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男爵令嬢と王子の奮闘記  作者: olive
3章:VS.ザイモン家の御令嬢
32/61

32.☆誓い

2015年5月修正済み

 燭台の灯がわずかに灯る中、レインは寝台の上で静かに横たわるシャナを見つめる。

 一時はどうなるかと思うほど異変をきたしていた彼女の体だったが、処方された薬との相性が良かったのか予想よりも早く熱は引き始め、呼吸も落ち着き大分楽になったようだ。

 医師の診断でも、早ければ明日の朝にはほぼ回復しているだろうとの事だった。


「薬の効きが早くてよかったですね」

「ああ」


 乾いてしまったシャナの額の布を変えるため、彼女の体に手を伸ばしたメリダがそう言うと、レインは短くそれに答えた。

 さすがはシャナが自分で作った薬だ。この額の薬草入り布もそうだ。毒薬にも詳しいが、薬に関しての知識も同様に並はずれたものがある。


 先ほどまでは、シャナの世話をする侍女数名に医師と、少なくない人数がこの部屋にはいたが、今現在この場に残っているのは、レインとメリダの二人だけである。


 先の会話とも呼べるのか分からない程の短い会話を終えた二人の間には、それから沈黙が下りた。何も言わず、ただ、目の前に横たわるシャナの姿を見つめる従者とその夫。

 メリダが薬草の少し入った液体に布を浸す音だけが静かに響く。


 やがて再びその布をシャナの額へと戻し終えたメリダが後ろを振り返ると、そっと気遣うような面持ちで言った。


「レイン様。シャナ様のお世話は私が致します。どうぞ先にお休みになって下さい。夜ももう遅いですし」

「………」


 確かに夜はとうの昔に更け、大多数の者は既に寝台に入っている時間帯である。だが、レインはそれには何も答えず、その場を離れようとはしない。

 しかしそこは長年彼のお世話役を務めてきた彼女。彼の思うところなど、初めからお見通しのようだ。

 短いため息を吐くと、薄暗い中表情の窺い知れないレインに対し、柔らかい口調で彼の行動を窘める。


「…奥方様にずっと付き添っていたいお気持ちは分からなくもありませんが、冷える夜分に一晩中看病など、レイン様までお風邪を召されたらどうされるのですか。そんなことになれば、シャナ様はますますご自分のせいであなた様の体を壊してしまたっと責任を感じてしまいます。ですから今夜はお引き下さい。このメリダが、誠心誠意を込めて見守らせて頂きます故」


 シャナが責任を感じる。


 この言葉は、レインに対する一番の脅し文句であって、ここまで言われれば彼も身を惹かざるをえない。


 そう、いつものレインならば、だ。


 だが今日の彼は違った。一瞬メリダの言葉に動揺した気配はあったのだが、頑として彼はその場を動かなかった。それを異変と感じた彼女は片眉をひそめる仕草をする。

 これは一体どういうことだろう。聞き分けの良いあのレインが、それに従わないとは。


 彼女の心の内の疑問を感じ取ったかどうかは分からないが、彼女が口を開くよりも早くレインは声を上げた。


「メリダ。それは相手がお前であっても当てはまることだろう。お前も今日はシャナと同じように、散々な目に遭ったはずだ。ただでさえ疲れがいつもより増した状態で一睡もせず彼女の世話をすれば、それこそお前の方が体を壊す。そうしたらシャナが悲しむ。ここは俺が受け持つからお前はもう休め」


 彼の言葉通りである。相手が誰であれ、自分のせいで誰かがどうにかなるというのは、シャナが最も心苦しめること。


 しかし、だからといって殿下と言う立場の人間に、妻相手とはいえ看病を任せて、世話役の自分が、はい、おやすみなさいと休むのはいかがなものか。そう思いメリダは反論の口を開くが、その前に、レインのゆっくりとした口調の言葉に彼女の想いは阻まれた。


「それに、彼女と初めて会った時、俺はシャナに看病をしてもらった。あんなにも不躾で不愉快な思いをさせた男のために、一晩中ついててくれたシャナの、今度は俺が力になりたいんだ」

「………」


 そう言われると、メリダには何も言えなかった。

 確かに今の状況は、前回とあまり変わらないものだ。ただ看病する者とされる者の人物配置が逆なだけで。


 本来ならば、たとえそう言われたとしても、国を将来統べる立場にある若き王太子が体調を崩す要素が、万が一にもある状況は作り出さないようにするのが彼女たち従者の役目なのだろうが。

 つまりこの場合、それでもレインの言葉を退け、少しでも風邪を引き体調に異変をきたすという可能性をなくすべく、無理やりにでも彼をこの場から追い出すのが正しい従者のあり方かもしれないが。


 レインの想いを汲みとった彼女はその選択を取らなかった。


 代わりにすくっと立ち上がると、その場でじっと立ち尽くしている殿下に対し、テキパキと指示を送る。


「いいですか、額に置いた布が乾いたら、先ほど私が行ったようにすぐに濡らして下さい。それから水を欲しがる素振りを見せたらそこの水差しを口に少しずつ垂らして下さい。あと、数刻したら残りの薬を飲ませてあげて下さい。後はシャナ様の体調が急激に悪くなったりしないよう、見守っておくだけです」

