48.運命の、赤い糸
2015年11月修正済み
パチパチパチパチ。
音の出所に目をやると、ディーゼル卿が大袈裟に手を叩いているところだった。
「いやぁ、見事な観察眼だ、シャナ妃殿下。このディーゼル、あんたの推察力にただただ感心させられるね」
「……馬鹿にされてるようにしか聞こえないんですが」
相変わらず腹立たしい男だ。だけどそんな態度もあえてなんだろうな、あの男は。なぜかは分からないけど、私に対しては挑発的な態度をとることが多い。
「いやいや馬鹿になんてしてないさ。あんたが今言ったように、レインのフェロモンに関する事実は概ねその通りだ」
「そうですか」
「だが、そこで疑問は残るよなぁ。シャナ・コキニロ。あんたはその条件のうち、一見したところ一つも満たしている部分はない。つまりあんたは例外の存在ってことなのか?」
「例外なんて存在しませんよ。………というか、あなた私がサカガミ・サツキだってこと、知ってるんですよね? でしたら」
どうしてフェロモンが効かないか、分かるでしょう? と目で訊ねれば、いけすかない笑顔を向けてきやがった。
その顔は肯定か。
「意地が悪いお方ですね。分かっていながら質問してこられる辺り」
「そういう性格なんだ、悪いな」
「悪いなんて一ミリたりとも思っていないでしょうに」
そう、彼があんなにも私と殿下との婚姻にこだわたのは、私が殿下の花嫁として年齢的に一番ふさわしかったから。
そして私の前世を知っているということは、なぜ私に殿下のフェロモンが効かないか、十分に知っているのだ。
私にもまた、先の女性陣同様に、フェロモンが効かないために最も必要不可欠で重要な共通項がある。
私は前世で大恋愛をした。この先何があっても、この人となら乗り越えていける! と、生涯愛を誓った旦那さまと。
それは確かに今生の話ではないが、私はその頃からの記憶を引き継いでいる。世界で最も愛した男性と結ばれた記憶をだ。
今の私にとって、例え過去のことであっても、愛しているのはただ一人。
前世で結ばれた夫だ。
故に。
私には殿下のフェロモンは通じないのだ。
「妻は絶対に夫を愛さない。だからこそフェロモンは通じないし、あいつに色仕掛けしてくることもない。ふん、これほど女性恐怖症のレインにふさわしい花嫁はいないよなぁ」
「まあ、そういう意味ではディーゼル様の見立ては正しかったと言えるんじゃないですか。私に白羽の矢を立てたのは」
「そうだろう、さすがはこの俺だ」
「自画自賛ですか。私にしてみたらいい迷惑ですよ」
「誰かの犠牲の上に成り立つ幸せってのもあると思うがな」
その考えには賛同しかねる。誰かの犠牲、って、この場合私しかいないし。このディーゼル卿の犠牲の上に成り立つ幸せっていうんなら、手放しで賛同するんだけどね。
恨みを込めて睨みつけるも、そんな精神攻撃などでは手傷一つ負わない図太い精神を持っているディーゼル卿は、気にした風もなく言葉を続ける。
「なぁ、シャナ。どうせあんたのことだ。このままあいつの妃として一生やっていくつもりはないんだろう?」
「………」
なんだ、そこまでお見通しだったのか。
でもこの男は前世の私を知っているのだ。そんな私がこの世界でどんな行動をとるのか想像は容易いに違いない。
隠しても………無駄だろうな。この男は、常に私の先回りをしてる。言っても言わなくても未来が変わるとは思えないが、かといって下手に隠し事をしても無意味なら、言ったところで大して変わりないだろう。
観念した私は静かに息を吐くと、視線を床に彷徨わせながらゆっくりと言葉を吐きだした。
「ここは、確かに私が以前生きていた世界とは違います。時代も国も文化も言葉も、住んでる星さえももしかしたら別物なんでしょう。ですが確かに私は、そんな全くの異次元で、前世の記憶を引き継いだまま生を受けました。もし――――――」
『運命』、というものが、本当にあるのなら。
「私と同じように、この世界に記憶を持ったまま転生した、あの人が、いてもおかしくないと思いませんか? 勿論、いるという保証はありません。仮にいたとしても、記憶なんてないのかも。それでも………」
私は信じている。あの人と私は運命の赤い糸で結ばれてるって。
だから、
「私はあの人を捜します。だってたった一人の、私の愛する人なんですから」
姿形が変わっていても、私はあの人を愛し抜くことを、神に誓います。
そう言って私はディーゼル卿に笑いかけた。
そう、笑ってるはずなのだ、自分では。
なのにどうして涙が零れるんだろう。
しかもこんな、よりにもよって天敵とも呼べる存在の前でだなんて。こんな奴に弱っているところ、見せたくないのに……!
