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男爵令嬢と王子の奮闘記  作者: olive
3章:VS.ザイモン家の御令嬢
29/61

29.☆狂気の様

2015年5月修正済み

 殺せ、と命じたはずだった。


 しかし事態は、アムネシの思いもよらない方向へと動き出す。


「え……」


 先ほどまでシャナを拘束していた男たちがなぜか、


 アムネシへと剣先を向けていた。


「そういうこと、か。道理であの赤毛が最高の護衛、と豪語していた割には私の連れてた彼らがあっさり捕まった訳ね」


 そう言って、拘束を解かれたシャナは、解放された腕の筋肉のコリをほぐすようにぐるぐる回しながら立ち上がった。


「シャナ様お怪我は!?」

「あ、大丈夫ですよ」

「おかわいそうに、頬に傷が…」

「血ももう止まってますから平気です」


 メリダが素早くシャナに駆け寄り傷の手当てとでもいうように布を頬にあてた。

だが彼女の言うように出血はなく、傷も思いのほか浅かったため大した傷にはなっていなかった。


 今、アムネシを含めシャナを除くすべての令嬢たちに剣が向けられていた。

周囲を今までアムネシの配下であったはずの黒ずくめの男たちに包囲され、状況の読み込めない令嬢たちは声も上げられないままその場に崩れ落ちる。


 無論アムネシも困惑と混乱に襲われはしていたが、彼女たちとは違い床に崩れ落ちるなどという無様な格好にはならない。

 ただ、すぐに己の置かれた状況を読みとると、鋭く光る剣先に怯むことなく憤怒の視線をシャナに向けた。


「一体これはどういうことですの!?」

「さあ。ただアムネシ様が雇ったと思っていた彼らが、実はあの男の手下だったという話かと」


 その男は一体誰…と口を開く前に、シャナの漏らした赤毛、という言葉が一人の人物を導き出した。


「……あの忌々しいクライシス家の男ですわね」


 彼女の知るうちで、赤毛という極めて希有な髪色を持つ男は一人しかいない。

 クライシス家の中で唯一の赤い髪を持つ、嫡男ディーゼル。

 アムネシの美しい顔がますます憎々しげに歪んだ。

  

 王の一番の側近とも呼べる宰相を代々世襲するクライシス家は実質貴族の筆頭といえ、結果的には2番手に追いやられるザイモン家。

彼らにとってクライシス家は、名前を耳にするだけで虫酸が走る存在だ。


「そしてあなたはこうなることを知っていたのですわね!」


 唇を噛みしめ、金切声ででそう尋ねたアムネシの言葉をしかし、シャナは即座に否定した。


「まさか!確かにアムネシ様が何らかの行動を起こされるとは思っていましたし、絶対に何があっても守る、と言われてはいましたが、彼らがディーゼル様の言っていた護衛だとは考えもしませんでした。その証拠に私はアムネシ様の扇子での攻撃をもろに受けましたし、私の腕は先ほどのきつい拘束のお陰でいまだに痛むほどです」


 その言葉に、黒ずくめのうちの一人がアムネシへの牽制を緩めないまま、低い声で弁明を口にする。


「申し訳ございません。シャナ様が絶対的な窮地に陥るまでアムネシ様に裏切っていることを悟られないよう、またシャナ様にもそのことを気付かれぬよう振舞えとのあのお方の命でしたので」

「あ、いえ、別にあなたたちを責めている訳ではないんですよ!?」


 突然の謝罪に、慌ててシャナは彼らに対し首をぶんぶん振った。

 シャナが言いたかったのは、自分もアムネシと同じくあの男に一杯食わされた、ということを知らせたかっただけなのだから。


 しかしなんにせよ、アムネシがあの男に負けたことには変わらない。

 自分が雇ったと思っていた裏世界で活躍する男たちは、実はディーゼルがこうなることを予め想定して雇っていたということは。

 そして結局のところ、ディーゼルの掌の上で踊らされていただけということは。 

 アムネシがシャナに敗北したということは。


 状況が読み込めたのか、興奮状態だったアムネシは赤み帯びていた頬色も元に戻し、今は落ち着いたようである。

 だがさすがは芯から高貴な家柄のお嬢様というだけあって、このような状況にもかかわらず、腰に手を当て上から見るような不遜な態度も、アムネシの高飛車な物言いも相変わらず健在だった。


