39.謎だらけの中、対峙する少女の正体は
男に捕らえられた私は、予め外に用意してあったらしい馬車に乗せられた。隣には目つきの悪い、私を連れだしたあの男が、前には例のフードの人物が座る。そしてわずかな月明かりが照らす中、ゆっくりと森の中を運ばれていく。
縛られた手足が痛む。特に足の方は、完治していない箇所にわざわざ縄が食い込むよう縛り上げるという心遣い。
まあ目隠しと猿轡をされないだけ、ましと思うしかない。
それにしても、フードの少女の正体と目的は一体何なのか。
とりあえず今確実に分かっていることは、私が何者かにどこかへ連れ去られている最中だということ。
そしてもうひとつ、今回の連れ去りが可能だったのは、屋敷に勤めていた人間の中にスパイがいたからということ。
なぜなら部屋で背後から剣を押し当てていたのは、普段あの屋敷で私の護衛を勤めていた者達だったから。それだけではない。馬車に押し込まれる直前に、何人もの顔見知りの男たちが、フードの少女に何やら指示を仰いでいるところが見えた。そう考えると私の毒薬の類が効かない体質のことや殿下の不在のタイミングが、こんなに敵さんに筒抜けだったことにも説明がつく。
普通なら、これは殿下のフェロモンにやられて気が狂った女性が私を亡き者にしようと屋敷を襲ってきた、と見るべきだろう。私も初めはそう思っていたし。
だけど果たして本当にそうなんだろうか。
もし、相手がフェロモン被害者なら、私は邪魔なはず。だからアムネシのようにさっさと邪魔者を排除…殺せばいいのに。それともどこか遠くへ連れて行ってから殺すんだろうか。何のために?わざわざ外へ連れ出す意味なんてあるのだろうか。
いまいち彼女の考えが掴めない。フード越しにこちらを観察している少女を、私もじっと見つめ返す。
「ん―――?何?そんなに見つめられたら、照れるじゃな~い」
私の強い視線を感じたらしい少女が、例の喉に絡みつくほどの不快な甘さのある声でそう言った。
「でも残念~。どんなに見つめられても、このフードは取ってあげないんだからぁ」
元より正体を教えてくれるなんて思っちゃいない。だけどこの声。どこかで聞き覚えがあるような……。彼女の言葉に何も返さず、必死に頭の中の記憶の引き出しを探っていると、彼女は楽しそうなはしゃいだ声をあげた。
「それにしてもぉ、こぉんな危機的状況だっていうのに、よくそんなに落ち着いていられるわねぇ」
「恐怖に体を震わせながら涙を流して怯えるのは、性に合わないもので」
「いいわ、本当にそういところ、いいと思うのぉ!……もしシャナちゃんがぎゃんぎゃんみっともなく泣き叫んだりするだけのつまんない子だったらぁ、殺すつもりだったわ」
明日のお天気の話でもするように、軽い感じで言ってくれるじゃないか。だけど彼女の言葉は本当だ。フード越しでも感じた殺意の混じる視線がそれを証明している。
「やっぱりぃ、調べた通りの子だったわねぇ、シャナちゃんって。ふふ、あのあたしのお気に入りのレイン様のお嫁さんになるなんて普通の子じゃないだろうなぁって思ってたんだけど、その肝の据わりようならぁ、納得!って感じぃ。アムネシのお茶会でもぉ、そんな感じで接したんでしょぉー???それはあの子ごときじゃ敵わないはずよねぇ~。でー、結果がぁ、アレ、でしょ?そのことを聞いた時、あたしおかしくってお腹がよじれるほど笑っちゃった!」
「私の事は何でもお見通し、という訳ですか」
アムネシが私に喧嘩を売ったことは、関係者には口をつぐませ、極秘事項となっている。それも含めて、私の事は正体のわからないこの不気味な敵に筒抜けということか。
考えるんだ、シャナ。彼女の正体は誰なのか。それが分かれば、もしかしたらここから逃げ出す糸口が掴めるかもしれない。
