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男爵令嬢と王子の奮闘記  作者: olive
5章:永久の別れ
46/61

46.月明かりの中、呼ばれた私の名前は…

2015年11月修正済み

 それから私たちは会場の隅の方に移動し(だって真ん中は明らかに周りの邪魔だったので)、壁に体をもたれかけながら改めて向き合った。


「アネッサ、元気してた?」

「ええ!お姉様もお元気そうで何より!」


 最後に会ったのは私の結婚式の時だったか。あの時は、殿下を愛する女性からの嫉妬からくる嫌がらせが数多く我が家に振りかかったせいで、すっかりアネッサは痩せ細っていたけれど。今は体重も元に戻り、万全のようだ。お肌もつやつやで、仮面越しでも彼女の美しさが分かるほどだった。


「父様と母様は?」

「二人ともぴんぴんしているよ。お姉様がお嫁に行ってから、商売の方も前より忙しくなったみたい」


 商売繁盛。うむ、なによりだ。


 それから私たちは色々なことを話した。今の私の生活、アネッサの生活、家のこと、家族のこと、最近起こった面白いことなどなどエトセトラ………。

 手紙でやり取りはしていたとはいえ、やっぱりこうして直接顔を突き合わせて話すのとは全然違う。嫁ぐ前はよく他愛もない話をだらだらとしていたものだ。そんな時間が、今はなつかしい。


「ディーゼル様にお声かけ頂かなかったらお姉様に会えなかったのよね。本当にあの方には感謝してもしきれない!」

「そうね」


 それは事実だ。いけすかない男だが、こうして気を配ってもらったことには素直に感謝している。


「やっぱりディーゼル様は素敵な方だわ! お姉様の結婚があってから貴族の高位の方との結婚は望まなくなったけど、それでもあのお方は別格!! 私にとってはいつまでも王子様よ。あ! 勿論レイン様も素敵よ?」

「はいはい、気を遣わなくてもいいから」


 アネッサにとってはディーゼルが白馬の王子様的存在であることは変わらないようだ。私にとっては貴公子の皮をかぶった悪魔だけどね。アネッサのことを引き合いに出して、レインと結婚しないとアネッサを弄ぶと脅してきた最低野郎だけどね。何が薔薇の貴公子だ。薔薇と同じ色の真っ赤な血の海に沈めてやりたいくらい。

 でも、アネッサはディーゼル様に淡い夢を抱いているんだから、何も本当のことを言って夢をぶち壊すこともあるまい。乙女の時代に抱く淡い恋心は、一生綺麗な思い出として残しておくのが望ましい。


 そんな風な話をしていた時だった。


「失礼」


 私たちの目の前に突如、白と黒の仮面を被った二人組の男性が現れた。アネッサと二人、??? という顔で会話を割って入ってきた二人の男を見上げると、彼らはそれぞれ、私たちの目の前に手を差し出してきた。

 アネッサの方には白い仮面の、私の方には黒の仮面の男が。


「一目見てあなた方のことを気にいってしまいました。もしよろしければ一曲踊っていただけませんか?」


 そう、白の方が言った。それに同意するかのように黒の方も大きく頷く。

 私としてはもう少しだけアネッサと話をしてたいって思ったんだけど(もともとダンスは嫌いっていうのもある)、ちらりと横に目をやれば、頬を赤らめてなんだか嬉しそうなアネッサの姿が。だけど私に遠慮してるのか、白の君と私とを交互に見比べ動揺している様子。

 そりゃそうだよね。こういう場に来て異性に誘われて一曲踊る、なんて乙女の憧れのシチュエーションに違いない。

 ま、アネッサとは別に二度と会えないってわけでもないし、互いの近況も報告できたしね。ここは見ず知らずの相手だけど声をかけてきた彼に譲ってもよかろう。

 