「まったく、どこまでも邪魔をするのですのね、クライシス家。あなたのような小さき矮小な害虫に神経を遣うあまり、あの不快な男―――ディーゼルの力をまったくもって軽視してしまいましたわ。虫を踏みつぶす前にあちらから始末しておくべきでしたわね」

「それに関しては不本意ながら私も極めて同意いたします」


 自分の事を虫呼ばわりする点はともかく、初めてディーゼルに対して不快と、自分と同じ意見の持ち主に出会い感激したのか、思わず口から本音がこぼれ出し、シャナはあわてて口を塞ぐ。

しかしアムネシはその発言に興味などないようで、それで、と口火を切った。


「私をどうするつもりなのかしら。先ほど私が言ったようなあなたへの拷問の一例、肉体的なことでもなさるおつもり?それともこの剣で私の体を一突きされるのかしらね?」

「いえいえそんな滅相もない。私はどこかのお偉いどなた様と違って、自分の立場も相手の立場もよく理解しているつもりです。なので後々自分の首を絞めることになりそうな迂闊な行為は行いません。安心して下さいませ、アムネシ様」


 だがシャナも負けていない。

言葉尻こそ己よりも格上の爵位をもつ相手に対する慇懃さが溢れているが、言っている内容は辛辣なものである。


 シャナは言った。


「なにも致しません。帰りますよ、このまま。この先私の命を狙うような罠があるとも思えませんし、それに殿下にも日が暮れる前に帰ってくるよう仰せつかっておりますから」


 殿下、という言葉を聞いたその途端、今まであんなにも高慢な態度をとり続けてきたアムネシの顔が、さーっと青ざめる。

 そしてあろうことか、散々虫や害虫やと揶揄してきたシャナに対して、突然、頭を下げてきたのだ。


「レ、レイン殿下には、今日の事を言わないでいただきたいですわ!」

「…………ここまでの事をされて、殿下に報告しないという選択肢があると本気でお思いなんですか?」


 格下の相手とはいえ、アムネシはレイン殿下の妻に対しあまりにも非道なことをした。証人もこちらには大勢いる。頭を下げられたところで解決する話ではない。

 それに殿下、どころか、陛下にも護衛を寄こしてくれたディーゼルにも報告する義務はある。

 むしろ王族に手を出したのだから、それを報告しないということ自体が陛下達への裏切り行為ではないだろうか。


 だがアムネシは必死だった。


「あの方にこのことが知られたら、私はもうおしまいですわ!レイン殿下に嫌われるくらいなら、ならばいっそこの場でひと思いに殺して下さいませ!!!」

「………」


 頬には大量の涙を流し、髪の毛を振り乱しながら懇願するアムネシ。

あまりの変貌ぶりとアムネシの稚拙すぎる頭の度合いに、敵味方の境なく、周りの者はしばしあっけにとられ、言葉をなくす。


 シャナの方もしばらく無言でアムネシの様子を淡々と見守っていた。何も映していないかのような無機質な茶の瞳の奥側ではしかし、何かを色々と考えているかのようでもある。 


 ややあって、シャナは口を開いた。


「分かりました。殿下にはなるべく事の詳細を細かくお伝えしないように…できるかは分かりませんが最大限努力してみます」

「シャナ様!!」


 メリダが後ろで何事かと叫ぶが、シャナはそれを綺麗にスルーするかのように更に続ける。


「アムネシ様が殿下の事を私を殺したいほど愛しているということはよく理解できました。事情はどうであれ、好きな人に己の醜い部分は知られたくないという乙女心は私も理解できますから。だから死ぬなんて言わないで下さい」

