42.受けてたちます、宣戦布告
「だがそうなると、ますますアナン姫がレインに執着する目的は謎だよなぁ。話を聞いた限り、アナン姫がレインのフェロモンにやられた様子はないし、かといってレインを本気で好いて……って訳でもないとなると」
復活したレイン様を見届けると、再びディーゼル卿は険しい顔つきに戻りうーんと唸り声を上げる。
確かに彼の言う通りである。
だけど、これもある程度、根拠はないが仮説は立っていた。
それは今回の件から鑑みても分かる。
私の連れ去りも、私の人となりを見るだけ見て、何もせずに帰している。
裏切り者の中にいた若い兵士、私が温室でふくよかなご令嬢に睡眠効果のある花の香りを嗅がせたときに側にいた男だった。そう、懇切丁寧に花の効力について私が説明した、あの彼。
それが原料の睡眠薬をあの夜使われたのは、きっと偶然じゃない。それに、わざわざ私を連れ去ったことを知らせるなんて。
彼女はきっと、フェロモンにやられてレイン様に求婚していたんじゃないのだ。自分と同じフェロモン体質で尚且つそれが効かないレイン様を玩具に見立てて遊んでいるだけ。しかも証拠は何一つ残さず。
愉快犯、というやつだ。
同じような印象を二人も受けたようで、
「どんなにこちらが防御策を練っても情報が筒抜けだと、嘲笑ってるんだろうよ。敵の掌の上で踊らされてるっていうの?」
「ああ。今回の目的は、アナン姫がシャナに言った通り、彼女自身の品定めで間違いないだろう。あと、こちらの慌てふためく様子を見て楽しむことと」
そんなくだらないことの為に、わざわざ大掛かりな仕掛けを用いて私に近づくとは。無事に帰れたということは、私は彼女のお眼鏡に叶ったんだろう。また会いに来る、とも言ってた。
「正々堂々正面から会いに来る、とわざわざ宣言する辺り、完全に宣戦布告だよなぁ」
ディーゼル卿が手の打ちようのない最悪の状況に笑うしかない、といった感じで苦笑しながら言った言葉に、私も同じく疲れた笑いを浮かべながら頷く。
その気になればきっと、いつだってレイン様を手中におさめられたろうのに、あえてそれをせず今まで過ごしてきて、ここにきてから、彼女のお気に入りのオモチャを横からかっさらった私に対する宣戦布告。
全てがあやふやな状況の中、私達3人が導きだした推測は、概ねこんなところだった。
「……アナン姫にはずっと厳重に見張りもつけていたんだけどな。彼女がこの国に密かに侵入したとの報告はなかった。身代わりを立てていたのか、もしくは俺の手の者ですらもアナン姫に操られてしまったか。後者だとするとかなり厄介だな。念のためこれからは女性の私兵をつけるとしてもだ。理由はどうあれ、レインに執着してるのは確かだしな。今回は彼女の気紛れで助かったようなものだが……」
「やはり彼女は危険すぎる。今回の件についての裏切り者は排除できたとしても、彼女ならいくらでも手の者を作れるだろう。だから守りは無意味だ。そもそも憶測でしか状況が把握できない状態で、こちらは手の打ちようがない。実際に俺たちの推測が外れている可能性だってある。シャナがわざわざ危険な目に遭う必要はないと思う。だから」
……レイン様が、これから何を言いたいのか、私には十分すぎるほど分かった。というか、彼が思いつめた顔でいつもよりも低めの声で私の目をまっすぐに見つめながら口を開くときは、大抵が自己犠牲の精神に溢れている時なのだ。
だから私は彼が続きを言う前に、素早く自分の台詞で塞いでしまった。
「言っておきますけど、私、アナン姫からの挑戦状受けますからね」
私の役割は、殿下を障害物(この場合、彼のフェロモンにやられ、危害を加えようとする女性たち)から守る盾になることだ。アナン姫がフェロモン被害者でなかろうが、レイン様に対してマイナスにしかならないのであれば、彼女もまた、私の敵だ。
というか実物を見て思ったが、彼女はどこかおかしい。アムネシとはまた違う種類の異質さであり、通常状態であの感じ、というところが、アムネシよりも更に常軌を逸脱している気がする。
そんな彼女の毒気に、心優しいレイン様を当てさせる訳にはいかない。
勿論、ディーゼル卿にアネッサを人質を取られている私が、ここで「おりまーす」なんて言えるはずがないって言うのもあるけど、私はレイン様と結婚したあの夜に、彼を守る盾になると自ら決心したのだ。その想いはいまだに私の中にしっかりと根付いている。
後、一緒に過ごしてきた中で、レイン様にはそれなりに好意もあるのだ。恋愛云々の類じゃないけど。
大切な人が肉食獣に喰われるのを、みすみす指加えて見ている程私は薄情じゃない。
「だが、彼女は今回のことで分かる通り、危険だ。命を落とす可能性だって…」
「まあ、なんとかなるんじゃないですかね。少なくとも私は彼女に気に入られたらしいので、いきなり後ろからブスッ、と刺されることもないでしょうし」
「敵の言葉を信じるのか!?」
「アナン姫はこちらが足掻いてもがく様を外側から優雅にお茶でも呑みながら、満面の笑みで見ていることでしょう。彼女にとって、これは一種のゲームなんです。そんなつまらない策を弄して私を害してしまっては、ゲームは面白くならないでしょう?」
「そ…れは、そう、かもしれないが。しかし危険な存在であるのは変わらない」
