階梯の一つに過ぎない。
どこで今のような形に変形したのかと言えば、日本へと伝来する前段階に西洋魔術の思想体系を通過しているのが原因だろう。
トゥルパの存在を伝えたのはアレクサンドラ・デビッド・ニール女史という冒険家が出版した手記にある。
一九〇〇年代当時のアメリカでは神秘主義が流行しており、鎖国をしていたチベットは西洋人から見ればまさに東洋の神秘に溢れた場所だった。
デビット・ニール女史は見つかれば死刑もありうるチベットへ密入国し、最終的には最高権力者であるダライ=ラマと会見までしたという豪傑だ。
帰国した彼女が自身の体験を記した手記が出版され、それを読んだ日本の高籐聡一郎や斉藤啓一らが、オカルトブームだった八〇年代の日本に伝えたというのが一連の流れになる。
トゥルパは欧米において日本よりもはるかにメジャーな存在で、ゾンビなどと並んでフィクションの題材になることが多い。
そこでの描写は必ずと言っていいほどホラーであり、まがまがしいものとして描かれている。
どうしてこんなことになっているのかといえば、最初に紹介したデビット・ニール女史が、西洋魔術の秘密結社である神智学協会の主魁、ブラヴァツキー婦人と交流があったことが原因だろう。
具体的に言えば神智学協会で語られる想念形態という思想とトゥルパが結びついてしまったことにある。
西洋魔術というのはその起源からしてキリスト教と深く関わりがあり、例外も多々あるが概ね思想の根底にはこの世のすべては神が作った被造物だというものがある。
つまり真の創造行為、知的な生命体を創造する行為は神のみに許されるという倫理観が存在している。
被造物である人間が創造を行うということは神の領域に足を踏み入れし不届き者ということであり、以上の理由から欧米人にとって人間が行う生命の創造には負のイメージがつきまといがちになる。
例を挙げればゴーレム、フランケンシュタインの怪物、ゾンビなどもその範疇に入るだろう。
それらにトゥルパも肩を並べているということだ。
だが先述したように、トゥルパは本来、自らの妄想を魔術的に具現化して実体を産み出すというものではない。
やや小難しい話になるが、トゥルパとは大乗仏教における三身というものに当たる。
三身とは、心の根元的な性質を表す法身、その人の真の個性を表す報身、報身から放たれたエネルギーを受けて産み出される応身からなり、最後の応身だけをトゥルパと言う。
法身を見つめ直すことで、報身を見い出し、報身を悟ることで応身が産み出される。
なんのことかと言えば、これは自己分析の実践的な方法論に当たる。
法身――社会常識や自身に関する知識を見つめ直し、報身――自分の個性というものを確立することで、応身――現実を変えていく力を得る。
もっと極端に噛み砕いて説明しよう。
音楽を作る場合、法身――自分の音楽知識や好みを見つめ直し、報身――自分らしい音を確立することで、応身――現実に一つの楽曲として産み出される。
トゥルパとは本来このようなもので、現実を変えていく力を産み出す非常に実践的な方法だ。
ネットに流布されるトゥルパという存在は禅や瞑想で言うところの、いわゆる魔境の産物と言えるのかもしれない。
聖職者や仏門に入った人間を惑わす、古来からの伝承や書物に登場する悪魔や妖怪や魑魅魍魎のたぐい、それが現代のトゥルパであり、狐宮由花子の真の正体なのだと思う。
狐宮由花子は、河野康一が現代に召喚したメフィストフェレスだ。
伝説におけるファウスト博士は身体がバラバラに爆散するという凄惨な最期を遂げる。
先輩がそうならない保証は、どこにもない。
物語はもう始まってしまったのだから。
鞄に手を突っ込んで、儀礼用の短剣を鞘から引き抜いた。
電灯にかざして光を当てると、短剣は刃全体から怪しい輝きを放つ。
この部室を漁っていたとき、厳重にしまわれていた箱の中にあったものだ。
その来歴はまったく不明で、先輩しかわからない。
