60. 紫色の、石言葉
レイジさんは確かに、この世から消えたはずだ。ディーゼル卿と一緒に。
なのにどうしてレイジさんと同じ顔をした人間が、この場所にいるの……? 私は白昼夢を見ているのだろうか。
それとも、ディーゼル卿の魂の中にレイジさんがいた、という、あっちの方が夢だったとか?
分からない、どうして、なぜ。
混乱の中思わずこぼれた私の呟きの言葉は、レイン様にしか聞こえていなかった。だけど彼はその一言とただならぬ私の異変から、何かを察したらしかった。
すぐさま私の体を自身に強引に寄りかからせると、
「申し訳ありません陛下、どうやら妻は今回の旅の疲れが出たようです。……ダンベルト、すまないがシャナをどこかで休ませたい、すぐに部屋まで案内してもらえないだろうか」
そして耳元で小さな声で、「歩けるか」と訊ねてくる。その問いに私は何とか首を縦に振る。
頭の中は混乱のしっぱなしで、どうしてとかなんでとかそんな言葉ばかりが体中を駆け巡っている。それでもいつまでもこの場所に突っ立っている訳にもいかない、っていうのは理解していたので、レイン様に引きずられる形ではあったけどどうにか歩くことができた。
自分の力で歩くのは正直、かなり労力がいることだったけど、そうでもしないと隣のお方はそれこそ、あの恥ずかしいお姫様抱っこをしてでもここから退散させるのが分かっていたから。
どうにか気をしっかり持って、ケトレア国王陛下に辞する挨拶をしてから部屋を出る直前、最後に目に入ったあの青年は、私の呟き声なんて聞こえていなかったはずなのになぜか、目を大きく見開いてこちらを食い入るように凝視していた――――――――――――――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あそこからどうやって歩いてきたかなんて分からない。俯いたままだった私は、足は動かしていたけどその実、レイン様に運ばれていたようなものだから。
やがて用意された部屋に着くと、レイン様は人払いを命じた後、私を寝台に座らせた。それから私の前に跪くと、いまだに下を向いている私に気遣うように優しく声をかけた。
「シャナ、何があった」
「何があったか、なんて……そんな、そんなこと、わ、私の方が聞きたいくらいです……!!」
二人きりになった途端、押し込めていた感情が堰を切って溢れ出てきた。
「なんで、レイジさんと同じ顔の人が? だって、だってあの時確かにレイジさんはここからいなくなったんです!! なのにどうして今になってレイジさんと同じ顔の人が現れるんですか!? 分からない、分かりません! 本当になんでなの?」
シャナとしての人生を歩んでいこうと決めているのに。
どうしてサツキとしての記憶を思い出させるような人間が、こうして目の前に現れるの!?
彼は一体何者? もしかして彼こそが本当のレイジさんの生まれ変わりなの!?
でもディーゼル卿が私の前で演じたレイジさんは、間違いなくレイジさんだった! 姿形が違ったって、サツキがあれはレイジさんだって叫んでいた。
前世で愛し抜いた相手を見間違えるはずがない。判断ミスをする訳がない。
なのに…………さっきあの場にいたのは、レイジさんだった。
正確には、レイジさんの器をした者。けれどそれは、私の心を取り乱すのに十分すぎる事実だった。
私は一体何回レイジさん絡みのことで涙を流せば気が済むのだろう。どうして私はこんなにも弱いのか。
泣きたくない、泣きたくない、それなのに心とは裏腹に目から流れるものは嗚咽の声と同じく留まるところを知らず、膝に置いた握りこぶしの上にぽたぽたと落ちていく。
レイン様は何も言わなかった。
けれど、前に私が号泣していた時と同じく、泣きやむまでただ優しく抱きしめてくれていた。
それからしばらくして。
「落ち着いたか」
涙も枯れ果て、ゆっくりと顔を上げると、絶妙のタイミングでレイン様がそう声をかけてくれた。
「ええ、かなり。……レイン様、申し訳ありません。国外の、しかもケトレア国王陛下の御前でこのような失態を晒してしまい」
「お前は旅で少し疲れてしまった。だから休憩を取らせている……それでケトレア側も納得するだろう。実際あの時のお前の様子は十分にそう見える容体だった。別に急にあの場で体調を崩したと言ったところで、ケトレアが不快に思うことなどないだろう」
「ですが大事な昼餐会の予定が」
「それは別に気にするな。ダンベルトもさっき別れる時そう言っていた」
それならいいんだけど……。
思いっきり泣いたせいで、衝撃の事実に砕けそうだった心もいつのまにか、また綺麗に繋ぎとめられていた。絶望と混乱と悲愴で沈んでいたさっきの自分とは大違いだ。
勿論まだもやもやはあるんだけど、少なくとも思考する力は戻ってきた。
「いつもいつも、申し訳ありませ……」
最近迷惑をかけてばっかりで、レイン様に謝罪しようと頭を下げたんだけど、それは彼の手によって阻まれる。
「謝るな。約束しただろう? お前が過去と向き合う時に、苦しんだりした時には、俺が傍にいると。あれは俺が勝手に約束したことで、俺が好きで隣にいるんだ。だから謝罪なんて必要ない」
そう言って力強くも優しく笑いかけてくれるレイン様は、私の目にはとても眩しく映った。
どうしてレイン様は、こんなにも私に優しいんだろう。
私がディーゼル卿の策に嵌って無理やり結婚させられた憐れな花嫁だから? その罪滅ぼしの為? それとも…………。
私はじっとレイン様の瞳を見つめる。
優しげな紫色の双眸は、窓から差し込む太陽の光を反射してキラキラ輝いていてとても綺麗だ。
よくアメジストのようだと譬えられるレイン様の瞳。
紫水晶はよく、手にしていると心が落ち着いたり安らぎを取り戻す効果があると聞いたことがある。それは確かに、と思う。
そんな宝石を彷彿とさせる瞳を持つレイン様と一緒にいると、心が安らぐのは事実だから。
そういえばアメジストの宝石言葉は確か、『誠実』だった。これもレイン様にぴったりだ。
後もう一つ、代表的な意味って言ったら……。
そこまで考えた時に、誰かが頭の中で待ったをかけた。これ以上考えてはいけない、気付いてはいけないと。
何に、なんだろう。私は一体何に気が付いてはいけないの? アメジストの石言葉にの意味を知ったら、何が起こるの……?