 アネッサの気持ちが手を取るように分かる私は、苦笑まじりに彼女の耳元に口を寄せた。


「行っといで。私のことは気にしなくていいから」


 そもそも舞踏会は男女の社交場。こんなに愛らしい妹を、私の隣で壁の花にしてしまうのはもったいない。そう促しの言葉をかけたら一瞬躊躇いを浮かべたけど、もう一度同じ言葉を耳元で囁けば、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべて頷いた。


「うん、ありがとうお姉様」


 そうして彼女は白の君の手を取ると、会場の中心へと踊りだす。うん、絵になるね。うちの妹は何しても。

 満足げにうんうんと頷くと、私はいまだに私の前で手を差し伸べている黒の君に向かって断りの言葉を投げかけた。


「ごめんなさい。私の方は今日はそういう気分ではないの。他を当たって下さいな」


 すると彼はあっさりと身を引いた。肩をひょいっといすくめると、別の女性を捜すべく人々がひしめく中に姿を消した。


 それから私はしばらく会場の中心でくるくる回る、可愛い妹を見ていた。そこのターンが綺麗に決まって、さすがアネッサ、立ち振る舞いはまるで妖精のように愛らしいね……、あ、今相手の足を踏んだよ、……ステップも前よりうまくなったじゃない……って、ちょっと、相手の男と密着しすぎなんじゃないの!?

 なんて一人はらはらしながら見守っていた時、突然誰かが私にぶつかってきた。


「!?」

「すみません」


 相手は女性だった。華やかな衣装の者が多いこの場には珍しい、全てを黒で覆ったそのご婦人は、早口でそう言い残すと、急ぎ足でその場から姿を消した。よほど先を急いでいたのだろうか。

 そんなことを考えながら少し足を動かすと、右足が何かを踏んだ感触があった。


 拾ってみれば、それは金属でできた扇子。

 ……これには正直嫌な思い出しかないけど、かといって再び地面に戻す訳にもいかない。私のではないので、ということはこれは先ほどぶつかったあの方のものか。そういえばあの時、何かが落ちるような音がしたな、と記憶を辿る。


 目で行方を追えば、黒いドレスに身を包んだその人物は既に遠く、声をかけても届かない距離にいた。アネッサは今度は他の男性に捕まっており、しばらくダンスのお誘いから解放されなさそうだ。

 仕方がないので、暇になってしまった私は彼女を追いかけることにした。

 だが思った以上に距離は縮まらない。間にたくさん人を挟んでいるっていうのもあるんだけど、ご夫人の足が予想以上に早い。こちらはいまだ慣れない高いヒールなのでいつものスピードが出ず、むしろ距離は開くばかり。

 それでもなんとか前に進んでいると、いつのまにか会場の外まで出てしまっていた。


「あれ、どこに行かれたんだろう」


 きょろきょろ左右を見渡せば、目当てのご婦人は屋敷の廊下の奥の暗がりへと進んでいくところだった。


「あの、すみません!」


 不作法を承知でかなり声を張り上げてみたんだけど、反響で大きくなった私の声に気が付くことなく更に奥へと足を進めるご婦人。やむなく私も彼女と同じ方向へと足を進めた。


 一体いつになったら追いつくのだろう。気が付けば既に人々の喧騒は遥か遠く。廊下を灯していた明りもなくなり、わずかな月明かりだけを頼りに視界が悪い廊下を進む。

 

 おかしい、何かが変だ。

 そう思うのに時間はかからなかった。

 人っ子一人通らなくなった廊下で声を張り上げても、女性はまるで聞こえないとでも言わんばかりに足を止めず、暗闇の更に深くへと歩みを早める。

 まるで私を屋敷の深奥へと誘いだしているかのよう。

 

 そこまで考えた時、急に怖くなった私は思わず身震いし足を止めた。

 すると、女性が消えた廊下の左手の曲がり角から、突如として誰かが現れた。まさかあの女性が戻ってきたのか? そう思い薄暗い中必死に目を凝らしていると、ふと窓から洩れる明かりが強くなった。

