8.嫌な予感は、必ず的中するもの
2015年4月修正済み
呼び出しを受けた私とアネッサが執務室へと入ると、そこにはこの屋敷の主人…つまり私たちの父様が、相も変わらないおたふく顔で座っていた。
普段から七福神の恵比寿様に似た笑い顔が、今はそれに輪をかけてい輝いている。父様は私たちが入って来たことに気がつくと、その相貌を崩さず手招きをする。
「おう、待っていたぞ」
そう言って、私たち二人を中へと促す。
そして、そんな父様の前にいたのはやはり、というべきか。彼を目にした途端、アネッサの顔は綻び、私の顔は逆に険しくなった。
「紹介しよう。この子が長女のシャナ、その後ろが妹のアネッサだ」
「これはこれは。今日も相変わらずお美しい」
これまで幾人もの女性を虜にしてきたであろう魅惑的な笑顔を浮かべ、目の前のご仁がそうのたまった。
「ディーゼル・エルモ・クライシスです。…先日の舞踏会ぶりですね」
そして、その男、女ったらしのディーゼル卿は、まず妹の方に歩み寄ると、彼女の手を取り、甲に軽くキスを落とす。そのあまりの自然な動作に、普通なら気障ったらしく見える行為も様になっていて美しいとさえ思える。
案の定、
「あぁ、ディーゼル様…」
アネッサは見事に撃沈していた。目がハートマークになっている。
「私の事、覚えて下さっていたんですね!」
「勿論です。…あなたのような、暗闇の中でもその美しさは光り輝く、一輪の可憐な花の如き女性のことを、忘れたくとも忘れられるはずがありません。舞踏会のあの晩、間違いなくあなたが会場という名の花畑で一番輝いていましたから」
「いえ、そんな」
「本当の事ですよ。あなたは美しい。私の心を十分掻きまわすほどに、ね」
極めつけに、一番かっこよく見えるであろう角度でウィンクを飛ばす。
無論それに耐えきれるアネッサではない。恍惚な表情で、とっても情けない声を出しながら、傍にあったソファに崩れるように座り込んでしまった。
……いやぁ、しかしすごいな。実際に彼の手にかかって落ちない女性はいないっていう噂は聞いていたけど、まさかこれほどまでとは。
こんなの、普通の人が同じことやったって、気持ち悪いっていうか臭すぎるっていうか。そもそもウィンクを投げかけてくるなんて高等テクニック、自信がなければ絶対にできないことだろう。
それをいとも簡単にやってのけ、ものの数秒で虜にするとはさすが社交界きってのプレイボーイ。
妹が落ちたのを見届けると、彼は今度は私にゆっくりと視線を向けてきた。その瞳の奥がきらりと煌めいた。
うん、ターゲットロックオンって感じだ。
がしかし。
同じ手が私にきくと思ったら、大間違いだからなっ!
やはりディーゼル卿はその顔に、とびっきりの笑顔を浮かべる。しかしどこか艶めかしさももった、大人の色気が抜群に調合された微笑みだ。
「舞踏会で御見かけはしましたが、こうして面と向かいお会いするのは初めてですね。どうぞ以後お見知りおきを、シャナ嬢」
いい男とは、声も魅惑的だ。脳に心地よく響くバリトンボイスでそう言葉を紡ぐと、私の目の前に恭しく跪く。
そしてやはり手をとると、アネッサよりは美しくないであろう私の手の甲に、まるで壊れものを扱うかの如く優しく、そっと唇を落とす。
「…………」
私はそれに心ときめかすこともなければ、喜びで頬をピンクに染め上げることもなく。
ただ淡々と、彼の動向を見守る。
それらを終えると彼は立ち上がり、私に向けてもあの例の、決め顔でのウィンクを投げつけてきた。
しかし。
勿論そんなもん、私はガン無視をすると、あくまで貴族の令嬢として恥ずかしくない挨拶を返した。
「こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します、ディーゼル様」
ドレスの端を軽くつまみ、顔に最低限の微笑みを浮かべ、私は優雅に頭を下げる。
「………なるほど」
その様子を見て、なにやらディーゼル卿がぼそりと呟く。
何がなるほどなんだ?
この意味深な言葉はさすがに気になった。何か挨拶に粗相でもあったのか、そう思い訝しげな視線を投げかける。
その目はアネッサに向けていたものとは、明らかに違った。
女性を口説き落とす、情熱的な視線ではない。私の何かを試すように、値踏みしているかのような、そんな瞳。
初対面に近い状態で、こんな顔されて見られるいわれはない。それとも、私があまりにも美しいアネッサと似すぎていないところに原因があるのか?あまりの似てなさに、何か思うところがあったとか?だけどそれにしたって、なるほどってなんだ、なるほどって。
訳が分からず思わず父様の方を見ると、もっと意味不明なことに、なぜか父様はぐっと親指を立て、私に向かってものすごくいい笑顔を向けていた。
……本当に、全くもって訳が分からない。理解不能。何がいいの?そんなグッドジョブ的な行いしたっけ???ますます私の頭は混乱する。
それに加えて、さっきから悪寒が止まらない。
理由?そんなもん、分かるはずがない。ただ、ディーゼル卿と目が合う度、父様の満面の笑顔を見る度その強さが上がっていくところが気になる。
風邪でも引いたかな。うん、きっとそうだ。
無理やりそう思い込もうとしていたが、一度体に巣くった不安は消えることがない。
つまり、嫌な予感がバシバシするってこと。そして私のその予感は、この後見事に的中することになる。
ディーゼル卿が早々帰られた後、私は一人、父様に部屋に残るよう言われた。
そして、鼻歌まじりでお気に入りのグラスを磨いている父様の口から飛び出したのは、あまりにも予想斜め上のあり得ない戯言だった。
「突然だが、お前と殿下の結婚が決まった」
寝耳に水、とはまさにこのことか。
唐突に告げられたその言葉に、私の脳みそが思考停止したのは言うまでもない。