胸やけする不快な少女の声。こんなにも印象に残る声だっていうのに思い出せないということは、ほとんど会話を交わしてない相手か。
アムネシの取り巻き?いや違う、彼女たちの顔と声は全て覚えている。では他のご令嬢?殿下の屋敷に忍び込んで厳重注意にとどまった相手。……それも違う。私は彼女たちに会ったことはない。遭遇する前に屋敷から追い返されてたから。では一番最近出会った、温室のご令嬢?………声を思い出すまでもない。体型が違いすぎる。
となると後は………。
その時、私の記憶のデータが突如、とある人物の姿を導き出した。
あれは殿下と結婚式を挙げた夜の晩餐会。来賓枠の出席者の中にいたある人物。二言三言しか会話は交わしていないが、愛くるしい小動物のような見た目にぴったりの、甘ったるくて可愛らしい少女の声だった。そして、この独特の喋り方。ぶりっ子ともとれる喋り方なのに、それがあまりにも似合いすぎていた少女。
アムネシと同じように殿下のことを愛する、要注意人物。
――――――――――――――ダルモロ国第一王女、アナン姫。
自分の無能さに思わず唇を噛みしめる。
なんですぐに思い出せなかったんだろう。彼女以外考えられないというほどに声も喋り方も符合しているのに。こんなきゃぴきゃぴ声と絡みつくような喋り方の持ち主が、この辺りに2人も3人もいやしない。
でもだとしたら、ますます彼女の行動は謎だ。彼女の行動は、他の女性たちとは明らかに違う。アムネシと同等にフェロモンの影響を受け、殿下に熱烈なアタックをしていたという割には、アナン姫の今回の行動はそれと結びつかない。
「……どうしてこんなことを?殿下の妻に収まる私の事が、憎くないんですか」
「憎い~????」
「あなた、レイン様のことをお好きなんでしょう?でしたら私に対し悪意を向けてくるのは当然ではありませんか。実際他の方々はそうでしたから」
そう、明らかに異質だ。本当にこの少女はアナン姫かと疑ってしまうほどに。
だから私も、無意識に、目の前の彼女がアナン姫である可能性を排除してたに違いない。聞いてたアナン姫像と一致しないから。
「それとも、殿下から手を引けという脅迫のおつもりですか?」
「お望みならそうしてあげても良いけどぉ。でもぉ、シャナちゃん脅したところではいそうですか、っていうようなタマじゃぁ、ないでしょー?」
「私のこと、随分知ってる風に言って下さるじゃないですか。父王を唆し、自国の軍を率いて戦争を起こすとまで言って殿下と結婚したがった割には、随分とあっさりしてますね」
「あら、なんのこと?」
「とぼけないで下さい。そんなフードを被って顔を隠したところで、無駄ですよ。正体はとっくに割れてます」
彼女はそれには答えず、意味深な含み笑いをするのみ。
しかしはっきりと否定はしなかった。自分がアナン姫ではないと。ならば、その無言と笑みは肯定の証か。
「一体あなたは何をしようとしているんですか?……そもそも、本当にあなたは殿下のことを愛しておられるのですか?」
すると、
「ふふ、ふふふふ、愛してるか、ですって?その言葉ぁ、そっくりそのまま、あなたにお返しするわぁ」
今までよりも1オクターブは低い声。地の底で獲物を待つ蛇に睨まれたような感覚になり、思わず後ろが壁なのも忘れて後ずさる。
そんな私を逃がさないとばかりに、薄暗い中ぼうっと白く浮かび上がった彼女の手が、私の首を掴む。氷のように冷たさに、体が自然と寒さで震えた。
「お互いにぃ、惹かれあった末の恋愛結婚~?大法螺も良いところよねぇ?あのレイン様がぁ、よりにもよって恋愛なんてできる訳がないじゃない。フェロモンのお陰でぇ、近寄ってくる女の子、みぃんな、狂わせちゃうんだもん!それで女の子、大っ嫌いになっちゃったっていうのにねぇ」
