33.ザイモン家、その行きついた先は
2015年5月修正済み
薄暗い、光なんてまるで通らない暗闇の支配する世界の中で。
私の瞳の中にぽつんと映し出されたのは、泣いている一人の少年。何故だろう。真っ暗なのに、そこには確かに男の子がいて、しゃがみこんで泣いているっていうのが分かる。
「どうしたの?」
同じように彼の隣に膝をついて声をかけてみれば、嗚咽を上げながらも顔を上げた少年。顔は見えないけれど、紫色に光る瞳がうすぼんやりと見て取れた。
「ねぇ、なんで泣いてるの?」
もう一度声をかければ、彼は鼻をすすりながら私の質問に答えてくれた。
「僕が弱い、せいで、僕の周りの人に、め、迷惑をかけるの。弱い僕のせいで」
「弱いせいで?」
すると、彼はこくりと頷いた。
だから私は、そっかぁ、と呟いた後、少年のほっぺたを思いっきり両手で叩いてあげた。
「!?!?」
途端に泣きべそがやんだ。突然の私の行動にびっくりしちゃったみたい。私はにっこり微笑むと、
「君はまだまだだめね」
って、言ってあげた。
「そうやってめそめそ泣いてたって何にもならないでしょう?泣いてたら何か解決するの?そんな、何もできない生まれたての赤ん坊じゃあるまいし。そんな風に泣いて泣いて、どうしよう…って考えている暇があったら、どうしたら弱虫な自分を変えられるのか考えなさい」
「………」
「自分の弱さが原因でみんなに迷惑がかかるっていうんだったら、どうすればそうならずに済むのか。簡単よ、強くなればいい」
「つよ、く?」
「ええ。弱さの反対、強さ。でしょ?」
「………」
「どうすれば強くなるのか。それは私には分からない。だって君の問題だもの。人それぞれ強くなるやり方は違うものだし」
すると、少年の瞳がぱっと明るくなったよう。
「強く、なれるかな。僕もお姉さんみたいに」
「私が強いかどうかは、ともかく。……大丈夫。きっとあなたならやれるわ。その想いが本物ならば」
そう答えると、顔の見えない少年がニッコリと笑った気がした………………。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
頭がぼんやりとする。さっきまで誰かと何か話してたような気がするんだけど…。そう思いながらしばらく私はぼーっと目の前に広がる空間を見つめる。
それから徐々に意識がはっきりしてきて、私はいつもの慣れた寝台に横たわっているんだと気が付く。ということは、さっきのあれは夢なのか。道理で現実味がなくあやふやなはずだ。
光を感じたので少しだけ首を右に傾ければ、窓の向こうには綺麗に赤く染まる空が広がっており、これから夜が明けるのかとほぼ覚醒した頭で考える。
と。
「目が覚めたか」
視線を向けていた方とは反対側から、そんな台詞が聞こえてきた。
「………?」
なので声の方に首を動かせば、そこには殿下の姿があった。
「レイン…様?」
彼はいつものように私の横で横たわっている訳ではなく、今日はなぜか寝台の外にいて、そこに椅子を置き、すぐ傍に腰かけている。
「気分はどうだ。気持ちが悪かったり眩暈がすることはないか?」
「え…っと………」
状況が分からず目をぱちくりとさせながらも、私はなんとか起き上がると、
「そうですね。特に気分がすぐれないということはないかと」
すると、そうか、と短く呟いた後、殿下は私の額に突然にゅっと手を伸ばすと、同じように反対側の手をご自分の額に押し当てた。
「熱は……下がったようだな。よかった、大事がなくて」
そう言うと少しだけ微笑んで見せた。
やっぱり状況が読めない私は、はてどうしたものかと首を傾げながら殿下を見つめる。そんな私の怪訝な表情を読みとった殿下は、顔色ついでに私の心の中の疑問も読みとってくれたようで、呆れたような声色で
「その顔、何があったのかさっぱり覚えていない、って言いたげだな」
「はあ、実は恥ずかしながら」
おかしいな。前世から数えて年齢は確かにおばあちゃんの域に達してるけど、肉体は若いせいで記憶力は抜群なんだけどなぁ。
ひとしきり頭を捻る。うーん、うーん、う―――ん、ん、駄目だ。思いだせない。そんなジェスチャーをしていると、お優しい殿下は更に呆れ顔になりながらも教えてくれた。
「お前は昨日熱を出して倒れたんだよ。アムネシのところから帰って来てから突然」
「あむ、ねし?」
誰だっけ。あむねし、あねむし、アネムシ…違う、そう、アムネシ!
