36.絶対安静、大人しく療養中
危険な場所に生えたアカアオキの採集には成功したものの、崖から落下した私。しかし幸いなことにそのすぐ真下には人一人がぎりぎり寝転べるほどのスペースがあり、たまたまその場所にすっぽり収まった私は固い地面に肉片をぶちまけることはなかった。この幸運、神様に感謝だ。
ただ落下の時に頭を打ったのとひねり気味だった足を強くぶつけて骨にひびが入ったため、1週間の絶対安静を言い渡されてしまった。
私の目論見では届くと思ったんだけどなぁ。実際届いたし。ただ落下するのは計算外だった。
自分でも自分が情けない。私はこんなにお馬鹿な子だったのか。しかも、どこぞのご令嬢との対決時に命を落としたとかではなく、単に不注意からくる事故死するところだったなんて、末代まで笑い話として語り継がれるレベルだ。
「お前の情熱には恐れ入った」
部屋のベッドに横たえられ、殿下にしこたま怒られた後、私がしょぼんとしていると、レイン様は私に鉢に入ったアカアオキの花を見せながらため息まじりにそう言った。
それはまさしくあの時私が手にした巨大アカアオキ。落下しながらも私はそれを手放さなかったそうだ。
……自分で言うのもなんだけど、凄い執念だ。
「まあ、今回の件は俺にも責任はある。そもそも連れていった場所が危険だったからな。今日みたいなことがないよう、あの辺りは対策を考えとく。だから、足が治ったらまた一緒に行こう。今度はシャナがどれだけはしゃいでも目を離さないようにするから」
「え。また、連れていって頂けるんですか?」
あんなことがあったのに?びっくりして思わず目を剥くと、殿下が優しく笑ってくれていた。
「ああ。だからこの1週間は大人しくしてろ。いいか、『絶対』、だぞ?温室の水やりも、俺とメリダで手分けしてやる。だからこの7日間は、頼むから辛抱してくれ」
否、顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。相当心配をかけてしまったからなぁ。
こんなことになってしまったのだから、さすがの私も無茶をする訳にもいかない。圧力のある笑顔で見つめられた私は、殊勝にこくりと頷くしかなかった。
さて、動けない一日というのは暇なものだ。何をして暇をつぶそうか…と考えていたけど、そんなものは杞憂だった。
「シャナさ~ん!」
私が動けないと聞いて、王妃様―――とどのつまりレイン様のお母さまで私の義母様であるミッシェル様が次の日に遊びに来てくれた。
「ミッシェル様」
「もう!シャナさん!私のことは、『お・か・あ・さ・ま』…って呼んでって言ってるじゃない!」
若い頃より社交界の花と言われ、世の男性陣の心を一人占めした類稀なる美貌の持ち主。現在でも美しさは健在で、いくつになっても年齢を感じさせないいわゆる美魔女のミッシェル様は、女性たちの憧れの的でもある。
皺ひとつ目尻にできないミッシェル様が頬を膨らませながらこちらを睨むふりをする様は、年長者にこんなこと言うのもアレだけど可愛らしい。
ぱっと見年齢変わらないんじゃないかというほど若々しいこのお方を、『お義母様』と呼ぶなんて、どんな罰ゲームだろう。なのでいまだにお名前で呼んでいるのだが、それが気に食わないらしい。
しばらくハムスターのような膨れ面をしていたミッシェル様だったけど、シーツの下に隠れて見えない私の足を痛々しげに見つめると、レイン様と同じアメジストの色をした瞳を少し潤ませぎゅっと私の体を抱きしめた。
「可愛い娘が怪我をしたって聞いて、とっても不安だったのよ?私」
「わざわざこちらまで足をお運びいただき、ありがとうございます」
「もう!私とあなたの仲よ?お見舞いに行くなんて当たり前じゃないの~」
これが実の母だったなら、唾つけとけば治る、とか言われて放置だったろうな。実際命にかかわる怪我じゃないしすぐ完治しそうなものだからその対応に不満はないけど(私自身もそう思ってるし)。
私が子供のころは、近所の悪ガキを成敗したり(アネッサにちょっかい掛けるから)暴漢を撃退したり(アネッサのストーカー)で生傷が絶えなかった。だからこれくらいでいちいち騒ぐお家じゃないのだ。
ミッシェル様は、私と殿下の関係を御存じだ。だから何かとこちらを気にかけてくれている。なので接する機会も多く、今ではとっても仲良しだ。
「あ、そういえばミッシェル様。この前仰っていた『例のもの』、入りましたよ?」
「まあ!本当に!?さすがシャナさん!!」
私がそう囁くと、嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせた。取り出したのは透明の小瓶に入った薄水色の液体。
「遠い異国の地の奇跡の秘薬…!これを毎日使えばお肌もつるつるになるのね~」
「洗顔の後、朝晩必ず顔全体につけて下さい」
「目指せ20代の頃のお肌ね~!」
「はい。…それでミッシェル様、もしこれの使い心地が良かったら」
「ええ!お友達にもおすすめするわぁ」
女性たちの支持を集めるミッシェル様が、コキニロ印の化粧品を使い、宣伝してくれる=コキニロ家の利益につながる……という素敵な図式が出来上がる訳だ。
「ふふっ。あらそうだわ、そういえば海を越えた大陸にね、顔のむくみがとれるっていう効用のある薬草があるらしいの~」
「お任せ下さい、ミッシェル様のためなら、どんなものでも我がコキニロ家が探し出してみせますよ」
そう言って、私たちはお互いににっこり笑顔を浮かべあった。
「………なあメリダ。なんかあの二人、笑顔が若干黒いんだが俺の見間違いか?」
「いいではありませんか。事情はどうであれ、シャナ様とミッシェル様の仲がよろしいのは喜ばしいことですよ?少なくとも世間で社会問題と叫ばれている嫁姑問題とは無縁でしょうから」
部屋の隅でレイン様とメリダがそんな会話をしているけど、仲がいいのは本当だ。ミッシェル様の事は普通に好きだし。
ただ、親子というだけでなく、顧客と商売人という関係性も持っているというだけで。
それに、別に毎回そんな話をしている訳でもない。
今日だって化粧品の話が終われば、普通の世間話に移行した。今街で流行りのスイーツ専門店の話とか。
とにかく今回の私の怪我を受けて、私の為に屋敷まで来てくれたミッシェル様は、暇を強いられる私の為に毎日遊びに来ては、商品の話も交えながらも色んなお話をしてくれたのだった。
レイン様も気にかけてくれていて、午後には必ず顔を覗かせに来てくれた。
……ああ、後、あの赤毛頭のディーゼル卿からお見舞い手紙とかもらったりした。丁寧な文章で書かれていたけど、これを書きながら顔をひきつらせて笑いをこらえているあのご仁の姿が手紙越しにも伝わってくる内容だった。
ものすごく腹が立ったが、その通りなので何も言えない。なのでレイン様づてに、私も非常に丁寧な文章を書いて送り返してやった。
これを読んでせいぜい背筋を凍らせればいい。
あとは溜まっていた本を読んだり勉強をしたり、レイン様のフェロモンについての調査結果に目を通したり。
気付けばあっという間に5日が過ぎていた。