「メリダ…」


 ありがとうと、彼の瞳はメリダにそう言っていた。

 そんなレインの声にならない言葉に、メリダは優しく微笑みかけた。


「くれぐれもミイラ取りがミイラにならないよう。ご自分の体調はご自分で管理されてくださいね。これでもしも殿下まで風邪を引かれたとなれば、私この首を差し出す所存ですので」

「ああ、心配せずとも、お前の首が宙を舞うような状況にはならないだろうさ」


 それでは、と退出の態勢をとっていたメリダだったが、廊下へとつながる扉の前で、ふと立ち止まる。そして今度はお茶目な笑顔を覗かせながら、しかし至って真面目な口調で殿下にあることを言い含めた。


「それから、いくら熱に侵された奥方様が、普段もさることながらそれよりも尚魅力的で官能的に映ろうとも、決して欲望のままに襲いかかってはいけませんよ。相手は病人であることを、ゆめゆめお忘れなく」

「お、だ、どぅ、誰がそんな真似するかっ!」


 思わぬメリダのジョークに顔を真っ赤にさせながら反論したレインだったが、既に彼女は扉の向こうへと消えた後だった。


「まったく」


 からかわれたレインはしばらく赤い顔をしたまま扉を睨みつけていたが、やがてそれが収まった頃合いで近くにあった椅子を寝台まで引き寄せると、シャナの眠るすぐ横にそっと腰かけた。


 深い眠りの世界に落ちているシャナの様子は、普段の就寝時とさして変わらないように見える。あの短時間でそれだけ完治に近づいているという証拠である。とりあえず大事にならなさそうでよかったと、レインはあらためて胸をほっと撫でおろす。

 おそらく朝にはけろりとしているに違いない。いや、そうあってほしいと願う。


 額に手をやれば、先ほど変えたばかりのはずの布がもう乾いてきたような気がして、メリダがやっていたことの見よう見まねで薬液をしみ込ませると、彼女のおでこにそれを戻した。そして再びまじまじとシャナの様子を窺う。

 そうやって視線は彼女の方へしっかり向けながら、レインは先刻、医師から下された診断を思い返していた。


 ――――――――――――疲労からきた体調不良。


 それが医師が出した、突然の高熱の原因だった。


 考えてもみれば、ここ数カ月と言う短い期間で、彼女の生活環境は一気に変わっている。まして嫁ぎ先は王家だ。夫となる自分は、他人には言えない重大な体質にかかわる秘密を抱えており、その秘密を共有しながら過酷な世界の中に身を置く日々。

 安らぎの時間もなく、いくら平気な素振りを見せてはいても、知らず知らずのうちに疲れが溜まっても無理はない。

 そして、それが今日、先のお茶会が最後の引き金となって一気に爆発したのだ。


 彼がシャナの看病を申し出たのは、先ほどメリダに言った言葉も真実だが、シャナの体調がこんなになるまで気付けなかった自分の不甲斐なさに、憤りと申し訳なさを感じたからである。


 たかだかこんな程度で罪滅ぼしになるとは思っていないが。

 

「情けないな」


 ぽつりと。誰に聞かせるでもなく、レインは空気に溶けそうなほどの低い声色で淡々と呟き続ける。


「さっき、お前の耳元で、これでシャナへの謝罪の言葉は最後にする、と誓ったばかりだというのに」


 シャナが意識を飛ばす寸前だったので、もしかしたら彼女はその言葉が聞こえてはいないかもしれないが。


 それでも、レインは誓ったのだ。己の罪悪感が少しでも軽くなるためにする、シャナへ向けてはいたが実質自分へ向けた慰めの謝罪はしないと。

 なのにその決意が今、揺らいでいる。

 彼女の体調の変化に気が付けなかった己の鈍さに腹が立つ。

 

 結局いつだってそうだ。

 相手がシャナに限らず、両親にこの体質のせいで心配をかけ、侍女たちにも要らぬ世話をかけ、兄のように接するディーゼルには迷惑をかけ、彼らに己の体質から引き起こされる不始末の尻拭いをさせ、その度に申し訳ないと思いながら、結局はまた同じ事態を引き起こす。


 己の体質に少しでも向き合い、何とかしようともっともがいていたら、もしかしたらどうにかなっていたのかもしれない。そうしたらシャナはこのような要らないことに巻きこまれなくて済んだかもしれないし、そもそもレインの妻にならなければこのように熱に侵されることもなかったはずだ。

 アムネシと戦うことも、他の令嬢を敵に回して神経をすり減らすことも。

 

 自分が不甲斐ないばかりに、己の体質と向き合えない程自分が弱いばかりに、誰かが傷付く。


 そして謝罪と言う言葉で相手に己の不甲斐なさを詫びながら、その実全てを自分の抱える体質のせいにして、その体質に正面から向き合おうともしない。


 これでは、レインの身を案じて、シャナに嫌われてもいいというくらいの強引さで結婚話を進めたディーゼル含め周囲の者の、まして己の体質のせいで否応なしに巻き込まれ、それでも傍にいると誓ってくれたシャナの想いを踏みにじっているようなものである。

