38.☆真夜中の追跡
「あ―――――――――――――――、終わらねぇ―――――――――っ!!!」
夜の闇も深くなってきた頃、城の一室で書類とにらめっこしていたディーゼルが、突然頭を掻きむしりながら体を後ろに仰け反らせた。だが重心を後ろに持ってきすぎたためか、そのまま椅子と一緒に床に倒れる。
「やばい、頭打ったこれ、医務室行きだわ。レインさーん、そう言う訳だから、俺ちょっと手当てしに……」
すると同じく書類仕事に忙殺されているレインが、ディーゼルをちらりとも見ないまま、同情の欠片もない無慈悲な声で優しい言葉をかけた。
「頭打ったんだろ?急に動かない方がいい。俺が医務室に行ってゴリラゴ先生をここに呼んで来てやる」
「いや、すみません、頭大丈夫です、治りました、だからあの先生だけは呼ばないで下さい」
ゴリラゴとは城に常駐する医師の一人で、腕は確かだが治療方法が荒いので、治してもらうまでの過程がとてつもなく痛む。しかも本人は体がムキムキマッチョなので、女子大好きのディーゼルとしてはそれも苦手らしい。
「はぁぁ。可愛い看護師のお姉さんの膝枕に癒してもらうっていう俺の案もボツか」
「ゴリラゴに膝枕されたくなければ、とっとと起きて仕事に戻れ」
「わわ、分かったよ、もうレインってば今日はなんか機嫌悪いのな」
「そうか?お前に優しくないのはいつものことだろう」
「それはそうなんだけど。ほら、何て言うの?ちょっとイライラしてるっていうかね。いつもより眉間のしわが3倍濃いし?」
起き上ったディーゼルは自分の椅子に腰かける前に、レインの眉の間に手を伸ばしてぴーっと皮膚を伸ばしてみせる。
「うっとおしい」
対してレインは、右手と目線は書類から離さず、空いていた左手でバシッとディーゼルの手をはたき落とす。
「いてっ」
おーこわいこわい、とぶつぶつ言いながら、ディーゼルも席に戻ると先ほどの作業の続きを始める。しかし流れ作業的なこの仕事にも飽きが来てた様で、作業スピードは保ちながらもディーゼルは口を開く。
「ま、お前がイラつくのも分かるがな。奥方様があんな状態で?それを置いてこっちに来てるんだもんな?心配だよな、うんうん」
レインもそれは同じだったようで、仕事をこなしながらディーゼルの言葉に返事をする。
「念のために人は普段より多めに配置しているが、シャナはあの足だ。万が一のことがあったらいくら彼女でも対応できない」
「そうだよなぁ。知力はともかく、武力なんかで来られた日にゃどうしようもないもんな」
「そういえば、お前、シャナからもらった手紙、何が書いてあったんだ?」
「え?あれか?………ははははは、シャナ嬢の情報網はすごいな。俺が今交際している女の子たちの名前を書いてきた。いつでもばらせますよっていうアピールだよな、あれは。マジでどういうツテで手に入れたんだか。特にばれたらマズイ相手もいるから今回は慎重にしてたんだけど」
「今何人と同時交際してるんだ」
「え?シェリーちゃんとミモレザちゃんと……7、いや、8か?」
「お前みたいな不道徳な男は一度刺されて生死の境を彷徨ってくればいいと思う」
「いやいやでもさ、本当に俺が刺されて死んじゃったりなんかしたら、レインも悲しいでしょ?それだけじゃない、女の子たちも悲しんで後を追ってきちゃうかもしれない!俺って罪な男だよな」
「少しは悲しむな。お前の内面性はともかく、仕事の出来だけは認めている。ディーがいなくなったら俺は膨大な仕事量を一人でこなさなきゃならない」
「そこなの?ねぇレイン君、もうちょっとさ――――――」
と言い合いながらも、二人の手もとの書類は次々と処理されている。
それからも途中女の子成分が足りないと駄々をこねるディーゼルにレインが痛烈な批判を入れながら、時間は過ぎていく。
「―――――――――?」
何かを感じたのか、不意にレインが手を止めると窓の外に目を向ける。
「どうしたレイン。休憩か???いいじゃんいいじゃん、なら俺はちょっくら目の保養にでも出掛けてくるわ」
しかしそんなディーゼルの茶らけた台詞にも反応せず、ただ無言で黒い闇が覆い尽くす空を見上げている。
「ちょっとレイン、急に何があったんだよ。もしかして具合でも悪いのか?」
しかしレインは首を横に振ると、真面目な顔でディーゼルに向き直る。
「なあディー。シャナに対して彼女を排除しようとする動きは、最近は報告されていないんだよな?」