 どうやら月を覆っていた雲が完全に外れたらしい。そのおかげで、そこにいたのが予想とは反し、見覚えのある深紅の仮面をつけた青年だということをすぐに理解した。月の光でキラリと反射する赤い髪を持つその男は、私の存在を認識すると声を上げた。


「おや、こんな人気のないところまで来られてどうされたのですかシャナ様?」

「………ディーゼル様」


 果たして現れたのはディーゼル卿だった。コツ、コツ、と靴音を響かせ、ゆっくりした動作でこちらへ歩み寄ってくる。

 よかったぁ。実は途中から怖かったんだよね。周りには誰もいないし、声をかけても相手はどんどん先に行くし、おまけに廊下は薄暗いし。最後の方は、あの人もしかして幽霊なのか…って疑惑まで湧いていたから。

 心細かった身の上からしたら、たかだかディーゼル卿の登場すらも神様からの救いに思えた。


「いえ、先ほど扇子を落とされた女性がいらっしゃったので、渡すべく追いかけておりましたらこちらまで出てしまった次第です」

「おや、それはそうでしたか。その女性ならば先ほどすれ違いましたよ?よければ私の方から渡しておきましょう」

「ええ、そうして頂けると助かります」


 どうやら女性は実在していたらしい。お化けではなくてよかったと一安心した私はそっと息を吐くと、手の届く距離までやってきたディーゼル卿に持っていた扇子を手渡した。


「確かに。必ずお渡ししておきます」

「よろしくお願いします。……ところで、」


 私には一つ疑問があった。何故こんな誰もいないところにぽつんといるのか、ということ。


「この度の主役であるディーゼル様がこのようなところに一人でいらっしゃっていいのですか? きっと皆さま、ディーゼル様のお帰りをお待ちですよ」

「ああ、実はちょっとした用事がありまして。それこそ、今日の舞踏会よりも何倍も大事な用事が」


 舞踏会よりも大切な用事? 女性たちの後を追いかけることよりも大切なことが、薔薇の貴公子殿におありなのだろうか。甚だ疑問だが、別に私に害がある訳でなし(ただしアネッサに手を出したら容赦しない)。正直彼の事情なんてどうでもよかった。

 なので私は「はあそうですか」と気のない返事を返すと、くるりと踵を返す。


「それでは私は戻りますね。ディーゼル様のお邪魔になってはいけませんし」

「そんなことはありませんよ。そうだ、シャナ様。こうしてあなた様とお話しするのは、以前レイン殿下との結婚を承諾してもらった時以来ですね。せっかくの機会ですから、少し私とお話しませんか?」


 は? 話? あなたと? 一体今更何の話をせねばならんのだ。意味が分からない。喉元まで出かかった言葉だが、それらはぐっとおなかの中に呑みこんで、代わりに別の答えを用意する。


「何を仰っているのですか。私ごときのために、貴重なディーゼル様のお時間を費やすことはありません。どうぞ愛しのレディーたちの元へとお戻りください。その方がよっぽど有意義で濃密な時間をお過ごしになれるかと」

「つれない方ですね」

 

 つれなくて結構! 何が悲しくて、私がディーゼル様と楽しく談笑しないといけないのか。それならばまだ見ず知らずの異性と舞台の中心で踊ってる方がましだ。

 それにしても、私が彼のことを気に食わない存在だと思っている、というのは、これだけ女性に対して観察眼が鋭いのだから感じ取っているはずなんだけど。

 ひきつる頬を無理やり笑顔でごまかしながら、私は更に拒絶の言葉を並べる。


「私のような者と話などされても、大して面白くないと思いますよ? ディーゼル様の興味を引くようなものなど何一つ持ち合わせてはおりませんから。私なんかに構われるよりもその大事な用件とやらをお済ましになられてはいかがですか?」

「いやいや何を仰います。シャナ様はあのレイン殿下のハートを射止めた唯一のご令嬢ではありませんか!十分魅力的ですよ。そんなにご自分を卑下するようなことを仰らないで下さい」

