25.緊張するのは、仕方のないこと
2015年5月修正済み
空は青く、雲は悠々と流れ、風が優しくたなびく。そんな、穏やかな気候とは対照的に。
「ここがアムネシ様の居城ですか」
「はい、そうです」
馬車から降りた私の顔は、どんよりと曇っていることだろう。ここは殿下と一緒に住まう屋敷ではない。この国の二大公爵家の片割れ、ザイモン家の屋敷である。
なぜ私がこのような場所にいるのか。話は一週間ほど前に遡る。
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「ディーゼル経由で聞いたか?アムネシの主催する茶会のことは」
殿下と部屋で二人、真ん丸の月を見上げなから他愛もない話をしていると、ふとレイン様がそう話をふってきた。
あぁ、ちなみにメリダの誤解がとけたお陰で、私の服は全て普通のものに変えてもらっている。
「ええ、まあ。公爵家のご令嬢直々のお誘い、ですよね。その上、私を主役とした、だなんて言われたらお断りできないですよね。行かせていただきますと、明日にでもお返事しようかと思っておりますよ」
本音を言えば行きたくない。
アムネシ様といえば、舞踏会の夜に偶然出会った、偉そうな振る舞いで部屋にずかずか入り込んできた失礼極まりない殿下の粘着質なストーカーというイメージしかない。
後は先日の結婚式で一際血走った目で私を見てきたっていうどころか。
その目は眼力だけで人間を射殺せるんじゃないかっていうくらい私への嫉妬と憎悪と、殿下への歪んだ愛情で溢れていた。
その上家族はヴェルフォート様見て然りだし。
そんな彼女が、私のために大層なお茶会を開いてくれるという。
………どう考えたって胡散臭い。私に対して友好的ではないのは明らかなのに。
だが断れば後が怖い。それをネタに色々言われたり仕掛けられるのも邪魔くさい。
「彼女の事だ。ただではすまないぞ」
「ええ、そうでしょうね」
無論それは予想の範疇だ。
「例の、他国の方を紹介するというお話も、アムネシ様は乗り気ではないらしいですしねぇ。こちらとしても、別にものすごく紹介したいとか、そういうのではないので別にいいんですけど」
というか、あのような方を紹介したら、逆にこちらの人を見る目が疑われかねない。
「未だに殿下にご執心との噂ですし。その状況で開かれる茶会に、なにか仕掛けはされるでしょうね。でもまあ、なんとかなるんではないですかね」
「…本当に大丈夫か?ずいぶんと楽観視しているように見えるが」
「あらそうですか?」
別にそんなつもりはない。
ただ、何か仕掛けてくると予想はしているが、そんな大層なことはないはずだと私は思っている。
確かにお相手はこの国きっての由緒正しい、最も権威をもった一族として数えられている誇り高き貴族。
普通に考えればそんなザイモン家のご令嬢に喧嘩を吹っ掛けられたら、殿下の妻ではあるけど元は位の低い男爵家出身の私はひとたまりもないように思える。
けれどもだ。
「殿下もご存じでしょう?例のあのお話は。もしもアムネシ様が私に手をかけるような状況になれば、お困りになるのはザイモン家だと」
そう、我が男爵家はあちらに一つ大きな貸しがある。その辺りの事情を考えたら、常識的に考えてこちらに手を出すというのは得策ではない。
しかし殿下の顔色はいまだ冴えない。
「ああそうだ。そのことはディーも言っていた。状況から見て、ザイモン家がコキニロ家を敵に回すようなことはしないしできないと。だからそんなに心配は要らないと言っていたんだが…………」
「だが?なんですか?」
「アムネシは目的のためなら手段を選ばない。彼女にとっての目的は、俺の妻になる事。そしてそのためにはシャナという存在が邪魔になる。だから茶会を口実に自身の屋敷に呼び出してお前を直接的に消しにかかる可能性は高い」
「そんなまさか。それが本当ならあまりにも短絡的というか」
「彼女には常識とかそういったものが通用しない。公爵家の立ち位置や、男爵家に大きな借りがあるということすら分かっていないのかもな。だからシャナ。あまり気を抜くなよ。いや、今からでも遅くはない。行くのを取りやめても俺はいいと思うんだが」