そう疑問に思ったけど、私はそれ以上、自分を深く追求しないことにした。
確かにそうだ。そもそもどうして急にアメジストの石言葉なんて思い出したんだろう……。
まあ、そのことは今はどうでもいい。問題は、どうしてレイジさんと似た人間が、この王城にいるのかということだ。
私は意を決してレイン様に向き直ると、何が起こったのかを混乱でぐちゃぐちゃの言葉ではなく、きちんとした事実として伝えることにした。
「レイン様、取り乱してしまった理由ですが……あの時死んだはずのレイジさんとそっくり同じ顔と声の人間が、ダンベルト国王陛下の側にいらっしゃいました」
「そうか、やはりな。それは水差しを差し出していたあの男のことか?」
「ええ」
レイン様は当然、レイジさんの顔なんて知らない。それでも前世のことを知っている彼は、私の呟きと視線の先に青年がいたということだけで、ある程度予測していたらしかった。
「髪の色や瞳は、私の知っている彼のものではありませんでしたが、それでも顔形は、まったくレイジさんと瓜二つです」
「だが、レイジはディーの中にいたんだろう? それともあれはディーの虚言だったのか?」
「いいえ、それはありえません」
レイン様のこの疑問に、私は即座にノーの返答をする。
「ディーゼル様の中には、間違いなくレイジさんの魂もありました。私の前で見せたディーゼル様の演じるレイジさんの姿は、本物のレイジさんです。だって前世で連れ添った愛するレイジさんの面影や行動や細かい仕草を、私が見間違えるはずがありませんから」
そう、正真正銘レイジさんの魂はディーゼル卿と共にあった。
けれど、それは魂に限ったこと。
「例えば私の魂はこうしてシャナとして生まれ変わりましたが、外見はサツキの時とは違うんです。ディーゼル様とレイジさんの魂が一緒とはいえ、外見が違ったように」
「ならばあの男は、魂は全く別の人間で、外見だけはレイジとして生まれ変わったと?」
「外見の生まれ変わりについては私も分かりませんが、少なくとも彼は姿形だけがレイジさんなんじゃないかと思います」
「では彼はレイジという人間の魂とは無関係、なのか?」
まるでレイジさんの魂の消滅と入れ替わりのようにして現れた、レイジさんの姿形をした青年。
この問いに対する正確な答えを、私は持っていない。だから答えは推測にしかならないけど……。
「それは分かりませんが、少なくとも私は無関係だと思います。レイジさんの魂がディーゼル様に入ったものと分裂して転生した、とはちょっと考えにくいですし。ただ、魂と外見は同時に転生したけれど、別々に生まれ変わったというのはあり得ない話ではありません。だからもしかしたらこの世界に、前世のサツキの容貌をした人間が生まれている可能性はあります」
「しかしこのタイミングで目の前に現れたのは、偶然と果たして言えるのか……?」
確かに、偶然にしてはできすぎている。
「…………」
「…………」
二人で首を傾げながらうんうん唸ってみたが、結局答えは出なかった。
それに、気になることが一つ。
あの青年がレイジさんとは無関係だとして、なぜ彼は最後にあんな顔を私に向けてきたのだろう。私は彼を知らない。そもそも見覚えがあったら、レイジさんの生まれ変わりとして真っ先に目を付けていたはずだ。
それなのにあんなに食い入るように見つめてくる理由って一体何なんだろう。直接本人に確認した方がいいのだろうか。
しかしそんな心配をしなくても、すぐにその機会はやってくることになるのだった。
ちなみに。アメジストの意味は、有名なもので言うと、誠実、真実の愛。
別名愛の守護石とも呼ばれています。




