44.ディーゼル卿から、悪夢への招待状
2015年11月修正済み
「ザイモン家は断絶し、クライシス家の安泰は決まったも同然だ。後はアナン姫の件がまだ終わっちゃいないが………。ま、仕方ないな。彼女なら、なんとかしてくれるだろう」
灼熱の炎の如き赤き髪と瞳をもつクライシス家の嫡男が、自室で一人、数多の女性を弄んできた美貌の顔に冷たい微笑を湛えながら独り言を漏らす。
「さあ、始めようじゃないか。この俺から逃げられると思うなよ、シャナ」
彼の企みがこの後私を奈落の底に突き落とすことになろうとは、この時の私にはまだ知る由もなかった……………。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「仮面舞踏会……デスカ?」
ザイモン家の事件も一段落し、殿下とこうして出会ってから季節も一つ、巡った頃。
食欲の秋にふさわしい絶品食材を使った料理が食卓に並び舌鼓をうっている最中に、そんな単語を殿下が口にした。
「仮面をつけ、素性を隠した老若男女が一夜限りの甘い夢を求めて集まる、あの欲望渦巻く仮面舞踏会ですよね?」
「大まかには合っているが、後半の『一夜限りの甘い夢』とか、『欲望渦巻く』という言葉に悪意を感じるのは気のせいか?」
「だって主催があのディーゼル様なんですよね? 女たらしで女性人気も高いですが、いつか己の女癖の悪さで後ろから刺されるっていう噂で、それを知ってもなお、美しい女性との出会いは一期一会だって豪語して今も女性を追いかけてやまない、自称愛の狩人っていう体が凍えるほどの寒いセンスの通り名をご自分で触れて回られているという……」
メリダ達から聞いた噂話と、私の彼に対する感想をミックスしたディーゼル像を正直に話したら、これ以上はないと言うくらい真面目な顔で殿下は頷いた。
「それに関しては全く否定しない」
同じく後ろに控えるメリダも、肯定の意味を込めて笑いを浮かべた。
「それで、その仮面舞踏会に殿下も参加されるんですか?」
「というよりも、その日はディーの誕生日なんだ」
詳しく話を聞くと、なんでもこの時期になるとディーゼル卿は己の誕生日を盛大に祝うべく、多方面から人を自身のいる邸宅に集めて大騒ぎするらしい。
相手は名門クライシス家の嫡男であるので、盛大にするのはある種当然だけど、そのやり方が毎回並みではないらしいのだ。
「去年は仮装だったな。その前は男女逆転の衣装での参加の義務付け……。とりあえず普通にはしたくない、というところがあいつらしくはあるが」
「あの方、本当に人生を謳歌している!…という感じがしますよね」
しみじみとそう漏らせば、その場にいる全員がまたもや同意するとでも言わんばかりの空気を醸し出した。
「で、ディーとはやはり長い付き合いだし、あいつも俺を招待してくれるから毎年顔を出しに行くんだ」
「殿下がそういった場にご自分から行かれるなんて珍しいですよね」
「まあ、ディーはあんななりだが腐ってもクライシス家だからな。まして次期国王になる俺が、実質国王の片腕とも言われる存在であるクライシス家の次の当主と目されるディーから招待される舞踏会に顔を出さないのは、失礼にあたるだろう」
人嫌い………もといフェロモン異常放出体質のせいで女性恐怖症に陥り、滅多にそういったきらびやかな場に姿を現さない殿下が出席する、数少ない場。
ディーゼル様は殿下の状態を知っているのでおそらく出席できなくてもなんとも思わないだろうが、やはりそれとこれとは別物のようだ。
「それはそれはなんというか、大変ですね。仕事のうちとはいえ」
しかし私の心底不憫だという気持ちとは裏腹に、彼の顔色は意外と変わらない。いつもなら舞踏会とか社交界の、「ぶと」とか「しゃこ」と言った時点で顔面蒼白で心なしか体が震えだすというのに。
「あら、珍しいですね。お嫌ではないんですか?」
目の前に運ばれてきた松茸みたいなもの(前世でいえばそんな感じのもの)とトリュフ(みたいなもの)のムース仕立てのお料理を咀嚼しながらそう尋ねたら、
「意外にそうでもないさ。幸いなことに、あいつの催し事は俺にとっては都合がよくてな。去年で言うなら仮装の舞踏会。顔を隠すような仮装をすれば、誰も俺だとは気が付かない。ああいう趣向のものが増えれば、俺もびくびくせずに済むんだが」
と、至って普通に返してきた。
「そういう訳で、俺が王子と気付かれないようしっかりと変装すれば、問題はない。招待客はディーがきちんとクライシス家を代表して選りすぐって招待した者たちばかりだから、変な人間はいないしな」
なるほど、ばれなきゃ問題はないと。そういうことか。
と、私はここでレイン王子の体質に関するある事実に気が付く。
「……顔さえ隠していたら、フェロモンは女性に通じないんですか?」
だってディーゼル卿の主催の舞踏会でしょう? 勿論彼の事だから、愛らしい女性もたくさん招待するでしょう?