「………」
殿下のあまりにも深刻な顔に、さすがの私も少し考える。
だけど、どうせ今回断ったって次もお誘いが来る可能性はある。その度に断わり続けるのも不自然だ。
なので私が最終的に出した結論は。
「心配して頂けるのは嬉しいですが、このシャナ、アムネシ様に足元をすくわれるような失態は絶対に犯しませんから」
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と、いう訳で、今に至る。
私としては、ここまでの道のりの中でもしかしたらアムネシ様の手下に襲われでもするんじゃないかって多少は危惧してたんだけど、そのようなこともなく、道中は極めて穏やかで安全だった。
今回の同行者は、私のお世話係であるメリダとディーゼル卿のつけてくれた数人の護衛役の方々。
なんでも彼のお墨付きの実力を持つらしく、彼らがいればまず危ない目には遭わないだろうということらしい。パッと見は普通の中肉中背のあんちゃんにしか見えないけど、見た目で判断してはいけないということか。
レイン王子もその力は認めているくらいだから、相当の手練れには違いない。彼らが同行するということでようやく私の外出を許可してくれたくらいだから。
馬車を降り立つと、まず出迎えてくれたのはこの屋敷の執事、とも呼べるような雰囲気を纏った初老の男性だった。
黒の燕尾服を模したジャケットを着こなし白髪が混じった髪を丁寧に後ろに撫で付けた彼は、私たちに向かって一礼するとにこやかな笑顔を浮かべた。
「シャナ様、本日は我がザイモン家の屋敷にご足労頂きありがとうございます。私は旦那様よりこの屋敷を預かる役目を仰せつかった使用人頭のジューク、と申します」
「こちらこそ、本日はお招きにあずかり至極光栄でございます」
対する私も、にこやかな対応をジュークに返す。
「アムネシお嬢様は屋敷内でお待ちです。さあさあどうぞ、こちらへ」
そうやって促されるまま、私たちは彼の後ろについて屋敷内へと足を踏み入れた。
屋敷内の豪華絢爛さは、さすがとしか言いようがない。王家の住まう居城と何ら遜色ない。
ピカピカに磨き上げられた床に使われている大理石は極上のものだし、飾られた絵画やブロンド像などの美術品は、庶民が一生かかっても手に入らないほどの高額のもの。そんなものがこれみよがしにごろごろと屋敷内に散りばめられているんだから私から感嘆のため息が漏れだしても仕方がない。
そうやって素晴らしい屋敷の長い長い廊下を渡り、これまた美しく手入れされた広大な中庭を横切って、ようやく私をここに呼び出した張本人が待ち構える部屋へと辿り着いた。
中に入ると、同じくお茶会に招待されたのであろうご令嬢たちに囲まれ、アムネシ様が楽しげに談笑しているのが見えた。
しかし彼女はいち早く私の存在に気が付くと、満面の笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってきた。
「まあ、シャナ様!お待ちしておりましたわ!」
本日のアムネシ様は、相も変わらずこれ見よがしに体中にこぶし大の宝石の装飾品を装備し、フリルが幾重にも重なった華美なドレスを身に纏った姿で現れた。ちなみに今日の髪形は見事なまでの縦ロール。
ただ以前と違うのは、私に対しての態度。
アムネシ様は私の目の前まで来ると、恭しく頭を下げ、まるで親しい友人に会ったかのような非常に友好的な笑みを浮かべて見せたのだ。
この前まで、目が合おうものなら地に落ちた汚らしい虫けらを見るような目で見て、かといって視線を向けていなければ、今度はぎりぎりとハンカチを噛み千切る勢いで噛み、怨念と殺意のこもった悪意の塊をぶつけてきてたというのにだ。
なんだ、なに、この手のひらを返した180度違った対応は。
若干の戸惑いとあまりの変貌ぶりから薄気味悪さを感じて思わず後ずさる私をよそに、アムネシ様は再度にっこりと女神のような微笑みを浮かべると私の手をとった。
「お茶会のご用意は既に整っております。どうぞこちらへ」