「シャナ…」


 シャナはゆっくりとアムネシへ向かって歩を進める。


 そしてアムネシを包囲する男たちの隙間を縫うと、足の膝のあたりまで露わになるほどみっともなく床にドレスを広げ泣きじゃくるアムネシの前に跪き、そっと彼女の手をとった。


「もちろん、だからと言って私が殿下の妻の座をアムネシ様に譲る気は毛頭ありませんが。本当にあの方の心を射止めたいのでしたら、正々堂々いらっしゃってください。私はいつでもお待ちしております」


 誰もが耳を疑うことをさらりと告げるシャナに周囲は動揺を隠せず、ピクリとも動けず固唾をのんで成り行きを見守る。

彼女の温情をうけたアムネシだけは、破顔しながらシャナに抱きついた。


「あ、ありがとう、シャナ、……なんて、この私が言うと思いまして!?」


 その行動はあまりにも早かった。

 憔悴しきっていたとは思えない速度でアムネシは自分の太もものすぐ上に仕込んでおいた護身用のナイフを抜き取ると、逃げられないようシャナの身体を腕でしっかり抱えながら右手を振り上げた。


 だがナイフの刀身が首から鮮血を撒き散らすより早く、傍にいた黒ずくめの男の手によって、ナイフは弾き飛ばされた。


「くっ……!」


 今度は男たちも容赦しない。

メリダによってシャナの体が後ろに引っ張られると、躊躇うことなくアムネシの首元ぎりぎりに剣を突き付ける。


「もう、シャナ様何をやっておられるのですか!!あんな仕打ちをされたのにのこのこと近付かれるなんて!!!」

「すみません、もしかしたら本当に、心の底からの叫びかと思ったのですが…。やっぱり違いましたね」

「当たり前です!まったく、彼らがいなかったら今頃シャナ様の首は飛んでおりましたよ」

「もしも何かあっても、彼らなら助けてくれるって信じてたから近付いたっていうのもあるんですけどね。何せディーゼル様お墨付きの精鋭部隊、でしょ?」

 

 自分を叱りつけるメリダに対し、そう言いながら少しだけ瞳を曇らせる。


「だって、少しは信じたいじゃないですか、彼女の事。レイン殿下を愛する気持ちを」

「シャナ様…」

「もしもまだアムネシ様に少しでも正常な部分が残っていたら助けられるんじゃないかって、陛下にも口添えできるんじゃないかと、そう思ったから…」


 だが現実は残酷だった。


 やはりアムネシは狂いきっていた。


「ふふふふふふ、ふっふっふ。あははは」


 笑っている。楽しそうに。

 動けばすぐにでも首が切れそうな状況下にも構わず、アムネシは大きな声で噛みついた。


「殿下と一緒に暮らせる日まで、私は決して諦めませんわ!!そのために、邪魔なだけのあなたを、絶対に殺してあげますわ。ふふふ、ふふ、はははははははははは」


 そう高らかに宣言するアムネシ。

 愛している人に振り向いてもらうため…それが彼女の本来の目的だったはずなのに、それがいつのまにか、愛する人の隣に立つ人間への嫉妬からか、シャナを殺すという、殿下に近づくための手段が目的化している。


 目が血走り髪は額に貼りつき、ボロボロになったドレスを纏いながら尚も高笑いを続けるアムネシは、もはや高貴な令嬢には見えない。

 

 一人の狂った女だった。


「シャナ様、行きましょう」


 アムネシを見ていたシャナは、メリダに手をとられる形で屋敷を後にする。確かにこのままここにいても何も変わらない。

 シャナにはもう、どうすることもできない。

 太陽はいつの間にか西へと移動し、部屋の中をオレンジの光で照らされている。

 その光が、今日は狂気じみた血のように赤く見えたのは、おそらくシャナだけではなかったことだろう。

次回でアムネシ話はいったん終わります。その後ようやく出番の少なすぎる準レギュラー扱いになっている残念なレインが登場します。

いちゃらぶが全くなくてすみません。

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