「………………よくもまあ、ぬけぬけとそのようなことを」


 真実が世間で騒がれているような話ではない、と知っていながら、そんな嘘を口にできるものだ。話をでっちあげ、強引に殿下の花嫁に仕立て上げたこの男のそんな発言に、思わず本音が漏れる。

 しかし不穏な空気を纏う私を気に留めることなく、更にディーゼル卿は続けた。


「それに、私の大事な用事、というのは今まさにシャナ様と二人でお話するということなので、ご安心ください。決してシャナ様は邪魔な存在ではありませんよ」


 にやりと。目の前の男が口元を歪ませた。その途端体中にぞくりとした悪寒が走る。

 この、体の震えには、覚えがある。私に悪魔の宣告をしに来た彼を見た時に感じたものと、全く同じもの……。

 

 何を考えている、この男。私と二人だけで話をすることが目的……? まさか女たらしの彼が今夜のターゲットに私を選んだ?

 いや、ありえない。即座に頭の中で否定する。私が彼のお眼鏡にかなうほどの美女じゃないから、というのもあるが、私はディーゼル卿が敬愛するレイン殿下の妻である。そんな立場の私に、ディーゼル様が色目を使うなど万に一つもない。それだけ彼の殿下への忠誠心が厚いのは私も十分理解している。

 

 ではただ単にからかっているのか? そう思いキッと睨みつけるが、仮面の奥の瞳に宿る光を見た時、その言葉が嘘ではないと私の本能が告げた。

 しかし、私は既にレイン殿下の正妻の座に就き、ディーゼル卿の望み通り殿下を狙う女豹達からの盾の役割は十分果たしている。これ以上に一体何を仕掛けようというのか。まだ、事は終わっていないのか?

 混乱していることを悟られないよう必死に仮面の下で顔を取り繕い、私はなんとか声を絞り出す。


「意味が分かりかねますが」


 するとディーゼル卿は笑い声を上げながら仮面を外す。露わになった端正な面立ちに浮かぶのは、へらりとした女性に見せる笑顔でも、にこりとした殿下の前で出す笑顔でも、貴族たちに見せる侯爵家嫡男としての表面上の笑顔でもなかった。 

 一言で表すなら、それは、凶悪。

 あまりの禍々しさに、思わず、私は一歩後ずさる。だがそれは許されなかった。

 

 ディーゼル卿は私の腕をつかんだのだ。強く。

 まるで、逃がさないとでも言わんばかりに、その瞳は鋭く私の心臓を射抜く。思わぬ事態に腕を振り払うことも忘れ、状況を受け入れてしまった私はただ黙ってディーゼル卿の顔を見上げていた。そんな私に嘲笑を落としながら、なんとも面白そうな声色で彼は言った。


「まだ分からないか? 今回のこの舞踏会は、全てあんたと二人だけで話をする機会を作るための、ただの茶番だと言ってるんだよ。なにせシャナ、あんたがレインの妻になってから、立場上俺より上になっちまったあんたに迂闊に近付くことなんてできないからな。ましてこんな風に誰にも邪魔されないように二人だけで話をするなんて、無茶もいいところだろ? だから一計を案じてみたってわけ」

「一計、ですか」

「そう」

「………………もしかしてあの扇子を落とされたご婦人は」

「ご名答。あいつも俺の手の者だ」


 そうか。そういうことか。

 少し冷静になった私はゆっくりと考えを巡らせる。おそらくそのご婦人だけじゃない。ディーゼル卿は、舞踏会事態を茶番だと言ってのけた。

 ならばこの舞踏会、初めの部分からなにもかもが彼の策のうちなのだ。

 

「………アネッサを呼んだのは私を確実にこの舞踏会におびき出すためですか」

「ははは。まあな。そうしたらさすがのあんたも万が一にも欠席なんてしないだろ?」

「そうすればアネッサと会いたがっていた私の邪魔をしないようにと、殿下も自然と私から離れますものね。なら、あの、私たちの会話に割り込んできた白と黒の仮面の男も、そうですか」