その一つの単語が頭の中にすぽっと入って来た途端に昨日の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
そうだ、私は昨日、侯爵公爵家のアムネシ様に呼び出されて陰謀渦巻くお茶会に招待されて、彼女の罠に嵌ることなく返り討ちにした……。
なるほど。そうしてここまで馬車で帰って来たところまでは覚えているんだけど、その後の記憶がぷつりと途絶えてしまっているのだ。そうか、あれは熱が出て意識が朦朧としたせいか。
あれ、ということは。
これは一体どういう状況なのさ。
熱に侵された私が自分で寝台まで這っていったとは考えにくいから、誰かが運んでくれたのだろう。そんな病人の傍で、いつも一緒に眠っている殿下が今日は椅子に座っている。
別のところに目をやれば、何か薬草系の色の液体が入った少し大きめの銀の容器に、きつく絞られた布。サイドテーブルの上には水差しと、薬のようなものが置かれている。周りに人気はなく、ここにいるのは私と殿下、二人っきり。
「もしかしてこれって」
いや、もしかしなくともだ。
この周囲の様子から見るに、おそらく殿下が自ら私の看病をしてくれてたってことになる。
だって人形のようにお美しい顔が、今日はどことなくお疲れモードだし(それでもそんな状態であってもどことなく色気は醸し出されている)、よくよく見れば、彼の眼の下にはうっすらとクマができてるではないか。
「あの!申し訳ございません!」
な、何て事をさせているんだ私は!仮にも国の王太子であるレイン殿下にこのような苦行を強いてしまうなんて。
だけど急いで頭を下げようとした私の肩を、殿下はふわりと掴んだ。
「謝ることはないさ。看病は俺自身が申し出たことだ。別に嫌々やったわけではないし、それが苦になったわけでもない」
「ですが…」
「それにお前だって以前同じようなことを俺にしてくれただろう?そんなに気に病むのなら、その借りを返してもらったとでも思っておけ。素直に俺の気持ちを受け取っておけばいいんだ」
そういえばそんなこともあったなと、記憶の彼方にあった初めての出会いを思い出す。あの時はいけすかない奴だと思ってたけど、今は心優しい素敵な殿方だと知っている。
借りを返してもらう、か。そう言い方をすれば私の心が軽くなるって思っての発言だろう。ならば私の取るべき行動は謝罪ではなく、感謝を示すべきだ。
「ありがとうございます、殿下」
「気にするな」
素直にそう言えば、なんだか嬉しそうにレイン様が微笑んだ。
「それにしても、本当にお体は大丈夫なんですよね?」
「ああ、問題ない。こんな程度で風邪をひくようなタマじゃないさ」
「………いや、あなた様割と頻繁に体調崩されてたんですよね、昔から」
「う…」
途端に詰まる殿下。
「そもそも初めて出会ったときだって死にそうになってましたし」
「それは…」
あまりにも自慢げに言うので、思わずツッコミを入れてしまう私。
すると慌てて弁解するように、
「それはあれだ。女性に関係すると…というだけで、普段は熱ひとつ出ない。現にお前と出会ってからは初めのあれを除いてそういうことはなかっただろう?」
「はあ、そういえばそうですね」
「だから、そういうことだ。俺が頻繁に体を壊していたのは、間違っても俺が脆弱だから、という理由ではない。これでも体は鍛錬してるし、体力もあるからな」
「ではそういうことにしておきましょうか」
あまり深く追求しないでおいてあげよう。体の鍛錬をするついでに精神面でも女性に耐性がつくよう鍛えればよかったのに、なんて思っても言わないでおこう。