「ん?お――、そうだなぁ、あのザイモン家の一件以降目立った話は聞かないぞ。アムネシはシャナ嬢を嫌っていた筆頭だろ?だから可愛い娘の邪魔をしそうな彼女を、コキニロ家が排除したんじゃないかって裏で噂されてるからな。それでシャナ嬢の存在を疎ましく思ってる連中、彼女にちょっかいかけるの躊躇ってるそうだ。しばらくは大人しいと踏んでる」
確かにコキニロ家ならあり得ない話ではないが、それは噂に過ぎない。
加えて当主のジュダイザはそんなやり方を好む人物ではないので、ガセもいいところだ。
「お隣の国も目立った動きは特にないし、頭の空っぽな女の子たちが考えなしに突撃訪問はあるかもしれないけど、それ以外は正直、心配しなくてもいいんじゃないか?」
「ああ、そうなんだが」
考えすぎかもしれない。神経が過敏になっているだけ。
しかし今突如感じた言い知れぬ不安は、ディーゼルと話していて拭い取れるどころか、ますます重くなってレインの胸にずしりとのしかかってくる。
「悪いがすぐ戻る」
考えすぎならそれでいい。一度シャナの安全を確認して戻ってくればいい。こんな不安を抱えたままでは、とてもじゃないが仕事に身が入らない。
そう結論付けたレインの行動は早かった。
「おいマジか。まあいいけどさ。絶対戻ってこいよー、サボりとか許さないからな」
「同じ台詞を返してやる。城の女の子にちょっかいかけるんじゃないぞ」
「分かってるって」
へらへら笑いながら手を振って見送るディーゼルに一抹の不安を感じたが、今はそれどころではない。もし帰ってきた時にいなかったら、相応の仕置きを与えれば済むことだ。
そう考えながら、レインは部屋を後にした。
それから外に停めてある馬車に乗り込むと、自宅に向かうよう指示する。城とレインの屋敷は同じ敷地内だが、なにせ莫大な土地である。かなり距離がある。
はやる気持ちとは裏腹になかなか進まない馬車にもどかしい気持ちになりながら、レインはひたすら早く屋敷に着くことを願った。
そして、自分の杞憂がただの心配のしすぎであったと安心したかった。
だが目の前に現れた屋敷を見た瞬間、彼はすぐさま異変に気がついてしまった。
「どういうことだ、明りが一つもついてないだと?」
屋敷の外にも中にも、夜であっても防衛のため最小限の火種は灯されているはず。それが今日は全てが消されている。
異変はそれだけではなかった。
門番がいないのだ。
「何が起こってる…」
馬車から降り立ったレインは急いで中へと足を進める。するとそれははっきりと目に見える形で現れた。
庭で見張りを担当している警護のものが皆、地面に倒れているではないか。それだけで分かった。この屋敷で何かがあったということが。
状況を確認しようと近くに倒れていた兵士を起こし、レインは声をかける。
「おい、大丈夫か!?一体何があった!?」
体を揺さぶり頬を叩き、腕の中の人物が目を覚ますまで何度も声をかける。しかしいくら呼びかけても応答がない。見たところ怪我や流血はなく、心臓に耳を当てるが、正常に動いている。ただ彼は眠っているだけのようだ。
まさか眠気に耐えられなくなって地面で寝てしまうなんてことは考えにくい。他の者も皆、眠っているだけのようだ。
ならこれは作為的に仕組まれたこと。彼らを眠らせ無力化する目的など、ただ一
つ。
夜の帳が支配する中、暗闇を気にせず、レインはただ一人のことだけを思い浮かべ走る。彼女がどうか無事であるようにと願いを抱えながら。
2階へ続く階段を駆け上がり、明りの消えた廊下を全速力で走り抜ける。屋敷の中にも倒れた使用人たちの姿があったが、おそらく外の兵たちと同じ状況だろう。今は何よりシャナの無事の確認が最優先だった。やがて彼は目的の場所へと辿り着く。
彼女が眠っているはずの寝室。だが夜中だというのに扉は大きく開け放たれている。
「シャナ!!」
しかし返事はない。
寝台には、誰もいなかった。それどころか部屋の中をくまなく探しても、シャナの姿はどこにも見えない。
「くそっ!」
苛立ちを抱えてドンとベッドを叩くと、あるものがレインの目に飛び込んできた。元からそこに置かれていたんだろうそれは、1枚の紙切れだった。そこに書かれていたのは一言だけ。
『シャナは預かった』
やはり、悪い予感が的中した。何者かが彼女を連れ去ったのだ。
レインは苛立ちげに叫ぶと、来た道を急いで引き返す。そして乗ってきた馬車まで戻ると、御者に向かって叫んだ。
「シャナが連れ去られた。城にいるディーゼルにこのことを伝えてくれ!」