 

 そして、そんな近しい存在の想いを汲みとれなくて、国という大きなものをまとめ上げることなどできようはずもない。


「シャナ」


 無論返事はないが、それには構わず、レインはそっと、彼女の手を取る。小さく細い手だが、彼よりも何倍も大きい心を持ち、一度も彼を否定することなくレインを導いてくれる女性。

 力を込めたら今にも崩れてしまいそうなその手を両手で優しく包み込みながら、その手を己の額に押し当て、ゆっくりと目を瞑る。

 傍から見れば神への懺悔のようにも見える姿勢のまま、レインは言った。


「これで、本当に最後だ。シャナ、いつも変わらず振舞うお前に、俺は甘えていたのかもしれない。強い心を持つお前ならきっと大丈夫だって。けれどシャナが強いのは、…強くならざるを得ないのは、俺が弱すぎるからなんだよな。結局俺はその強さに安心しきって、お前が体調をきたすくらい精神が疲弊していたことに気付きもしなかった。………すまなかった」


 しんと静まり返った室内に、彼の独白だけが響く。


「俺はもう二度と、お前やディーゼルや、父や母、メリダ達、俺の事を本当に案じてくれている人間や、この国の民たちを失望させるような真似はしない。俺はもっと強くなる。誰も俺のせいで傷付かなくても済むように。守られてばかりじゃなく、俺が皆を守れるように。それを、今、俺はこの場で誓う」


 神に誓うつもりはない。そんな存在があやふやなものに祈る趣味は彼にはなかった。


 これは自身への誓いだ。もう二度と、同じことは起こさせないという、そんな想いで彼は誰に聞かせるでもない己の今の気持ちを吐露した。


 と。


「だい……じょう、ぶ」


 虫の羽の羽ばたき程のか細い声だったが、確かにレインの耳にはそう聞こえた。

 思わず目を開けてシャナを見れば、わずかに口を動かしながら尚も彼女は囁く。


「きっと、あなたなら、やれ………」

「起きて…!?」


 まさか目を覚ましてあの台詞を聞いていたのか?そう思い思わず身を乗り出してシャナの口元にじっと注目するが……。


 すぅ―――――――――っ。


 聞こえてくるのは寝息のみ。

 起きていた形跡はない。どうやら彼女お得意の、とてもタイミングのいい寝言らしい。


「………まったく」


 レインの顔が思わず緩む。


「そう言えば、お前は一度寝てしまえば滅多なことでは目を覚まさないんだったな」


 初めての夜でもあまりのタイミングの良さに起きているのかと思い、ドキッとさせられたことを思い出す。

 

 それでも、寝言だと分かってはいても、シャナがそう言ってくれたことは嬉しかった。

 シャナの言葉一つで、彼の心はこんなにも安らぎ、温かくなる。後ろ向きに縮こまり懺悔を繰り返すことしかできない自分に、前へと一歩踏み出す勇気をくれる彼女。


「ありがとな、シャナ」


 深い眠りに落ちる彼女には届かないだろうと思いつつ、そう口にするレイン。すると、今度は嬉しそうに彼女が微笑んだ気がした。

 勿論それは彼の言葉が聞こえたからではなく、何かいい夢を見ているからなんだろうけれど。

 

 その微笑みを見た瞬間、レインの心はどうしようもなくざわつく。


 ああ、もっと彼女の笑顔が見たい。

 

 その瞳を見開いて自分に笑いかけてもらえたらどんなに胸が高まるだろう。


 両親への愛情とも、悪友への友情とも違う。

 初めてこの胸に宿ったこの感情を、人は何と呼ぶのだろう。


 おそらくそれは――――――――――――。


 だが、そんな大それた想いを彼女に抱くには、自分はまだまだ未熟だ。自分ごときがそんな想いを抱くのはおこがましすぎる。 


 いつか彼女に誇れるような自分になった時に、この想いに名前をつけよう。それまでは己の胸に、この気持ちはしまっておこう。


 それでも、もうしばらくこの手をとることくらいは許されるだろうか。

 

 シャナの手を少しだけ強く握ったまま、レインはいつまでも彼女の寝顔を見つめていた。

私の中のレイン像は、容姿は他に誇れるほど端麗だけど中身はまだまだ未熟で、口先だけは達者だけど結局は周囲の人たちに守られてばかりいて、軟弱でへなちょこで……そんな、とてもじゃないけれどかっこいいとは言えない子なんです。まあその分シャナがかっこよさも担っている、というつもりで筆を進めてですが(苦笑)

そんな彼が主人公と出会って、このままじゃ駄目だと心の底から思って、奮起し、もがいて足掻きながらも前に進もうと努力して…そんなレインの成長が、この物語における一つの軸だと思って書いています。

さて、じらしているつもりはないのですが、もうまもなくディーゼル編に突入します。彼の抱える秘密もようやく暴露となりますので、もう少しだけ、お待ちいただけると助かります。

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