「それだけ減らず口が叩けるようなら心配いらないな」
ふふ、と含み笑いを返せば、殿下が苦笑いでそっぽを向きながらそんなことを言った。
あらま、どうやら拗ねてしまわれたらしい。その様子が小さい子供みたいで思わず笑みがこぼれそうになる。
でもここで微笑ましいと笑ったらますます拗ねてしまいそうだったので、私は笑いを堪え、殿下の名前を呼んだ。
しかしすぐにレイン王子の機嫌も治まったらしく、次にこちらに顔を向けた時はいつものレイン様だった。
「さすがはシャナが作った薬だ、あっという間に下がったが、もう一回飲んでおくか?またぶり返しでもしたらたまらない」
うーん。あの薬は私がいつも熱の時にはお世話になっているお馴染みの、特別調合のお薬。別に熱が下がればそれでやめても大丈夫なんだけど、念のために口に入れたほうがいいと私も思う。
だけど、それよりも重要な問題が私にはあった。
そのことを殿下に伝えようと口を開いたんだけど…。
「そうですね、でもそれよりもお腹が………」
グゥ――――――――――――――――――――――――――――――――。
たっぷりと。
それは数十秒間鳴ったと思う。
何が、だなんて野暮なことは聞かないでほしい。思えば昨日はあんな事態に巻き込まれてたし、昨晩だって何も食べずじまい。普段から3食健康的な食事を欠かさない私にしてみれば、それは当然の結果だった訳で。
でも、だからといってこのタイミングってある?
訪れる悪夢のような静寂。何も発せず口を閉ざす私と、何も言わない殿下。だがしかし。
「っ、っくっく、ふ…」
「……………」
「ふは、っ、ふ、は」
「……………」
「ははっ、ふくっ、ふ」
「………いっそのこと豪快に笑ってもらった方がましです殿下」
顔を下に向け、ついでに体もくるりと私に背を向け、背中を震わせて必死に笑いをこらえているレイン王子にぶっきらぼうにそう告げれば、途端に大きな声で笑いだした。どれだけ笑うのっていうくらい、ひとしきり時間が経った後、目にたまった涙を指で拭いながらようやく元の態勢に戻る。
「す、すまない、あまりのタイミングの良さに…っく、そうか、体の方は正直だな」
「……だって仕方がないじゃないですか。一晩中眠って全身の力を病気の治癒に回したせいで、体力消耗してますもの」
にしたって、仮にも乙女のデリケートで恥ずかしい場面に遭遇して、そこは何事もなかったかのようにスルーするのが礼儀だと思うのだ。いや、でもどうかな。かといって全く触れられないのもそれはそれで恥ずかしいし。
ならどうしろって言うのか、って言われても、それは私にもよく分からないけど…。
とにかく、私は繊細(そういうところは、いくら何十年生きていようと乙女なのだ!女というのはいくつになったって!!)な心を傷つけられ、今度はこちらが殿下からぷいっと顔を背ける番だった。
すると殿下はいまだ笑いながらも、私のご機嫌を取るかのように声をかけた。
「シャナ、悪かった、本当に。何か精のつくもの持ってこさせるから機嫌直してくれ」
「………フルーツ。甘くて美味しいフルーツが食べたいです」
「分かった。そうだ、この前コキニロ家からここに届けられた荷物の中に、東方から取り寄せたという珍しい果物が入ってたな。それを持ってこよう」
「あと美味しいお茶も。勿論毒なんて入ってないもので」
「当たり前だ。ザイモン家じゃあるまいし、そんな危険なものがこの場に上がってくることはないから安心しろ」
そんな会話をしていた時だった。
「?なんだ一体」