「!?」
その口ぶり、殿下の体質の事、まさか彼女は知っていたっていうの!?なぜ彼女がそんなことを知り得るというのだ。
というか、考えてみたらおかしいことだらけだ。彼女が知っていることは、全てがこの国の超重要秘密事項ばかり。それがこんなにも、しかも他国である彼女の元に届くなんて、スパイなんてレベルの話じゃない。
殿下の体質の事。
私に関するあらゆる情報が知られていた事。
今日に限って殿下が不在だったのを知っていた事。
そもそも兵たちはいつから彼女の手下だったんだろう。一番近くで殿下と私の身を守る、いわば本陣の従者たちだ。その採用に際して、その人物の事は細かく調べられているはずだ。万が一にも裏切る可能性のある者を、あのディーゼル卿が採る訳がない。なのに今回、彼らは裏切った。しかもその人数は1人2人のレベルではない。
もしかして………。いや、まさか。
あり得ない、とばかりに、頭に浮かんだ壮大な仮説を私は否定した。だけど仮にそうなら、あらゆる情報漏えいの理由にも全て納得がいく。
しかしそんなことって…。いや、100パーセントあり得ない話じゃないはず。現に私の身近にもいるではないか。
「………一つ、お伺いしても良いですか?」
「なぁに?もっともぉ、あたしが答えるかどうかは、約束できないけどぉ」
「あなた、もしかして―――――――――――ではありませんか?」
その言葉に、初めて彼女の顔から笑顔が消えた。動揺したのか、首を軽く拘束し
ていた手がすっと手を離れた。
そうか、これも肯定、という訳か。
しかし、それが分かったところでやっぱり彼女の真意は掴めないし、私のここからの脱出方法も見つからない。
「お話のところ失礼致します。後ろから何者かが追い掛けてきている気配が」
その時、今まで空気に徹していたらしい男が、アナン姫に声をかけた。その言葉に、一瞬固まっていた彼女は、すぐさま反応する。
「……あらぁ、予想よりも早かったのねぇ」
追い掛けてきているって、もしかして、私の失踪に気が付いて、助けが来たってことなのか。
「残念~。もう少しシャナちゃんとお話ししたかったんだけどぉ、時間切れ、みたいねぇ。でも、今日は有意義な時間を過ごせたわぁ。あたしぃ、あなたのこと気に入ったわ。合格よ!これで今日の目的は達成したわぁ」
何が合格なのか。分かったのは、彼女が私に会いに来て、そして気に入られたらしいということだけ。
「ということでぇ、あたしに気に入られた御褒美としてぇ、今度は正面からきちんとご挨拶しに伺うわぁ。それまで今回のようにこそこそした真似はしないからぁ、安心してねっ」
「俄かには信じられないお言葉ですが」
「あら、本当よぉ。あたしぃ、嘘はつかないもの!と、いうことで」
彼女が指をパチンと鳴らすと、いきなり私の体が宙に上がる。あの男に抱えあげられたのだ。狭い車内なので頭ががんがん天井にぶつかるが、お構いなしでドアを開く。そしてその態勢のまま彼は馬車の上に飛び乗った。
「ちょ、ちょっ―――――!?」
馬車がびゅんびゅん風を切る中、私はこのあり得ない状況に堪らず言葉にならない叫び声を上げる。
「静かにしろ。舌を噛むぞ」
「そういう問題じゃありません!」
さすがの私もこの状況には大人しく口をとじる訳にはいかなかったよ。
いや、もう分からない。何が何だかさっぱり分からない。私を抱えたまま、この男は何をするつもりなの!?
と混乱していると、遠くの方から聞き覚えのある声が私を呼んでいるのが、風の音に混じって聞こえてきた。
「え……」
あの声って、もしかして…………。
その追い掛けてきた者が誰なのか分かった瞬間、私は堪らずその名前を叫んでいた。