「…………」


 ディーゼル卿は何も答えない。だが、その沈黙こそが答えだ。私がアネッサに踊っておいで、と答えることも、私自身はダンスの誘いを断ることも。そして、目の前で扇子を落としたご婦人を、私ならば追いかけるだろうということも。全て彼の計算通り。

 なんてことだ。本当に全てが仕組まれていたのだ。彼の手の上で私は踊らされ、まんまと嵌りこの場所まで誘き出された。


 だがなんのために。その目的が、やっぱりどれだけ考えを巡らせても分からない。分からないなら本人に聞けばいいのだが。

 なんとなく癪だった。それに、なぜか聞きたくないと思った。本能的にだ。聞いてしまったら私は戻れなくなるような……。どこに戻れなくなる、とか、そんなことは分からない。ただそんな漠然とした嫌な予感だけが胸の内にじわりと広がり、それが全身に達した結果、私は彼に腕を掴まれていることを思い出し、嫌悪感を隠しもせず無理やり振り払った。


「離して下さい!!」


 予想に反し、腕はあっけなく離れた。見ればいまだディーゼル卿の手の痕がうっすら残っている。赤くなった左手を庇うように反対の手で隠すと、ひょうひょうとしたこの男を思い切り睨みつけてやった。


「残念ですが私には、ディーゼル様とお話しすることなどございませんので。あなた様がこのような策を練ってまで私と何かの話をしたかった、という意思は伝わりましたが、私には関係ありません。会場に戻ります」

「へぇ。このことはあんたにとっても重要な話だと思うんだけどね」

「そんなこと、知ったこっちゃありません」


 とにかく何も聞きたくなかった。ろくでもないことが待っているのは、対ディーゼル卿での今までの経験から分かっている。ならば関わらないのが一番だ。行かなくちゃ。少しでもこの男から離れたい。そう思い、私はもと来た道を引き返そうと、ディーゼル卿を置いて歩き出す。


 しかし、そんな私の耳に思いもよらない言葉が降ってきた。


「サカガミ・サツキ」


 月明かりの中、確かに、ディーゼル卿の口はそう言った。


「!?」


 そんな、わけがない。あり得ない。聞き間違いだと。そう思いたかった。

 なぜ知ってる。それは、それは私が前世で使っていた………!!

 しんとした静寂が支配する中、息が止まる思いで私はゆっくりと振り返る。


「聞きおぼえがないとは言わせない。なんせあんたが使っていた名前だもんな。シャナ・コキニロよりも、それこそ長い付き合いだろ?」

「なぜ、その名前を」


 知っているのか。この、男は。

 ディーゼル・エルモ・クライシス。

 クライシス家の嫡男で、レイン殿下の唯一無二の大親友。将来公爵家を継ぎ、殿下の隣で国を支えるべき男。私との接点など、ないに等しい。まして私は自分が前世の記憶持ちであることなど誰にも言ってはいないのに。

 それこそ、日記などにも記していない。この頭の中だけでとどめていて、それが漏れることなんて絶対にあり得ないことだ。なのに。


「……少しは俺の話に付き合ってくれる気になったか?」

「答えて! なんであなたがその名を呼ぶ。何故、私のその名を知っている。あなた一体誰なの!?」

 

 私の過去を知っている。私が誰にも漏らしていないのにそれを知っているなんて、一つしか考えられない。


 この男も、前世は私と同じ世界に住み、そしてその記憶を引き継いでいるのだと。


 だけどディーゼル卿はそれには答えず、ますます笑みを深くした。


「まだ夜は長い。いいから俺の話に付き合えよ。そうすればあんたのことを知っている理由、教えてやらなくもないが。さあ、どうする? 戻るか、あの会場に」


 私はぎゅっと唇を噛みしめた。

 例え全てがこの男の掌だとしても。私にとって逃げ出したくなるほどの真実が待っていたとしても。私にはその場を去る、という選択はできなかった。

ちなみに廊下はディーの手の者たちによって塞がれています。他の人がここに迷い込み、彼らの話を聞かないように。

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