外が何だか騒がしい。確かにそろそろ朝の活動を始める時間だけど、それにしたってこの感じはおかしい。いつもこんなに騒々しいことはないんだけど…。
なんだろう。胸の中がざわつく。なんだか、嫌な感じ…。
「殿下、何かあったのでは…」
私がそう言うと、彼も同じことを感じたのか、にやついた顔をキッと引き締めると、
「ああ、ちょっと見てくる」
そう言い残し、私の傍を離れ、部屋の扉を開けにいく。さすがにこのような格好で彼と共に扉の前には立てないので、私の方は寝台から出ると上着を羽織り、王子の近くまで移動し様子を伺う。
会話の内容は距離があるので聞こえないが、王子が引きとめた兵士の声のトーンや増していく周囲の騒音の大きさからして、明らかな異変が起こっているということは容易に想像が付いた。
やがて兵を解放した殿下がこちらに引き返してきた時、彼の顔は明らかに引きつっていた。先ほどとは打って変わり緊迫した空気が部屋の中に充満する。
おかしい。これは何かあったに違いない。
鼓動はどんどん速くなり、私ははやる胸を押さえたまらず殿下に駆け寄った。
「殿下!一体何が起こったのですか?」
すると彼は唇を噛みしめ、苦々しい表情と声色で衝撃の事実を告げた。
「ザイモン家の屋敷が、跡形もなく焼けた。屋敷に勤める者も、当主も妻も子も…………、皆跡形もなくだ」
絞り出さすような声で、確かに彼はそう言った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ある夜。
シェルビニア国創設時から尽力し、クライシス家と並び称されたザイモン家が火事により全焼した。
死者は数十名に上り、当主であるヴェルフォートや妻サルレ、それに長子であるアムネシを含めた子供たち、その一族全員の死亡が確認された。
遺体は全て燃え尽き骨しか残らない状態だったが、ザイモン家の所有する装飾品の数々が彼らの骨から見つかっており、それによりそれらの亡骸は彼らの者であると断定された。
生き残った使用人たちの証言から、私、シャナが屋敷から退散したその夜にヴェルフォートが一族の者を一室に招集したという。
そしてその時のヴェルフォートの様子は、誰が見ても明らかに常軌を逸した姿だったと生き残った者は皆口を揃えて言っていた。
目は血走り口元は引きつり、それなのに顔にはすべてを包み込むような優しげな微笑みをたたえ、どこかちぐはぐな印象は使用人たちに恐怖を与えたらしい。それほど、最後に出会ったヴェルフォートはどこかが壊れていたと。
一族が集められた部屋からはヴェルフォートの怒号や女の者と思しき金切リ声、更には何かを殴りつけるような大きな音がしており、そのすぐ後で彼らの居る場所辺りから火の手が上がったという。
後に彼らの骸を調べたところ、一体の大柄な、ヴェルフォートらしき人間の骨を除いた亡骸から頭の部分に致命傷となるほどの打撃痕が見つかったそうだ。
誰も現場を見ていないので真相は分からないが、レイン殿下の妻である私に手を出し、一族皆殺しの極刑を免れないと悟ったヴェルフォートが、今まで築き上げてきたザイモン家の栄光を失うという事実に耐えきれず自ら狂気に染まり、家族を己の手で殺害。その後屋敷に火を放って自らも火に呑みこまれながら命を絶ったのではないか、と。
そう結論付けられた。
真実は闇の中であり、本当にそうだったのか確認する術は永久に失われたので断定はできないが、こうしてザイモン家は、王家が極刑を下す前にその長い歴史に幕を引き、歴史の舞台から姿を消したのだった。
このような後味の悪い感じで、アムネシ編は終了となりました。
真実は永遠に闇の中に。