「なんと!それは大変です!急ぎこのことを伝えて参ります」
御者はすぐさま馬を引くと、城に向かって踵を返す。
対してレインはというと、地面にしゃがみこみ何かを捜すように目を凝らした。
この屋敷から伸びている道は全部で3本。そのうち今来た道を除くと残りは2本。よく見ると東に向かって伸びる道に、まだ真新しい馬の蹄の跡がついていた。 状況から見て、これがシャナを連れ去った連中のものである可能性が高い。
敵の正体は分からない。敵の明確な目的も分からない。そんな中で後を単身で追うのは危険かもしれない。
だが、悠長に応援を待つ暇もない。今この瞬間にも、シャナの身が安全である保証などどこにもないのだ。
レインは自身の馬に跨ると、誘拐犯がいると思われる暗い森の中に一目散に馬を走らせた。
道は一本道であるため、このルートを使っているならスピードを出せば追いつくかもしれない。いや、追いついてもらわなければ困る。
馬は夜目が効くため、暗がりでもさして問題なく飛ばすことができる。しかし馬を操り先を急ぐレインだったが、思わぬ事態が彼らの身に起こった。
順調に駆けていた馬が、突如甲高い声でいななくとレインを乗せたまま転倒したのだ。幸い下は柔らかい土の地面だったので怪我はない。
木の根っこに躓いたのだろうか。だが見つけたのは自然の障害物ではなく、木と木の間にピンと張られた1本の縄。これに足が引っ掛かったようだ。
どう考えても偶然ではない。シャナを追ってここに来るであろう人間がやってくることを予想して張られた罠、それがあるということはつまり、この先に彼女がいるという証拠だ。
そう考えた時、前方でがしゃりと金属がすり合わさる音がした。
「ここを通す訳にはいきません」
夜の闇をその身に纏い出てきたのは、剣を携えた数人の兵士たちだった。しかもその顔には身覚えがあった。
彼らはレインの屋敷に仕えていた兵士たちだ。屋敷の中に敵が間者として潜り込んでいたがために、レインの不在やシャナの怪我の事、更にはシャナの連れ去りも可能だったのであろう。
だが、今のレインにとってそんなことはどうでもよかった。裏切り者が誰であろうが、それは後から尋問すればいい。今早急にすべきなのは、シャナの行方を一刻も早く追い、敵から彼女を救い出すことだ。
「邪魔だ、そこを退け」
怒気のこもった声と瞳で彼らを睨みつけるが、相手は一歩も引かない。
「それはできません。先へ進みたければ、我々を倒してからに……」
肉の裂ける音がした。
先頭に立っていた男は、一瞬自分の身に何が起こったのか理解できなかった。しかし音に数秒遅れて立ち込めた大量の血の匂いと、ぽとりと落ちた己の右腕を見て、一気に血の気が引いた。
「―――――――!?」
声にならない悲鳴と共に、その場に崩れさる。そしてわななきながら目の前に立つ元主の男の顔を見つめた。
だが、顔を見たことを男はすぐに後悔した。
男の返り血を浴びたレインは、凍てつく瞳で兵たちを睨みつけていた。それは今まで彼らの見たことのない、殺意のこもった視線だった。
「次は首を落とす」
一体いつの間に剣を抜いたのか。光の如き早さで自身の剣で腕を斬り落とし、顔にべったり付いた血を拭うことすらせず、そこに立っているレインは、彼らの知る王子の姿ではなかった。
彼らの中に流れる血液が、恐怖のあまり凍りつく。
抗ってはならない、立ち向かってはならない、圧倒的な存在感と威圧感を持つ男。これが、この国の頂点にいずれ君臨することになる次期国王という男。
本能で抗うことはできないと悟った兵たちは、その場に剣を置くと脱力したように、腕を落とされた男と同様に地面に膝をついて倒れる。
足止めの為にレインと戦い、命を落としてもいという覚悟だったが、この男とはそもそも戦うことすら、剣を向けることすら許されないのだ。
レインは馬を立ち上がらせると、具合を見る。受け身はちゃんと取っていたようで、怪我はなかった。
それが確認できると再び跨り、兵たちを蹴散らして再び前へと進んでいく。幸い、もうレインの邪魔をする者はおらず、馬は順調に道を走り続ける。そして遂に、レインの耳にがらがらと回る車輪の音が聞こえてきた。間違いない、あれにシャナは乗っている。まだ様子は見えないが、彼ははっきりとそう確信していた。そしてきっと彼女はまだ無事だと。
シャナのいるところまで、後少し。レインは馬に鞭をふるうと、一直線に音に向かって馬を走らせた。