仮面をつけていようがいまいが、貴族の舞踏会なんて男と女の出会いの場の一つにすぎない訳で。そんな中に、強烈に異性を引き付ける殿下が紛れ込むなんて、飢えた肉食獣の中に草食獣を放り込むようなものじゃないか。
それなのにあまり苦にしていないということは。
私のその言葉は、どうやら真実だったらしい。
「目が合わなければ大丈夫だな。無論そういった場だから異性に誘われることもあるが。相手は別に俺のこの体質に当てられてる訳ではないからな。断ればさっさと別の人間に目を移してくれる」
それでも異性と触れあうのは少し怖いけれど、と、殿下はちょっとだけ苦笑いを浮かべた。
そうか、目が合うとアウト。……殿下はメデューサみたいだと、思わず思ってしまうのは、きっと私だけではないはずだ。
勿論そんなことは言わない。言わずに心の中だけでとどめておいて、私は次のお料理へと手を進める。
「それで今回も招待状は届いているんだが。シャナ、お前の分も貰っているんだ」
「!? 私の分もですか?」
「俺たちは、形上はこ、こ、婚姻関係を結んだ仲だし、そういった場に出席するのなら、ふ、夫婦一緒が定石だ」
「なぜそこで言葉に詰まるんですか? それに妙に顔も赤いですけど」
「何でもない気にするな」
不思議に思って尋ねれば、即答でそんな風に返された。
最近のレイン殿下は、こういうことがよくある。さっきみたいになんでもないところで言葉を詰まらせたり、赤面したり。あと視線が泳ぐこともある。こちらから見ていて若干挙動不審気味である。
まあ、それはここ最近ではいつものことなのでおいておこう。それよりも今問題なのは、私もその、ディーゼル卿の主催する舞踏会に招待されているってことだ。
ご存じの通り、私はそういった派手できらびやかな場所は苦手である。ドレス、重い。アクセサリー、肩こる。靴、足痛い。
でも殿下のいう通り、ここで私が出ないという選択肢を取ることは許されない。
例え個人的にディーゼル卿が心の底からものすごく気に食わなくて、できればこの前アムネシの一件で知らないうちに騙されていた件についても(最高の護衛、と称していた男たちが実は囮で、本物の護衛は実はアムネシ側にこっそり紛れていた件。そのせいで私はアムネシに殴られて痛い思いをした)、もう一度びしっと殴り倒したいと思う程の衝動に駆られていたとしても。
「嫌そうな顔だな」
「愉快な気分ではないことは確かです」
嫌だよー。出たくないよー。ここでお留守番したいよー。
分かっている。それが叶わぬことだってくらい。代理を頼みたい、って言って仮にそれが許されたとしても、フェロモン最凶のレイン殿下の妻役、なんて危険な役、誰に頼みようもない。
そういうこともこなすのが、私が殿下の妻として成さなければならない役割の一つなんだから。
しかし気乗りしないだろうことははなっから分かっていたようで、私の気持ちが上がるスペシャルな特典がそれにはおまけとしてついていた。
「そうだ、ディーからの伝言にはまだ続きがある。『アネッサも招待している』だと」
アネッサ!
その言葉を聞いた瞬間、不本意ながらものすごくテンションが上がってしまった。
私の可愛い可愛い妹! こちらへ嫁いできて、手紙のやり取りや、社交界でばったり会うことはあるけど、以前ほど会う頻度は減っている。当たり前だけど。
なので一も二もなく、私はその誘いに乗った。
「勿論喜んで行かせて頂きます!! 楽しみですね、殿下」
それが、悪夢への始まりだとは知らないで。
これから赤毛頭一色になるだろうことは予想できる事態なので、できるだけレインとシャナを一緒に出していたい、と思い書いている次第です。




