7.嵐を告げる、来訪者
2015年4月修正済み
あの、恐ろしく体力気力を消耗した城での出来事から、数日が経った。
私は広間から逃げ出して、それからこの身にはなんやかんやあった訳だけど、私が抜けた後の大広間での出来事を、妹のアネッサが教えてくれた。
どうやらレイン王子、何十人目かのご令嬢とのダンスの途中で、突如体調不良を訴えその場から辞したらしい。
ダンスにお誘いするか否か、ずっと迷って結局一度も一緒に踊れなかったアネッサは、それはそれはもう、悲しみと悔しさに打ちひしがれ、思わずその場にへたり込んでしまったんだと。
……確かに、あれはどう見ても異常事態だったよね。あれだけ高熱が出てたんだもん、仕方がないことだ。
で、その後どうなったかというと。
「…ディーゼル様って、本当に素敵な方だったわ。泣き崩れていた私の横に、そっと跪いて、『泣かないでくれ、俺の可愛い姫』なぁんて言って。それから私の手をとって、『俺じゃあ殿下の代わりにはなれないかもしれないけど…。もしも俺でよかったら、一緒に踊ってくれませんか?』って。……はぁ、本当、夢のようなひと時だったわ」
うっとりとした表情で、意識を明後日の方向に飛ばしているアネッサの言葉に、私は深く深くため息をついた。
一体この数日、何度同じことを聞かされたか。
ようは、王子と接触したくて仕方なかったご令嬢たちの相手を、レイン王子の代わりにディーゼル様がしたってことだ。皆が満足するまで、ノンストップで。
燃え盛る炎のような赤い髪を持ち、野性味を帯びた精悍な顔つき。女性の扱いは抜群にうまく、一夜限りの関係でもいいから、という女性が後を絶たない。
その激しい髪の色と女性に対して極めて情熱的な性格から、薔薇の貴公子だなんて現代だったら恥ずかしすぎる、ベタベタな二つ名で呼ばれている、我が国きってのイケメン貴族様だ。
レイン王子とはまるでタイプは違うものの、ディーゼル様が相手なら十分女性たちも満足できただろう。
現に、今、私の目の前にいる恋に夢見る美少女の頭の中は、既に王子以外の男で満たされている。
……切り替えが早いことで。
「エスコートもお上手だし、話もとっても面白いの。それに、こんな下級貴族の私にも気さくに話しかけて下さって…。ああ、これがもとで、結婚とか申しこまれたらどうしよう!!」
本当に、この前からこのうわごとの繰り返し!完全に、恋は盲目ってやつか。
まあ、アネッサほどの美少女ならそういう可能性もなくはない。だが、如何せん相手が悪い。
ディーゼル卿といえば、無類の女性好きとして知られている。関係を持った女性の数も、星の数ほどだとか。
しかし、それだけおモテになるのに、特定の誰かと付き合った的な話は一切出てこない。それどころか本人には、結婚する意志があまりないらしいのだ。
このまま独身貴族として人生を謳歌するのも悪くない、とか言ってるらしい。
将来は家を継ぎ、おそらくレイン殿下の右腕、国の宰相の地位に就くんだろうけど、あそこは他に何人も男兄弟がいるから、ディーゼル様が結婚して子供を作らなくてもさして問題はない。
つまり、うちの妹に求婚する理由がない。
確かにうちの妹は抜群に可愛いし、近寄っては来るかもしれないが、ただ遊ばれるのがオチだ。
しかし、諦めろと言ったところでこの子は聞きはしないだろう。かといって、自分から誘いに行くこともしないだろうけど。
ま、そのうち冷めるであろう熱病の1種みたいなもんだ。恋に恋する時期。乙女なら、誰しもが通る道だ。放っておくに限る。
ただし、今後社交界で彼がアネッサに近づかないよう、父様にもしかと言い聞かせとかないと。
にしても、だ。
殿下も大変なんだなぁとしみじみ思う。