だがその刃から放たれる吸い込まれそうな輝きを見れば、ガラクタでないことはすぐにわかる。
この部室にあるということからも、なにかしらのいわく付きであることはまちがいない。
毒をもって毒を制すならぬ、呪いをもって悪霊を滅ぼすとでも言おうか。
井上先輩からは下手に刺激するなと言われているが、それでも自分にできることはしておきたい。
実際どこまで役に立つかはわからないが、素人ながらちゃんと斎戒沐浴して身を清めてからこの短剣には聖別を施してある。
少なくともお守り代わりにはなるんじゃないだろうか。
狐宮由花子の胸にこれを突き立て、先輩を助ける自分の姿を夢想する。
そうなってくれたらどんなに素敵だろう。
先輩は今どこにいるのだろうか。
桜が花をつけ始める三月とはいえ、夜はまだまだ寒い。
病院で着せられる病衣は薄着だから、もしあのままならば凍えるほど寒いにちがいない。
そんなことを考えていると、先輩がよく使っていた茶色のブランケットが目に入った。
触ってみると、モコモコとしていてとても肌触りが良い。
居るはずもないが、それとなく周囲に人目がないかどうかを確認してから、ブランケットにくるまってみる。
顔を埋めてみると予想したとおり、先輩の匂いがほのかに感じられた。
先輩がそばにいるみたいでちょっと嬉しくなるが、同時に会えない悲しみも湧いてきて切なくもあった。
「まさか……これでもう、二度と会えないなんてことないですよね、先輩――」
そう独り言をつぶやいて、私はそっと目を閉じる。
一番最初に先輩と出会ったとき、あの人はここで悪夢を見るのが趣味だと言っていた。
先輩のコレクションで溢れたこの部屋で、先輩のブランケットにくるまれて眠り、先輩が愛した悪夢を見る。
今ならきっと自分にもそれができるような気がした。
そうして山岸路希は大好きな先輩のブランケットにぬくぬくとくるまれながら、まどろみへ身をひたした。
「おい、そろそろ起きろよ」
どれほどの時間が経ったろうか。
誰もいないはずの部室で不意に肩を叩かれた。
すっぽりと被っていたブランケットから顔を出すと、そこには眼鏡をかけた男がいた。
最初のうちこそ誰だか理解できなかったが、よくよく見て見ると、それは知っている顔だった。
「せ、先輩!?」
「なんだよ急に大声出して……。ほら黛も起きろっつの、オメーも寝すぎなんだよ」
すぐ横には小学生かと見まごうばかりの少女が眠っていた。
それは少女でなく路希の先輩であり三年の黛朋子だった。
寝ぼけた路希が周囲を見回すと、そこはいつものオカルトサークルの部室だった。
出しっぱなしのコタツ。
なにに使うのかもわからない雑多なマジックアイテム。
マンガと専門書と小説と各学部の教科書が突っ込まれた書棚。
「え? あれ?」
寝ぼけたままの路希は康一の肩や腕を人差し指でつついた。
「新手の煽りか?」
「いえ、すいません。そうじゃなくて……」
「寝ぼけるのもいい加減にしろ」
康一にデコピンをされることで路希はようやく目を覚ました。
コツンと、額には痛みがあった。
「路希ちゃんでも寝ぼけたりするんだな」
「いえいえ、皆さん誤解されてますよ。ヤマーさんはこう見えてとってもキュートなかたなんですから」
コタツを挟んだ向こう側には井上形兆と川尻璃々佳がいた。
井上形兆は元副部長の四年生、川尻璃々佳は路希と同じく元軽音楽部で後輩の一年生だった。
「ヤマーさん。キョロキョロしてどうしました?」
「んん? いや、なんでもないよ。寝ぼけてただけ――」
「お疲れー。遅れちゃってごっめーん」
このオカサーの元部長である狐宮由花子が慌てて部室へと入ってきた。
春休みにも関わらず、これでオカサーの主要メンバーが部室に集まった。
四月に控えた毎年恒例の新入生歓迎会の打ち合わせがあるからだ。
亜麻色の髪をなびかせている由花子は路希と康一のあいだへ割って入るようにして座った。
「えーそれでは「今年の新入生歓迎会はこれで大丈夫なのか?」会議を始めたいと思いまーす」