「逆に。私がここで役を降りたら、私という存在に興味を失くしたアナン姫に殺される可能性はあります。つまらないと言う理由で。それに、私がいようがいまいが、彼女の優勢は変わりません。ただ私がレイン様の側に妃としていることで、あなた様がアナン姫の毒牙にかかるまでの期間が延びるのです。彼女が余裕に胡坐を掻いて私たちをおちょくっている間に対策を練って、ぎゃふんと言わせることができる可能性は、きっと今のままでいる方が高いんですよ?だから私は、レイン様の妃の座は今は降りる予定はないですし、アナン姫からの宣戦布告も受けて立ちましょう」
いつかは、私もレイン様から離れるつもりではある。だけどそれは今じゃない。少なくとも、アナン姫というおそらく一番厄介な相手を倒すまでは、私はレイン様の側にいよう。
そんな想いを込めて力強く笑いかけると、レイン様は私に引く気がないのを見てとったのか、目を瞑ると深い呼吸をしながら、綺麗なお顔に色んな感情が入り混じった複雑な表情を浮かべる。
そして一呼吸の後ゆっくりと目を開いたレイン様は、決意に満ちた瞳でしっかりと私を見据えると、
「俺はまだ、自分のこの体質を、アナン姫のように使いこなせる訳じゃない。相変わらず振りまわされてばかりだ。だが、時間はかかるかもしれんが俺は必ず克服して、……こんなことを宣言するのは男として恥ずべきことだが、自分の身は自分で守れるように、最大限努力する。それまでシャナには苦労をかける。だがここに誓おう。俺を守るため、共に戦ってくれると言ってくれた君を、俺もまた自分なりのやり方で守る」
そう言うと、私の目の前に跪き、手を取り、そっと口づけを落とした。その様子を見た私は、思わずレイン様に見入ってしまった。
初めはあんなに女性に恐怖を抱いて、どこか落ち着きがなく、常に不安げで苦悶の表情をして、手が触れようものならびくりと怯えたように体を震わせていたレイン様が、いつのまにこんな風になったんだろう。
あの夜、助けに来てくれた時にも感じたことだったけど、こんなに精悍で力強く、頼りになるなんて、正直思っていなかった私は、今のレイン様が予想外であり、そして彼も成長しているんだなとしみじみ思った。子供の成長を見守る母親の気分である。
「あ、私も自分の身は自分で守るつもりではありますよ?けれど昨日みたいな状況では他人の助けがないとどうしようもなかったですから」
「分かってる。シャナの身に危険が迫らないようこちらも善処するが、もしも昨晩みたいな直接的な害意がシャナに振りかかった時は、俺が何があっても真っ先に駆けつけて、何度でも守ってみせる」
「ふふ、約束、ですからね」
「ああ」
そうして私たちは見つめ合い、真剣な面持ちで、けれど口元は緩ませると互いに微笑みあった。
と。
「あ―――、コホン。なんか良い雰囲気のところ申し訳ないんだけど、俺もここにいるからね」
わざとらしい咳払いとともに、彼にしては珍しく戸惑ったような声色でディーゼル卿が割って入る。
「いやー、お兄さんびっくりしちゃったよ。まさかいきなり二人だけの世界を構築するとは思ってなかったからね。重苦しい話し合いの場が、一瞬にして薔薇色の世界に早変わりするもんだからさ」
「?薔薇色…って、なんですか」
「別にお前がこの場にいることを、忘れていた訳じゃないぞ?」
しかし言われた私たちは目をぱちくりさせると、合わせ鏡のように全く同じように首を傾げる。
「え……嘘だろ?まさかの無自覚!?」
限界まで見開いた瞳で、信じられない!と叫びながら、ディーゼル卿が私とレイン様を交互に見比べる。それから何故かくるりと後ろを振り向くと、なにやらぶつぶつと呟き始めた。
「いや、まあシャナ嬢はともかく、レインのあんな行動や発言……そもそもお姫様だっこを普通にやってのける辺り…………ていうかシャナを見る、あの目が何よりの証拠で………………しかしニブちんだから……え、俺の目がおかしいのか?だってあれって…………」
ところどころ単語は聞こえてくるが、意味は分からない。だけど一通り彼なりの考察をして結論が出たのか、再び振り向いたディーゼル様の顔はいつものものに戻っていた。若干疲れの色が濃くなった気はしたけど。
「ま、とりあえず、今俺たちにできることはアナン姫への警戒を怠らないことと、護衛の強化、か?あと可能なら、レイン。お前のその体質、万が一使いこなせるようになったら、アナン姫と同じことができるようになるな。そうしたら少しはあちらさんの情報が入ってくるだろうけど」
「できるようになる、と確約はできん。それにできるようになったとして、もし裏切り者だとばれれば、その者が俺のせいでアナン姫に殺されるかもしれない。だからその手は…………できれば使いたくない」
どこまでも甘いお人だ。自身の安全が、そしておそらく私の命もかかってるっていうのに。
だけど、私は彼のそういうところも好きだ。おそらくそれはディーゼル卿も同じなんだろう。まあ彼の場合、最終手段としてレイン様にアナン姫と同じような方法をとらせようとはしそうだけど、それまではレイン様の気持ちを尊重するに違いない。
そして、そんな彼の望みを最大限叶えるよう策を考えるのが、ディーゼル卿の仕事であり腕の見せ所だ。
「へいへい、面倒のかかる俺の上司だこと。ま、このディーゼル・エルモ・クライシスに不可能はない。多分。なんとか善処してみるさ」
頼りがいのあるのかないのかいまいち掴みきれないクライシス家の言葉に、それでも、感謝する、とレイン様は短く答えた。