体調不良にも関わらず、あんなに執拗に追い回されて、迫られるなんて。おそらく寝込みを襲われた感じだろう。
王子に存外に扱われて腹は立ったけれど、ちょっぴり可哀そうにもなってくる。 地位があってイケメンすぎるっていうのも、それ相応の苦労があるらしい。
あの王子と結婚する人も、さぞかし苦労するだろうな。なんせあのモテっぷりだ。嫉妬ややっかみは半端じゃないはず。
前回、王子と似たような境遇の金持ちボンボンと結婚し、私も何度も修羅場をくぐった。死にかけたことも冗談じゃなくて数回ある。
私があの王子のお相手になる可能性なんて万に一つもないし、あんな苦労することもないから私にはまったく関係のない話だけど、花嫁さんには本気で同情する。
私に言えることは一つ。ストレスで、円形脱毛症にならないように気をつけてほしい。アレ、再発しやすいから。
そんなことを思い、最近日課になりつつあるアネッサのディーゼル卿へのほのかな恋心を聞き流しながら、ふと窓の外に目をとめた時。
一人の男性の姿が目に入った。
太陽の光をキラキラと浴びた、真っ赤に燃える炎のごとき赤髪の青年。遠目からなのでうっすらとしか窺えないが、あの顔の造り、あの出で立ち……。
…………いやいやいやいや、まさかまさかそんな。ないない。私は頭に浮かんだその人物を必死で打ち消す。だって理由がないもの。彼が我が家へやってくる理由が。
しかし、私のその思いは、隣の少女によって見事に打ち消された。
「はっ!あれは、もしかして、ディーゼル様!?」
ほんのさっきまで窓とは反対の方を見ていたのに、気付けばアネッサが私のすぐ横で外を見ていた。え、なに、恋する乙女のレーダーが反応したのか?
「きゃー、嘘、本当に!?きっとこれはあれね!私に求婚しに来てくれたのね!」
「…………」
こちらへ近づいてくるにつれて、彼の顔もはっきりと分かって来た。間違いない、あれはどうひっくり返って見たって、ディーゼル様だ。あんな赤髪のイケメン、二人といるもんか。
しかし、なんでまたこんなところに?
…もしかして、本当にアネッサの事を気にいって求婚でもしにきたのか?まあ可愛いからね、うちの妹は。汚れを知らない、純粋で素直な可愛い可愛い女の子。
この前の舞踏会でも、アネッサ以上の逸材はいなかったように思う。
二人並んだ姿は、姿形だけなら美男美女同士お似合いだ。
けれど、仮に彼がアネッサの事を気にいって求婚しにきたとしてだ。
相手はディーゼル卿。女の子はとっかえひっかえの最低野郎だ。しかも立場は公爵家の長子、次期宰相と、対するこちらは超絶美少女だが身分は男爵家の令嬢。
身分違いも甚だしい。…どう転んだってアネッサが大変なのは目に見えている。近しい境遇にあった私が言うのだから間違いない。
いやいや、でもまだそうと決まった訳じゃないし、でもそれ以外に彼がここに来る理由なんて思い当らないし……と、思いながら、もう一度外を見る。
彼は既にこの屋敷の扉の前におり、使用人によって開けられた扉から中に入るところだった。その時ふと彼が視線を上に上げた。
私がここにいるであろうことなんて知らないだろうのに、なぜか目があった気がした。そしてその瞳を見た瞬間、私の中に悪寒が走る。ふっと目を逸らし、再びそちらを見れば、既にディーゼル様は屋敷内に入った後。
……なんだろう、なにか、とてつもなく嫌な予感がする。言い知れぬ不安に駆られてぶるっと体を震わせていると。
「お嬢様方、失礼致します」
ノックの後に入って来たのは、私たちのお世話をしてくれているメイド長。彼女は恭しく頭を下げながら、こう言った。
「旦那様がお呼びです。今すぐ執務室にいらっしゃるようにと」