今までこちらの世界で涙を流すことなんて、乳幼児の時以来なかった。物心ついたころから私の心はサカガミ・サツキで、シャナ・コキニロの器を借りているに過ぎない。
サツキは滅多なことで泣かない。怪我をしても痛みを感じても、我慢できる。理不尽な結婚話を持ちかけられても、大勢の女性たちから嫌がらせを受けても、精神的苦痛には慣れていたサツキは、憤慨することはあっても涙を流すことはない。
それなのになんでこんなところでこんな気持ちになるの。
分からないと言いながらも、本当はちゃんと知っている。
涙で頬を濡らすのは、悲しくて苦しくて、辛いから。
今までずっと心の奥の奥の方に鍵をかけて、あまり深く考えないようにしていた。もしかしたらあの人もこの世界にいるかもしれない。
でも、いない可能性だってあるのだ。
仮にいたとしても、この世界だってとても広い。どうやって捜すっていうの? 顔も違う、名前だって違う。
記憶は? 私のことを、シャナ・コキニロとして認識してくれても、サカガミ・サツキとは気付いてくれないんじゃないの?
そうしたら私は。
ねぇ、私は一体、どうしたらいいの?
あの人と愛し合った記憶を抱えながら、誰も私をサツキだと知らない世界でたった一人、生きていくの?
この苦しみを埋められるのは、あの人しかいないっていうのに。
あなたは今、どこにいるんですか?
会いたい、会いたい、もう一度、私を―――――――――――――――
「―――――――――っ」
不意に、何かあったかいものが私の体を包み込んだ。
「え………」
背中に強く、強く回された腕。
目と鼻の先に、赤い髪の毛があった。
いつも私のことをからかうような態度で、掌の上で踊らされている私を見て楽しんでいる節があったディーゼル卿。
そんな彼が、私を抱きしめている。
からかってるの? 泣いてる私が物珍しくて、他の女の子にするように抱擁すれば喜ぶとでも、涙が止まると思っているの?
馬鹿にしないで。
そう言ってこの体を押しのけてやりたかった。
けれど、できなかった。
耳元に押しつけられた彼の心臓はとても速くて、なのにどこか儚げで。
そして、なんだか懐かしい音がした。
懐かしい?
どうして?
不意に感じた既視感。
もしかして。ううん、でもまさか………。そんなはずは。
「ディー……」
「まだ話してなかったな」
ぼそりと、ディーゼル卿が口を開く。これまで聞いたことのない、真剣で熱を帯びていて。そっと仰ぎみれば、淡い月夜に照らされた彼の顔もまた、今まで見たことがないものだった。
「俺はあんたの前世を知っている。それは俺自身も、あんたと同じ世界に生きて、その後この世界に転生してきた人間だからだ」
一言一言、言葉を噛みしめるように。ディーゼル卿は紡ぐ。抱きかかえられた頭は更に強く彼の胸に押さえつけられて苦しいけど、やっぱり私は振りほどけない。
逃げなきゃ。頭の中で警鐘が鳴り響く。聞いてはいけない気がするのに、体が動かない。
「そして俺はあんたの―――――――――君の一番すぐ近くにいた」
いや、聞きたくない、お願い、その先は………!
「俺は」
いや、いや、口を開かないで!
「俺の前世は」
言わないで――――――
「サカガミ・レイジ。それが僕の、前世での名前だ」
そう言って、ディーゼル卿は笑った。
その顔はディーゼル・エルモ・クライシスではなくて、あの人と……サツキの最愛の人と、全く同じ笑い方だった。




